第四十八節  愁いを胸に抱きながら

「……俺は、貴方のように巫女ヴォルヴァであるがために人生を狂わされ、苦しんだ人たちを知っている」


 脳裏に思い返すのは二年前の出来事。二人の女神の巫女ヴォルヴァたちの哀しい悲劇。自らの運命に翻弄され、苦しみ、それでも生き続けている人物たちのことを、レイは思い出す。


「貴方のように絶望して、多くの人を殺したその人は。今は贖罪をしながら、前を向いて生きている。運命を知っていても、一人でない限り人は変われる。俺はそう信じてる」


 確かな足取りで、ゆっくり歩く。アディゲンはそんな彼に反撃しようと、マナを集束させている。


「予言を賜り縋るしかない人達……。確かに貴方の言う通り、そんな人が多くいます。何かに縋って生きるしかない人達。でも縋るという行為自体に、善悪なんてありません」

「何をわかったようなことを……!」

「ただ、予言はその人のすべてを決めるものじゃない。あくまで可能性の一つであって、どう決めるもどう生きるかも、その人次第で大きく意味合いも変わります。俺はその可能性を支えるために、女神の巫女ヴォルヴァであることを受け入れた」


 だからこそ、とレイは言葉を続ける。エイリークたちは何も言わず、ただ自分を見守ってくれている。


「予言は一つの可能性でしかない。でもたとえどんなに小さくてもどんなに弱くても、一人一人が確かに持っている光だ。そのかけがえのないの可能性を貴方は、蹂躙することで消滅させようとしている。そんなこと俺は認めることは出来ないし、実現させるわけにもいかない」

「世界がこのまま堕落しても良いと!?」

「そうじゃない。俺は可能性を見失った人に誰かが手を差し伸べられる、そんな世界にしたいだけだ。俺はその礎になれるのなら、どんなことからも逃げない。余迷いごとだと罵られても、なんて言われようとも、俺はこの信念を曲げない」

「馬鹿げたことを。人が人を導くなぞ、ただの傲慢だ!救済こそが世界の心理、人間が焦がれる切望だ!救われたくない命がこの世の何処に存在するか!?」

「俺から言わせれば、人の意志なんて関係なしに救済を施そうとする貴方こそが傲慢に見える。……お前の救済は人のための救済なんかじゃない。自分の理想世界をヒトに押し付けるだけの、ただの拷問だ」


 ヒトと世界に絶望したから救済を目的とするアディゲン。そのために彼が犠牲としたアインザームのような子供にまで、それを押し付けるような行為をレイは決して認めない。認めるわけにはいかない、と杖を構える。


 レイの言葉に業を煮やしたのか、アディゲンが術を放つ。それに対してレイは静かに、呟くように古代文字を唱える。


「"エオロー"」


 防御を意味する古代文字。呟くと古代文字の帯と光の膜が浮かび、レイを守るように展開される。アディゲンの直撃を受けてもそれは揺らぐことはなく、水面のような膜はただ静かに、砲撃をはじき返した。

 その光景に忌々しく舌打ちをしたアディゲンに、追撃の一手が加えられる。


「でやぁ!!」


 雷を大剣に纏わせたエイリークと、闇のマナで編み出した刃を振るうグリム。それを避けようとしたアディゲンだが、スレイプニールに乗馬して空から矢を射ったラントに気付けなかったようで、両足に彼の矢が突き刺さる。地面に縫い付けられたアディゲンは、己に残っている融合の力を発動するも。


「"ハガラズ"!」


 破壊をもたらす大きな変化、という意味も含まれている古代文字を唱えたレイの言霊によって、その力そのものが発動不可能となってしまう。回避も許されなかったアディゲンは、二種類の刃をその身に受ける。

 膝をつき、血に塗れながらもその瞳は執念深くレイを射抜く。そんな彼にゆっくり近付くレイ。


「……貴方はもう、巫女ヴォルヴァではない。魂が肥えた貴方にはもう、正確な未来を見通せる力なんてない。古代文字も使えないんじゃないですか?」

「っ……」

「レイ?それってどういう……」


 エイリークが隣にきて尋ねる。

 巫女ヴォルヴァの力は、その魂が穢れのない人物に宿る力である。鍛錬を積むことで力は増していくが、人としての欲望のために使用した場合は、その力は減少していく。欲望の形は様々だが主に人間の悪性が含まれる欲望が目的の場合、力の減少が顕著に表れる。


 例えば、虐殺。例えば、他者への蹂躙。例えば、力の悪用。


 悪徳を積んでいくことで魂に脂肪がつき、削ぐことのできない原罪となって刻まれる。そうなっては、世界を導く手伝いをする役割の巫女ヴォルヴァの力は消滅する。一度失った力は、たとえどんなに贖罪しようとも復活することはない。

 レイはそう説明する。目の前のアディゲンが口を噤んでいる様子を窺うと、どうやら図星らしい。


「……皮肉なものです。世界を救える力を持っていながら、私利私欲のために力を使ったがためにそれを失うなんて。貴方は世界から見放されてることに気付きながらも、そこに住む人々を救済しようと貴方なりに尽力していたのに」

「憐みのつもりか、女神の巫女ヴォルヴァ!?」

「予言を享受するしかない人間、と言いましたねレーヌング枢機卿。確かに誰もが強いヒトじゃない。弱くて脆いヒトもいる。それでも、巫女ヴォルヴァであるのなら。彼らを見下すんじゃなくて寄り添うべきだったんです」


 自分だって決して強くはない、と付け加えてから。


「貴方は絶望して自分が世界を変えるなんて言ったけど。世界は一人の力によって変わるんじゃなくて、人と人が手を取り合って初めて変わっていくんです」

「レイ……」

「俺が理想とするのはそんな世界。そのために、世界樹を守るユグドラシル教団を破壊させるわけにはいかないんです。運命の女神たちや、先代までの女神の巫女ヴォルヴァたちが守ろうとしたものが多く残る、この教団や世界を」


 だから、と杖を掲げて古代文字を紡ぐ。氷を意味する古代文字イサと、束縛を意味する古代文字ナウシズで氷の枷を生み出し、膝をついているアディゲンの手首をそれで拘束した。憎々しく、アディゲンが唸るように問いかける。


「何故殺さん……!どこまで私を愚弄する気だ!?」

「俺には貴方を裁く権利なんてない。できるのはこうして、教皇に降りかかる火の粉を払いのけることだけです」

「……後悔するぞ……生きている限り、私は何度でも貴様を殺しに襲い掛かる。そして教皇も殺す!私の理想世界のために……!」

「……たとえ何度来ても、俺はお前の野望を必ず打ち砕いてみせる」


 それだけ宣言すると、レイは教皇ウーフォに振り向いて一つ頷く。彼も応えるかのように頷くと、近くにいた近衛兵に指示を出す。指示を出された近衛兵は拘束されたアディゲンを連れ、教皇の間を後にした。残されたレイたちは、まず教皇ウーフォに向かって一礼する。


「よく無事に戻った、アルマ教団魔法騎士」

「いえ。御身がご無事でよかったです、教皇ウーフォ。でも何故、お逃げにならなかったのですか?殺されてたかもしれないのに」

「教皇として、己が過ちを見定めなければならんと思ったのだ。教団内から反乱者を生み出してしまった、私の責任をな」

「教皇様……」


 破壊し尽くされた教皇の間を見てから、教皇ウーフォは一度天を仰ぐ。


「運命の女神から予言を賜り伝えることで、我々は人々を弱者に貶めてしまったのか。予言による信仰で導けると思考えた思考は、間違いだったのだろうか」

「……弱い人たちからしたら、予言は道標です。そこに縋りつくのは、決して間違いじゃないけれど。予言と向き合いどう接していくか、どう寄り添っていくか。それを自分自身で考えられるように導くのが、ユグドラシル教団騎士のこれからの在り方なんじゃないかなって思います。救うだけじゃ、駄目なんだって」


 そう告げて小さく笑うレイ。その笑みを見た教皇ウーフォは一つ、納得するかのように頷いた。そしてレイのそばに来ていたエイリークたちに向かって、礼の言葉を述べる。


「其方たちのお陰で、教団崩壊の脅威は去った。感謝する」

「いえそんな!俺たちはその……レイの、仲間のお願いを聞いただけですから」


 何事もなかったかのように笑うエイリークたちに、レイも笑って言葉を返す。


「ありがとなみんな。我儘聞いてくれて」

「当然だよ!レイは仲間なんだから」

「はは、そうだな」


 つられて笑顔になるレイ。彼らを祝福するかのように、教皇の間に一筋の光が差し込んでくる。ユグドラシル教団を襲ったヴァナルの襲撃は、その後収束するのであった。

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