第八十二節  薬莢に覚悟を詰めて

 渡り廊下を抜けた先ダンスフロア。奥の扉を抜けた先がエントランスであり、この城の最後の出口。レイとコルテの最終目的地だ。

 ダンスフロアは閑散としていて、人の気配がない。フロアには、そこを取り囲むように支柱が建てられていた。豪奢なつくりの柱だ。いつの時代のものだろう。そんなことを考える余裕は、レイにはなかった。


 陽が昇るには、まだ少し早い時間帯だ。その日最後の月明かりが、ダンスフロアの大きなガラス窓から入り込む。床に伸びる影。二人分の走る音が響く空間。

 もう少しだ。もう少しで、ここから脱出することができるんだ。逸る気持ちを抑えつつ、必死にコルテについていく。


「疲れてませんか?」

「そんなワケないだろ」

「うん、いい返事です。もう少しですからね」


 余裕を感じさせるコルテの声。だが突然その足を止め、レイに制止をかける。彼の動きにこたえて足を止め、前を見据える。視界の奥──ダンスフロアの扉の前に、一人のエインが立ち塞がっていた。


「こんな時間にお散歩だなんて、どういう風の吹き回しかな。女神の巫女ヴォルヴァ?」

「ツェルト……」


 ラントの弟であるツェルトが、にっこりと笑顔を浮かべながらそこにいる。


「今夜は僕が貴方を慰めてあげようと思ってたのに。部屋に行ったらもぬけの殻だったから、探しちゃった。僕じゃ不満なの?」

「俺は……俺は、救済なんてもう望まない。そんなの、もう必要ないんだ!」

「随分勝手じゃない?貴方が助けてくれって言ったから、ルヴェル様も僕たちも貴方のことを迎え入れたのに」

「確かに一度はお前たちの手を握ったけど、気付いたんだ。俺に最初から手を差し伸べてくれたのは、俺のことを本当に思っていてくれたのは、お前たちじゃない」


 レイは一度己の手を見る。目を閉じれば脳裏に浮かんだのは、ある一人の男だ。いつも頭を撫でてくれた。不安な時は傍に寄り添ってくれた。記憶をなくしていた時も、自分のことを考えた行動をしてくれた。

 そこに彼がどう考えていたかは、今はもうどうでもよく感じた。さっきまで自分が抱いた感情が恋なのか否か、断言はできなかった。でも、今なら言える。


 嬉しかった、頼もしかった、安心した、それらの感情を、想いを。

 自分が感じた気持ちを大事にしよう、そう決めたから。


「俺は、ラントのことが好きだ。誰よりも、何よりも、大好きなんだ。だから、アイツのところに戻るんだ!」


 レイの言葉に、ツェルトに去来したものは何だったのだろうか。それまでの笑顔を一切隠して、人殺しの目に変わった彼は唸るように呟いた。


「……僕だって。僕だって兄さんのことが、誰よりも好きだったよ……。でもそのことを言えないままに僕は死んで、兄さんは生き残って!」

「……」

「だから僕は、兄さんを殺さなきゃ気が済まない!兄さんを殺して僕も死ぬんだ!あの世で兄さんと添い遂げるために!!」


 激高したツェルトは銃を取り出し、レイに向けた。その瞳にはもはや親愛の情はなく、敵愾心をこれでもかと宿している。


「言っとくけど僕は強いよ。どんな銃も使いこなせるし、今までそれで何人も殺してるんだから」


 レイも杖を構えようとして、その間にコルテが入った。彼はやれやれと溜息を一つ吐き、ツェルトに声をかける。


「痴話喧嘩は犬も食いませんよ。それに相手を殺して自分も死ぬとか、盛大な自殺宣言ですね。すごいすごい」


 コルテの、ツェルトを小馬鹿にするような発言。それを聞いたツェルトは、敵意をコルテにも向ける。噛みつかんばかりに睨み付け、威嚇するように吠えた。


「うるさいよ!カーサには関係ない!!」

「わぁ怖い、そんなに吠えて。貴方、犬になりたい願望でもあるんですか?」

「テメェ!!」

「それに貴方、なんでも使えるとは言いますけど。なんでも使えるから強いだなんて、笑わせないでくださいよ」

「なんだと!?」

「オールラウンダーってね、なんでも卒なくこなせると考えがちですが違いますよ。それって、突出した技術がないって暗に言ってるだけですから」

「ふざけんな!テメェぶっ殺してやる!!」


 怒髪天を突いた表情で畳みかけようとするツェルト。そんな彼をどこ吹く風と見ているコルテに、思わずレイは声をかけた。


「お、おい……。あんなに怒らせてどうするんだよ」

「いいんですよ。わざとそうしてますから」

「わざとって、お前」

「頭に血が昇れば照準がブレる。照準がブレるということは、ガンマンにとっては致命的なんですよ。そんな愚かな死人に、僕が負けるわけないでしょう?」


 にっこりと笑ったコルテは、ある物を手渡してきた。見るとそれは、何かの輝石のようなもの。なにかと尋ねればそれは使い捨ての、空間転移の術が刻まれている輝石だと彼は答えた。こんなもの、どうするのか。


「まぁまぁ。万が一のために持ってて損はないでしょ?あと、この戦いは貴方がとどめを刺しなさい」

「とどめって、そんな!」

「何も殺せなんて言ってませんよ。大丈夫、今は僕を信じて。ここに出るまでは、僕は貴方の味方なんですから。ね?」


 そう言われてしまえば、納得せざるを得ないのだが。わかったと答えを返せば、ひとまず柱の陰に隠れるようにと、指示される。


「いつまでごちゃごちゃ話してんだよ!!」


 痺れを切らしたツェルトが発砲する。

 それを躱し、コルテは颯爽とツェルトへと向かう。レイはコルテの前に出ない位置の柱の陰へ、身を隠した。柱の陰から、彼らの戦闘を窺う。


 コルテはツェルトが放つ銃弾を避けながら、冷静に彼を分析しているようだった。対してツェルトは一発も命中しないことへの苛立ちか、はたまた別の理由からか。空間からアサルトライフルを取り出して、周囲へと打ち込んでいく。


「おっと、性急ですねぇ。そんなに当たらないことが悔しいんです?」

「黙れよ!逃げ回ってばかりで撃ってこい卑怯者!」

「あはは、確かに僕は卑怯者ですが愚か者ではありませんよ。貴方と違ってね」


 コルテがその手にハンドガンを持ち、まずはツェルトの足元に撃っていく。それを躱したツェルトに、コルテは遠慮なく攻撃を仕掛けた。

 コルテの続けざまの銃撃に、ツェルトは避けるだけで精一杯のように見える。


「貴方はね、キッチリとした型に嵌りすぎなんですよ。お手本のように綺麗な型。でも、実践の数をこなしたわけでもないようだ。足元がお留守ですよ」


 だから一度動いてしまうと、あとが続かない。そうでしょ、と。

 コルテの言葉通り、ツェルトは反撃に移ることができない様子だ。


「うるさいな……。うるさい、うるさいうるさい!!死ねクソ野郎!!」


 ようやく体勢を整えたツェルトが、ミサイルのようなものを撃ちこむ。難なくコルテは躱すが、直撃した柱が砕け散った。衝撃で窓ガラスも次々と悲鳴を上げる。

 土煙とガラス片が舞うダンスフロア。その中をレイはゆっくり、気配を消してフロアの奥へと駆け出す。


 コルテは服についた埃を払うように、舞い上がった土を落とす。足元には、壊れたアサルトライフルが一丁。恐らく直撃してしまったのだろう。粉々に砕けている。

 ミサイルを撃ち込んだツェルトは無傷のようだが、コルテの様子にやはり苛立つ。


「あーあ。気に入ってなのにな、この銃」

「この野郎……!でも、銃がなけりゃ僕に勝つことなんてできない!!ざまぁみろ!殺してやるよ、花火みたく派手にね!」


 ツェルトが高笑いしながら、ミサイルからハンドガンに銃器を持ち変える。コルテが追い詰められているように、彼には見えるのだろう。にやりと笑ったコルテにレイは気付いていも、ツェルトは気付くことができなかった。


「それはどうかな?」


 その言葉の直後。コルテがツェルトに急接近する。

 そのまま発砲したツェルトの弾丸を、コルテは軽々と避ける。

 徐に袖から隠していたもう一丁のハンドガンを利き手に持つと、コルテはツェルトの頭をめがけて引き金を引いた。


 なんとか反応して弾を躱すツェルト。お返しにと、同じように銃口を向けて放つ。

 しかしその軌道はコルテが彼の手を弾いたことによって、目標よりも左側に逸れる。


 もう一撃、だがまたしても。

 今度は銃身で銃口付近を叩かれて、軌道を下に逸らされた。


「こんなに近いと、お得意の砲撃もブチ込めないですねぇ?」

「このっ……!!」


 押され気味だが、ツェルトも負けてはいない。コルテが撃ち込む一撃を、すんでのところで左側へと手で弾く。

 ツェルトは反撃の狼煙と一撃撃ちこもうとするも、コルテは銃を持っていない方の手に、すでに銃を握っていた。


 ツェルトも考えたのだろう。撃たれる前に撃つと。引き金に指をかけるも、撃つこと叶わず。射撃前にコルテが急にその身体を折り曲げ、下から上へ蹴り上げた。

 それにより、銃がその手から離れた。がら空きになるツェルトの身体。


 コルテは最初に持っていた銃をホルダーに仕舞い、素早く懐からあるものを取り出してから、彼の背後へと投げてそれを撃つ。

 パキリ、小さな悲鳴を立てて割れたそれはとある輝石。

 ツェルトの背後に展開されたのは、見覚えのある空間転移の陣。


 だがそれに触れていなければ、強制転移されることなんてない。そう高を括り笑ったツェルトの視界に入り込んだのは、杖を構えて詠唱を完了させたレイの姿。


"氷のつぶて"ヘイルッ!!」


 がら空きの身体に直撃する氷の攻撃魔法。後退したツェルトが、そのすぐ背後の空間転移の陣に接触しないわけがなく。

 赤い光とともに、ツェルトはその場から強制転移させられるのであった。


 静寂を取り戻したダンスフロア。はぁ、と息を吐いたレイに、コルテが笑った。


「ナイスタイミングでしたよ、レイくん」

「……お前がテレパシーで伝えてきたからだろ」


 ツェルトがミサイルを撃ち込んだ直後、コルテからテレパシーが送られてきていたのだ。次で仕掛けますから、術の準備をしておいてほしいと。

 タイミングは知らされてなかったが、術の砲撃範囲内にツェルトが入るように、レイは移動していたのだ。


「それでもですよ。僕たち、相性がいいんじゃないですかね?」

「冗談言うなよ」

「本気なのに」


 少しむくれたコルテだが、表情を切り替えてレイに告げた。


「もう少しです。最後まで気を抜かないでくださいね」

「言われなくてもわかってるよ」

「よろしい。では、行きましょう」


 そして二人はダンスフロアを後にして、エントランスへと向かった。

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