第九十七節  魔剣の意思

 霧が霧散して、視界が開ける。自分たちの目の前にいたのは、武装しているキュシーの姿。ゆらりと立っているが、魔剣はしっかりと握られている。そして徐に胴体に突き刺さっていたアヤメの刀を引き抜き、地面へ放る。やがて顔を上げた彼女の瞳には、正気の一欠けらも残ってはいなかった。その姿はまるで、魔剣に操り人形にされたかのよう。

 その異質な雰囲気に、魔物たちを討伐し終えたエイリークたちが様子を探りに、グリムたちのことろまで近寄る。警戒を強めながら、グリムは問うた。


「何者だ、貴様」


 彼女の問いかけに、キュシーが答える。その口から発せられる声は彼女自身のものではなく、先程聞こえていたあの、闇を体現したかのような声だった。


「……我ハ魔剣ノ意思。数百年前ニ打タレタ、魔ナル剣。ソレガ我ダ」

「魔剣の意思……?」

「その人の身体で何をするつもりだ!?」


 レイが杖を構えながら叫ぶ。キュシーの身体を操っている魔剣の意思は、ゆらりと魔剣を掲げ、それをグリムたちに向けて一閃した。途端に衝撃波が一同を襲う。どうにかレイが直前で張った防御魔法のおかげで直撃は免れたものの、衝撃波は防いだ先に広がった地面が抉れるほどの威力だ。ここは火山の河口に近い場所でもある。この戦いの折で活性化されるものなら、いつ噴火を起こすかわからない。


 そんなことはいざ知らず、魔剣の意思はキュシーの顔でにやりと笑ってグリムたちに目的を告げた。


「知レタコト。コノ世ヲ戦火デ包ムノダ」

「なんだって……!?」

「コノ世ニハ戦ガ足リヌ。世界平和ナゾ、弱者ガ見ル泡沫ノ夢ニ過ギン。其レハヤガテ腐敗ヲ産ミ、惰弱ナ者ヲ作リ出ス毒トナロウ」

「だから戦争でも起こすっていうのか!?」

「ソレモマタ一興。所詮生ケル者ハ、滅ビユク運命ニハ抗エン」


 静かに告げた魔剣の意思。キュシーの身体をいいように操っているそれに、エイリークたちが臨戦態勢をとる。そんな中でグリムは一人、先程のキュシーの言葉を思い出す。



『……どこまでもひどくて、すまぬ……。しかし私は、魔剣に……乗っ取られたくはない……。キュシーという女として、死にたいのだ……私の最後のわがまま、聞いて、くれるか……?』



 キュシーの最後の願い。魔剣に乗っ取られる前に死にたいと告げた彼女。そんな彼女の願いを、魔剣の意思は砕いたのだ。ならばすべきことは、ただ一つ。


「ふざけたことを……」


 立ち上がり、グリムはエイリークたちの前に出る。その手にマナを集束しながら、強い瞳でキュシー、魔剣の意思を睨みつける。そんな彼女を余裕といった表情で見る魔剣の意思。


「キュシーの最後の望みを踏みにじった貴様を、私は断じて許さん。たかだか世界を戦火に包むなどという、矮小な目的しか持たぬ貴様に、今ここで引導を渡してやるわ」

「出シャバルナ、デックアールヴ族ノ末裔ガ。貴様ニ我ヲ御スルコトナド出来ン」

「そんなの、やってみなきゃわからないじゃかいっすか!」


 グリムの決意を鼻で笑った魔剣の意思に対抗するように、アヤメがグリムの隣に立ち反論の言葉を述べた。アヤメだけではない。エイリークにレイ、ケルスにラントといった仲間たちが全員、グリムの意思に同調するように隣に並ぶ。それがとても心強いと、グリムは初めて仲間たちに対して素直に思えた。小さく笑い、口の中で礼を述べる。

 そんな一同に、面白いといわんばかりに魔剣の意思は相対する。


「ヨカロウ。我モ血ヲ吸イタクテ、タマラナンダ。我ヘノ初メノ贄トナルコト、光栄ニ思ウガイイ!弱者ドモ!!」


 ごう、と魔剣の意思がその力を解放したようだ。キュシーを中心に風が巻き起こる。しかし今のグリムたちに、恐れはなかった。体勢を整えながら、仲間たちがグリムに声をかける。


「グリム、全力でサポートするよ!」

「危なくなったら、俺が守るから!」

「回復なら、任せてください!」

「あの野郎に、一発かましたれ!」


 かけられる言葉が、こうも頼もしい。す、と手が差し出され、そちらを見れば笑顔のアヤメがいる。


「キュシーさんの願い、絶対に叶えましょうっす!」

「……そうだな。力を貸せ、忍の」

「……!はいっす!もちろん!!」


 魔剣の風が止む。それを皮切りに、エイリークとアヤメ、グリムが魔剣の意思へと向かっていく。レイとケルスは詠唱を、ラントは矢をつがえる。


 まずエイリークが魔剣の意思に、上から切りかかる。それを易々と受け止める魔剣に、アヤメが「"水遁 水仙"スイセン」を放つ。しかしそれはキュシーの周りに張られた闇の防御膜によって、すべて弾かれる。膜が消えた一瞬のスキを狙いラントが矢を放つ。その間に、ケルスの能力強化の術がグリムに付与された。


 魔剣の意思はまず、エイリークの大剣を払って彼の体勢を崩し、盾にする。ぐい、と向けた先にはラントが放った矢が。軌道が逸れることがなければエイリークに直撃する。

 だが間一髪、レイがエイリークに対して発動させた防御魔法が発動。レイの盾に、矢は弾かれる。その隙にエイリークは肘鉄を食らわせ、魔剣の意思から離れる。魔剣の意思の身体が開かれた一瞬を、グリムは見逃さない。手中に集束させていたマナを、その身体めがけて打ち込む。


"光を飲み込むは静謐なる暗黒"ボワールフォンセ!!」


 闇のマナを練り上げた力の塊を、グリムは確かに直撃させた。手にはしっかりと手ごたえを感じた。それにもかかわらず、魔剣の意思は左程ダメージが入っていないのか、添えられていたグリムの手を握ると、にやりと怪しく笑みを浮かべる。その状況に、グリムが動揺を見せてしまう。


「……儚イナ、デックアールヴ族」

「なっ……!?」

「甘イ。ソシテナニヨリ、愚カナリ!」


 掴まれた手を引き寄せられ、今度はグリムが魔剣の意思からの膝蹴りをまともに受けてしまった。一瞬、息が止まる。受け身も取れなかった。手を離されると、思わずその場に倒れこむ。


「グリム!!」

「手間ヲカケサセルナ、弱者ドモガ」


 魔剣の意思がマナを解放する。彼女が剣を地面に刺すと、広範囲に魔方陣が展開された。まさか、と思った時にはすでに遅く。魔剣の意思が術を発動させた。


"世界ヨ閉ジヨ"ヴェルトエンデ!!」


 魔剣を中心に放たれたマナが、魔方陣を伝って地表へと出現する。その際に衝撃波となったそれは、魔方陣の範囲内にいたエイリーク、グリム、アヤメを襲う。援護しようとしたレイたちに対しては、魔剣の意思は手を広げ別の術を発動させる。


"爆散スルハ汝ノ意思ナリ"エクスプロズィーオン!」


 レイとケルス、ラントを包み込むように、三人の中心を支点としてマナを爆発させた。その爆撃を咄嗟に防げるような術を、レイたちは持ち合わせていなかった。そのまま攻撃を身に受け、その場に倒れこんだ。


 地面に倒れ伏したグリムたちを見渡した魔剣の意思は、足元にいたグリムを足蹴にしながら笑う。


「弱イ。弱スギルゾ。ソノ程度ノ力デ我ヲ封印スルナド、愚ノ骨頂」

「っ……!」

「コノ身体ノ所有者モ、莫迦ナ輩ヨ。我ト共ニ心中スルコトデ、我ヲ封ジヨウナドト出来モセヌコトヲ、ホザイテイタワ」

「……その割には、キュシーが生きている間は、何もできなかったようだな?たった一人の女に、いいように使われていたところを見る限り、たいした力ではないな。魔剣の言葉が泣くぞ?」

「……」


 グリムの言葉に魔剣の意思は返答せず、彼女を蹴り上げてからマナを打ち込み、吹き飛ばす。防御する暇がなかったグリムはその攻撃を身に受け、地面を滑る。そんな彼女に、回復したアヤメが駆け寄る。


「グリム!大丈夫っすか……?」

「ああ……。……忍の。貴様、精密射撃はできるか?」

「……どこを狙ってほしいんすか?」


 アヤメの手を借りながらグリムは立ち上がる。視界の先では、エイリークが再び魔剣の意思に対して大剣を振るい、レイやラントが援護をしている。意識は今は、自分たちから逸らされているようだ。グリムは吐血した血を拭い、ただ眼前を見据える。


「……奴の、魔剣を持つ手だ」

「その程度なら、お茶の子さいさい朝飯前っすよ!」

「一瞬だが隙を作る。チャンスは一度だ。失敗すれば次はない」

「ふふん。こう見えてウチ、プレッシャーには強いんすよ?」

「上等だ。……頼む」

「はい、任されたっす!」


 アヤメの返答を聞いたグリムは、再び駆け出す。今度は足にマナを付与させ、体術で立ち向かう。エイリークとは付き合いが長い。何も言わずとも、戦闘時は自分に合わせてくれる。阿吽の呼吸で、魔剣の意思に対峙していく。


「小賢シイ……!」

「はぁッ!」


 エイリークの大剣を弾いた身体に、グリムは掌底を繰り出す。タイミングは良し。手には確かな手ごたえ。その一瞬を、アヤメは確実に捉えた。水の球を、魔剣を持っていた手に直撃させる。威力を強めていたそれは、持っていた魔剣を弾くほど。そのことに気を取られた魔剣の意思だが、グリムはその時をずっと待っていたのだ。


 魔剣がキュシーの手から離れる、その瞬間を。


 彼女はキュシーの身体を利用して上空へ飛ぶと、その手で魔剣を握りしめた。

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