第六十三節  心は瓦解して

 青年の口が、残酷な真実をレイたちに告げる。その言葉を、正確に噛み砕けない。あの青年は、ラントのことを何と言った?ルヴェルが遣わした、スパイ?


「ラント……?」


 彼を見るも、顔を逸らされる。何故否定しないのだろうか。そんなことありえるはずがないと、いつもみたいに笑って否定してほしいのに。心に不安が広がる。それをよそに、エイリークが青年の言葉に異を唱える。


「ラントがスパイなわけない!適当なことを言うな!」

「あーもーほら落ち着いてよバルドル族。そうやって物事を自分だけで決めつけると、後で痛い目を見るからさ。まずはほら、深呼吸深呼吸」

「ふざけないでください!何を根拠に、貴方はラントさんのことをスパイだなんて仰るのですか?」

「んーそうだねぇ……」


 青年は考えるような仕草をしてから、にっこりと笑って自己紹介をした。この状況を純粋に楽しんでいるような、いやに無邪気な雰囲気さえ感じられる。


「それは僕が、ラント兄さんの弟だからだよ。だからラント兄さんのことは、何だって知ってるんだ」

「な……」

「はじめまして、僕はツェルト・ステル。ラント兄さんの弟で、今はルヴェル様に仕えるエインだよ」


 ルヴェルに仕えるエイン、という言葉でレイの中である一つの事実が確立する。恐る恐る、彼に尋ねた。


「エイン、ということは……お前は一度、死んで……?」

「うん、大正解。僕は一度死んだよ」

「どう、して……!?」

「まったくラント兄さんってば、本当に何も教えてなかったんだね?」


 けろっと笑ってからツェルトはラントを見る。相変わらず俯き黙ったままのラントの態度に、本当に自分は何も彼のことを知らなかったのだと突きつけられる。その様子を見たツェルトが、クスリと笑ってからレイたちに経緯を話す。


「ラント兄さんが黙秘権使っちゃったから、改めて一から説明するよ」


 ******


 悲劇は12年前に起きた。ラントとツェルトの父親は当時、遺跡調査の仕事をしていた。彼らはそんな父親を敬い、母親と一緒に応援していたのだ。そんなある日のこと、彼らは母親と共に昼食を作りそれを父親の仕事場まで届けていた。


 その日の父親の仕事は、とある遺跡の内部調査。普段は中々父親の仕事の現場に行けない幼い兄弟は、初めて感じるその場の空気に興奮していた。父親も、子供たちの作ったという昼食を、家族揃って楽しんでいたのだ。そして昼食後は父親による遺跡説明会が開かれていた。その遺跡は約500年前に起きた世界戦争の折に、何処かの一族が造り上げた物だと。

 遺跡内にある壁画を見せながらの説明であったこと、物珍しい遺跡に来たこと、それらは子供の好奇心を擽るには十分。説明の途中でラントは興味本位から、その壁画に触れてしまった。

 その瞬間、事故は起きた。それまで稼働していなかった遺跡が音を立てながら起動していったのだ。遺跡が稼働し始めると、そこは大きく崩れ始めていく。遺跡が洞窟内にあったことで、地盤崩落も発生。家族や他に調査として遺跡に来ていた調査員たちは、それに飲み込まれる。遺跡は稼働と同時に完全に崩れた。


 崩落後、生き残っていたのはラントだけだった。何故彼だけが無事だったかというと、それは彼が直前に触れた壁画が原因である。その壁画は猫の目のような文様であり、触れた者だけに結界を張っていた。その結界が落ちてくる瓦礫たちからラントを守ったのだ。

 後ろに広がる絶望的な光景を目の前に作ることで、壁画は忠告したかったのかもしれない。好奇心だけで行動することの危険性を。兎にも角にも、その崩落の下敷きとなったラント以外の人間を前に、ラントは慟哭した。自分の軽率な行動の結果大好きだった家族を失ったという絶望は、10歳の子供の心を破壊するには十分だった。


 そんな失意の中手を差し伸べたのが、ルヴェルだったのだ。彼はラントの願いを一つだけ叶えた。そう、大好きだった弟を蘇らせたいという願いを。その代わりにルヴェルは、自分の足となることを条件に出した。ラントはそれを飲んだ。その結果蘇生した弟はまるで生きているかのようにラントのそばにいて、彼は今の今までルヴェルのスパイとして行動していたのだ、と。


 ******


 その事実を知っても、レイは半信半疑であった。嘘だ、と零れ落ちた言葉は悲愴に満ちていて。そこに追い打ちをかけるように、ツェルトは説明を続けた。


「そもそも、おかしいと思わなかった?女神の巫女ヴォルヴァ、貴方は自身が巫女ヴォルヴァとして覚醒した後も、ラント兄さんにそのことを伝えたことはなかったよね?二年前に出会って、別れて、再会した後も」

「……言って、なかったけど……何の関係があるんだ……!」

「それなのに、どうして。ラント兄さんは貴方が記憶喪失の時、さも当然のように貴方を女神の巫女ヴォルヴァだって言って、認識していたと思う?」

「あ……」


 いよいよレイは言葉を失くす。身体は呼吸を忘れたようで、口が乾く。鼓膜に響く鼓動が警鐘のように聞こえる。

 思い出してしまったのだ。わかってしまったのだ。レイは二年前初めてラントと会ってからも、共に行動してからも、その二年後に再会してからも、一度も自身が女神の巫女ヴォルヴァであることは伝えていない。それなのに、何故二年後再会したとき、ラントはレイが女神の巫女ヴォルヴァであると知っていたのか。

 考えられる可能性は一つ。誰かからそれを伝えられていたからだ。


「それにさ、ヴァナルとの戦いのときも妙だと思わなかった?どうして行く先々でヴァナルが正確に貴方たちを襲撃できたと思う?」

「なるほど、合点がいった。裏で手引きしていた人物がいたのだな」

「グリム……?どういうこと?」


 エイリークが一人納得しているグリムに問う。それに対し、彼女は以前の戦いが出来すぎていることを疑問に感じていたというのだ。漁港の街キュステーの強襲から始まり、ミズガルーズでの襲撃やアールヴァーグの住居での待ち伏せ。鎮魂の島グラヘイズムへ向かうまでの海上戦に、その島での戦闘。そしてアディゲンの殺害とそれに伴うヴァナルの失速。何もかもが順調すぎて、誰かの掌で転がされているようにしか思えなかったのだと。


「それに貴様は私たちが行動を起こそうとすると決まって、数分その場から離れていたな。その時に奴らに密告していたのではないか?」


 彼女の指摘に、ラントの体がピクリと跳ねる。何も言わないところを見ると、それが肯定しているように見えてしまう。そのやり取りを様子見ていたツェルトが、笑って拍手をする。


「あは、凄いね。さすがデックアールヴ族。勘の鋭さと頭の回転はピカイチだ」

「う、そだ……そんなの、ラントが俺たちを騙していたなんて、そんなの嘘だ!」

「嘘なんかではありませんよ、レイ。その人は二年前から貴方の正体を知っていたのです。スパイ行動をしている中で、彼はその事実をルヴェル様から聞いたのですから」

「……じゃあ、親友だとか言っていたのも……」


 唇が震える。目眩がしそうなほどに、視界がぐらぐらと揺れそうだ。


「それも真っ赤な嘘。全て貴方を油断させるためだけの、彼の罠です」


 エダの言葉が、レイの心に深々と突き刺さった。今までラントからかけられた言葉も、頭を撫でてくれたことも、全ては彼の口八丁手八丁。全て自分を欺くためだけの行動で、そこに意味なんてなかったのだと突き付けられる。レイはそのことのショックが大きすぎて、最早戦意喪失していた。そんな中、絞り出すようにラントが一言だけ言葉を発する。


「……それは、違う……」


 その言葉が嫌に自分を傷付ける。レイは噛みつかんばかりにラントに吠えた。


「何が違うんだよ!これだけの事実を否定しないのに、何が違うって言えるんだよ!?ずっと俺を騙してたんだろ、ずっと裏切ってたんだろ!?」

「それは……」

「親友だって言ってくれたのも、全部俺を騙すための演技だったんだろ!?それなのに何が友達の証だ!この裏切り者!!」

「レイ、落ち着いて!」

「うるさい黙れ!何も知らないくせに!!」

「レイさん!!」

「レイ、聞いてくれ俺は──」


 ラントが差し伸べてきた手を振り払い、レイはとある古代語を唱えた。


「"エオロー"ッ!!」


 それは防御を意味する古代文字。唱えられた古代文字は帯と光の膜を発生させ、エイリークたちを守るように展開される。戦闘時なら心強いその防御の膜は、今はレイと彼らを隔てる檻のようになってしまう。焦るエイリークたちを尻目に、レイはルヴェル達の方に振り向いて尋ねた。


「……お前が、女神の巫女ヴォルヴァを救いたいってのは、本当か?」

「嘘偽りはないよ。私はそのために活動をしているのだからね。どうだい、レイ・アルマ。私の手を取るかい?私はいつでも、キミを迎え入れるよ」

「……俺は……」


 ゆっくりと、一歩一歩確実に彼はルヴェル達へと進んでいく。それを制止させようとするエイリークたちの声は、彼には聞こえない。そしてそのまま差し出されているルヴェルの手の上に、ゆらり、己の手を重ねた。その手を握りながら、縋るように呟く。


「……俺は、救われたい……もう、独りは、嫌だ……」


 レイの祈りのようなその言葉に頷いたルヴェルは、レイを優しく抱きしめると彼に催眠の魔術をかける。支えを失い崩れ落ちる彼の身体を姫抱きにすると、その場を二人のエインに任せ、消え去るのであった。

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