第七十五節  意外な協力者

 部屋からルヴェルが立ち去った後のこと。レイは倒れこむようにベッドの上に横になる。初めてのキスと、初めて股間を自分以外の人物に触られたことで、精神的にも肉体的にも疲労困憊していた。柔らかいベッドの感覚に、疲労が全身に回る。それに伴って身体が睡魔を覚えた。そのまま襲ってきた眠気に逆らうことなく、レイは眠りにつく。


 ******


 ざあざあ、ざあざあ。振り付ける雨は容赦なくて、体温なんてすでになくなっていて。手も足も動かしたくなくて。……いや、動かしたくないだけかもしれない。

 だって手を差し伸べても振り払われるから。助けを求めても誰も見向きもされないから。だったら石ころのように。路地裏で蹲っていたままでいい。


 自分はどうしてこんなところにいるのだろう。自分はどうやってここまで来たのだろう。自分はどうして独りぼっちなのだろう。自分は誰かに、愛されていたのだろうか。自分は誰かを、待っているのだろうか。自分は誰かに、甘えることができるのだろうか。でも知らない。教えてもらってない。

 頼り方も甘え方も声のかけ方も愛される方法も。だって、教わる前に自分の目の前にあったのは、孤独だけだったんだから。


 手を差し伸べてくれた人がいた。背中を見守ってくれる人がいた。師匠になってくれた人だった。先生になってくれた人だった。そんな人たちが大好きで、初めて自分に好きな人ができた。振り向いてほしかった構ってほしかった自分一人を特別に愛してほしかった自分の想いに応えてほしかった。でも、その人には──。


 結局その思いを告げられないまま、失恋した。その人には自分以外に、本当に心から大事な人がいて。それは自分もわかってて。邪魔者は自分の方だってわかってしまったから、身を引いた。だってどっちも大好きな人なのにその幸せを自分が壊してしまうようなことなんて、したくなかったから。幸せでいてほしいから。


 でも、あれ?

 なんでだろう?


 心が軋む、音がした。


 ……。……思ったんだ。恋ってなんなんだろうって。あの人に抱いていたこの想いは、気持ちは、考えは。果たして本当に恋心と呼べるものだったのか。


 本当に恋だった?愛だった?親しみからくる気持ちではなくて?

 それがわからないまま、結局今もわからず仕舞い。


 それから時間が経って。自分が女神の巫女ヴォルヴァであると自覚してからは、さらにより強く孤独を感じていた。死ぬことは、受け入れているつもりだ。だってそれが自分の役目だから。自分のできる、他の人たちにはできないことだから。

 でも、それでも──。


 お願い、だから……。


 ──愛して甘えさせて隣にいて声をかけて話を聞いて


 ──笑って頭を撫でて抱きしめてキスして


 恋、を、教えて。愛、を、教えて。

 一人に、しないで……。


 ……あれ?でも、いたじゃないか。


 自分を愛してくれるかもしれない人が。自分一人のことを、考えてくれているかもしれない人が。そう、確かに、隣にいたはずなのに。なんで、隣にいないの?


 ……。……嗚呼。ああ、そうか。わかってしまった。そうだった。

 その手を自分は、握りたくないと振り払ってしまったんだ。


 差し伸べてくれていた手を。感情のままに。裏切られたって思って。聞かされる言葉が全然信じられなくて。自分は一人なんかじゃなくて、自分から独りを選んでしまったんじゃないか。自業自得だ。でも、嫌だ。嫌だよ……。


 このまま一人のままなんて嫌だ孤独なまま死にたくない淋しいのをこれ以上感じたくない。女神の巫女ヴォルヴァじゃない、レイ・アルマを見てほしい。

 誰かと恋をしてみたいあの、と愛し合ってみたい。


 手を振り払ったのも耳を塞いだのも自分だけど。それでも。


 だって、知れるかもしれないんだから。この気持ちが恋なのか愛なのか。だからお願い、一人にしないで。今度は振り払わないから。しっかり握るから。


 ちゃんと、謝りたいから──。


 ******


 ……闇。真っ暗で、明かりがなくて、ぬめぬめとして、捕まったら脱け出せないような程にひどくねっとりとした闇の中。どこだろう。……怖い。


「……──ぃ……れ──」

「き、こ──……い……」


 声が聞こえる。嫌にか細くて弱弱しくて今にも消えてしまいそうな声が。

 意識を声に集中してみる。夢の中で神経を研ぎ澄ますだなんて、おかしいかもしれないけれど。


「レイ……返事、を……」

「聞こえて、いるか……?この声、が……」


 今度は確実に聞こえた。ハッとして顔を上げる。この声は、自分がずっと探していたあの二人、ヤクとスグリの声だ。


「師匠!スグリ!?何処にいるの、俺はここだよ!」


 声を張り上げて、闇の中で二人の姿を探す。しかし辺り一面は闇だけが広がっている。レイの声はそこに吸い込まれるように消え入るだけ。それでも、その声が届いたのか。どこからか声が返ってくる。


「よかった……まだ、無事なんだ、な……」

「お前に、言わなきゃならない……。俺たち、は……お前の感情を垣間見た」

「……すまなかった……お前の、気持ちに……気付いてやれ、なくて……」

「違う……違う、二人は何も、悪くなんてない!なぁ、どこにいるんだよ?俺、二人のこと助けたくて!」

「……いや、もう私達、は……意識を保つことも、ままならん……」

「……身動きできなくて、な……こうして声、を届けるのも……限界……」


 必死に声のもとを探ろうとするが、闇はどこまでも粘着質なまま。本当に消えてしまいそうな声に、焦りが募る。必死に叫んで呼びかけるも、次第に声が聞こえにくくなっていく。


「…………レイ、お前は……にげろ……」

「お前が……俺たちの最後……きぼう……」


 その言葉を最後に、ヤクとスグリの声は完全に聞こえなくなってしまった。思わず手を伸ばしながら、二人を呼ぶ。


「師匠!スグリ!!」


 その言葉に、返事を返す者はいなかった。


 ******


 目を覚ます。見開かれた視界の先は、幽閉されているあの部屋で。

 ゆっくりと起き上がり、片膝を抱える。何か思い悩んだ時や考えるときに無意識に出てしまう、レイの癖だ。そこに顔をうずめ、ぎゅっと軍服を握る。


 どうすればいい、なにをしたらいいのか。最後の希望だなんて言われたけど、独りになりたくない一心で敵の手を取ってしまった自分に、そんな資格なんてあるはずがない。そんな大層な存在になんてなれない。このままでいいわけがないってことは、心の奥では理解している。できているはずなんだ。


 だからって、何ができるかわかるかどうかは別問題だ。こんな情けない自分に、できることなんて。流れてくる涙は悔しさからか情けなさからか。



「やれやれ、折角会えた女神の巫女ヴォルヴァがこんなに泣き虫だなんて。ちょっと幻滅しちゃいますよ」



 突然聞こえてきた声に心臓が飛び出るほど驚きつつも、ゆっくりと部屋の入り口側を見る。そこには見たことのない青年が一人、食事が盛り付けられているお盆をもって立っていた。初めて見る人物だ。この人物も、エインなのか。

 いやそんなことよりも。


「うるさい……!お前には関係ない!」


 確かに泣いていたが、初対面の人物に小馬鹿にされるいわれはないと、レイは反論する。その人物はお盆を近くのテーブルに置いてから、関係があると告げた。


「だって貴方の女神の巫女ヴォルヴァの力が奪われては、僕たちが狩れないではないですか」

「お前……なに、言って……!?ルヴェルのエインじゃないのか!?」

「んー、観察眼はそんなにないと。なるほど、余程自分の周りに誰もいないことがショックなのか、はたまた経験が少ないのか。どちらにしろ、僕ほど世間を見てきた訳じゃなさそうだ」


 青年はクスクスと笑う。いい加減馬鹿にされるのもごめんだと、レイは初めてこの城の中で杖を向ける。その様子におどけてみせた青年は、一言謝罪する。


「ああごめんなさい、怒らせるつもりはなかったんですよ?」

「ふざけんな、お前誰だよ……!」

「そうですね、此方ばかりが貴方を知るのはアンフェアか。なら、自己紹介しますね?」


 青年がパチン、と一つ指を鳴らす。すると青年は光に包まれながら、姿かたちを変えていく。やがて自分とそう変わらない背丈に変化すると、光はしゅわっと消えた。そこに立っていたのは黒い制服を身に纏い、短い栗色の髪に紫水晶の瞳が特徴的な人物。


 その黒い制服には、見覚えがあった。二年前、自分も衝突した組織であるカーサのものだ。ということは、目の前の人物はカーサ。


「お初にお目にかかります。僕はカーサ最高幹部の一人、コルテ・ルネと申します。気軽にコルテとお呼びください」

「なんでカーサがこんなところに……!?」

「端的に言えば、カーサは現在ルヴェル殿と協力関係にあります。ですが、もっと詳しく彼の動向を探るために、僕がスパイとして潜入しているんですよ」

「お前……!まだ、世界征服なんて馬鹿げたことを企んでいるのか!?」

「今はまだそこまでカーサも回復してないんですよ。その間に、先に僕たちが目につけた女神の巫女ヴォルヴァを横から掻っ攫われるのが、癪なんです」


 だから、とコルテはレイに告げる。


「貴方にはこの城から脱出してほしいんですよね。僕たちカーサのためにも」

「な……」

「でも貴方がここにいるって言うなら……。その時は僕に殺されてください。死んだら女神の巫女ヴォルヴァの力を奪うだなんて、不可能なんですからね。どうします?」


 どうしますと言われてもだ。手を取ったとして相手はカーサ、信じられるのか。でもここで拒めば、目の前の人物に殺される。選択肢なんてあってないようなものじゃないか。


 そう考えた直後、脳裏に思い返されたのは先程の夢での声。


『…………レイ、お前は……にげろ……』

『お前が……俺たちの最後……きぼう……』


 彼らの望みが、自分がここから出ることならば。それを、叶えたい。

 ぐ、と拳を握りレイは一つ尋ねた。


「ここから脱出するなら、力を貸してくれるんだな?」

「ええ、二言はありませんよ」

「……わかった」


 顔を上げ、コルテを見据え確かに瞳に光を宿したレイは答えた。


「ここから脱出したい。力を貸せ」


 その返答に、コルテは満足そうに頷くのであった。



 第三話 END

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