第百六節   矜持と誇りと

 第二の階層。

 そこではアヤメとルーヴァが相対していた。レイたちを先に行かせるために放った術は、ルーヴァはあっさりと攻略してしまっていた。彼は無傷のまま、アヤメを見据えている。対してアヤメもいつでも動けるように構えはとっている。


「あっちゃー……。簡単に攻略してくれるっすねぇ」

「そうでもないよ。姉さんの術、一段と巧妙になってて解除するのに苦労したよ」

「汗一つかきもしないのに、よく言うっす」

「……ねぇ、姉さん。どうして邪魔をするのかい?僕は何も、姉さんに迷惑はかけていないじゃないか」

「それ、本気で言ってるんすか?」


 アヤメはルーヴァを鋭く睨む。


 アヤメとルーヴァは幼い頃、カスタニエ流の忍としてよく術の競い合いなんかもしていた。アヤメは忍術の他にも体術を得意とし、ルーヴァは天性のマナ集束の才能を使って、事象を顕現させる術を得意とした。


 二人は仲のいい姉弟だったが、成長した二人の道は違えた。アヤメは市民に親しまれる情報屋に、ルーヴァはミズガルーズ国家防衛軍の軍人に。情報屋として生活していたアヤメの耳には、常にミズガルーズ国家防衛軍で活躍している弟の情報が入っていた。

 そのことをアヤメは誇りに思っていた。カスタニエ流の忍という身分を隠していても、常日頃に精進しているであろう、弟のことを。

 彼が殉職したと聞いた時も、その理由を知ってアヤメは一人称賛を送ったほどだ。自分が大切だと思えた子供を守って、命を落としたというのなら。それは愚かじゃなくて誉れだと。

 最後まで、カスタニエ流の忍として恥じない生き方を全うしたのだと。


 しかし今の彼はどうだ。ルヴェルのエインとして蘇生を果たし、女神の巫女ヴォルヴァのためだと言っておきながら、民間人を虐殺しているだなんて。それでは一族狩りの悪党と同じではないか。


 カスタニエ流の忍には、忍であることへの矜持と誇りを持つよう教育される。一族の血を絶やさないために、たとえ身分を隠して逃げ続けているとしても、常に志は胸に宿すようにと。

 逃げることでは恥ではない。

 真の痴れ者とは、矜持や誇りを持たずに生きる者のこと。


「なに寝ぼけたこと言ってるんすか、ルーヴァ。ウチというより、カスタニエ流の忍たちに対して、とんだ迷惑行為をしてるじゃないっすか。学んだはずの矜持や誇り、忘れたんすか?」

「矜持?誇り?笑わせないでよ姉さん。そんなちっぽけなもので、何から逃げられるっていうのさ?」

「ちっぽけ?」

「そうさ。そんなもの、大義の前には無駄なだけ。そこいらの川にでも、投げ捨ててしまえばいいのさ」


 アヤメの言葉を、ルーヴァは軽く受け流す。その答えを聞いて、ある事実が確定した。今目の前にいる男がかつての弟ではなく、カスタニエ流一族に泥を塗る敵だと。


 カスタニエ流の忍の掟を反故にした不届者は、一族狩りの末裔と同じで、生きるに値しない。万が一身内が不祥事を起こしたならば、その不始末は同じ身内で行う。


「そう……それが聞けて安心したっす。本気で殺しにいくぞ、この反逆者」

「仕方ない。僕としては、姉さんのこと傷付けたくなかったんだけどね。向かってくるというのなら、僕は全力で姉さんを殺さなければならない」


 アヤメは構えてルーヴァに告げ、ルーヴァもそれに対して札を展開して構える。

 じりじりと距離を詰めていく。


 先に駆け出したのはアヤメだ。

 ルーヴァに向かいながら、忍術を発動させるための"印"を結ぶ。


「"火遁 鳳仙花"ホウセンカ!」


 アヤメの周りに浮いた火の玉が、バチバチと火花を散らしながら突撃していく。

 対してルーヴァは、一枚の札を手にして対抗した。


「事象顕現!"判を下す者"シーツリヒター"反転"ウムケールン!」


 突撃していく火の玉たちの前に、淡い光の盾が現れる。衝突した途端、アヤメの火の玉は一瞬のうちに消滅してしまった。


 これがルーヴァの使う術だ。二十二種類の札を要して、そこに記されている事象をマナを通して召喚する術式。それぞれの札は正位置と逆位置で異なる力を発揮するものであり、カスタニエ流の忍の中でも特異な忍術だ。

 ルーヴァはそれを、手足のように完璧に使いこなしている。相変わらずの器用さだ。


 とはいえ、弱点がないわけではない。

 アヤメは次の忍術を展開。


「"風遁 胡蝶蘭"コチョウラン


 アヤメは複数体の自分自身を、その場に出現させた。"風遁 胡蝶蘭"コチョウランとは、忍として一般的に伝えられている「分身の術」を、自分なりにアレンジしたものだ。


 複数人のアヤメが、ルーヴァに切りかかりに向かう。

 全員では向かわず、二、三人は後方に残り別々の術を準備していく。


「はぁ!」


 一人が直刀をルーヴァに振るう。

 それを彼は風のように、するりと躱す。


 次いで第二撃。躱した先に同じく直刀を構え、突き出す。

 ただしルーヴァは身体を後方に逸らし、足先でその直刀を蹴り飛ばされる。


 三撃目。苦無を持ったアヤメがルーヴァに向かって投げつける。

 彼は手でそれを弾くと、反撃へと体勢を整えた。


「事象顕現!"魔なる獣の王"デーモン"正転"ゲナウ!」


 翳された札からは悪魔のような魔物が出現し、分身体のアヤメを喰らっていく。


 牙に噛み千切られ、引き裂かれた分身体は淡い光の蝶になり霧散する。

 残りは十体、七体──。

 札の効果が切れたのか、分身体が残り三体というところで魔物は消滅。


 ……強くなっている。自分と切磋琢磨していたあの頃より、ずっと。


「さすが……元ミズガルーズ国家防衛軍。簡単にその首、落ちないっすね」

「姉さんも強いじゃないか。サボってないで修行に励んでいたんだね。カスタニエ流の忍の中でも特に秀でた才能と実力、全然衰えてない。むしろ強くなった?」

「これでもウチ、割と真面目なんすよ?」

「だよね。それに僕の弱点を、的確についてくる。嫌になるほどさ」


 ルーヴァの弱点。それは展開中は無防備となっている札だった。

 確かに彼の使用する札の威力は強く、簡単に破られるものではない。しかしそれは、札の効果が発動している間のみ。

 戦闘中、彼の周りに展開されている未発動の札たちは、無防備なのだ。


 発動前の札に攻撃が命中、あるいは封印をされてしまうと、その戦闘中でその札は一切の効果を発動できなくなる。しかも一度使用した札は、そこに内蔵されているマナを一気に消化してしまうので、再発動するまでにかなりの時間を要するのだ。

 彼に勝つ手段は、彼の札に攻撃を命中させるか、札を全部使い切らせるかになる。


 ルーヴァの残りの手札は、十二枚。使用した札が二枚で、元々の山札は二十二枚。ということは、アヤメはすでに十枚の札を破壊したことになる。


 どのようにして。それは先程展開した忍術、"風遁 胡蝶蘭"コチョウランの影響だ。

 この忍術は分身体となる己の体に、風のマナを集めて組んだ術式封印の術を仕込ませ使役させる術である。分身体が破壊されると、分身体に仕込まれた術式は淡い光の蝶に姿を変え霧散する。

 霧散した蝶が相手の術や道具に触れると、一時的に封印を施すのだ。


 途中でアヤメの狙いに気付いたルーヴァに、蝶を振り落とされてしまったが。半分も相手の手を潰せたのは僥倖だ。


「さすがだよ姉さん、と言いたいところだけど……。詰めが甘いというか、読みが悪かったというか」

「負け惜しみっすか?」

「まさか。でも言っておかなきゃなって思ってさ。まぁ、口で言うより見た方が手っ取り早いかな」


 追い詰められているはずなのに、にっこりと笑ったルーヴァは徐に、一枚の札を発動させた。


「事象顕現。"醜態曝されし男爵"オーセッツェン"反転"ウムケールン


 展開された札から、小柄な男性が現れる。精霊らしき男性はアヤメによって封印された札へ近づくと、コンコン、と手に持っていた杖でそれを叩く。

 するとどうだろう。封印されて力を失っていたはずの札に、マナが戻ったのだ。その光景に、アヤメも目を見開く。


「相手の術を封印したり破壊する術は、なにも姉さんだけの専売特許じゃない。これは相手の術から上書きをする形で、それを破壊する術さ」

「上書き……?」

「そう。"醜態曝されし男爵"オーセッツェン。この札の反転、それは「徒労」と意味する。この札が封印されていたら危なかったけど……残念だったね、姉さん」

「そんな奥の手を隠し持っていたなんて……」

「ああ、それと。あんまりこればかりに夢中になってるといけないよ」


 彼の言葉の直後。アヤメは背後から奇襲を受けた。

 背中から腹部に向かって、槍のようなものが貫通していたのだ。


 衝撃に、吐血する。

 腹部から突き出た槍の先端はアヤメ自身の血で、てらてらと濡れている。


「か、ふっ……!?」

「何も僕は札を同時発動できない、とは言ってないからね。既に展開させてもらってたよ。「"定められた命題の運び屋"シックザール」の反転……アクシデントの意味を持つ札をね」


 余裕といった表情でアヤメを見下ろし笑うルーヴァ。彼を忌々しく見つめる。

 腹部の激痛よりも、そんな風に楽しそうな表情をしている彼を、痛く思う。


「ルーヴァ……!」

「本当に残念だよ姉さん。こんな形で、姉さんを殺すことになるなんてね」


 ルーヴァが札を翳す。するとアヤメの頭上に、一際巨大な槍が出現した。

 彼が合図を出すと、それが勢いよく回転し始める。

 まさか、と嫌な予感が掠める。


「さようなら、姉さん」


 ルーヴァから冷酷に、死刑を言い渡される。

 槍が回転しながら、アヤメへ落ちていく。


 逃げなければ。

 しかし自分は、地面から突き出た槍と繋がっている。


 動けない。

 駄目だ、思いつく手がない。


 衝撃のために、思わず目を閉じる。ああ、これで自分はおしまいなのか。


「……」


 ……おかしい。

 痛みを感じない。確かに自分は死んだはずなのに。


 恐る恐る目を開ける。最初に飛び込んできたのは、漆黒の髪だ。

 その髪には見覚えがある。でも、まさか、そんな。


 ゆっくり顔を上げれば、そこには──。


「フン、情けない奴めが」


 アイスブルーの瞳の彼女、グリムが自分を姫抱きにしていた。

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