第七十一節  天地は万物の逆旅

 港町エーネアには、小さな公園がある。夜も更け辺りが静まったその小さな公園で、ケルスは一人、琴を弾いていた。

 昔から何か考え事をする時にはこうして、琴で曲を奏でていた。弦を弾くことで思考の一つ一つがまとまっていき、答えが見えるのだ。

 それなのに、今晩は何も思いつかない。曲を奏で始めてから終えるまでの間、何もアイデアが思い浮かばなかった。深く沈んだエイリークの心を修復することのできる、なにかを。


 琴を膝の上に置き、ため息を吐く。すると何処からか、ぱちぱちと拍手の音が聞こえてきた。いったい誰がと辺りを見渡せば、一人の男性が目に入る。

 こちらに笑みを浮かべながら拍手をするその姿に、音の正体はその人なのかとケルスは理解する。まさか誰かに聞かれていたとは思わず、思わず謝罪の言葉が口をついた。


「あの、えっと、ごめんなさい!」

「何故謝る?良い曲に聞こえたんだが」

「その……こんな夜遅くに弾いていたので、起こしてしまったのかと……」

「とんでもない、素晴らしかった。隣、いいだろうか?」

「は、はい」


 ケルスの了承を得た男性が近付く。街灯の灯りに照らされ、その人物の外見がよりハッキリと見えた。真っ赤な真紅の髪、血液よりも濃く暗い色彩の瞳。例えて言うのならば、「あかの人」だろうか。思わず食い入るように見つめていると、くす、と笑われてしまった。


「ああ、この色合いは珍しかったか?」

「ご、ごめんなさい!失礼しました!」

「構うことはない。私自身、目立つ色合いだと思っているからな」

「そう、なんですね」

「まぁそれでも、目立つが故に覚えやすいと言う利点はあるがね」


 隣に座った男性からは、どこか包容力を感じた。彼の低い声も相まって落ち着いた雰囲気が、そう感じさせるのか。


「貴方は、この街の方ですか?」

「いいや、私はしがない旅の者だ。連れとはぐれてしまってな、どうしたものかと散策していたら矢鱈と綺麗な音色が聞こえたものだから、思わず立ち寄ったのさ」

「お仲間さんがいらっしゃるのですね」

「仲間と言うよりは、私の助手かな」


 なかなか頭のキレる、いい助手だと男性は笑う。男性から醸し出される雰囲気に、自然とケルスはリラックスできていた。久方振りに表情筋が動いたような気がする。


「あの、お名前を伺ってもよろしいですか?僕は、ケルスと申します」

「ケルスか、良い名だな。私のことは、そうだな……ローゲ、と呼んでくれ」

「ローゲさん……。よろしくお願いします」

「ああ。よろしく、ケルス」


 くす、と笑ってから、ローゲという男性はケルスが爪弾いていた曲に関して感想を話してもいいか、尋ねてきた。特に断る理由もなかったのでお願いすると、まず彼はこう話す。


「そうだな……綺麗な曲ではあったんだが、何処か迷いがあるような音色に聞こえたぞ」

「えっ……」

「何か、曲を介して答えを求めているようにも感じた。お前には、何か悩みがあるんじゃないか?」


 ローゲの感想に、ケルスは息を飲んだ。初対面である人物に、ここまで的確に指摘されるだなんて。動揺すら覚える。思わず俯いて顔を逸らすと、図星だったかな、とローゲから言葉が溢れた。


「……凄い、ですね。そこまで分かってしまわれるだなんて」

「これでも人生経験は豊富だからな。……袖触れ合うも他生の縁。お前さえ良ければ、話を聞こう。曲の駄賃にもならんかもしれないが、な」

「そんな、別にお金なんていりません!それにその、相談だなんて。そこまでご迷惑をかけるわけには、いきません」

「そんな堅苦しくならずとも。折角、友人になれそうだと思ったのだ。それに私はお前よりも年長者であるのだから、若者の悩みにヒントを与えるくらいできる」


 旅の恥はかき捨てだろうと説得される。それ以上反論はできず、ケルスはしばし逡巡してから、やがて藁にもすがる思いでぽろぽろとローゲに悩みを吐露した。


「……僕の、大切な友達が……その友達の友達を傷付けてしまったと、落ち込んでしまっているんです。友達には、その友達を傷つけるつもりなんて、一切なかった。ずっと隣で支えていたつもりだったのに、ある人達からそれは間違ってるって、指摘されて」

「どう指摘されたんだ?」

「……大切な友達がしていた今までの行動が全部、他の友達を追い込むだけの行為だったって、今までの彼を全否定したんです……。それで、自己嫌悪になって心が折れてしまったんです……」

「ふぅむ……」


 ケルスの悩みに、ローゲは顎に手を当て考えを巡らせているようだった。次に、ケルスにいくつかの質問を投げる。


「それで、お前はどうしたいのか?」

「僕は、僕の大切な友達を、立ち直らせたいんです。それから、友達たちを仲直りさせたい……。大切な友達も、その友達も、僕にとってはかけがえのない大事な友達なんです。仲違いしたままだなんて、そんなの嫌だ」

「その大切な友達に、何か話しかけたり慰めたりはしたのか?」

「……何を話しても反応がないんです。僕の言葉が、まるで届いていないようで……」


 どうしたらエイリークに話を聞いてもらえるか、わからない。ケルスは己の無力さから拳を握る。


「……つまり、まずはその友達に話を聞いてもらいたいんだな?」

「はい……。話を聞いてもらって、それでも立ち直れないようなら、もっと聞いてもらいたい。友達の心が立ち直るまで、何度も」

「お前は随分、その友達のことを気にかけるのだな」

「はい。彼は、僕を救ってくれた……大切な恩人でもあるんです。今まで何度も助けてもらった……。だから今度は、僕が友達を助けたいんです」


 きゅ、と拳を握りしめ、心の中に溜まっていた膿を掻き出すように言葉にして述べる。それから不安げにローゲを見上げ、尋ねた。


「……自分勝手、ですよね」

「判断はしかねる。だが少なくとも、お前がその大切な友達のことを、誰よりも好きだということは理解できたぞ」

「……はい、大好きです。だからずっと、笑顔でいてほしいんです」


 エイリークの笑顔を思い返す。太陽のように明るく笑う彼に、戻したい。暗く沈んだままのエイリークを、ケルスはこれ以上見たくはないのだ。ケルスの言葉を聞いたローゲは少々考え込んで、呟く。


「話を聞いてもらう状況に持ち込む方法が、あることにはある。多少強引だが」


 それでも知りたいか。ローゲの言葉にケルスは意を決したように頷く。にこり、と笑ったローゲはその方法を伝える。


「キスをしてみるといい、その大切な友達に」


 想像の斜め上をいく回答に、仰天せざるを得ない。夜であることにもかかわらず、叫ばずにはいられなかった。


「な、何を仰るのですか!?」

「だから言っただろう、多少強引なやり方ではあると。言葉でダメなら行動で示すしかないだろうに」

「それはそうかも、しれませんが!」

「それにそのくらい奇抜な行動であれば、たとえ心が折れているとしても呆気に取らせることはできるだろう。そうして放心している間に、自分へ振り向かせればいい」


 これなら、話を聞いてもらえる状況には持っていけるだろう。そんな尤もらしいことを平然と告げられ、反論しようにも特に間違いはいないのでそれもできず。

 とはいえ慌てふためくケルスをからかっているようにも見えず、手玉にとるようにいいように言いくるめている、感じでもなく。


「まぁこれはあくまで、強引なやり方。だが一番効果のある方法ではある」

「そう、仰られましても……!」

「いくら声をかけても反応しない、自分に興味を向けていない相手に話を聞いてもらうなど、愚の骨頂。頭にも入らんだろうに、無意味極まりない。そうだろう?」

「う……それは……」


 まったくもって正論だ。返せる言葉がまるでない。はぁ、とため息を吐く。最後の最後にとんでもない爆弾を投げられたが、それでも話を聞いてもらった影響か、少し心が軽くなったような気がした。

 今ならエイリークを立ち直らせられるかもしれないと、漠然とだが感じられる。キスのことは置いておいて。

 ケルスの纏う雰囲気が変わったことに感じたらしい、ローゲが尋ねてくる。


「……少しでも心が軽くなったか?」

「はい。不思議、ですね……。最後のアドバイスはあの、考えなければなりませんが、ありがとうございます。なんか、いけそうな気がしてきました」

「それは何より」


 琴を手に持ち立ち上がると、ケルスはローゲに向き直って一礼する。


「ありがとうございます、ローゲさん」

「私は何もしてない。ただお前の悩みを聞いてアドバイスしたにすぎんよ」

「それでも、感謝しています。よろしければ何か、お礼をさせてください」

「そんな大したことはしてないだろうに」

「僕にとっては、大したことなんです」

「そこまで言われたら、そうだな……」


 ローゲは天を仰ぐように頭を上げて考え、やがてそれなら、と一つの要望を出す。


「いつかまた出会ったら、その時はお前の琴の音色を聴かせてほしい。お前の曲は身体に馴染む」

「それくらいでしたら、喜んで」

「では、約束だな」

「はい」


 ふわりと笑い、もう一度礼をしてから、ケルスは宿屋へと走って帰るのであった。



 ******



 とある部屋の一室。シャワールームの前でタオル類を用意した男性が、今まさにシャワーを浴びている人物に向かって声をかけた。


「随分と遅いお帰りでしたね、ロプト様。いえ……今はローゲ様とお呼びすれば、よろしいでしょうか?」

「なんだ、覗き見とはいい趣味しているじゃないか。お前らしくもない」


 音が止まる。ガラ、とシャワールームの扉が開き、シャワーを浴びていた人物──ロプトと呼ばれたローゲ──がタオルで身体を拭き始めた。もう一人の男性は、粛々と言葉を並べ立てる。


「いつまでもロプト様がお帰りになられないので、心配で様子を見に行ったのです。また何処かで道草をしているのではないか、と」

「手厳しいな。私とて自由な時間ぐらいあってもいいだろう。……いや、お前はそういう男だったな」

「……。それで、長い道草で何か得られるものはありましたか?」

「ああ。今までにない一等品を、な」


 脱衣所から出てきたローゲ──ロプトは、バスローブを羽織っていた。彼はダイニングへ向かうと、用意されていたワイングラスに赤ワインを注ぐ。そしてそれを情緒もなく、ぐいっと飲み干す。


「ロプト様がそこまで評価する品とは、気になりますね」

「品、というより一輪の花だよ。白く美しい可憐な花さ」

「花、ですか」

「ああ、大事にしてやらねばならんな」


 くつくつ、と笑うローゲ。二杯目の赤ワインを再びグラスに注ぎ、空いていたもう一つのグラスにも同じように注ぐ。やがて注ぎ終えたグラスを傾け、ワイン越しにローゲはその男性を見やった。


「そのうちお前にも見せてやりたいものだ。なぁ──」


 ──カサドル


 ローゲの言葉に、男性──カサドルは深く、一礼するのであった。

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