第九十五節  想いを断ち切るためなら

 キュシーと初めて出会った日のことは、今でも鮮明に覚えている。自分を世話してくれていた人間たちが、世界保護施設に自分を売った。そんな目の前の状況が飲み込めず、当時の自分は泣くことしかできなかった。混乱と恐怖に支配されていた弱かった自分を、彼女は救ってくれた。

 やたらと不気味な剣を手に、彼女は目の前の人間たちを悉く斬り捨てた。震える瞳で見上げたその人は、その恐ろしい行動に反して何処までも優しい顔をしていた。


「……危なかったな。もう少し遅かったらお前は人間に売られ、実験動物にされていただろう」

「ぅ……」

「ああ、心配しなくても良い。私は、お前を助けに来たのだ」

「たすけ、に……?」

「そうだ」

「どう、して……?知らない人、なのに」

「……お前が私を知らなくても、私はお前のことを知っているんだよ」


 彼女は剣を持つ手とは反対の、血に塗れていない方の手で頭を撫でてくれた。その時の暖かさが、嬉しくて。


「私と一緒に来ないか?」


 そう言葉をかけてくれてことが、泣きたくなるほどに救いに思えて。

 だから自分は、彼女と生きたいと願った。


 キュシーと旅をしながらの生活は、今思えばとても心安らぐものだった。彼女は自分と同じデックアールヴ族で、ある目的のために旅をしていたのだと告げた。目的のことは何度聞いても教えてはくれなかったが、秘密の一つや二つ持っていた方が、ヒトは魅力的なのだと笑っていた。

 デックアールヴ族とはどういう種族なのか、今の世界の在り方、本当に多くのことを彼女から教えてもらった。それはかけがえのない、確かにあった幸せな時間だった。


 ずっとこのまま、二人で旅を続けられると信じて疑わなかった。だから突然彼女が自分に大鎌を渡し失踪するだなんて、思ってもみなかった。

 その時自分は、二度目の絶望を体験した。何故捨てられたのか、何故目の前から消えてしまったのか、何もわらないままに。信じていた人から捨てられたのは、これで二度目だった。ただし二度目は、グリムはこう思った。


 自分を捨てた理由を知りたい、彼女から本当のことを聞きたい。

 そして彼女に一言、伝えなければならない。その一心でグリムは一人旅を始めた。

 その中で新しい仲間に出会って、忌み嫌っている人間とも行動するようになって。


 長い時間を経て、ようやく彼女と再会できた。

 しかしそこにいた彼女は、自分の知っているキュシーではなかった。


 旅の目的は魔剣ダインスレーヴの復元だとのたまい、自分のことは足手まといだから捨てたと告げた。


 それは、自分がずっと追い求めていた問いかけへの答え。それ以外の答えなんてない。彼女から冷たく突き放されて、ひどく狼狽えてしまった。ショックでない訳がない。


 どうしてこんなことになってしまった。

 あの暖かかった日々は、なんだったのか。

 もし貴様がそれを全て嘘だと言うのならば、私は。


 私は──。


 ******


 光が収束し、魔剣の本当の姿が露わになる。

 キュシーが手にしている獲物は、ドクドクと脈打っていた。まるで、剣が生きているかのよう。赤黒く変色した刀身は、怪しげなきらめきを刃に宿している。それはまさしく、魔剣と呼ぶに相応しい姿かたちをしていた。


 キュシーはその魔剣を一度、静かな動作で薙ぐ。たったそれだけなのに、横にいたレイの悲鳴がグリムの耳に届く。

 驚いて視線をそちらに向けてみれば、彼は身体を横一線に斬られたようで、そこからは血が噴き出ていた。


巫女ヴォルヴァの!?」

「な、にが……起きて……」


 喋るたびに、レイの口からは血が溢れる。いったい何が起きたというのか。


「嗚呼……血だ。生き血だ。魔剣よ、お前の餌だぞ……」


 キュシーの言葉に魔剣は反応して、大きく脈動する。それに合わせてレイが自身の身体を抱きかかえるようにして、何か耐えるような仕草をした。


「おい!」

「近付いたら、駄目だ……!あの剣、俺の血からマナを吸い上げてるみたい。それになんだか、胸が苦しい……!!」


 レイの苦しむ姿に、グリムはあることを思い出した。


 魔剣ダインスレーヴは、一度鞘から抜くと生き血を完全に吸い切るまで、鞘に納まらないといわれた魔剣。砕け散った破片といえどもその威力は強く、未だに生き血を吸おうとする力は失われていないという。


 今キュシーが持つ魔剣は、完全に復元されたものだ。その剣の、生き血を吸おうという力も完全に元に戻っているだろう。それだけではないはず。レイのこの様子を見る限り、生命力も吸収しているのではないだろうか。


「っ、やめろキュシー!!」

「残念だがグリム、もはや魔剣は誰にも止められんよ。完全に復元された今、この魔剣は世界をも切り裂こう」


 またしてもキュシーが魔剣を薙ぐと、今度は自分たちの邪魔をしないようにと奮闘していたエイリークたちや、彼らと戦っていた魔物たちが一閃される。彼らの悲鳴もグリムの耳に届いた。

 これ以上好き勝手をさせるわけにはいかない。無謀だが、キュシーへ向かう。


「やめろ!!」

「焦りか、グリム。ほとほと貴様には失望させられるよ」


 キュシーはグリムに手を広げ、詠唱を一つ唱えた。


"闇よ光を押し潰さん"テネーブルプレシオン


 キュシーに近い距離で、黒い衝撃波がグリムに直撃する。受け身をとることも忘れ、グリムは地面を滑る形でその攻撃を食らうことになった。

 顔を上げ、キュシーを睨みつける。こちらを見下ろしながら、キュシーはゆっくりと歩を進める。


「言っただろう、これは復讐なのだと。私は魔剣ダインスレーヴの力をもって、この惰弱な世界に破滅を呼び込もう」

「キュシー……何故だ……。何故、そのような愚かなことを!それが貴様の本心だとでもいうのか!?」

「ああそうだ。お前と過ごした日々なぞ、ただの気まぐれに過ぎん。本当はいつ殺そうか、そのことを考えるばかりだった」

「ッ……き、さま……!」

「あんな生温い時間は、私の人生において何よりの汚点だったのだ。私の無駄にしてしまった時間を返してもらおうか、グリム?」


 キュシーがある場所で足を止める。彼女の足元には、レイが介抱していたと思われるアヤメが転がっていた。まさか──。嫌な汗が頬を伝う。

 アヤメからは、まだ血が流れている。目の前のキュシーは躊躇いなく魔剣を掲げた。


「まずはこの人間の血からいただこうか、魔剣よ」

「やめろ、キュシー!!」


 グリムの制止も空しく、キュシーがアヤメに魔剣を突き立てようとして──。


 降り注いだのは、手裏剣の雨だった。


「っ!?」


 キュシーが魔剣でその手裏剣を弾いていく。とはいえすべては防ぎきれずに、彼女の腕や足にいくつかそれは突き刺さった。

 目の前の状況を理解できない。

 何が起こった。

 誰がキュシーの攻撃を仕掛けた。

 混乱するグリムの前に、いつの間にかが立っていた。


「あーあ、奇襲のつもりだったんすけどね。完全に、とはいかなかったっすか」


 間の抜けるような、その声。震える唇で、どうにか目の前の彼女を呼ぶ。


「……忍、の……?」

「はい!忍のことウチっすよグリム!」


 くるりと振り向いた彼女──アヤメはにっこりと笑い、元気に返事をした。

 一体どういうことだ。彼女はあの時、剣山の岩肌に突き刺されたのではなかったのか。それとも目の前の彼女は偽物か。


「……何をした」

「ウチが得意なのは、逃げることだけじゃないってことっすよ。カスタニエ流忍術の一つに、幻術があるんすよ。それを使っただけのことっす」

「幻術……?」

「……"水遁 蓮華"レンゲ。アンタさん、まんまと騙されたっすね」


 その術は、空気中に含まれる水蒸気をマナで編み込み、薄いヴェールにするものだそうだ。それを身に纏うことで、光の屈折を利用し、自分の姿をくらますことができるのだと、アヤメがキュシーに説明した。


「では、貴様は本当に忍のなのか……?」

「はい。騙すようなことしてごめんっす、グリム」


 アヤメから手を握られ、立ち上がる。キュシーにレイ共々吹き飛ばされたときに、幻術を発動していたのだと告げられた。

 身代わりの術のようなもので本物に似せたアヤメを作り、それにレイを守らせ、いかにも自分が攻撃を受けてしまったかのように見せかけた、と。キュシーがそれに気付くかどうか、確かめたかったらしい。

 もし気付けないようなら、奇襲の一つもできると考えたのだけど、とアヤメは肩を落とす。


「すみません、奇襲は失敗したっす」

「……最初から、そんなものなど……」

「だって、親のような人だったんでしょ?そんな人を殺す感覚なんて、覚えなくていいんすよ」

「っ……!貴様……」

「それでも、どうしても自分が決着をつけたいっていうのなら──」


 アヤメが己の腰に下げていた直刀を抜いて、グリムに差し出す。


「これを使えばいいっす。これはウチの刀で、だから殺したのはグリムじゃない。ウチの刀があの人の命を奪うんだから、ウチのこと恨めばいいんすよ」


 ね、とアヤメから刀を渡され、その手が優しく包まれる。グリムの言葉を聞かないまま、アヤメはキュシーに向き直った。


「さて、そろそろ終いにしようじゃないっすか!ねぇ、魔剣の使い手さん!」

「その考えには同意しよう。だが、屍となるのは貴様だ」

「……アンタさん、で本当に動けると思ってんすか?」

「なに……?」


 キュシーが動こうとして、何かに抑制されているのか思うように動けない姿が目に入る。そんな彼女に、アヤメが得意げに説明する。


「"土遁 白詰草"シロツメクサ。さっきの手裏剣に仕込んどいたんすよ。手裏剣を介して相手の動きを制限させる術……要は影縫いっす。これならお得意の魔剣も、存分に振るえないっしょ!?」

「やってくれる、人間の分際で……!」


 キュシーは忌々しい、と言わんばかりにアヤメを睨み魔剣を持つ手に力を入れる。魔剣はそれに応えるように脈動し、発生させた波動でアヤメの手裏剣を地面から抜き始めた。そうはさせない、とアヤメも銃に見立てた指を彼女に向け、術を繰り出す。


「"水遁 水仙"スイセン!」


 指の先に水の弾のような塊が出現し、放たれていく。二人の戦いの様子を見ていたグリムは刀の柄を握り、駆け出す。こちらが動いた目的を察したのか、アヤメの水の弾が、グリムを守るように射出されていく。


「猪口才な!」


 キュシーが自由になった左手を前に出し、グリムを向かい打たんばかりに術を放ってくる。攻撃がグリムの肩に腕に足に当たろうとも、止まらない。


 キュシーに近付くたび、様々な思いがグリムの中を走馬灯のように駆け巡る。

 どうして、こうなってしまったのだ。

 そう問いかけても、もう答えなんてないのだろう──。


 アヤメの放った一撃がキュシーの右手に直撃し、衝撃で魔剣が手から弾かれた。そのせいでキュシーの身体がガラ空きになる。


 ──何故ならこれが、今のキュシーに対する自分の答えなのだから。


「キュシー!!」


 刀を構える。この一撃に、全てを込める。

 怒りも悲しみも苦しみも嘆きも。喜びも嬉しさも楽しさも感謝も、なにもかも。


 さようなら、大好きだった私の──。


 その言葉は飲み込んだまま、グリムはキュシーの身体に刀を突き立てた。

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