第七十七節  足元から忍び寄る声

 枝垂れの町サクラに到着した一行が最初に見た光景は、混乱状態となっている町の人が言い争っている場面だった。何が起きたのか確認するため、エイリークたちは町の中心部へと走った。


 町の中心部は入口よりも混乱していて、シンボルであった桜の樹には大きな亀裂が入っていた。黒煙はその辺りから、ごうごうと立ち上っている。原因究明よりもまずは消火が先と、あたふたするだけの町の人に声をかけ消火活動を行う。

 町の人との協力もあり、どうにか桜が全焼する前に消火に至る。しかし燃えていたその木は真っ黒に変色し、葉さえも無残な姿に変わり果ててしまっていた。町の人は変わり果てた町のシンボルを前に呆然と立ち尽くしながら、口々に何故、どうして、と呟くことしかできない。アヤメがそばにいた町の人に、何故このような事態になってしまったのかと、理由を尋ねていた。


「わからねぇよ、俺たちもいつも通りに普通に生きてただけだ。それなのになんで町のシンボルが壊されなきゃならねぇんだよ!?」

「私たちは女神を信じて信仰して、何も悪さをせずに過ごしていただけなのに!」


 平和の象徴でもあり、町の人の心の支えでもあった桜の木。それを奪われた町の人たちは、自らに降り注いだ理不尽に怒りや不安をぶつけることしかできていない様子だ。詮無いことだけれども。そう考えながら町の人を見渡していたらふと、一人の男性と目が合う。その男はエイリークの姿を確認すると、わなわなと体を震わせながら恐る恐るといった様子で口を開く。


「まさか、お前らの仕業か……?」

「え……」


 男性のその様子につられ、他の村人たちもエイリークたちを訝しそうに見る。複数の視線に晒されたエイリークの脳裏では、ある光景が映し出されていた。


 それはもう、数年前の光景。自分が旅に出るきっかけとなった、あの悪夢の日の出来事。突然変異した魔物たちに住んでいた村を襲撃され、その戦闘中に己の師であるマイアを失った時のこと。村の中心人物であったマイアを失った悲しみから、自分達とは異なる種族であるからとエイリークを責め立てた、村人たちの顔。

 昨日までは親し気に話しかけ、笑い合っていた人物たちからの手の平返し。出口の見当たらない己の負の感情を、感情のままに責任転嫁してぶつけてくる村人たち。


 レイやラント、ヤクにスグリにソワンにと、バルドル族である自分を受け入れてくれた人間に囲まれていた期間が長かったからか、すっかり忘れていた。自分達を異種族と蔑み、理不尽に事あるごとにその原因だと、言われもない言いがかりをつける人間は、まだ世界には多いということを。

 すっかり忘れていたのに、思い出してしまった。自分は世界にとっては、異物なんじゃないかと思っていたあの気持ちを。隠していた気持ちが、自覚した途端に自らの中で大きく膨れ上がる。ざわり、と背中を寒気が走る。ふつふつと、黒い感情が沸き上がってしまうようだ。


 ──人間なんて、嫌いだと。


 そんなことない、自分を世界にとっての異物なんかじゃない。ここにいてもいいと言ってくれる人間がいることを、エイリークは知っている。だからこの気持ちは、決して自分のものではない。そう思うはずなのに、ざわざわと黒い感情が成長していくことを、彼は感じていた。そう強く思ってしまう原因は恐らく。


 ──『よぉ、弱虫エイリーク』


「ッ!」


 脳裏に響くその声は、自分と融合した裏人格のもう一人の自分の声。彼と融合したことでエイリークは自身の負の感情に、今まで以上に引っ張られやすくなってしまっていたのだ。そのために、トラウマともいえる状況に陥ると、もう一人の自分が表に出てきやすくなってしまった。それはひとえに、己の感情コントロールがうまく働いていないせいなのだが。落ち着けと自分自身に言い聞かせるように、深呼吸をする。


 そんなエイリークの状況はいざ知らず、現実の周りにいた村の人たちは、口々にエイリークたちを責める雰囲気に支配されていた。蔑みの視線を混ぜながら、彼らは男性の言葉を皮切りに一斉に罵声を浴びせる。


「お前らのせいだ!お前ら異種族がこんな村に来たから!!」

「この村から出ていけ!」

「この疫病神、化け物共が!!」


 そんな風にまくし立てられている中、村の人たちをエイリークの間を割るようにアヤメとラントが立ち入る。彼らはエイリークたちに背を向け、彼らを擁護した。


「待って、この人達は違うっす!今ここに来たばかりで、この村のことを襲おうだなんて思ってないっすよ!」

「彼女の言う通りだ!俺たちはつい今しがたここに来たばかりだ。そんな俺たちがこの街を攻撃なんてできるわけないだろ!」

「うるせぇ!部外者は黙ってろ!!」

「俺たちは平和に生きていただけなのに、異物を放り込むんじゃねぇよ!」

「ふざけるな!そいつ等を庇うならお前らも化け物と一緒だ!」

「死ね!!」

「殺せ!!殺してしまえ!!」


 町の人たちは口々に物騒な言葉を口にしながら、道端に転がっていた石ころを掴むと遠慮なしにエイリークたちに投げ始めた。アヤメは咄嗟に腰から直刀を抜き、エイリークたちに当たらないようにと、どうにか投げられてきた石を弾く。ラントも弓を引くことはなかったが、投げられてくる石を弓本体で弾いていく。そんな攻撃的になった人達を前にグリムがイライラとした様子で鼻で笑うと、自らの武器に手をかけようとした。


「フン……低俗な人間どもが」


 そんな彼女の手に、ケルスが自らの手を重ねグリムを止める。


「駄目ですグリムさん、暴力に暴力で返しては争いが大きくなるだけです!」

「退け、リョースの」

「お願いです、一瞬だけ待ってください。僕が出ますから」


 そう言うや否や、ケルスは一歩前に出る。何かを言いたそうにしたグリムだが、自分の隣で膝をついたエイリークが視界の端に入り、彼の様子を窺った。


「バルドルの……?」


 グリムのその声はエイリークには届いていなかった。胸のあたりを抑え、表に出てこようとしている裏人格の自分を必死に抑え込もうとしていた。しかし脳裏の声は無遠慮に響く。


『人間共は自分が認められないものに関してはえらく不寛容だ、排除しようと躍起になって束になれば負けないとすら思っている、愚か者どもさ』


 うるさいよ、と呼びかけるも何処吹く風。裏人格の己は嬉々とした様子で語りをやめない。


『人間が異物を受け入れるなんて、所詮無理だとわかれや甘ちゃんが。見てみろよほら』


 声に導かれるように、ちらりと視線だけ前に向ける。そこには自分たちに石を投げる町の人たちと、彼らと話そうと前に出たケルスの姿が目に入った。何をする気なのだろう、ケルスは。そんなに前に出たら危ないのに。


「みなさん、落ち着いて聞いてください!僕はアウスガールズ本国国王、ケルス・クォーツです。国に誓って、決して貴方方を陥れるようなことはしません!」

「ケルスやめろ、危ないだろ!」

「ですが、僕たちは敵ではありません!そんな人たちを、僕は攻撃なんてしたくないんです!」


 ケルスのその健気な姿と、知ったことではないと言わんばかりに構わずに石を投げ続ける町の人達。脳裏でもう一人の自分が囁く。


『憎いだろ、仲間の声に耳を傾けないクソ共が。……変われよ、エイリーク。憎しみは俺の領分だろ』

「うる、さい……!」

「うるせえこの平和ボケ野郎が!!」


 一人攻防戦を行っている最中の出来事だった。町の人たちのうちの一人が投げたこぶし大の大きさの石が、ケルスの頭に直撃した。当たりどころが悪かったのか、思わずケルスは膝をついた。


「ケルス!」

「今だ、あの白い化け物をやっちまえ!」

「国王様だろうが関係ねぇ、俺たちの平和を壊す奴はみんな敵だ!!」


 木霊する町の人たちの罵声。ふと顔を上げた先の視界で、ケルスの頭から血が流れて地面に落ちる光景を目にした瞬間、エイリークの意識は黒く染まった。毛先の赤みが面積を広げ、裏人格のもう一人の自分が表に出てきそうになる。それを危険と取ったグリムが彼の肩に手を置き、ぐ、と引き寄せる。


「おい、正気に戻れバルドルの!自我を見失うな!」


 その言葉がようやく耳に入り、エイリークははっと我に返る。

 髪の赤みは引き、しっかりと自分の自我が戻る感覚を覚えた。その様子に一つ息を吐いたグリムは、アヤメに対して声をかけた。


「忍の、離脱の隙を作れ!」

「わ、わかったっす!本当は町の中では使いたくなかったっすけど、緊急事態っぽいっすもんね、仕方ない!」


 彼女はラントにケルスのことを頼み、魔術でいうところの詠唱として印を結ぶ。そして地面に手をついて、術を発動させた。


「"土遁 松葉菊"マツバギク!!」


 アヤメが手を上げると、彼女の前の地面が盾のように伸び上がり、そこに蔦が絡まり花が咲く。そこに石が当たると、花が石を包み込むように閉じていく。縦に伸びて横にも広がったそれは、石の一個たりとも通さない防御壁に変化した。アヤメをはじめとしたエイリークたちの姿は、防御壁の外側にいる町の人たちからは完全に遮断される。今のうちにと、アヤメの案内でラントはケルスに、グリムはエイリークに肩を貸しながらその場から離脱する。そのままの足で、アヤメの先輩のいる情報屋へと向かうのであった。

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