第八十九節 これからすべきこと
翌日。仮眠を取った頭はすっきりとして、これならば昨日の話の総まとめが出来ると、エイリークは確信する。ちらりと盗み見たグリムの表情も、なんだか憑き物が落ちたように見える。エイリークはそのことに、人知れず安堵の息を吐く。
昨日の彼女は、何か追い詰められたような表情をしていた。
グリムは基本的にポーカーフェイスであるうえ、何事にも動揺することはない。それでも彼女も生きているヒトだ、感情がないわけがない。何があったかはエイリークの知るところではない。しかしいつも通りのグリムの様子に、安心したのだ。
まずは情報屋を仮眠室として貸してくれたヤテンに礼を述べ、昨日の話し合いの続きから入ることにした一同。
ムスペルース国付近で起こっている辻斬り。その犯人の正体がグリムと同じ、デックアールヴ族の女性かもしれないということ。そのことについて結論を出す前に、グリムが話し始めた。
「辻斬りの正体についてだが、そ奴は恐らく私がずっと追っている奴かもしれん」
「それ、本当!?」
「あくまで可能性の話だ、バルドルの。しかしそこの情報屋の話に出てきた女の容姿と、奴の持つ武器のことを考えると、恐らくそれは奴だ」
ハッキリと断言するグリムに、レイが話しかけた。
「じゃあその人は、グリムの知り合いってこと?」
「まぁな。あ奴も私と同じデックアールヴだ、魔剣の欠片が宿っている得物を持っていても、何の問題はあるまい」
「そっか……。なら話をすれば、魔剣のこととか教えてくれたりするかな?」
「そこまでは私の与り知るところではない。だが、確認してみるのも良かろう」
昨日までは想像が出来ない程に、レイとグリムが会話を交わしている気がする。エイリークはそのことに驚愕せざるを得なかった。
二年前の初めて出会った時も、レイが記憶をなくしている時も、それどころか昨日までさえ。二人がこんなにも長く話している光景なんて、一度たりともなかった。それがどうだろうか、目の前の二人は親しげに話しているではないか。
思わず訊ねてみた。
「二人とも、いつの間にそんなに仲良くなったの?」
「ん?んー、それは内緒ってことで」
「ええー!?」
「うるさいぞバルドルの」
「気になったんだから仕方ないだろー!?」
そう答えるも、レイにまぁまぁとはぐらかされる。少し悔しさのようなものも感じたが、二人が仲良くなったのならそれはそれでいいことだと、言葉を飲み込む。
話の腰を折ってしまったが、すぐに軌道修正する。辻斬りの正体がグリムの知り合いかもしれないということ。その人物は彼女と同じく、魔剣ダインスレーヴの破片が宿っている武器を所持しているかもしれない。
そのことを考えて、自分たちの目で確かめてみようという結論に至る。
もし魔剣ダインスレーヴの破片が宿っている武器を持っていて、それを借りることが出来るのなら、ルヴェルの城へ入ったあとの対策が立てられる。贋作グレイプニルのチャームを破壊し、そこに嵌め込むための核は、ミズガルーズが用意してくれる。
うまく事が運べば、下準備が全て整う。いつでもルヴェルの城へ突入することが出来るということだ。つまり自分たちの選択は──。
「俺たちはムスペルースに行って、そこで情報を集めながら辻斬りの犯人を追うってことで、いいのかな?」
「ああ、そうなるよな。みんなは、それでもいい?」
レイが自分たちに確認する。グリムを含め、エイリーク達はその意見に賛同した。それを確認したヤテンが、ムスペルースで正体を隠し宿屋を経営している仲間に、連絡を取っておくと告げてきた。そこを拠点にしたらいい、と。
「いいんですか?」
「言っただろう、こちらも尽力は惜しまないと」
「ありがとうございます、ヤテンさん!」
「ウチも同行するっすよー!」
手を上げて宣言したアヤメに、本当にいいのかと尋ねる。
自分達と共に行動するということは、いずれはルーヴァとも戦うということだ。レイを救出する前に一度、彼女は彼を止めるとは言っていた。
確かに彼女の能力は目を見張るもので、とても頼りがいがある。とはいえこの先はきっと、さらに激しい戦いに巻き込んでしまう。それでも、一緒に来てくれるのか。
「心配いらないっすよ!むしろウチ以外の誰が、弟のこと止めるんすか?ウチなら大丈夫っす。おいたしたこと、絶対に謝らせますから!」
「──わかりました。すみません、何度もしつこく聞いて」
「なんのなんの、それだけウチが弟と戦うことについて考えてくれてたんすよね。ありがとうっす」
にか、と笑うアヤメはそれにと続けた。
「ウチの店があった町は今、もぬけの殻っすから。あの町の人たちを助けるためにも、ウチは全力でエイリークたちに協力するって決めたんすよ!」
その言葉で、エイリークはアヤメがいた町の人たちのことを思い出す。彼らはルヴェルのエインであるエダの術によって、眠らされている。町の人達に恩があると言っていたアヤメは、その人達のことも助けたいと言う。
それならば、協力しないという選択肢はなかった。
「じゃあ、俺達と一緒にルヴェルからみんな助けましょうね!」
「とーぜんっす!負けてたまるかってんですよー!」
おー、と元気に拳を上げるアヤメ。明るく振る舞う彼女を見て、こちらも士気が高まるというものだ。話もまとまり、行き先が決まったということでエイリークたちは早速、行動に移す。
まず海路を使い、ムスペールヘイムー大陸の南西にある港町へと向かった。そこからは馬車を使い、ムスペルースまで向かうという算段だ。
ムスペルースはセレブご用達のリゾート地でもあり、温泉宿が立ち並ぶ街。そんな貴族たちが続々と来るようなところに、一般庶民の自分たちが向かってもいいものかとエイリークは震えた。
しかし自分たちこれからが向かう場所は、ムスペルースの裏側。セレブ用ではなく、一般人向けに開かれている温泉宿らしい。そのことに安心する。宿なのに、気が休まらないかと思ってしまったのだ。
枝垂れの町サクラから出る時に渡された、ヤテンによる紹介状を手に、地図に記された宿屋へと向かう。到着する頃には、陽が落ちる手前だった。
宿屋は一般人向け、とは言うが決して貧相なものではなく、セレブ向け宿泊施設にも劣らない造りの宿屋だ。開いた口が塞がらず、言葉が出ないまま入り口で見上げていれば、中から一人の女性が出てくる。
「いらっしゃいませ」
「ああえっと、この紹介状を渡してくれと言われていたんですが……」
エイリークが紹介状を女性に見せる。女性はそれを受け取ると、お待ちしておりましたと笑う。
「ヤテン殿のお客様ですね。お話は伺っております。部屋もご用意しておりますので、どうぞごゆるりとお寛ぎください」
「ありがとうございます、お邪魔します」
宿屋に入ると、宿側が用意したという部屋に通される。シーズンが近いということで二人部屋しか空いておらず、その結果三部屋分とってあると伝えられた。繁忙期なら仕方ない。それぞれエイリークとケルス、レイとラント、グリムとアヤメに分かれて部屋で休むことにする。
今日はこのまま休み、明日から辻斬りについて情報を集めてみよう、と話が落ち着く。ひとまず荷物を置くため、エイリークたちはそれぞれ部屋に入った。
部屋の中に入ると落ち着いた空間が広がっており、どことなくガッセ村のスグリの屋敷を彷彿させるような造りになっていた。
「ほへぇ……。すごい、これで一般人向けなんだ……」
「ですが、落ち着いた空間で僕は好きです」
「そう?って、これに着替えろってことなのかな?」
綺麗に整えられていたベッドの上に、部屋着のようなものが置かれている。そういえば、ムスペルースで擦れ違っていた人たちが、こんな服を着ていたような気がする。着てみようかとケルスに提案すれば、いいですよと同意を貰った。
早速着ようとするが、いかんせん着方が分からない。
「これ、どう着るんだ……?」
「どうしましたか?」
「ああごめんねケルス。ちょっと着方がよく分からなくて」
「着付けですか?手伝いますよ」
「へ!?そんな、悪いよ!」
「でも、もう着替え終わりましたし……」
「はい……?」
振り返ってケルスを見てみれば、確かに彼はもう部屋着に着替え終わっている。それならお願いと、エイリークは着付けを依頼した。快く引き受けてくれたケルスが、近寄り、裾をなおす。
自分にこの服──ケルス曰く宿用の浴衣だという──を着せているケルスを、ちらりと見やる。いつもとは違う姿のケルスに、思わず目を奪われてしまう。
なんていうんだろうか、こう、変な感覚だ。ただ着ている服が変わっただけだというのに。
ダメだ、あんまり見ると失礼だよね。そっと顔を逸らして目を閉じるも、脳裏にケルスの姿がぼんやりと浮かぶ。
何故だ。意識しないよう心がければかけるほど、ケルスのことが気になって仕方ない。これじゃ、本当に自分がむっつりみたいじゃないか。
「エイリークさん?」
「あっハイ!?どど、どしたの!?」
声が裏返る。呼ばれて彼へ振り向けば、着付けが終わりましたよと告げられる。しどもろどろになりながらも礼を言えば、様子がおかしいと感じたのか、ケルスが心配そうに自分を見上げる。
「どうしたんですかエイリークさん?どこが具合が悪いんですか?」
「そんなことなくなくないよ!?」
「ですがその、顔が赤いですよ?」
「これは暑いからだよ!ここに来るまで物凄く暑かったじゃん!?」
「それは大変です、何か飲み物でも用意しましょうか?」
「ううん、大丈夫!」
「そうですか?」
「そうそう!」
慌てているエイリークを怪訝そうに見るケルスだが、そんな時に部屋のドアがノックされた。返事をすれば、レイの声が聞こえる。
「二人ともー、これから温泉入りにいかないかー?今なら貸し切りにしてくれるんだってさー。グリムたちも入りに行くみたいなんだけど、どうー?」
「本当!?行く行く!ね、ケルス!」
「いいですね、行きましょう!」
レイの偶然の呼びかけに助かったと内心安心して、エイリークはケルスと共に部屋を出るのであった。
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