第六十七節  錆びついていく記憶

 昔の記憶が流れ込んでくる。

 あれは確か、まだ己の父が存命だった頃。自分の剣の修行を見ていてもらった時のことだ。屋敷の道場で休憩をしていると、父からこんなことを聞かれた。


「スグリ、強さとは何か答えられるか?」


 その言葉の意味を、子供だった頃はよく理解できないでいた。


「強さは強いってことじゃないのか?」

「さてどう説明したものか……。強さにはまず、種類があるのだよ」

「種類?」


 そうだと頷いた父は、何処か遠くを見つめながら自分に教えてくれた。硬い強さと柔らかな強さ、その二種類の強さがあると。そして、まずそのどちらが強いかと尋ねられる。自分は硬い強さと答えた。


「何故そう思った?」

「硬いって頑丈ってことだと思ったんだ。鉄や鋼も硬くて、硬いってことは折れないってことかなって」

「成程、一理ある。しかしこの場合、硬いというのは心の在り方のことを指している。単純に見た目だけの問題ではないのだよ」

「心の、在り方……?難しいよ父上」


 むくれる自分に、苦笑しながらも父は頭を撫でてくれた。諭すように、その意味を伝えられる。


「硬いだけでは、ふとした拍子にポッキリと折れてしまうのだよ。例えば、壁に当たった時。例えば、己の不甲斐なさに直面した時。一度折れた心を元に戻すのは、大変なことなのだ」

「……」


 その言葉の意味を、自分は成長してから知ることになる。

 村が戦禍に呑まれた時、父は必死に戦ったものの破れ、その時に己の限界に当たってしまったのだと。そのことを成長したあと、祖父であるヤナギから聞かされた。確かに当時父からは覇気というものが、感じられなくなっていた。父は心が折れた状態で、それでも己のためにその成長を見守ってくれていたのだと。


「柔らかな強さとは、人の心を忘れないこと。他人を思いやる慈愛の心や優しさ。人が人足らんとする、もっとも大事な部分。それを忘れずにいることが、真に強くなることの秘訣だ」


 わかったか、と優しく微笑む父を見上げながら、自分は高らかに告げていた。


「うん。じゃあ俺が父上のことも村のみんなも守れるくらいに、もっともっと強くなる!誰にも負けないように、頑張るよ!」


 その言葉に対して、父がにっこりと笑い頭を撫でる。


「ああ、それでこそ私の自慢の息子だ。楽しみにしているぞ」

「へへ、楽しみにしててくれよな父上!」


 そう笑っていたが、その数年後。父はブルメンガルテンの事件の折に、自らの弟であるコウガネに殺されてしまった。


 ******


「っ……」


 ゆっくりと瞼を持ち上げる。最初はぼやけていた輪郭が、意識の浮上と共に鮮明になってくる。ここは何処だろうか。体を動かそうとしても、四肢も体も何かで固定されているかのようで、動かすことが出来ない。体の力は入らないうえに、まるで自分の力が何処かへ吸い上げられていくような、そんな感覚を覚える。自分の中にある生命力を奪われているようで、身体の奥底が冷たい。


 コツコツ、と足音が近付く。ゆっくりと顔を上げると、そこには見覚えのある人物が穏やかに微笑みながら、スグリの元まで歩いてきていた。スグリの見覚えのある人物、亡くなったはずの己の父であるアマツが。


「ああ、目を覚ましてしまったか」

「……父上……」

「久しいな、スグリ。……大きくなったな」


 記憶の中の父と同じように、アマツに頭を撫でられる。彼はそれと同時に、自分がここに連れられた時のことを思い出す。


 ヴィグリード平原の奥、淀みの森の中にあったグレイプニルの製造工場施設。その施設を突き止めた軍は特殊部隊を編成し、そのリーダーとしてスグリと、ヤクが任命された。その壊滅作戦を実行中に、突如現れたアマツとルーヴァの襲撃を受けてしまったのだ。突然の襲撃には慣れてはいるが、襲撃してきた人物がアマツだったために、反応が遅れてしまった。その隙をアマツが見逃すはずもなく、全盛期と思える彼の剣捌きの前にスグリは倒れ伏してしまったのだ。


 その時に意識を失ってしまったために、その後のことはわからなかったが。殺されずこうして拘束されているということは、ここは何処かの施設か何かか。しかし解せない。何故このようなところに、アマツがいるのか。そもそも、死んだはずのアマツが何故、まるで生きているかのように己の目の前にいるのだろうか。


「父上……何故、こんなことを……!」

「あの時は不意を突いてしまったが……よもや我がベンダバル家の守り神である草薙を、お前が手にしていたとは驚いた。草薙もお前を主と認めているようだ。……成長したな、私は嬉しいぞ」

「俺の、質問に答えろ……!」

「お前を守るためだ、スグリ。そのために私はルヴェル様の加護を受け、こうして蘇生を果たしたのだよ」

「俺、を……?ッ……!?」


 ざわ、と肌が総毛立つ感覚の直後。体の奥底から力を吸い取られる感覚に襲われるスグリ。一瞬、息も止まってしまったかのようだった。そんなスグリを、やはり穏やかな表情で見守るアマツ。


「女神の巫女ヴォルヴァという楔から、お前を解放したいのだよ。その力があるがために、お前は戦いの運命に縛られている。そうだろう?」

「やめてくれ、父上……俺は望んで、この力を……運命を受け、いれて……」

「そのことが心苦しくて仕方なんだ。私は死後、お前を守り切れなかったことをひどく後悔したのだ。そんなときに手を差し伸べてくださったのが、ルヴェル様だ」

「な、に……」

「彼の、女神の巫女ヴォルヴァを救いたいという彼の志を知ると同時に、その女神の巫女ヴォルヴァの一人がお前だと知らされて、私は驚愕した。知識として知ってはいたが、よもやそのような存在になっていたとは、と」

「く、ぁ……!」


 再びスグリを、力を吸い取られる感覚が襲う。身体を捩りどうにか逃れようとするものの、巻きついている植物は微動だにしない。そんな彼を慈悲深く眺めながら、アマツは悟りかけるように話を続ける。


「親として、子供にそんな過酷な運命を背負わせたくないのだよ」

「……ちち、うえ……俺は……」

「お前に寄生しているその植物には、特殊な術を施してある。宿主と定めた人物のマナを吸い上げ、母体となる巨木にそのマナを送る役割を果たしているのだ。吸い上げるマナの質を女神の巫女ヴォルヴァの力に限定している故、お前の命はとらん仕組みとなっている。安心するといい」

「……やめて、くれ……父上……」

「女神の巫女ヴォルヴァから解放されたらお前は自由になるのだ。今しばし窮屈な思いをさせてしまうが、なに。多少の我慢だ、できるだろう?お前は昔から、我慢強い子だったからな」


 自分の意識が遠くなっていくのを、スグリは感じていた。このまま意識を失ってはならないと理解はしているが、身体がそこに反応しない。


「大丈夫だ。お前の負担にならないようにと今、女神の巫女ヴォルヴァを信仰している人物たちを、我々が間引きして処分している。その作業も順調だ。解放されても誰も、お前に後ろ指を指す人物などおらんよ」

「っ……!なんてこと、を……!ふざ、けるな!そんな勝手な、こと……!」

「はは、親の心子知らずとは是いかに。今はわからなくともよい。解放されて自由の身になれば、おのずと理解もしよう」

「そんなことを、するために……貴方は蘇ったって、いうのか……?そんな、くだらないことの、ために……!」

「……あまり聞き訳が悪いと私でも怒るぞ、スグリ?」


 アマツはそれまでも穏やかな表情を隠し、冷えた眼でスグリを眺める。彼の頭を撫でていた手を首まで下げると、そこを掴んでぐ、と力を入れた。


「っ、は……!」


 苦悶するスグリの表情をしばらく見ていたアマツだったが、スグリから反抗の意志が消えたと感じると満足そうに笑い、手を離す。確保された気道に空気が一気に入り込み、反動でむせているスグリ。視界が次第に暗くなっていく。


「今はその植物に身を預けていると良い。そのうちお前の精神も癒してくれよう」

「……な、ぜ……ち、ちうえ……!」


 アマツはもう一度スグリの頭に手を置き、彼を優しく撫でる。


「おやすみ、スグリ」


 その言葉が、スグリが意識を失う前に最後に聞いた、アマツの言葉であった。

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