第六十二節  天秤は傾く

 目の前の光景が信じられない。だって、そこは、あの人が眠っている場所で。


 一度しか会ってないけども、少ししか会話できていないけども。夢の中では何度も自分に柔らかな笑顔を向けてくれていた、自分の育ての親のような存在。そう理解できたのは、巫女として覚醒したあとのことだけど。

 いつか再会したら、沢山伝えたいことがあるのにと、そう思っていたのに。それなのに、どうして。


 そう、わかっていた。わかっていたのだ、頭のどこかでレイは確かに。そんな可能性があるのではと、ヤナギとゾフィーの話を聞いてから。

 それでもどこか否定をしたくて、その考えを頭の奥へと追いやっていた。そんなことはあり得ないと考えて、目を逸らそうとして。

 だからこそ、目の前の絶望感は大きくて。


「どう、して……」


 零れ落ちた言葉が、あまりにも。情けないくらいに小さくて。現実から顔を背けたくても、目が掘り返された地面から離せられない。エイリークたちに呼びかけられている気がするが、レイは答えることができない。

 ようやく我に返ったのは、ラントに肩を掴まれてからだった。縋るように、彼らに視線を向ける。


「どうしたんだよレイ。ここ、知ってる人のなのか?」

「……この、人は……俺の……」


 言葉を紡ごうとして、エイリークとグリムが制止をかけた。自分たちとは別の気配を感じるとか。まさか──。心のどこかで予感しつつ、レイも辺りを警戒する。頭の中の警鐘が、喧しいくらいに鳴り響く。

 やがて一際強い風が吹き抜けて、背後に誰かがいるということに気付く。全員が武器を手にして振り返れば、そこにはあのルヴェルと、彼を挟むように見知らぬ青年ととある女性が立っていた。

 レイはその女性を見て、さらに衝撃を受ける。何故ならその女性とは──。


「……エダ……!?」


 その女性は二年前、イーアルンウィーズの森の南西にあるミミルの泉の潜在意識で出会ったその人。エダ・クーヴェルだった。


 エダに初めて出会って別れる際、彼女のことを忘れてしまうだろうと告げられたレイは、確かに当時その存在を正確には覚えていなかった。

 しかし女神の巫女ヴォルヴァとして覚醒して、過去現在未来の時間軸を視れる能力が開花してから、レイはエダのことを思い出せていたのだ。くわえて最近見る過去の夢の中に出てきた女性が、今思い返せば彼女だった。

 確かに再会できたらいいなと思ってはいた。だけど、こんな再会は望んでない。世界を混沌に陥れようとしている存在として蘇生して、この世に戻ってくるなんて。


 レイの混乱はいざ知らず、目の前のエダはにこりと笑う。

 衝撃はそれだけに止まらず、隣にいたラントに対して見知らぬ青年が笑ってから、彼のことを呼ぶ。


「久し振りだね、

「え……!?」


 その言葉に、レイをはじめとした仲間たちはラントに視線を向ける。彼は恐怖と歓喜と驚愕といった、どれにも当て嵌まらないちぐはぐな感情を一気に押し込めたような表情で、前を見据えていた。

 混乱をよそに、まずルヴェルがレイたちに声をかけてきた。


「やぁ、ご一行さん。ここに来たということは、ルーヴァの伝言はしっかり伝わっていたようだね」

「お前なんかに、レイは渡さないぞ!!」


 エイリークが大剣を構えて、ルヴェルに向かって叫ぶ。グリムやケルスも、各々武器を構えていた。そんな風に威嚇されても、ルヴェルは余裕の態度を崩そうとしない。そこまで自分の力に、自信があるというのだろうか。自分たちを退けられるほどに。

 レイはといえば、形として武器を構えてはいるが混乱のほうが大きく、集中できないでいる。どうして目の前にエダがいるのか。それにラントのことを知っているあの青年は、誰なのか。


「いやいや、だから勘違いはいけないなバルドル族。言っただろう、私は女神の巫女ヴォルヴァを救いたいと。無理やり連れて行くなんて、そんな野蛮な真似はしない」

「敵の言葉なんて信用できるものか!」

「やれやれ、血気盛んだね。信用しないならそれでも構わないが、彼がどう思っているのか、それが聞きたくなったのだよ」


 ルヴェルの視線がレイを射抜く。反論しようとしたが、なぜか口がうまく動かせない。術をかけられたわけではない。言葉に詰まってしまったのだ。

 以前とは違う自分の様子に、エイリークたちが疑問の視線を投げてくる。どうしたのかと、目が口外に物語っていた。


「……キミはもう、理解しているのではないかな?死者の蘇りは、私の独善のみで行われたわけではないと」

「なに、を……」


 ルヴェルは語るように、レイたちに説明を始めた。聞きたくないと反論しようとしても、口が思うように動かない。動かすことができない。


「私はまず女神の巫女ヴォルヴァの魂を救済するため、女神の巫女ヴォルヴァに近しい人物たちを調べた。その中で一つ、分かったことがあってね。それはその人物たちはみな、傷付いた魂を持っていたのだよ」

「傷付いた魂……?」

「悔悟、懺悔、悲嘆。種類は違えど、全員が傷付いていたのさ。その魂の傷を癒すため、実験を繰り返した。そして私は、死者蘇生に成功した」

「なにが、言いたいんだ……!」

「つまりだね、私が言いたいのは──」


 ──死者蘇生した彼らの根底には、女神の巫女ヴォルヴァを救済したいという願いがあるのだよ。


 ルヴェルの言葉に、頭を殴られたかと思った。

 レイは蘇った死者──正確にはルヴェルに仕えるエイン──は、ルヴェルの操り人形として存在しているものだと考えていた。自分の目的のために、自分に近しい人物たちを蘇らせ、使役しているのだと。

 なのに今語られたルヴェルの言葉は、その考えを足元から崩すには十分すぎるほど残酷なものだ。彼の言葉が真実ならば、エインたちは自らの意思で女神の巫女ヴォルヴァを救済しようと、ルヴェルと行動を共にしているというのか。そのために、あんな人間を間引くなんて残虐を行っているというのか。


 すべては、女神の巫女ヴォルヴァのためにと──。


 目の前にいる、エダでさえも。


「そん、な……。そんなの、ウソだ!!」


 ルヴェルの言葉を飲み込まないようにと、大声で否定する。だが動揺は隠しきれず、思わず言葉尻が震える。そんなレイを諌めるように優しく語りかけてきたのは、ルヴェルに仕えるエインとして蘇ったエダだ。


「嘘じゃないのですよ、レイ。私は、貴方のことを救いたくて、ルヴェル様にお仕えしているのです。そのために、二度目の命を戴いたのですから」

「え……エダ……なんでッ……!?」


 構えていた杖が震える。にっこりと、初めて会った時と同じように笑うエダ。その笑顔がエダ本人であるということを、まざまざと知らしめている。

 あの時。ミミルの泉の潜在意識の中で出会った彼女と同じ顔で、同じ声で、自分に語りかけてくる。その光景を前に、レイは絶望の色を見せ始めていた。

 ふとエダが、自分たちのやりとりを警戒しつつ見守っていたエイリークたちに向かって一礼すると、自己紹介を始める。


「そちらの方々は、はじめましてになりますね。私はエダ・クーヴェル。レイの育ての親になります」

「なっ……!?」


 エダから告げられた事実に、エイリークたちにも動揺が走ったようだ。目の前の人物がレイの育ての親であるなんて、と。仲間たちがレイを一瞥する。

 そんななか、ラントがレイの前に立ち塞がった。


「騙されるなレイ!あの人がお前の育ての親かどうか俺には判別つかないが、お前の前にいるのはルヴェルに仕えてるエインだぞ!」

「そん、なの……わかってるけど……!」


 レイは構えていた杖を、エダに向けれないでいる。頭では理解している。ルヴェルの為そうとしていることは、世界を混乱に陥れようとしていることなのだと。自分たちは、それを阻止するために敵対しているのだ。それに、自分の大切な人たちを彼から取り戻すためにも、負けるわけにはいかない。

 とはいえ、心では理解できないでいた。今告げられた事実が本当ならば、自分はどう動くのが正解なのだろうか。救済を拒んで敵対するか、それともそれを受け入れるべきなのか。

 混乱する頭で、それでもどうにか言葉を紡ごうとして、それはエダの隣に控えていた青年に遮られる。


「やだなぁラント兄さん。自分だって仲間たちを騙しているくせに。よくそんな風に僕たちのこと、簡単に吐き捨てられるねぇ?」

「えっ……?」


 青年の言葉が、混乱していた脳内にズシリと響くように反響する。


 騙している?誰が?誰を……?


 ラントの隣に来て、縋るように彼を見る。あの青年は今、なんて言った?

 ラントが、仲間たちを騙している……?


「どういう、ことだよ……?」


 零れ出た言葉が、風に乗って消えていきそうで。青年はにっこりと笑う。


「よぉく聞いてね、女神の巫女ヴォルヴァ。その人……僕の兄であるラント兄さんはね、最初から貴方たちの仲間なんかじゃない──」


 ──その人は、ルヴェル様が遣わしたスパイなんだよ。

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