第六十一節  予感に震える

 翌日。

 あまり気持ちのいい目覚め、とはいかないものの。早朝に目が覚めたレイは一人、縁側に片膝を立てて物思いに耽っていた。無意識にペンダントに手を伸ばし、縋るようにそれを掴んでいる。目の前の庭が水晶体に映るも、今のレイに見えている光景はまったくの別物だった。


 まるで夜の海の中に沈んでいくような、一度落ちたら戻れない程暗く、冷たいどこかに消えてしまうような、そんな風景。周りに誰もいなくて、自分一人だけが取り残されてしまったかのような、深い孤独感。

 近い未来にそうなるかもしれない。漠然とした不安から、身体を縮こませ自分を抱く。


 実を言うとここ数日間、夢見が悪い。ヤクとスグリが消息不明だと知った、あの日から。あの日からレイはよく、昔の夢を見るようになった。ミズガルーズの路地裏に捨てられる前の、過去の出来事の夢。


 世界樹から生まれ落ちた"戦の樹"であるレイには、両親と呼べる人物たちはいなかった。その代わり、一人の女性が母親代わりとして自分を育ててくれたことを、脳のどこかが覚えている。寂しさを埋め合わせるように、暖かな夢をレイに見せた。

 夢の中でその女性は、心からレイを愛してくれていた。どんなことからも、レイを守ってくれていた。亜麻色の長い髪を持つ、潜在意識の中で一度だけ会ったことのある、あの女性。終始柔らかな笑みを絶やさなかったその女性は、それなのに毎回夢の途中で消えてしまうのだ。

 そして夢の終わりは必ずと言っていいほど、寂しいもので終わる。いつもミズガルーズの路地裏に一人で蹲っている場面で、目が覚めるのだ。


 その夢から、お前は孤独なのだと突きつけられているようで、言い知れぬ恐怖を感じている。お前の周りには誰もいない、誰も寄り添うことなんてない。そう言われ続けているようで苦しい。


 エイリークたちは、何かあったら相談してほしいと言ってくれている。心から自分を心配してくれていると、理解できる。本当に心強くて信頼できる仲間たちだ。

 しかし中々、悩みを言い出すことができないでいた。何故ならレイは女神の巫女ヴォルヴァであることは彼らに告白しても、自身が"戦の樹"であるということは、伝えてなかったから。

 自分は本当は普通の人間ではなくて、世界樹から生まれ落ちた人間だ、なんて。"戦の樹"としての生い立ちと運命を伝えてしまえば、エイリークたちを混乱に貶めることは必須。そんなことはしたくないのだ。


 自分さえ我慢すれば、今まで通りの態度のまま彼らが付き合ってくれるのだ。気を遣われるなんてこともなく、普段のように話をして笑いあえる。そんな関係のままでいられるんだ。

 でも──。


「レイ?」


 いつの間に起きていたのか、ラントから声をかけられ顔を上げる。彼はレイの隣に座ると、不安そうな面持ちでこちらを見た。


「お前……本当に大丈夫か?まだ顔色悪いみたいだけど」

「うん……大丈夫、だよ」

「大丈夫には見えない」

「っ……ごめ、ん……」


 もう一度俯く。遠くを見るように庭を見ながら、レイはラントに尋ねた。


「……ラントはさ、もし家族が敵に回ったとして、たとえ洗脳されていたとしても。その人が自分を救いたいって、手を差し伸べてきたらさ。どうする……?」

「なんだそれ。まず洗脳さてれるって時点で、その人の意志じゃないだろ」

「それはまぁ、そうなんだけど。でもさ……わかっていても、家族だよ。もし家族が自分のために、世界の敵にまで回っていたとしたら……」

「そうだなぁ……」


 ラントは一度空を仰ぐように体勢を変えて、逡巡してくれている。やがて、ぽつりと呟くように、彼はレイの問いに答え始めた。


「俺は、例えばその家族のために何かできることがあればって思えば、手を貸してしまうだろうな……。いくら間違っているって分かっていても、大切な家族に他ならないし。何より俺は……家族を亡くしてるから」

「……ごめん……」

「気にすんな。……けど、そうだな。それでもそんな、家族を優先してしまうような自分を、誰かがその間違いから引っ張ってくれるのなら。俺は全力で、家族を止めるために敵対するさ」


 例えばお前とかな、と頭に手を置かれる。子ども扱いをされているように思えて仕方なかったが、ラントに頭に手を置かれることに慣れてしまっていた。そうされると何故か安心して、不安が解けて消えていくようにさえ感じるのだ。


「……そっか」


 レイは笑いかけ、右耳のイヤリングを触る。一言礼を告げて立ち上がった。今しがたまで心の中に溜まっていた不安や恐怖が、朝日に照らされて多少は消滅したようだ。ラントの言葉のお陰だろうか。


「なら、ラントが間違えてる時は俺が引っ張ってやるから」

「……そうか。そん時になったら頼むわ」

「任せろって。親友だからな」

「はは、そうだな」


 ラントと笑いあい、今日も一日が始まる。

 起きて身支度を整えていたレイたちを、ヤナギが呼び止める。なんと彼は、レイたちの分の朝食を用意していると告げた。彼の好意を受け取り、まずは頭を起こすためにと全員で朝食を食べた。

 懐かしいガッセ村の料理に舌鼓を打つ。焼き鮭に炊き立てのご飯、そして見た目の美しい卵焼き。レイはその中でも特に、味噌汁が好きだった。ガッセ村で飲む味噌汁は優しく、じんわりと五臓六腑に染み渡る。


 満腹となった彼らは、今日の予定を決める。レイはそこで、エイリークたちに鎮魂の島グラヘイズムへ向かいたいと告げた。ルーヴァに言われたあの言葉が、どうしても気になるのだ。

 何もなければそれでいい。しかし昨晩の話が正解だと仮定して、レイには気がかりができたのだ。それを確かめるためにも鎮魂の島グラヘイズムの奥にある慰霊碑が安置されている、ヴァルシュラーフェンへ向かいたい。我儘かもしれないと、俯きながら。そんなレイに、エイリークたちは快く返事をしてくれた。


「仲間の頼みだもん、いいに決まってるじゃないか」

「みんな……ありがとな」

「けど、どうやって行く?あの時と違って海路はないだろ?」


 ラントの言葉に、頭を抱える。あの時は海賊団の船で、鎮魂の島グラヘイズムまで向かった。彼女たちが傍にいない今、その手は使えない。どうしたものか。空間転移の術はグリムが使用できるが、大陸間では無理だとのこと。

 首を捻りながら唸っていると、ケルスが一つの提案を出した。


「僕の召喚獣に乗っていく、とかはどうでしょう?」


 彼は、五人なら二体の召喚獣で向かえると告げてきた。ありがたい話だが、それではケルスが負担にならないか、と危惧する。別の方法がいいのではないかと提案するも、ケルスは苦にならないから大丈夫だと言葉を返してきた。

 他に方法もないのなら、自分を頼ってほしいと告げる彼の笑顔を、無碍にすることはできないと感じてしまった。申し訳なさから謝罪するも、お礼のほうが嬉しいと返される。


「じゃあ……ありがとな、ケルス」

「はい。どういたしまして、です!」


 案も決まったということで、善は急げと彼らは準備をした。まずは昨晩から今朝まで世話になったヤナギに、礼を伝えに広間まで訪れる。彼は広間の片付けを終わらせたところであった。


「ヤナギさん、お世話になりました」

「なに、当然のことをしたまでよ。もう行くのか?」

「はい。一刻も早く、師匠たちを助けるために行きます」

「そうか……。どうか、若様たちを頼む」

「はい、必ず」


 一礼して、レイたちはヤナギの屋敷を後にする。ガッセ村から少し離れた位置でケルスが召喚術を使用し、二体の召喚獣──フレスベルグとスレイプニール──を召喚する。大鷲にはレイとラント、エイリークが乗り、空を駆ける馬にはグリムとケルスが乗ることに。今日が晴天でよかったと内心、安堵の息を漏らす。

 準備が整ったレイたちは、鎮魂の島グラヘイズムへと向かうのであった。


 ******


 その後は順調に鎮魂の島グラヘイズムへ到着した。レイたちは島の奥にある、慰霊碑の安置する場所ヴァルシュラーフェンまで急ぐ。島に吹く風が、どこかざわついている気がした。頬を撫でる風が、ちくちくとした小さな痛みを伝えてくる。

 何故、この島に降り立ってから妙な胸騒ぎを覚えているのだろう。大丈夫、なんともないはずだ。ルーヴァのあの言葉は、ただのハッタリ。


 己に言い聞かせながら足早にたどり着いた、その場所。一見すると今もなお静かに安置されている、歴代の女神の巫女ヴォルヴァの慰霊碑。ただしその中の一つだけ、地面が割れて掘り返されている場所があった。


「あ……」


 その様子を見たレイの顔から、一気に血の気が引いた。ヴァルシュラーフェンに安置されている慰霊碑にはそれぞれ、そこに眠っている人物の名が彫られてある。地面が掘り返された場所に安置されている慰霊碑も、また然り。

 そこに彫られていた名前に、レイは覚えがあった。一度だけ、会ったことのある人物の名前だ。その者の名は、エダ・クーヴェル。

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