第九十六節  隠していた気持ち

 静寂がその場を包み込む。あれほどまでに激烈とした戦場であったのにもかかわらず、ひどく穏やかな時間が流れている。

 グリムがキュシーに突き刺した刀は、その身体を貫通している。ごほ、と血反吐を吐いたキュシーは小さく笑うと、グリムの頭に手を置いて告げた。


「……強く、なったな……。ありがとう、グリム……」

「なにっ……?」


 キュシーの言葉に、疑問を持たざるを得ない。いやむしろ、自分にもたれかかっているこの人物は、本当に先程まで死闘を繰り広げていた相手なのか。優しい声色はまるで、自分と一緒に旅をしていた時のような彼女だ。


「……これで、ようやく死ねる……」

「待て、どういうことだキュシー!?」


 崩れ落ちるキュシーの身体を支えながら、グリムは叫んだ。キュシーを仰向けにすれば、刀が突き刺さった彼女の腹部からは血が溢れて広がっていた。必死にキュシーを呼ぶグリムの声に、何が起きているのか理解しようと、アヤメと回復したレイが彼女たちに近付く。


「キュシー!!」


 切羽詰まったグリムの声に、レイがすかさずキュシーに回復術をかける。しかしキュシーはレイの杖に手を置き、それを拒んだ。


「……やめろ、巫女ヴォルヴァ。私は……このままで、いいのだ」

「けど!」

「もう、満足なのだ……。これで、安心して……逝ける」


 やりきったような顔のキュシーに、グリムは噛みついた。


「ふざけるな!!また私に何も言わぬまま、一人で勝手に去るつもりか!?そんなの冗談ではない!理由を言え!!勝手に逝くことなぞ、私が許さん!!」

「グリム……」


 激高するグリムの姿に少し目を見開き、観念したようにキュシーは力なく笑う。


「……お前が、こんなにも感情を露わにするとはな……。……わかった。全てを、伝えよう」


 キュシーはまず、己の旅の本当の目的を話した。

 彼女はデックアールヴ族の一人として、一族にも関わりがある魔剣ダインスレーヴの回収の任を任されていたのだという。世界各地に破片が散らばっているという魔剣の回収、そして復元を。それは世界を戦乱の世にするためではなく、世界平和のためだと告げられる。


「……魔剣は、破片といえどもその力は強大……。だから、完全に復元した魔剣を封印するために、一族が遣わしたのが私だった」

「……どうして、貴方だったんですか」

「……最後に生き残ったのが、私だったから……」

「え……!?」

「知っているだろう。魔剣の破片が組み込まれた武器を、我らデックアールヴ族も使っていたということを…….。そして、魔剣の意志はそれを……持つ者自身にも、影響を、及ぼすと……」


 ある日、それまで平和に過ごしていたデックアールヴ族の里が、壊滅したのだとキュシーは話を続ける。壊滅の原因は他者からの蹂躙でも侵略でもなく、自分たちの暴走だと。デックアールヴ族が使用している武器には、魔剣ダインスレーヴの破片が埋め込まれている。それが突如暴走し、それをきっかけとして魔剣によるデックアールヴ族たちの乗っ取りが横行。暴走した彼らはお互いを殺し合い、喰いあってしまったのだと。


 そんな中で何故キュシーが無事だったのか。彼女は暴走が本格化する前に、ある人物を戦地から遠ざけるため、里を離れていたからだ。安全な場所にその人物を置いて里に戻った時には、全てがほぼ終わっていた。生き残った里の長老は、最後に自我を取り戻しキュシーに告げた。世界に散らばっている魔剣の破片を回収し、復元したのちに封印するようにと。


「その旅の途中で出会ったのが、グリム……お前だ」

「……」

「全滅したと、思っていた同族のお前が売られていく様を……見過ごすことなど、できなかった……」


 はは、と笑うキュシーに、レイが尋ねた。


「グリムのこと、本当は大事に思ってたんですね?」

「当然だろう……幼かったグリムを助けることに……迷いなど、持たなかった」


 言い切ったキュシーを見て、グリムは震える唇で問いかけをする。その身体は小刻みに震えていていた。


「……なら何故。そこまで私のことを想ってくれていながら、何故私を捨てたのだ……!私が足手まといだと、言うのなら……!!」

「ああ……そうだ、グリム。お前を捨てた理由、だがな……あれは、嘘なんだ」

「え……?」


 キュシーは血に塗れた手を持ち上げ、グリムの頬に添えながら告げた。


 キュシーにとって、グリムと過ごした日々はかけがえのないものだった。日に日に成長していく彼女を見届けながら、心に温かいものが灯る感覚を確かに感じていたのだという。しかし同時に、彼女は怖くなった。自分が一族から回収を依頼された魔剣は、魔剣を持つ者にも周りにも、その意思を齎し災厄を呼び込む。

 キュシーは長く魔剣とかかわっていたため、自らの意志が徐々に、魔剣の意思に塗り固められていた。残った理性であとどの程度、グリムと共に過ごせるか。彼女を殺さずに済むか。そう考えて、その考え方に恐怖を感じた。


 いつか自分は魔剣の意思に完全に意識を乗っ取られ、グリムのことを殺してしまうのではないか。暖かい彼女を、自らの手で壊しかねないのではないか。


「怖かったんだ……お前を殺してしまうかもしれない、己が……」


 どの道キュシーに選択肢はなかった。魔剣を回収していく中で、自らの意識が完全に死ぬのが先か、グリムを殺してしまうのが先か。行きつく果てが破滅しかないと知った彼女は、どうせ死ぬのならグリムに殺されたいと願い、自らが回収した武器の一つである大鎌を、彼女に託した。


 彼女なら、きっと自分を追いかけてきてくれるだろう。彼女なら、きっと自分よりも強くなってくれるだろう。


 分の悪い賭けだったが、キュシーはその賭けに勝った。だからこうして、グリムの腕の中で死に絶えられるのだから。


「すまないグリム……だが、私はお前を殺したくなかった……お前のことを、愛していたからな……」

「…………け、るな……」

「魔剣の復元がなされたとき、暴走してしまうだろう私を……お前に、止めてほしかった……。お前の腕に、殺されたかった……まだほんの僅かにある理性で、それが理解できて……私はもう、何も……思い残すこ、となど……」

「ふざけるな!!」


 やりきった、と言わんばかりのキュシーにグリムが憤激の雄たけびを上げる。怒りと悲しみが混ざったような表情でキュシーを睨みながら、次から次へと繰り出される攻撃のように言葉を連ねた。


「それが貴様の本当の目的か!私に己を殺させるために、私を強くさせるためだけに捨てたと!?冗談ではない!何故言ってくれなかった、怖かったと!そんなことも私に言えぬほど、私は貴様にとって枷だったのか!?」

「そんなわけ、なかろうが……だが、言っただろう。お前に、打ち明けるのが、怖かったと」

「それでも!ただ黙って消え去られるよりはマシであろうが!いったいどれだけ私が、貴様のことをッ……!」


 グリムの身体が震える。その様子に、キュシーに去来したものは何だったのか。儚く笑いながら、彼女は言葉を続ける。


「……本当に、辛い思いばかりさせてすまぬな……。けど、これは確かなことだ。私はお前を……足手まといだなんて思ったことなど、一度たりともない……。お前は私にとって、光だった……」

「それを、言うのならッ……貴様は、私にとって唯一の、親であり姉のような存在だ……それなのに、こうも勝手に……!!」

「はは……姉、か……。姉らしいことは何一つ、してやれなかったがな……」

「なに……?」


 最後にキュシーはとある真実を告げる。先程彼女は、里が戦場となり本格化する前に、とある人物を里から離したと言っていた。その人物は彼女の実の妹である人物だった、と。


「絶対に戻ると、約束したのに……私は妹を、置き去りにしてしまった……。一族から最後の任を受け、妹がいた場所に戻ったが……そこに、彼女はいなかった」


 そして妹を追っているうちに、見つけたのだと。人間に手ひどく裏切られ、世界保護施設に売られそうになっていた、成長した妹を。その言葉を聞いたグリムの瞳は、これ以上ないくらいに見開かれる。


「私の、ファミリーネーム……お前に、言ってなかったな。私の、名は……キュシー・セレネイド……お前の、姉だ……」

「な……」

「しかしな、実の妹に自分を殺させる姉など……いなくて正解なのだ。だからグリム、お前に姉などいなかった……。お前の目の前にいるデックアールヴ族、は……魔剣に支配されかかって、いる愚か者、だ……」


 それにこのまま生きていたら、再び魔剣の意思に憑りつかれるかもしれない。そうなる前に殺してほしい。そして願わくば、その遺体とともに魔剣を封印してほしいとキュシーは伝える。


「ふ、ふざけるな!貴様ばかり満足しおってからに!!」

「……どこまでもひどくて、すまぬ……。しかし私は、魔剣に……乗っ取られたくはない……。キュシーという女として、死にたいのだ……私の最後のわがまま、聞いて、くれるか……?」

「っ……」


 肩が震える。そんなこと、できるわけがないと叫びたかった。しかしようやく、自分は本当に知りたかったことを知れて、そんな彼女が自分に対して初めて我儘を言ったのだ。それを叶えられるのが、自分しかいないのならば。

 そう思いキュシーに突き刺さっている刀の柄を握り、引き抜こうとするも。どうしてもそれができない。初めて知れたのに。姉のような存在だと思っていた人物が本当に自分の姉で、家族だと。もっと色々、話したいことがあったのに。


 内心でそんな葛藤をしていると、誰かに肩を抱かれて柄を握っている手に、手を重ねられる。いったい誰がと横を見ると、そこには決意を秘めた目をしているアヤメがいた。そんな彼女にぐ、と肩を抱き寄せられる。

 そんな光景を目にしたキュシーが満足そうに微笑んで、言葉を漏らす。


「……忍よ……グリムのことを、頼む……」

「……はい、任されるっす」


 二人で刀の柄を握り、引き抜こうとした瞬間だった。


 ──サセヌ……封印ナド断ジテ!


 どこからともなく声が響く。その声にいち早く気付いたキュシーが警告した。


「ッ!離れろ!!」

「キュシー!?」


 キュシーが叫んだ直後。彼女たちから離れた場所に突き刺さっていた魔剣ダインスレーヴがごう、とその刀身に纏っていたオーラを解放し、闇の波動となってキュシーの周りにいたグリムたちを吹き飛ばす。そして霧はそのままキュシーを飲み込んでしまう。


「キュシー!!」

 ──自ラ死ヲ選ブナゾ、タダノ弱者!我ト一体化シカカッテイタカラトイッテ、侮ッタナ愚カ者ガ!!


 恨みつらみをすべて混ぜ込んだような声が闇の霧から響く。その声に反応するかのように、霧は内部へと放電している。まるで力を解放するかのように。そして中に取り込まれたキュシーにも、攻撃をしているかのようだった。彼女の悲痛な声が霧から木霊する。


「ァアアアッ!!」

「キュシーッ!!」

「駄目っすグリム!今近付くのは危険すぎるっす!!」


 手を伸ばすグリムを、アヤメが抑える。

 放電は止まらず、キュシーの声は次第に消えていった。やがて耳をつんざくような破裂音と共に、闇の霧は霧散するのであった。

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