第五十節 事件は不穏を残す
「おのれ……」
ユグドラシル教団本部地下牢で、男は一人毒づく。ユグドラシル教団の崩壊を目論み、その計画を阻止された人物──レーヌング枢機卿ことアディゲン。彼の計画を阻止したのは、ユグドラシル教団が探し求めていた存在である女神の
本来ならとっくに女神の
それがどうしたことか。毎度刺客を送り込むも悉く失敗に終わり、手をこまねいている間に当の女神の
最終手段と教皇ウーフォの殺害を企てるも、あえなく失敗。そして最終的には、彼自身の融合の力を使いすぎた反動や反撃に遭い、その身を拘束された。
アディゲンへの判決はまだ言い渡されていない。判決の意見が分かれているようだと、地下牢の見張り番の騎士たちの噂を耳にしていた。まだ機会はあると知るや否や、アディゲンは諦めの感情を捨てた。
必ずや自らが教団の頂点に君臨し、内側から教団を、女神崇拝の風習を崩壊させ世界を導くと希望する。幸いあの戦いの折に、彼は若い肉体を得た。力を取り戻しさえすれば、まだいくらでも手はあるのだと──。
「ほう、それはこちらとしても聞き捨てなりませんな」
アディゲンは、突如背後から聞こえた声に驚く。この地下牢に、隠し通路なんてものはない。間違っても、己が入れられている地下牢の内側に入ることなど不可能だ。
門番の騎士は何をしていると前を見てみれば、とうの前に殺されていたのか。微塵も動かない騎士たちが、地面に伏していた。恐る恐る振り返れば、まるで殺気を感じない、穏やかさを身に纏っているかのような中年の男が座していた。
「お初にお目にかかりますな、アディゲンとやら。私はある方に仕える身。この度は主の命により、参上した次第にございます」
「なん、だと……?」
「いやはや、それにしても聞いていたよりも大分お若くいらっしゃる。自身の融合の力で若人と混ざり合ったのか、なんとも中身が汚くおいでだ」
呵々、と楽しそうに笑う男。そんな男にアディゲンは、その男に恐怖していた。
男はまるで穏やかな人物であるのにもかかわらず、隙という隙が全く存在していないのだ。
そのうえ彼は、アディゲンが融合の力を使って、自らを若返りさせたことを一瞬で見抜いた。彼の主という人物が皆目見当がつかないが、己を知っている人物であることは明らかだろう。
「老害には大人しく眠っていただきたい、と。我が主からの言伝です」
「な、なんだと貴様……!」
「おや、武者震いですかな。それとも、恐怖からですかな?」
「黙れッ!私を愚弄するでないわ……!!」
アディゲンが吠える。そんな自分を前にしても、男は柳に風といった様子で気にも留めずに話を進めていく。
「おや、これは怖い。弱い獣ほどよく吠えるとは、よい言葉もありますな」
男はゆっくりとした所作で立ち上がると、腰に下げていた武器に手をかける。その直後、アディゲンは恐怖で声すら出せなくなった。
武器に手をかけた瞬間から、目の前の男から研ぎ澄まされた殺気が溢れ出たのだ。それまで纏っていた穏やかさという名のヴェールが、あっという間に弾け飛んでしまったかのよう。
「生きている間は、暗殺などしたことがなかったが。しかし安心召されよ、我が一太刀は悉くを切り捨てる神風なれば。では、御免」
男は低く構えてから、己の武器でアディゲンの首を一閃する。一瞬の早業であり、男が武器を納刀するとアディゲンの頭部がゴトリと落ちた。
「ん?暗殺の前に物申しては、暗殺の意味がなくなってしまうな」
後には静寂だけが包まれていた。
******
エイリークたちはその日、ユグドラシル教団本部の応接室に呼ばれていた。
レイを伝って、教皇ウーフォから直接知らせたいことがあると、聞かされたのだ。アディゲンへの処罰が決まったのだろうか。そう考えながら入った応接室。
中にはすでに教皇ウーフォとレイがいたが、二人とも重い表情をしていた。ただ事ではないと、感じることができる。ひとまず座るように促され、各々は席に着く。しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのは教皇ウーフォだ。
「……其方たちには、伝えねばならんと思ってな」
「あの、何があったんですか……?」
エイリークの質問に、やや時間を要してからレイが答えた。
「……アディゲンが、殺された」
彼の答えに、エイリークたちに衝撃が走る。レイが言うには、こうだった。
ユグドラシル教団本部の地下牢にて拘束していたアディゲンが、何者かによって殺害されていたところを、巡回で来た門番の騎士が発見したらしい。アディゲンの他にもその日、門番をしていた騎士の二人も死体となって、発見されたのだという。
地下牢に隠し通路の類は一切なく、また抜け穴などもない。地下牢の鍵に破砕された後はなく、地面にも掘られたような形跡はなかったそうだ。それなのに朝の巡回に来てみれば、門番の騎士は心臓を一突きされて即死。アディゲンはその首がすっぱりと切り落とされた無残な状態で、発見されたのだと。
報告を受けた教皇ウーフォは、レイにその未来が視えていたか尋ねたとのこと。しかしレイの女神の
教皇ウーフォが悔しげに呟く。
「アディゲンには、まだ聞かねばならんことがあった」
「……もしかして、グレイプニルの件ですか?」
「左様。あれの入手経路などが、まるで不透明なままだったのだ。それを聞き出そうとしていたのに、殺されてしまうとは」
「まだユグドラシル教団内部に造反者がいて、意見の対立で仲間割れしたとか?」
ラントの意見に、レイが反論する。そう考えるのは難しい、と。
事件の後、教団は再び一から教団員全員と教団騎士たち全員の身辺調査や、聞き取りを行ったというのだ。その中でヴァナルに属していた人物は、幸いなことに一人たりともいなかったらしい。
さらに、地下牢のアディゲンに面会に赴いたのは教皇ウーフォと、レイがほとんどだったという。その他の人物が訪ねる場合は、教皇の許可書を必要としたらしい。そんな面倒をかけて、アディゲンに会いに行こうとする人物は、いなかったのである。
なぜレイがと疑問に思ったが、教皇ウーフォは教団内にだけは、レイが女神の
「レイは、それでいいの?」
「うん。どうせ、いつかは言わなきゃならなかったんだし、納得してるさ」
「そう?」
「ああ。だから気にすんなって」
「……うん、わかった」
まだ話は終わらない、と告げられる。なんだろうかと身構えていると、教皇ウーフォが懐から一通の書状を取り出す。封をしていた蝋に刻まれていたのは、大国ミズガルーズの紋章だった。シグ国王直筆のサインが記された書状。
「今朝方これが届いたのだ。内容を確認してみるがよい」
教皇ウーフォから渡された封筒を開けて、中身の書状を確認してみる。そこにはシグ国王の文字で、グレイプニルについての情報が掴めたから、一度国に訪ねてきてほしいと記されてあった。
喜ばしいことのはずなのに、教皇ウーフォはもちろんのこと、レイの表情は暗く、重いものだ。不思議に思い尋ねてみれば、二枚目の書状を見てほしいと説明された。
いったい何が書かれてあるのだろう。そこまで深く考えずに見てみれば、目を疑うような文字がそこに並んでいた。
『我が軍のヤク・ノーチェ魔術長ならびにスグリ・ベンダバル騎士団長の消息不明。ついては至急、救援を求む』
その文字は、エイリークたちに衝撃を与えるには十分すぎる内容であった。
第二話 END
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