第八十三節  脱出へ

 ようやくエントランスに出たレイとコルテ。目の前には最後の、外に通じる扉がある。立ち止まってはいられない。ここから脱出するため、二人は走り出す。

 エントランスの中央あたりまで来たとき、背後から攻撃の気配を感じた。その場から離れて振り向けば、床の一部が凍り付いている。その攻撃に、レイは違和感を抱かざるを得ない。何故かその氷から、自分の師であるヤクのマナを感じたのだから。


「やれやれ。城全域を使った鬼ごっことは、また壮大だね」


 上から降ってきた声。聞き覚えのあるそれは、自分を救うと告げたルヴェルの声だった。コルテが銃を、レイが杖を構えて彼と対峙する。

 悠然と言った様子で、ルヴェルはエントランスをコツコツと歩く。


「レイ・アルマ。何故、逃げようとするんだい?キミは私の救済を受けたいと、そう言っていたじゃないか」

「……もう俺には、救済は必要ない!」

「何故だい?」

「聞いたんだ、師匠とスグリの苦しむ声を。二人は俺に、逃げろと言ってくれた!」


 夢うつつの空間での、二人の声。その声はとても、施しを受けて救済されているような声ではなかった。苦しみ、もがくような苦悶の声だった。

 あの夢は、ただの夢ではない。正気を取り戻したレイは、それを強く確信していた。


「だからお前の施しが女神の巫女ヴォルヴァを救うだなんて、到底思えない!!二人はどこだ、どこにいる!?」


 レイはルヴェルに杖を向けて吠えた。そう、救済を先に受けているというヤクとスグリの苦しむ声を、レイは確かに聞いたのだ。そんな二人の声を前に、救済という言葉がどれほど魅力的と思えるか。

 自分も一度はそこに落ちてしまいたい、そう思っていた。しかし思い出したのだ。差し出してくれていた手を、自分から振り払ってしまったことを。自分には、本当に自分のことを思ってくれる人がいると。


 もはやレイに迷いはなかった。まずはここから脱出すること、それ以外に今のレイが考えることはない。レイに便乗するように、コルテが銃を構えながら告げた。


「そんな建前はもうやめましょう、ルヴェル殿?僕はわかっていますよ、貴方の本当の目的を」

「本当の、目的……?」

「ええ。レイくん、彼の目的は女神の巫女ヴォルヴァの救済ではありません。その力を強奪し、伝説の果実である黄金のリンゴを手にすることですよ」


 コルテが言うには、それは三人の女神の巫女ヴォルヴァの力の結晶体なのだという。一齧りすれば不老不死の肉体が手に入り、神にも匹敵するという女神の力を自由に行使することができるのだと。

 それを聞いたレイの脳裏に、ある光景がよみがえる。


 ルヴェルに最初に案内された、あの場所──謁見の間での出来事。玉座のほかに印象的だった、あの巨木。幹の中央部分が黄金に煌めき、心臓が動いているかのように脈打っていた物体。あれこそが伝説の果実なのだと、レイは理解した。


 幹の黄金が光り輝く条件は、その身に女神の巫女ヴォルヴァの力が集束されたとき。あの時見た黄金は、ヤクとスグリから抜き取られたと女神の巫女ヴォルヴァの力だったのか。

 ルヴェルの目的が伝説の果実の成就ならば、自分を含めた三人の女神の巫女ヴォルヴァからその力が完全に乖離されたときに、それは達成されてしまう。そうなってしまえばルヴェルに対抗できる力はなくなり、世界は完全にルヴェルによって支配されてしまうだろう。


 コルテの説明を受け、レイは杖を握る手に力が入った。そんな自分勝手な目的のために、自分たちに近しい人物たちを蘇生させて、操り人形にしたというのか。救済なんて言葉で、自分たちを騙していたのか。

 そんな命を冒涜するようなこと、許されていいはずがない。

 対してルヴェルは悪びれもなく、肩を落としながらコルテに話しかけた。


「そこまで調べてしまったのか。いいのかい?私とカーサは協力関係にあったのに、それを勝手に破棄してしまうようなことして」

「ご心配なく。ヴァダース様も、貴方と手を切ることを了承していますよ。それに僕の本来の任務は、貴方へのスパイ行動ですから。カーサだって、いつでも行動を起こせる段階まで復活しましたからね。もう用済みなんですよ、貴方」

「そうか……。ああ、残念だ。実に残念だよカーサ」


 ルヴェルが手を前に出すと、マナが集束する。コルテが銃口を向け反撃しようとして、レイがルヴェルの放とうとする術の内容に気付き、コルテの前に出る。


「"エオロー"ッ!!」

"牙よ御身を氷結せん"アイスシュトースツァン


 レイが張った光の防御膜に、ルヴェルが放った氷の牙が次々に突き刺さる。その攻撃を受けながら確信した。これは自分の師匠、ヤクの技であると。

 何故ルヴェルが師の技を使えるのだろうか。そんな言葉が表情に表れていたのか、彼は攻撃の手を止めて説明した。


「吸収した女神の巫女ヴォルヴァの力のおまけでね。その人物の習得している技や術を、私も使えるようになったのだよ。例えば──」


 ほら、と。彼が指をくい、と上げた。するとレイの光の防御膜は、一瞬で見えない風の攻撃によって両断される。それはスグリの使う技「抜刀 鎌鼬」だ。


「この……!!」

「まぁ、全てバレてしまったのだから隠す必要もないね。そこのドブネズミが言ったとおりだよ、女神の巫女ヴォルヴァ。私はキミたちを救済したいわけではない。キミたち女神の巫女ヴォルヴァの力が欲しいのだよ」

「ふざけんな!この力を使って何をするつもりだ!?」

「なにを?何をときたか……そうだなぁ……しいて言うなら、そう──」


 神になりたいのだよ。


 彼のその言葉に、レイは呆れすら感じた。そんなことのために、と。コルテも同じように思ったのか、嫌みを吐く。


「貴方が神だなんて、冗談も休み休み言ってほしいものですね」

「冗談ではないさ。それに、忘れていないかい?ここはまだ私の城の中だ。つまりレイ・アルマ、キミはまだ私の手の中にいる……」


 ルヴェルの言葉の直後、レイは自分の身体から力が抜けていく感覚を覚え、膝を折る。胸のあたりを抑え、力が放出される感覚を必死に抑え込もうとした。


「レイくん!?」

「なんで……!?女神の力が抜ける……!」


 どうにか顔を上げ、ルヴェルを見据える。彼はその手に、あるものを掴んでいた。丸いガラス玉。その中に、白い液体状の何かが入れられている。それが発光するたびに、体から力が少しずつ抜けていく。


「これは聖なる宝玉。この中に触媒を入れれば、特定の人物のマナに直接作用させられるパイプが繋がるのさ」

「マナに、直接作用する……!?」

「なるほど。つまりそれは、井戸の役割を果たしているということですか」

「ご名答。触媒は何でも構わないが、作用させたい人物のものであればあるほど有効に作用する。……嗚呼。今思い出しても美味だったよ、キミの体液は」


 ルヴェルの言葉に、羞恥心が煽られる。


「キミを初めて味見したとき、甘い香りがしただろう?あれは催淫効果のある香水を私が身に着けていたのさ。純粋なキミを、簡単に堕とすために」

「お、お前……!」

「初心だったキミの中を存分に味わいたかったけど、あの時キミは私を受け入れてくれなかったねぇ。自慰で勘弁したけども、そのお陰で良い触媒が手に入った」


 ごちそうさま、と笑うルヴェル。レイは羞恥心に駆られながらも、どうにか立ち上がって彼に敵意の視線を送る。


「この触媒が作用する限り、この城の中のキミは私の玩具だ。さぁ、もっと寄越してくれよ、その女神の力を。力を全部抜いたあとは、私がキミを存分に満足させてあげよう!善い声で啼いて、よがって、私以外を求めなくなるほどにね!」

「レイくん、走りなさい!ここは僕が押さえますから!!」


 コルテに腕を引っ張られ、城の出入り口の方向へと追いやられる。返事もままならなかったが、今は彼の言う通り、走らなければ。

 こんなことろで捕まるわけにはいかない。ヤクとスグリを助け出すためにも。エインとして使役させられている自分に近しい者たちを、解放するためにも。


 刻一刻と力が抜ける。一歩一歩が重くなっていく。背後ではコルテの銃が自分を守るために、吠えてくれている。逃げなければ──敵に背を向けているとしても。

 今は、今だけは。無様と罵られようとも、この城から脱出するんだ。


「ははは、そんな簡単に出られると思ったのかい!?」


 ルヴェルが叫んだ直後、足元の床がふっと消えた。気付いた時には遅かった。


「レイくん!!」

「あ……」


 絶望がレイを包み込もうとした。

 あともう少しだったのに。ようやく、外に出られるはずだったのに。


 もう一度、アイツに。ラントに、会いたかったのに──。


 レイが諦めかけた直後。扉が勢いよく開かれた音がした。その次に、ある声が響く。それは自分が求めた、唯一の人の声。


「レイ!手を伸ばせ!!」


 恋焦がれたその人の声が、レイの耳に確かに届いた。

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