第百七節 複雑だった姉心と妹心
やはり戻ってきて正解だった。グリムはアヤメを見下ろしながらそう感じた。
自分が第二階層に戻ってきた時、目の前には絶体絶命の危機だったアヤメの姿があった。咄嗟にグリムは時間操作の術である「
第二階層の空間を丸ごと停止させ、その間にアヤメを槍から救出したのだ。
アヤメは上を見上げ、自分だと確認できると目を丸くさせた。彼女の言いたいことはわかる。どうしてここにいるのか、と。そんな風に言外に尋ねるアヤメに、グリムは冷たく言い放つ。
「まったく、それなりに場数も踏んでると堂々とほざいていたくクセに。この有様はなんだ忍の?」
「いや、これはそのぉ……」
「この馬鹿者めが。できんことを口にするでないわ」
そう言うとグリムはぱっと手を放し、アヤメを遠慮なしに床に落とした。
姫抱きにされていたアヤメは盛大に尻もちをつく。
「あっだ!?ちょ、グリムー!何も落とすことないじゃないっすかー!」
「黙れ。叫べるならば怪我も大したことなかろうが」
「ウチ一応怪我人……じゃなくて!どうして戻ってきたんすか!?」
「何故も何もあるまい。私は戦場を求めているだけだ」
「答えになってないっす!」
キーキーと叫ぶアヤメを一瞥し、これだけの元気があるならば腹部の怪我も大したことないだろうと考える。見た目ほど、深刻ではなさそうだ。そのことに安堵してから、グリムは大鎌を構えた。
「足手まといはさがっていろと言っている」
「な、ウチまだ戦えるっすよ!?」
「この戦いはそうだとしても、その先はないだろう。いいから治療に専念でもしていろ、この低能が」
「でもこれはウチがしなければならないことっす!カスタニエ流の忍としてのケジメがあるんす!」
「知らんし、私には関係のないことだ」
あんまりにもアヤメが煩いものだからと。グリムは彼女に対してある術を発動させた。相手を檻に閉じ込める術、「
地面から這い出た黒い槍はアヤメを取り囲み、彼女の頭上で袋の口を閉じるようにその先端を集束させた。突然の折檻にアヤメが驚き抗議の声を上げる。
「グリム!」
「いい加減に黙れ。貴様に死なれると、バルドルの共が煩くなる。それだけよ」
「あ……」
「理解したか?ならばさっさとその怪我の治療でもしていることだな」
これ以上は何も言うまい。
グリムはアヤメに代わってルーヴァと相対した。
対するルーヴァは、相変わらずにこにことしたままグリムを見据える。
「やぁ、久し振りだねデックアールヴ族。また戦えることができて嬉しいよ」
「……貴様のそのにやけ顔、二度と見たくなかったわ」
「うーん、相変わらず切れ味が鋭い。でも忘れていないよね?キミと一度相まみえたとき、キミは僕に触れることすらできなかったよね」
それはグリムたちとルーヴァ、アマツが初対面した時のこと。
あの時はアマツもいたが、グリムはルーヴァに一撃も攻撃を与えることはできなかった。何度仕掛けてもひらひらと躱されるだけで、決め手がなかったのだ。
「そんなキミがもう一度、今度はサシで僕と
「口だけは達者だな、貴様。私があの頃と同じと思うなよ」
「それはそれは。せいぜい期待させてもらおうかな!」
ルーヴァが札を展開する。グリムは今一度大鎌の柄を、ぐ、と握る。そして小さく呟いた。
「……ゆくぞ、ダインスレーヴ」
踏み込み、そして。
展開されたルーヴァの術の中へ、駆け出して行った。
「事象顕現!
札の効果発動。意味するところは「災害」である。
発動された札のマナ、解放。グリムをめがけて、何種類もの武器が投擲された。
下手な鉄砲も数撃てば当たる、とでも言いたいのか。
内心落胆しながら、グリムは大鎌を振るう。その一薙ぎで、ルーヴァの放った無数の武器は真っ二つに。効果を失った武器たちが、纏っていた輝きを失いバラバラと地面に落ちる。
その様子に、ルーヴァは何か感じ取ったのか。後退してグリムから距離を取りながら、次の札に手を伸ばす。
「事象顕現!
翳された札からは、悪魔のような魔物が出現。その獰猛な牙をグリムに突き立てようと、突進を仕掛けてくる。
なんとも単調な動きだ。ただ突進してくるだけか。
グリムはその場で大鎌を使い、魔物の制空権を奪うように跳躍。
魔物の背を取った彼女は、そのまま大鎌を振り下ろす。途端に魔物は両断され、札の効果を一瞬にして弾き飛ばした。
その光景に、ルーヴァは何が起きているか理解できていないようだ。その顔に初めて、焦りの色が見えた。咄嗟に彼は新たな札を展開する。
「事象顕現!
発動させた札から鎖が出現し、それがグリムの大鎌に絡みつく。鎖の先端には矢じりのようなものが付属されている。それが地面に突き刺さることで、彼女の武器を封じようと考えたのだろう。
しかし、それは無駄なこと。
グリムは小さく笑い、少し力を入れて柄を握る。ぐぐと、若干拮抗したが、鎖はあっという間に粉々に砕け散る。
いよいよ驚愕の色を隠せないルーヴァ。これを好機にしないわけがない。
武器を構える。彼女が持つ大鎌の、柄の部分が三分割されその端からジャラ、と鎖が顔を見せる。
グリムは三分割された柄の一つを持ち、マナを大鎌の刃に付与させた。
「散れ。
まるで漁師が魚を捕獲するために海に網を放るように、彼女は自分を中心として勢いよく大鎌を振り回す。闇のマナに包まれた大鎌の刃が、ルーヴァの周りで待機していた札たちを上下に真っ二つに割く。
回転する巨大なカッターのような攻撃に、彼は手も足も出なかったようだ。対抗する前に、彼の武器であるその札の多くがその効力を失った。
それでようやく、ルーヴァは原因がグリムの武器にあると気付いたのだろう。
「なんだ、その、武器は……」
「フン、ようやくにやけ顔が崩れたな。よかろう、胸のつっかえが下りた礼だ。これは魔剣ダインスレーヴ。デックアールヴ族のみが使役できる、魔を断つ剣よ」
「魔剣ダインスレーヴ……魔を断つ剣だって!?」
「その様子だと合点がいったようだな。そうだ、魔を断つ剣……言い換えるなら魔殺し、魔術封じの剣ともいえよう。対魔術には、もっとも有効的な手段だ。貴様にとっては、最高に相性の悪い相手になるだろうよ」
その言葉の直後、ルーヴァが札を発動させる態勢をとるが、そうはさせない。
一気に彼との距離を詰める。
「無駄だ。すでに詰んでいるのだ、貴様は」
大鎌で残りの札を薙ぐ。
彼女の一薙ぎで、生き残っていた札もすべてが無効化される。
その衝撃で切れたルーヴァの服の裾から、ちらりと顔を覗かせるものがあった。贋作グレイプニルだ。ようやくお目当てが見つかった。
「この……!僕は、負けない!負けるわけには!!」
「いいや、それは叶わん。言っただろう、貴様はすでに摘んでいる、と」
グリムの言葉を、ルーヴァは背中に感じる気配で理解する。
いつの間にか槍の檻から脱出していたアヤメが、その手に直刀を構えて。
アヤメがすれ違いざまに、ルーヴァの手首に嵌められている贋作グレイプニルの宝石を一閃した。パキン、と。確かに破壊されるその音を耳にして。
ルーヴァは断末魔をあげながら、地面に倒れ伏した。その彼を見下ろしながら、アヤメが直刀を突き立てようと、振りかぶり──。
「待て、このド阿呆め」
それを、グリムは彼女の手を掴んで止めた。それに対してアヤメが静かに言葉を紡ぎ始める。
「止めないでグリム。これは、ウチが、やらなきゃいけないことで……!」
「馬鹿者。当初の目的を忘れたか?」
「でも!!」
「こやつは、既に死人だ。死人であろうとも反逆者に鞭打つのが、貴様らの一族の流儀だとでも言うつもりか」
「そ、れは……」
狼狽えるアヤメに、核を出せと脅す。その脅しに、渋々といったかたちで彼女はグリムに、用意していた核を渡した。それを受け取ったグリムは、破壊された贋作グレイプニルの宝石の台座に核を嵌める。
「……貴様の決意を奪った私を恨めばいい。だがな、実の弟を殺す感覚なんて、覚えなくていいのだ」
「……あ……」
それはいつかアヤメから言われた言葉。ふい、と後ろを向きグリムは腕を組む。
「……これで貸し借りはナシだ」
「……ありがとっす、グリム……」
「フン……」
言葉を交わした直後、ルーヴァの呻く声が耳に届く。
彼はゆっくりと起き上がり、ふるふると頭を振るう。雰囲気が先程とは違う。どうやら核は正常に作用しているみたいだ。
「……僕は……」
「ルーヴァ」
アヤメが彼を呼ぶ。自分を呼ぶ声に振り向いたルーヴァは、突然アヤメから張り手を受ける。乾いた音が第二階層に響く。ちら、と彼女を一瞥すれば、その両肩は震えていた。
「姉さん……?」
「この、バカ!バカルーヴァ!!お姉ちゃんにあんまり心配かけさせるなっす!!勝手に死んだと思ったら勝手に生き返って、人様にこんなに迷惑かけて!!」
「……」
もはや涙声でありつつも、彼女は説教を続ける。
「どんだけウチが心配したと思ってるんすか!このアンポンタン!バカ、アホ!」
「……面目もないよ」
「けど!こうしてまた話せてよかった、よか……ぅ……うわぁああん!!」
そう言うなり、アヤメはルーヴァに抱き着いて声を上げて泣き始める。ルーヴァは多少混乱しつつも、彼女の頭を撫でて謝罪の言葉を述べる。
「ごめんなさい姉さん。……ありがとう、僕を助けてくれて」
「当り前じゃないっすか!たった一人の弟なんだからぁあ!!」
「うん……そうだよね。本当、姉さんには苦労かけてばかりで、ごめんね」
しばらくの間、アヤメが落ち着くまで三人はその場にいた。ようやく落ち着いてから、彼女たちはこれまでのことをルーヴァに伝える。彼女たちの目的を知った彼は自らも協力すると告げた。
「できるのか?」
「僕にできることは、全力でやるよ。ヤクたちを苦しめてしまった責任を、取るためにも」
「それでこそ、自慢の弟っす!」
話し込んでいると、第一階層から上がってきたラントが到着する。
ラントの無事を確認し、しかし隣にいないツェルトについて尋ねる。
「悪い、その話はあとで。今はまず、レイのところに急がなきゃだろ」
「それもそうっすね。行こうっすグリム!」
「貴様に言われずとも向かうわ阿呆め」
「うぅ~。グリムー、もうちょっとだけ優しくしてくれてもぉ……」
「は?」
絶対零度の眼差しを向ければ、彼女は半泣きになりつつもめげずに近付く。そして体を屈めて小さく、
「本当にありがとね」
笑ってから告げられた。知らんと適当に流しつつ内心、これでよかったと感じながら。グリムはそんな内心を悟られないようにと、第三階層へと進むのであった。
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