第七十二節  心を繋ぎとめる

 宿屋に戻り部屋に入ると、そこにはラントとエイリークの二人だけ。グリムは調査からまだ帰ってきていないようだ。


「ただいま戻りました」


 ケルスが話のきっかけを作るが、それでもやはりエイリークは俯いたまま、何の反応も示さない。未だ変わらないその様子に、心が締め付けられる。このままでは駄目だと、ケルスはエイリークの目の前に膝立ちになる。


「エイリークさん。僕の話を、聞いてくれませんか?」


 ケルスが目と鼻の距離にいるというのに、エイリークは無反応である。いつもなら慌てふためき、吃りながら「近いよ」なんて、明るく笑うのに。


 ツェルトたちの言葉が余程ショックだったと、思わざるを得ない。気持ちは分からなくもない。二年前レイと出会い、絆を深めて新しい友達になれたことを、エイリークはいつも楽しそうに話してくれていた。レイとの思い出を語るその横顔が楽しそうで、嬉しそうで。

 ケルスはその顔を、好いていた。だからこそ再会した時はショックも受けていたが、エイリークはレイの力になりたいんだと話していた。それなのにレイのためと思ってとっていた行動が、彼を追い詰めることになっていた。そんな事実を遠慮なしに突きつけられたら、自分もきっと同じように悲しむだろう。ショックで言葉を失うかもしれない。

 しかし、悲しむばかりでは駄目なのだ。そこから、立ち直って歩かなければならない。今度こそ、レイの手助けとなれるように。そのことを伝えなくては。


「エイリークさん。話を、聞いてください」


 もう一度声をかけるも、やはり動かない。これではまるで石像のようだ。炎の光が消えているエイリークの虚ろな瞳を見て、ケルスは一度俯く。


 どう呼びかけても反応しないのなら、この方法しかない。


 ケルスはある決心をしてから両手でエイリークの頬を包む。そのまま自分へ向けさせると、近付いて彼の唇を己のそれで塞いだ。優しく触れるような口付け。その場の空気だけが止まったかのよう。

 数秒後、やがてゆっくりと離れる。エイリークの瞳に、ようやくケルスが映る。ぽつりと、零れ落ちるように名を呼ばれる。


「……ケルス……?」

「……エイリークさん、聞いて」


 ケルスはエイリークの頬に添えていた手のうちの片方で、彼の手を握る。瞳をそらさずに、諭すように語りかけた。


「エイリークさん……レイさんのこと、このまま放っておくなんて、そんなの駄目です。レイさんが女神の巫女ヴォルヴァだからじゃありません。僕たちの、大切な仲間だからです」

「っ……でも……」

「仲間を見捨てるなんて、そんなの僕の知っているエイリークさんじゃない。二年前僕とグリムさんがカーサに捕らわれた時、貴方は必死になって僕たちを助けようとしてくれた。苦しくても、足掻いてくれた。そんな貴方がレイさんを見捨てるところを、僕は見たくありません」


 ケルスは二年前のカーサとの戦いのことを、レイから聞いたことがあった。ボロボロになって、それでも諦めずに仲間を救うために必死に戦ったことのだと。仲間を絶対に見捨てたりしないその姿に憧れすら感じたと、レイは言っていたのだ。かっこよくて強かったと。

 それを聞いたケルスは、胸の内に温かいものが宿ったことを覚えていた。離れ離れになってしまっていても、彼は自分が信じたとおりの、周りを照らして導いてくれる存在でいてくれる。そのことが嬉しかった。


 だからこそ、今こうして落ち込んでいるだけのエイリークを、見たくないのだ。

 ケルスの言葉にエイリークは──。


「……無理だよ……だって俺、なんにもできないよ……!」


 ケルスから顔を逸らし、重苦しい口を開くだけ。それがきっかけだったのか、どうしようもない感情を吐き出すように、彼は立て続けに言葉をぶつけた。


「仲間のレイに、俺はずっと死ねって言ってたんだよ!?全部、なにもかも俺のせいじゃないか!俺がレイとまた出会いたいって思わなければ、記憶が戻るといいねなんて言わなければ!レイは今でも平和に過ごせていたかもしれないのに!それを!」

「エイリークさん、それは違う」

「違わない!俺が戦いの中にレイを突き落としちゃったんだ……!そんな俺が、レイの仲間でいられるはずないじゃないか!」

「エイリークさん、それは違います!」


 エイリークの叫びを遮るようにケルスは叫ぶ。彼の手を握っていた手に力を入れ、もう一度顔を己の方へと向ける。迷子の子供のような悲痛な表情で、エイリークはケルスを見やった。


「エイリークさんがレイさんと再会したから、ユグドラシル教団本部を襲っていたヴァナルの脅威を知ることができたんです。エイリークさんの言葉がきっかけでレイさんが記憶を取り戻したから、教団を救って世界を守ることができたんです。……確かに救われた命があった、確かに守られた人たちがいた。わかるでしょう?」

「でも、レイは言ってたじゃないか……!ヴァナルの全貌を調べるために記憶喪失になったって!記憶を失っている間に、全部暴いてみせるって!だから俺が手を差し伸べなくても、きっとレイは一人でも教団を守ってた!世界を救えてた!」

「……そうかもしれません」

「だったら──」

「でもヴァナルは、女神信仰をしていた街や村を襲撃していた。レイさんが記憶を取り戻さなくても僕たちと調査をしている間も、それはきっと延々と続いていた」


 そこで失われる命もあったかもしれないと、ケルスは静かに告げる。それでもエイリークは顔をゆがめ、認めないといわんばかりに叫ぶ。


「そんなの結果論だよ……!俺がレイを追い詰めてたことに変わりない!アイツの言った通り、バルドル族は周りにいるヒトを戦いに巻き込んでしまう。俺はレイのことをもう、苦しめたくない。二度と俺と関わらない方が、レイにとっても幸せじゃないか!俺と出会わなければよかったんだよ!」


 叫んだエイリークを、ケルスは一瞬冷たく見据える。


「……エイリークさん。貴方はそうやって、レイさんと出会ったことすら否定するのですか?」

「だって──」

「いい加減、甘えないでください!!」


 ケルスは初めて、エイリークに怒鳴った。こちらの怒鳴り声に流石に驚いたのか、エイリークが恐る恐るといった様子でケルスを見る。ケルスは一度目を閉じてから、食い入るようにエイリークを見つめた。視線をそらさず、じっと見据える。


「……自分がバルドル族だからだとか出会わなきゃよかったとか、そんな言葉で言い訳して、現実から逃げないでください」

「でも……」

「二年前のあの時、僕に約束してくれたじゃないですか。あの言葉を、忘れてしまったのですか?」


 ケルスが指摘したのは、今から二年前の出来事。カーサとの最終決戦の折にケルスがエイリークを身を挺して守り、数日間意識不明だった。その後無事に回復した際に、エイリークが約束してくれたのだ。


『弱いまま消えたら、俺はケルスの気持ちも踏みにじることになるって気付かされたんだ。俺はキミを、もう泣かせたくない。まだ弱くて頼りないかもしれないけどさ……もう一度、俺にケルスを守らせるチャンスをちょうだい』


 そう、強くなってみせると約束したのだ。その言葉が、どんなに嬉しかったか。


「あの時の約束、ずっと大事にしてほしい。僕のことは裏切っても構いません。だけどこの言葉だけは、裏切らないでください。貴方に裏切ってほしくない」

「……ける、す……」

「それに、エイリークさんはレイさんのことを追い詰めたって言いましたけど……それなら僕も同罪です。僕も、レイさんに記憶が戻るといいですねって、言ってしまっていたんですから」


 だから、と優しく語り掛ける。


「一緒に、レイさんに謝りましょう?謝って、仲直りして、それから考えていきましょう。レイさんにとってどうするのが、一番彼のためになるかを」

「っ……」

「……エイリークさんは、本当はどうしたいんですか?」

「……俺……」


 彼は俯いて、手を握る。ぎゅっと閉じた目からはぽろぽろと願いが雫となって、ポタポタとケルスの手の上に落ちる。


「本当、は……レイと一緒に、ずっと旅をしたい。レイのこと見捨てたくない!だって仲間だから……友達だから……!でも怖くて!またレイのことを追い詰めていたらどうしようって、怖くて……!」

「はい……」

「それでも、レイと仲直りしたい!レイに、会いたい!自分勝手かもしれないけど、このままなんて嫌だ……!!」


 泣き縋るエイリークを、ケルスは優しく抱きしめる。よしよし、と子供をあやすように背中をさすった。


「……じゃあ一緒に、彼を助けに行きましょう?僕も……僕たちも、いますから」

「ケルス……」

「自分一人のせいだなんて、思わないでください。エイリークさんは、僕の仲間で友達で、大切な人なんですから」

「ごめん……ごめんね、ケルス。俺、まだまだ弱いままで……」

「大丈夫です。エイリークさんは弱くありません。優しい人なんですから」


 ね、と優しく笑うケルス。そのままエイリークが泣き止むまで、彼を優しく抱きしめるのであった。

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