第六十四節  光が隠していた闇

 エイリーク達の目の前で、レイを姫抱きしたルヴェルが消えた。その直後、エイリークたちを包んでいた光の膜は消失する。

 残されたエイリークたちは、レイの行動に混乱していた。ルヴェルは危険な存在だと、彼自身も理解していたはずなのに何故。まさか目の前にいる彼らが何かしたのか──ああ、そうだ。そうとしか考えられない。

 エイリークは体験を構え、その場に残っていたエダとツェルトに向かって問う。


「レイに何をしたんだ!?」


 大剣を構え睨みつけるが、そんな威嚇を小さな笑い一つで受け流す目の前のエインたち。にこりと笑い、何もしていないと告げられるが……信じられるわけがない。


「本当に、そう思いますか?」

「なにっ……!?」

「何故あの子が自ら進んでルヴェル様の救済を求めたのか……考えないのです?」


 エイリークたちを見つめたエダの視線の奥には、冷ややかなものが宿っていた。そんな彼女の初めて見せる殺気のようなものを感じ、エイリークをはじめとしてグリムたちも閉口する。その様子を見たツェルトが、エダに告げた。


「あー、エダさん。もしかして彼ら、分かってないんじゃないですか?」


 その言葉に、エダは今一度こちらを一瞥する。まるで何かを確認するかのような視線に、エイリークは身構えた。無言の空間がしばし、その場を包む。やがて一人納得したかのような表情で、エダがニコリと笑う。


「成程……それなら彼らには、知る権利がありますね」

「でしょ?僕も協力しますから、彼らに見せてあげてはどうですか?」

「あら、協力してくださるのですか?」

「もちろん。だってそのほうが面白そうじゃないですか」


 エイリークたちを差し置いて会話をする二人のエイン。やがてこちらを振り向いたエダがまず、静かに告げてきた。


「貴方たちに教えて差し上げます。何故あの子が自ら、ルヴェル様の施しを望んだのか」

「なんだって……?」

「ここではなんです、移動しましょうか。その運命の女神像の後ろには、隠し階段があります。そこから地下へと続く祠で、貴方たちが知らない真実をお教えします」


 彼女の言葉に、エイリークは仲間たちとアイコンタクトをとる。敵意は感じるが、今すぐ寝首を掻こうという意思は見えない。罠の可能性が高いが、どうすると。

 それに対しグリムとケルスは一つ頷く。ラントは相変わらず、こちらとも目を合わそうとしない。エイリークは仕方なしに、グリムやケルスに頷き大剣を鞘に納める。


 エダが指をさした方へ振り向く。言われた通り遺跡に鎮座している、運命の女神たちの石像の後ろを調べた。確かにある一点に窪みがあり、そこに触れる。

 やがて音を立てながら石像の一部が動き、それが止まるとそこに、地下へと続く階段が目の前に現れた。エイリークを先頭に、仲間たちと共に地下へと進んでいく。



 地下には水脈が通っていて、奥へと進むと巨大な湖がある。地下なのに、まるで地上にいるかのような光景が見て取れた。陽が当たっていないのに、草木が生い茂っている。それらは決して不健康に育ったものではなく、手入れが施されているかのよう。ひんやりとした空間が、神聖さを物語っている。

 ここにいったい何があるのだろうか。エイリークたちの背後から、最後に階段を下りてきたエダとツェルトが説明しながら、湖へと近付く。


「ここは本来女神の巫女ヴォルヴァのみが入ることを許される、巫女の間。今回は特別に、貴方方のための上演会としてお借りしましょう」


 そう言うとエダは手を翳し、何やら術を展開した。


"迷い羊は箱庭で眠る"アンドイトゥング


 彼女が詠唱した瞬間、エイリークたちの視界は一面の闇に覆われた。


 ******


 次に気が付いて目を開ける。どこに移動されているわけでもなく、エイリークをはじめ仲間たちに目立った外傷はない。なんのつもりだと問おうとして、背後からある人物が歩いてくる。


 それは二年前の姿のレイだった。戻ってきたのかと、思わず声をかけるも──。


「レイ!」


 当のレイは気づいていないのか、エイリークたちの横を素通りする。彼は湖のそばに立っている木に腰掛けると、片膝を立てて蹲った。その様子に混乱していたが、いつの間にかレイの隣にエダとツェルトが立っていた。


「なんのつもりだ!」

「落ち着いてよバルドル族。これはエダさんの術。今、僕たちの魂は、二年前のここに飛ばされている。一種の幽体離脱だと思ってよ」

「女神の巫女ヴォルヴァには、夢渡りという能力があります。過去現在未来の時間軸を視ることのできる力を、私の術で疑似的に再現しています」

「どうして貴女が、そんな力を持っているのですか……!?」

「あら、私が眠っていた場所のことをお忘れですか?私が眠っていたのは、鎮魂の島グラヘイズムのヴァルシュラーフェン……」

「つまり貴様もまた、女神の巫女ヴォルヴァということか」

「ふふ、ご名答です」


 にっこりとエダは笑う。それから続けざまに、ある事実を淡々と話す。


「しかし私はあの子……レイとは違い、戦の樹ではありませんでした」

「戦の、樹……?」


 聞きなれない単語に、思わずオウム返しで尋ねる。エイリークの問いかけに、エダからその存在が説明された。

 戦の樹とは、世界樹ユグドラシルから産まれ落ちた原初の人間の子孫のことを指すらしい。他にも全ての時間軸に介入できる存在、干渉者のことを言うと。過去、現在、未来に影響を与え、世界の運命すらも定められる存在。

 また戦の樹として生まれた赤子は、女神の巫女ヴォルヴァになることが運命づけられているのだ、と。


 レイの正体について初めて知る事実に、驚きを隠せない。エイリークの動揺をよそに、過去のレイは一人、誰に対して語るわけでもなく、呟くように話す。


「……師匠の隣には、スグリがいて。エイリークの隣には、ケルスがいる。じゃあ俺は?俺の隣には、誰がいてくれるんだろう……」


 それは誰にも告げることができなかった心情の吐露。彼の悲痛な言葉に、思わず顔をしかめてしまう。いつも自分たちの前では笑顔が多かったレイが、誰にも言えなかった弱音。


「女神の巫女ヴォルヴァになったことは、後悔してない。これが俺のできることならって、決めたから。でも……独りは、嫌だ」

「死ぬのは、ちょっと怖いけど怖くない……。でも、誰の記憶にも残らないで、誰も隣にいないままで死ぬのは嫌だ……。怖い……!」

「……誰でもいいから、俺を一人にしないで……!俺のこと、捨てないで……」


 絞りだされるように羅列する、彼の本音。過去にレイから送られてきた手紙には、弱音の類は一切書かれていなかった。いつもの明るい調子をそのままに、精力的に頑張っている旨が記されていた。

 ただその裏で、彼は一人孤独を抱えていたのか。誰にも話すことも、相談することもできず、一人になれる場所でこうして弱音を吐きだすことしかできなかったのか。一人でこうして、孤独に震え、泣きながら。こんな形で、彼が抱えていた闇を見ることになるなんて。


 立ち尽くしていたエイリークたちに、エダがさらに説明を続けた。


「戦の樹は、世界樹ユグドラシルから直接マナを与えられています。そのため、女神の力を使う、強力な術を行使できる。とはいえ……それには有限があるのです」

「え……」

「通常、魔術を使う時に集束され放出されたマナは、発動後には空間上に散布されます。しかし……世界樹ユグドラシルから有限のマナを与えられた女神の巫女ヴォルヴァは、巫女の力を使ったら使った分だけ、世界樹に返還しなければならないのです」


 ──与えられたその命を削りながら、ね。


 彼女の言葉に、頭を殴られたかのような衝撃が走る。言葉が頭の中から抜け落ちたようで、何も話せない。


「もっと簡単に言えば、世界樹ユグドラシルは【肺】の役割を兼ねている。新鮮なマナを戦の樹に与え、戦の樹がそのマナを使うことによりマナが循環された後に清められ、再び世界樹へと戻っていくのです」

「なんだと……」

「つまり、戦の樹である女神の巫女ヴォルヴァは巫女の力を使えば使うほど、確実に死へと近付く……そういうことです」


 信じられないような言葉に、思考が追い付かない。レイが、死ぬ?女神の力を使い続ければ、確実に?そんなの──。


「そんなの嘘だ!!」

「嘘なんかじゃないよ。それを証明する事件だって、あったじゃないか。ほら、二年前のこと思い出してみなよバルドル族。お前は知っているはずだよ?」

「な、にをだ……!」

「二年前のアウスガールズでの出来事……。あれ、女神の巫女ヴォルヴァの一人であるヤク・ノーチェは自身が女神の巫女ヴォルヴァであると知りながらも、レイ・アルマに対してそんな力は夢幻ゆめまぼろしだって言ってなかった?」

「それが、何の関係があるんだ!?」

「それってさ、どうしてだと思う?」


 楽しんでいるのか、ツェルトがにっこりと笑顔で尋ねてくる。

 どうしても何も、そんな力はないとレイに知ってほしかったからじゃないのか。ヤクの気持ちまではわからないのだ、どれが答えなんてわかるわけもない。


「わからない?じゃあヒントを与えようか。……他の二人の女神の巫女ヴォルヴァはね、知っていたんだよ。レイ・アルマが普通の人間のまま女神の巫女ヴォルヴァとなった自分たちとは違う、戦の樹であるということを。その戦の樹が女神の巫女ヴォルヴァとして覚醒して力を使い続けていたら、必ず死んでしまうということも」


 ここまで言えばわかるよね、と。

 エイリークは震える唇で、どうにか言葉を紡いだ。


「もしかして、ヤクさんがあんなに女神の巫女ヴォルヴァを否定していたのは……レイの女神の巫女ヴォルヴァの力を覚醒させないため……?レイのことを、守るため……!?」


 もしもレイがヤクの言葉を信じ、女神の巫女ヴォルヴァであると自覚しないままでいたならば。彼は世界樹ユグドラシルから与えられたその力を使うことはなく、往生するだろう。

 しかし現実はそうならなかった。レイは女神の巫女ヴォルヴァとして覚醒し、今までその力を駆使して自分たちを助けてくれていた。その力を使うたびに命が削られていくと、自覚しながら。


「大正解。他の二人の女神の巫女ヴォルヴァはね、レイ・アルマと出会った時からそのことを知っていて、覚醒を阻止しようとした。自分たちよりも若い少年のことを守るために」

「そんな、そんなことって……!」

「残念だよね、そんな二人の女神の巫女ヴォルヴァの目的は儚く散った。それも二度も」

「二度……?」

「そうだよ」


 にんまり、心の奥底から楽しそうに微笑んだツェルトは告げた。


 ──まぁ二度目の原因はお前なんだけどね、バルドル族。

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