第百五節   喧嘩のあとは仲直りして

「な……」


 驚愕に包まれたツェルトの声が聞こえる。それはそうだろう、今のラントの姿を、彼は初めて目にするのだから。

 手に持つ双剣は、ラントの弓本体だ。ただし弓の状態から変化させて、このように双剣にすることも可能なのである。それだけのことだった。


「俺、ショートケーキに乗ってるイチゴは最後に食べる派なんだ。そういうとっておきって、最後まで取っておきたい性格タチなんだわ」

「そんなの、聞いてない……!」

「言わなかったからな」

「ふざけんな!なんで……!」

「言う必要があるか?ルヴェルのエイン──俺の敵であるお前に」


 動揺するツェルトに冷たく言い放つ。本当にどこまでも勝手な言い分だ。そうさせたというのは自分だったのに。

 それでもこうでも言わなければ、本気のツェルトと対決できない。本気になったそんな弟と、戦いたい。最初で最後だから。

 先程も思ったことだ。これは、自分自身のために始める自分勝手な戦い。弟を救い出すという目的のために、あえて弟ではない存在として相対する。


 突き放されたツェルトはふるふると肩を震わせ、ハンドガンをこれでもかと握りしめる。獣が唸るように、低い声で言葉を紡ぐ。


「そう……それを、兄さんが言うんだね。僕の人生を滅茶苦茶にした、張本人のくせして!加害者のくせして!!」

「ああ。言ったろ、を止めるって」

「わかった……じゃあ本当に、永遠にバイバイだね!!」


 激高したツェルトがオート式のハンドガンを乱射していく。

 向かってくる複数の銃弾。その中を、ラントは深呼吸をしてから──あろうことか、体勢を低く構えて駆け出した。


 右に、左に、一歩立ち止まって。

 くるりと身体を捻って。


 ところどころにかすりはするものの、銃弾は一つとしてラントに直撃しない。焦るツェルトをよそに、彼の懐近くまで一気に距離を詰めた。


「はぁ!」


 下から上に切り上げにかかる。あまりに近距離だったからか、ツェルトは銃を撃てなかったようだ。咄嗟に避けることしかできないところを見ると、焦りもしているのだろう。


 とはいえ、それはラントの予想範囲内。初手は躱されてしまったが、次の攻撃まで一瞬間も時間は使わない。ツェルトが避けた先にもう片方の刃を振り下ろせば、避けきることができなかった彼の片腕を捉えた。


「ッ!!」


 それに対し反撃しようと、ツェルトは無事な手に持っていた銃を突きつける。


 一発。


 発砲するもラントも身体を捻ってそれを躱し、同時に双剣から弓に状態変化させていた武器で、ツェルトの頭めがけて矢を射る。

 矢は惜しくもツェルトには当たらず、彼の後方へと飛んで行ってしまった。


「このっ!」


 焦りか怒りか。ツェルトが手に持っていた銃を、ラントに向かって投げつける。その行動は読めたが、避けるより先にツェルトが叩き付ける方が早かった。

 銃はラントの左目付近に直撃。その衝撃で皮膚が切れたのか、血が流れる。


 足の次は目を潰しにかかるとは。


 しかし、今の攻撃ではっきりと捉えることができた。ツェルトの腕に装着されていた、贋作グレイプニル──そこに装填されていた宝石を。

 あれを壊せば、ツェルトを解放することができる。救えるんだ。


 だがラントの足の銃創はまだ、塞がってなんかいなかった。未だに流血は止まっていないのだ。このまま失血死する前に決着をつけなければ。しかし──。


 ……ああ、今目の前の光景が、いやにクリアに感じる。


 一度目を閉じて、ゆっくりと目を開く。目の前には、幼い頃の弟の姿。その姿を捉えたラントは、小さく笑う。


「……あの頃に、戻れたらな……」


 そんな言葉が自然と口から零れた。

 遺跡調査の仕事を一生懸命していた父親がいて、父をやさしく見守る母親がいて、元気いっぱいな自分と弟がいて。そんなごくごく普通な、ありきたりな、幸せな家族がいた頃に戻れたのなら。


 喧嘩もしたけど、それでもいつも一緒に遊んで笑っていた。好奇心旺盛な自分と、器用で何でもできた弟。今はこんなに、生者と死者に分かたれているけども。

 それでも思わずにはいられないのだ。


 こんなことになってなかったら、普通に成長した弟と世界を回れたかも、なんて。


「死ね、死ねよ!僕のことを捨てる兄さんなんかぁあ!!」


 でもそれは決して叶わない、泡沫の夢。

 この現実を招いてしまったのは、他ならぬ自分自身だ。


 だから終わらせる。

 夢の時間は、もうおしまいにしよう。


 ツェルトは自身のマナを最大限に活用したのか、己が持っていたであろうすべての銃器を空間上に展開した。銃口はどれも、ラントを狙っている。圧巻の光景だ。


「……すごいな」

「これが僕の最大奥義!確実に殺してあげるよ兄さん!!」


 ツェルトは己の勝利を確信してる。その技に対抗できる術を、ラントが持ち合わせていないと考えたのだろう。だがラントは笑っていた。

 ツェルトの希望を砕く一手を、もうすでに放っていたのだから。


「悪いなツェルト。この勝負、俺の勝ちだ」


 上を見ろ、とラントが人差し指を突き立てて天井に腕を伸ばす。何が仕掛けてあるのか、とツェルトは上を見上げ、言葉を失ったようだ。


 天井には、とある魔方陣が展開していた。


 光の魔方陣。それはラントの術の一つ。一言命じれば、即座に発動する。

 先程ツェルトに向けて放った矢は、わざと外させたのだ。この術を展開するために。

 呆気にとられるツェルトに、ラントは勝利への術を口にする。


"星河一天"シュテルンツェルト


 パチン、指を鳴らす。


 ツェルトの頭上に浮かび上がった魔方陣の中心点から、光の矢が一斉に地面へと放たれる。豪雨のように止めどなく降り注ぐ矢の雨は、ツェルトが展開した銃たちにも遠慮なく降り注ぎ、一切合切を破壊していく。


 防御の体勢がとれていなかったツェルトにも、その矢は降り注ぐ。

 光の矢の雨が降り注ぐ中をラントは駆け、再び双剣にした武器でツェルトのある部分を狙う。


 贋作グレイプニルの、宝石部分を。


「ツェルト──!!」


 矢の雨は止み、ラントは確実に宝石部分を破壊する。

 パキ、と小さく悲鳴を立てて宝石部分は粉砕された。


 瞬間、ツェルトの口から悲痛な叫び声が上がった。それと同時に、彼を覆っていたが消滅していく。

 それがなんなのか考えるのはあとだ。ラントは意識を失い倒れこむツェルトを抱きとめ、懐から例の核を取り出す。贋作グレイプニルの破壊された宝玉部分に、それはピッタリと嵌った。


 一安心して、息を吐く。

 これでツェルトの魂は、ルヴェルから解放されたはずだが……果たして。


 数分後、ゆっくりと目を開いたツェルトの瞳には光が戻っている。


「ん……。あ、れ……」

「ツェルト、俺がわかるか?」

「……ラント、兄ちゃん……?」

「……!ツェルト!!」


 その口調は、紛れもなく昔のツェルトのままだ。思わず彼を抱きしめる。


「ん……いたいよ、兄ちゃん……」

「あ、わ、悪かったな」


 ツェルトの言葉にラントは慌てて抱擁を解く。改めてツェルトを見ると、昔の頃の笑顔がラントを迎えた。試しに今までのことを覚えているかと尋ねると、すべて覚えていると答えが返ってくる。


 彼が言うには、贋作グレイプニルを嵌められた直後から、本来の魂とは別人格の魂が宿ったかのようになってしまったらしい。さらに本来の魂は足枷を嵌められたかのように、全く身動きができなかったとのこと。

 視覚情報や聴覚情報は入ってくるのに、そこに自分が干渉することができなかったと。まるで牢獄の中にいたような感覚だった。そうツェルトは話す。


「……ぼく、全部見てたんだ……。贋作グレイプニルを、嵌められたあとも……。なにもかも、全部……」

「……ごめんな、俺のせいでお前は……」

「謝らないで、兄ちゃん……。兄ちゃんは、僕のために一生懸命だった、の……。わか、てるから……」

「けど、俺がお前の人生を滅茶苦茶に……」

「最初は、ビックリしたけ、ど……うれしかった、よ。兄ちゃんが、僕のために頑張ってくれて、たって……わかって……」


 でも、とツェルトは言葉を続ける。


「ごめ、ん……僕もう、だめみたい……」


 彼の言葉を合図に、ツェルトの身体がボロボロと崩れていく。衝撃的な光景に、ラントは慌てた。何が悪かったのか、まさか核に何か問題でもあったのか。


「どうして!!」

「ほら……僕の蘇生躯体、て……試作機、だったから……」

「っ……!」


 思い出した。ツェルトの魂を入れた蘇生躯体が、所謂実験体でもあったことを。

 ツェルトは、ルヴェルが最初期に製作した蘇生躯体のうちの一つを、使用していた。

 幼くして死んだ魂を蘇生躯体に入れたら、それは成長するかどうか。ある日ルヴェルは、そんなことを思いついたのだ。そしてその実験の経過観察のためにも、常にツェルトのために強いマナを探すよう、ラントはルヴェルから指示されていた。

 だからその力が見つからない間は、ツェルトの蘇生躯体は常に不安定だった。蘇生させた魂を蘇生躯体に完全に定着させるため、非常に強いマナ──女神の巫女ヴォルヴァのマナ──を必要とした。

 結果として、実験は成功した。六歳で死亡して蘇生させられ、試作機の蘇生躯体に入れられたツェルトの魂は、時間と共にしっかりと成長し、十八歳の少年の見た目に成長した。

 その年数実に、十二年間。されどもその結果を見てもルヴェルは、安定性のある蘇生躯体を作る作業に入ってしまい、成長する蘇生躯体の作成はやめてしまったのだ。


 簡単に言ってしまうなら、ツェルトはルヴェルにとっては単なる使い捨て。壊れたら壊れたのかと、気にも留めないほどの存在でしかなかったということだ。


「くそ、ふざけんな!そんなのってあるかよ馬鹿野郎……!」

「ご、めんね……あり、がと……」

「ツェルト!!」


 ボロボロと、崩壊する身体。抱きしめてしまったら、崩壊が早まりそうだ。その一欠けらももう失いたくないからと、強く抱きしめることもできない。


「……ねぇ、ラントにいちゃ……。おねがい、があるの……」

「お願い……?」

「……あの、茶髪の女神の巫女ヴォルヴァさんに、僕がごめんなさいって言ってた、て……」

「レイに……?」

「……ぼく、あの人に……ひどいこと、いた、から……。どうしてもあ、やまりたく……て……」


 怒ってないといいな、とツェルトは呟く。後悔しているような彼の頭をくしゃりと撫でて、ラントは笑顔でこう告げた。


「あいつはお前のこと、きっと許してるよ。兄ちゃんが保証する」

「そっか……よか、た……」

「……ッ……」


 ラントはもう一度考えてから、それでも崩壊していくツェルトの身体を抱きしめる。


「ありが、と……兄ちゃん、大好き……」

「ああ……ありがとな、ツェルト。あっちで、父さんと母さんに、よろしくな」

「うん……。……家族みんなで、また……遊びたかった、なぁ……」


 その言葉を最後に、ツェルトの身体は完全に崩壊した。

 静寂になった空間に、彼の腕に嵌められていた贋作グレイプニルが床に落ちる音が響く。


 それを一度拾ってから、双剣を使って完全に破壊する。ゆっくりと立ち上がると、ラントは第二の階層へ続く螺旋階段を駆け上がっていくのであった。

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