第八十八節  心をほぐして

「アヤメ、その人物の容姿について詳しく教えてくれ」

「え、先輩もしかして会いたくなってみたんすか?やめておいた方がいいっす!」

「この馬鹿。俺が言いたいことはそういうことじゃない。馬鹿話してないで、早く言え。でないと俺の術食らわすぞ」

「ひぇえご勘弁を!言うっすから許してくださいっすよ!?」


 悲鳴を上げたアヤメだが、素直に己が見たという人物の情報を開示する。


 その人物は闇を染料にしたかのような漆黒の長い髪を頭上で一つに結い、切れ長のアイスブルーの瞳を持つ女性だったと。グリムのような長い耳を持ち、その手に異質な雰囲気を感じる剣を持っていた、と。


「それって、デックアールヴ族!?」


 レイの驚愕した声をよそに、グリムはアヤメに対して迫った。


「おい忍の!その女を見たのはいつだ、どこのことだ!?」

「へ?」

「言え!いつのことだと聞いている!」


 グリムの鬼気迫る様子に、アヤメはあわあわとたじろぐだけ。こんなに声を荒げるグリムを初めて見たレイも、その様子に声も出せない。そんな中ケルスが彼女の肩を掴み、声をかけた。


「グリムさん、落ち着いてください!」


 ケルスの制止を呼びかける声に、グリムもようやく我に返ったのだろう。乗り出していた身体を引き、ソファに座りなおすと足を組んで、一つ息を吐いた。


「大丈夫ですか?」

「……ああ。話の腰を折ったな」

「続き、聞けますか?」

「問題ない。……続けろ」


 レイはこんなにも取り乱したグリムを見たのは、初めてのことだった。そんな彼女に思わず二年前の、アウスガールズでの己の師匠のことを思い出す。あの時のヤクの姿と、今のグリムの姿が重なって見えてしまう。あの時は何も、言葉をかけられなかった。それだけの言葉を持てなかった。……今は、何を話しかけても相手にはされないだろう。そう考え、レイは閉口することを選択した。

 そんなレイの考えはいざ知らず、アヤメから要点を聞いたヤテンが自分たちに、ある情報があると話し始めた。


「ここより南にあるムスペールヘイムーの大陸で今、とある事件が起きていることを知っているか?」

「とある事件、ですか?」


 ヤテンが言うには、ここより南に位置するムスペールヘイムーという大陸、ムスペルースという国の近くで、辻斬りが起きているとのことだ。その辻斬りはつい最近までここアウスガールズで猛威を振るっていたそうだが、今はその場所に切り替わっていると。


「被害者は様々だった。武人、武器商人、はては骨董の収集者。その辻斬りに遭った人物たちは全員が惨殺されていた。調べてみてもその人物たちは罪人でもなく、関係者同士でもないから、まず怨恨の線は外れた」


 これだけを聞けば、ただの事件だと思ってしまう。レイを含めその場にいる全員がそう感じていたが、ヤテンは話を続ける。


「被害者たちの金品が無事であることから、単なる物取りじゃないことも判明しているんだ。ただ、どの死体の近くにも武器の一つも落ちていなかった」

「一つも、ですか?」

「ああ。加えて被害者たちの死体はどれも、心臓を一突きされたあとにバラバラに惨殺されていた。俺はこの情報を、たまたま近くで事件を目撃した部下から伝えられた。その人物の姿についても、な」

「それって……」


 まさか、とレイたちの中で一つの予測が立つ。彼らに答えるように、そうだとヤテンは頷き、言葉の先を告げた。


「今アヤメが話した容姿と、一致した。持っている得物についても、寸分も違えていない。俺はこれらの情報から辻斬りの正体はデックアールヴ族であり、その人物が魔剣の欠片が宿っている武器を収集するために、辻斬りを行っていると考えた」


 もちろん予測の域からは出ない話ではあるが、と付け加えるヤテン。

 彼の話の後、この情報をどう使うかと尋ねられたレイたち。どうするもなにも、と互いに顔を見合わせ困惑する。そんな中、レイはちらりとグリムの表情を見る。


 レイにとって、グリムはまだわからない部分が多い存在ではある。しかしこうして人間である自分と共に行動してくれているということは、多少はその存在を認めてもらえているということなのだろうか。少し、彼女と二人だけで話をしてみたい。そう思った。


「まぁ、決めるかどうかはまた明日考えないっすか?ウチもう眠いっす~」


 その場の空気を和ませるかのように、ふとアヤメがレイたちに声をかけた。

 聞けば自分を救出するために、ほぼ徹夜のまま今に至るのだと。その事実に驚愕してエイリークたちに確認してみれば、その通りだと告げられた。アヤメの言葉で眠気を思い出してしまったよ、なんて笑うエイリークたち。


「そ、そんならまずは寝て!?寝てくれ!?というかごめん全然気付けなくて!」

「ううん、大丈夫だよ。でも……確かに眠たくなってきたぁ」

「寝ぼけた頭じゃ考えもまとまらないっす。先輩、ここで寝かせてくださいっす~」

「仕方ないな。今日はゆっくり休みなさい」

「ありがとうございます、ヤテンさん」


 ヤテンに礼を述べた後、ふわあ、と欠伸をするエイリーク。そんな彼につられてラントも、ケルスでさえ欠伸を我慢できなかったようだ。思わずつられてレイも欠伸をしてしまう。アヤメがヤテンに情報屋で仮眠する了承を得て、まず睡眠をとることとなった。


『では、先程の話に出てきた核については、ミズガルーズで用意しますね』

「いいのですか?」

『ええ、私の大切な軍人たちを取り戻すための尽力は惜しみませんよ』

「ありがとうございます、シグ陛下」

『貴方もまずは休んでくださいね、レイ』

「はい、ありがとうございます」


 それでは、と通信機から音源を落とす音が聞こえた。いつの間にか、情報屋の調査員が用意してくれた毛布が手渡される。それをエイリークたちに渡していく。まずはゆっくり寝て、体力と頭脳を回復させよう。その言葉の後情報屋は消灯し、レイたちはソファや床に寝転がるのであった。


 ******


 しばらくののち、レイはそろりと起き上がる。あまり眠気がなかったことと、のどが渇いてしまったことで目が覚めてしまったのだ。何か飲み物を拝借しようと、就寝前に案内されたキッチンへ向かおうとして、そこに灯りが灯っていることに気付く。誰か起きているのだろうかと中を覗くと、そこにはグリムがいた。


「グリム?お前も起きてたの?」

「……巫女ヴォルヴァのか。何の用だ」

「のどが渇いちゃってさ。何かないかなってことで来たんだ」


 何かないかな、と冷蔵庫を拝見する。入っていたものはミルクとかその他食材。戸棚にはチョコレートが積まれてあった。そんな風にぐるりとキッチンを見渡してるレイをよそに、グリムはそこから立ち去ろうとする。それに気付いたレイは慌てて彼女に待ったをかけた。


「ちょっと待ってグリム!時間あるなら俺に付き合ってほしいんだけど」

「貴様と与太話に興じる趣味はない」

「そんなこと言わないでさ、な?良かったら何か飲み物作るからさ、ホットチョコレートとか!」

「物で私を釣る気か?くだらん」

「そういうつもりじゃないけど頼むよ!俺なんだかんだグリムと話したことあんまりないからさ!色々聞きたいこともあるんだって」


 頼むから、と何度も懇願すれば、彼女はやがてため息を吐いてキッチンへ戻る。いつもの彼女なら自分の、人間の頼みなんて無視するところだっただろう。そうはしないということは、今の彼女はいつもとは何かが違うということだろう。そこには深く突っ込まず、短く礼を告げた。


「勝手にしろ」

「サンキュ」


 グリムからの返事は返ってこないが、レイは気にせずにホットチョコレートを作る準備を始めた。チョコを細かく刻みながら、話しかける。


「グリムがどうして人間のこと嫌いなのか、俺今まではっきり聞いてなかったなって思ってさ。理由が知りたくなったんだ」

「何故貴様に言わなければならん」

「うーん……別に嫌われるのはいいんだけど、その理由を知ってれば、グリムのストレスを貯めないように努力することは出来るかなって思ってさ」


 一緒に行動している以上、ストレスをかけさせるようなことは減らしたいから。そう理由を述べてから、鍋にミルクを注いで火にかける。そしてホイッパーでゆっくりとかき混ぜながら、温めていく。


「……人間は、すぐに裏切り己と違うものを忌み嫌い、蔑む。欲のために周りにある異物をモノのように使い、しかもそれを己が正義と掲げて振る舞う。そこに誇りも矜持もない。そんな者共に人生を蹂躙されたから、とでも言えば満足か」

「……そっか」


 ミルクが温まったことを確認し、火を止める。そこへ刻んだチョコレートを入れてから、同じようにかき混ぜて溶かしていく。


「これさ、誰にも言ってないことなんだけど……俺も人間のこと、大嫌いだった時があるんだよ」

「なに……?」

「随分昔に俺、ミズガルーズの路地裏に捨てられててさ。通りすがる人誰も俺に気を止めなくて、横目で見ては可哀想って口にするくせに、俺のこと拾おうとしてくれる人は全然いなくてさ」


 鍋の中のチョコレートが溶けて、ミルクの色がチョコレート色に染まっていく。鍋の底のフチもしっかりと混ぜ合わす。案外ここにチョコレートが残っていたりするものだ。


「その時思ったんだ。こんな自分勝手な人ばかりの世の中なんて嫌いだ、全部いなくなっちまえばいいって」

「……」

「でもそんな中で、師匠が俺のこと拾ってくれた。師匠は俺のこと、厳しくも優しく育ててくれた。スグリだって俺のことを見守ってくれた」


 少し冷めた鍋を温めなおす。火をつけて弱火のまま、最後にゆっくりとかき混ぜホットチョコレートを仕上げていく。


「その時からかな、世の中悪い人間ばかりじゃないって思えるようになったのは」

「だから恨むなと?」

「そんなこと言わない。俺はこう思ったってだけで、だからってグリムに人間を恨むなだとか、悪い人間ばかりじゃないって意見を押し付けるつもりはないよ」


 マグカップを二つ取り出し、完成したホットチョコレートを注ぐ。キッチンの中に甘い香りが漂い、鼻孔を擽る。


「俺はグリムのこと仲間として大事に思ってるし、守りたい。グリムが俺のこと、人間だから嫌いって思ってても」

「貴様……」

「人間のことを恨んでいてもいいし、憎んだままでいい。けど、知っておいてほしいんだ。俺みたいな人間もいるってことをね」


 はい、とレイはホットチョコレートをグリムに差し出す。受け取ってくれたことに笑顔で返し、一口。体をほぐすようなチョコレートのあたたかな甘みが、口の中にほんわりと広がっていく。


「はぁ~我ながらうめぇ。どう、美味い?」

「……あとでレシピを教えろ」

「りょーかい。あ、マシュマロみっけ!入れる?」


 レイの提案に、グリムは黙ったままマグカップを差し出す。にやりと笑って、そこにマシュマロを入れる。ほんの少しだが、グリムと仲良くなれたかもしれない。そう思うと、内心嬉しく感じたレイであった。

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