第四十七節  巫女たるもの

 バーコンや巨人は倒され、ヘルツィも出血多量で息も絶え絶え。レーヌング枢機卿の部下たちは、全員レイたちによって倒された。最後の一人である彼を、レイたちは前後から包囲する。逃げ場をなくし、投降させるために。

 しかし四方八方を塞がれているというのに、レーヌング枢機卿はどこか冷静だ。諦めた、わけではないようだ。瞳に映る光が、狂気を孕んでいる。まだ何か手があるというのか。レイは警戒を強める。


 対してレーヌング枢機卿は、まるで風景や絵画を眺めるように優雅にじっくりと、周囲を見回してから話し始める。


「やれやれ、やはり出来損ないの集団では劣るか」

「大人しく投降してください。貴方は、罪を償わなければならない」

「罪、か。それを言うなら女神の巫女ヴォルヴァ、貴様とて私も同罪だろう。そこの巨人は元は、ここの教団騎士たち。彼らを殺したのは他ならぬ、貴様であろう?」

「分かってます。俺は同胞を殺した。いつかは裁かれるべき立場です。でも俺は貴方とは違う。自分の欲のためだけに他者を蹂躙し、戦いに巻き込んで、殺すようなお前とは!」


 レイは杖を構えて叫ぶ。すべての巫女ヴォルヴァたちの頂点に立つ女神の巫女ヴォルヴァとして、そしてユグドラシル教団騎士の一員として。

 ヴァナルとの戦いに終止符を打つために。教団が目指す世界平和のために。この戦いの戦犯である、レーヌング枢機卿ことヴァナルのアディゲンを、必ずこの場で食い止める。

 そう啖呵を切って睨みつけると、レーヌング枢機卿はレイを嘲罵して肩を竦めた。


「はは、まるで英雄気取りだな。世界のことをまるで分かっていない子供の絵空事を、こうも堂々と吐けるとは。あまりにも滑稽だ。いっそ哀しくて笑えてきたぞ、女神の巫女ヴォルヴァ

「どうぞ、なんとでも。ですが、よく考えてみてください。貴方の部下たちは倒されて、残るは貴方一人。対してこっちはまだ、十分に戦力が残っています。勝てるなんて思わないでください」


 その言葉に、周囲を一瞥したレーヌング枢機卿は一つ頷いてから、自身の足元で膝をつき苦しげに息をするヘルツィに、視線を落とす。にっこりと笑ってから、彼の身体を背中から貫く。突然の出来事に目を疑うレイたち。

 ヘルツィも予想外だったらしく、衝撃に吐血しながら恨めしい声を絞り出す。


「なっ……に……ッ!?」

「確かにでは、五人を一度に相手することは難しいだろう。だがちょうどいいことに、ここにはまだ生きた若い肉体がある」

「きさ、ま……!!」

「なに。死に体だった貴様の身体を、私が使ってやるのだ。感謝こそすれ、憎まれる覚えはないがな?」


 二人の会話の内容から、レーヌング枢機卿が何をしようとしているのか理解する。レイはいち早く気付き、エイリークたちにレーヌング枢機卿を止めるように声を張り上げた。


「止めさせて!!」


 そんなレイの焦りなぞ、つゆ知らず。嘲笑しながらその笑みを深くしたレーヌング枢機卿が、まるで詠唱を唱えるかのようにヘルツィに愚痴を零す。


「元々ならず者だった貴様らを拾い上げ、力を与えたというのに、この体たらくとは。本当に貴様らには失望するしかなかったが、最後の最後にこうして役立つこと、光栄に思うがいい」


 貫かれたヘルツィの胸元から、怪しげな光がこぼれ落ちていく。溢れる暗い光と共に、苦悶の声を上げるヘルツィ。光は徐々に大きさを増して、やがてヘルツィとレーヌング枢機卿を丸ごと呑み込んでいく。


「アディゲン──ッ!!」


 光に全身が包まれる直前に最後に聞こえたのは、恨み怒り諸々の負の感情をまとめてぶつける、ヘルツィの声だった。

 レイたちが阻止しようと攻撃を放つも、時すでに遅し。暗い光は自分たちの攻撃を、四方八方に跳ね返す。やがてそれは、突如として衝撃波となって拡散する形で搔き消えた。吹いてきた突風に、思わず目を閉じる。


 風が収まり、なにが起きたのかと確認するも目の前にレーヌング枢機卿の姿はなく。彼が何処に消えたと探そうとして、背後に殺気の塊が蠢いたことに気付く。

 振り向いた瞬間に景色は一変し、認識できたのは己が教皇の間を見下ろしていたこと。つまり、上空に吹き飛ばされていたのだ。遅れて身体に衝撃を受ける。腹の辺りを強く押し潰されそうな感覚に、息が止まるかと思った。


「レイ!!」


 自分を呼ぶ仲間の声が聞こえる。

 今しがた感知できた殺気の塊が、自分よりも上空へ跳躍してくる。それが振り上げていた腕の先には、集束された強力なマナの塊。


 回避は不可能。

 攻撃の反射も無理だ。


 防御膜を張って受け切るしかない。マナを集中させる。


"月明かりからの恩恵"モーントゲファレン!」


 薄いヴェールのような膜が、レイを包む。直撃した相手からの砲撃は、その薄い羽衣を突き破るかのように、無遠慮に放たれている。衝突の威力は思った以上。

 レイが張った防御膜ごと砲撃に飲み込まれ、勢いそのまま地面へと叩きつけられる。


 内臓が潰れてしまうかのような衝撃。一瞬息の仕方を忘れてしまった身体。呼吸する暇もなく、何かに喉元を掴まれる。見上げるとそこには若い男性の姿。面影があるその人物がレーヌング枢機卿だとわかるまでに、少し時間を要した。

 彼は、己と若い肉体のヘルツィを融合させたのだろう。年老いていた時からは想像もつかないほどの強い力で、首を圧迫される。息が出来ない。


「っ、は……!」

「だが姿ならば、貴様に引けを取ることはない」

「アディ、ゲン……ッ……!」

「全く、本当に脆く儚いものよな。こうして力を籠めるだけで、女神の巫女ヴォルヴァですら屈服させられる。どうしてそのことに、もっと早く気付かなかったのか。いつまでも教皇の座を待っていた自分自身が、情けなく感じるわ」


 首を圧迫する力が強くなる。見上げた先にあるレーヌング枢機卿──アディゲンの瞳は、感じたことのない絶望の色で染まっていた。その瞳に目が奪われる。


「今の教団内には、生温い奴らが増え過ぎた。予言を賜れば救われると考える弱者、予言にしがみつくことでしか生を謳歌できない、修道者たち。そして、たかだが十何年しか生きていない女神の巫女ヴォルヴァ!」

「く、ぁ……ッ……!」

「何故、そんな奴らに世界を預けることが出来ようか!世界を救済することが出来ようか!」

「だから、俺も教皇も、殺してッ……!?」

「そうだ、私が救済の道を示す。生きとし生けるもの、全てを私が制することで生まれる世界。女神崇拝を排除した、強者のみが生き残れる世界に変えて!」


 アディゲンの背後に、武器を構えたエイリークやグリムが見える。レイからアディゲンを引き剥がそうと、彼らは攻撃を仕掛けた。

 しかしその攻撃たちを、アディゲンは振り向くこともせずに迎え撃つ。遠距離から放ったラントの矢も、空を駆けて突撃したスレイプニールも、アディゲンは片手を上げるだけで、一つ詠唱することで全てを弾く。


「人間は堕落している。適度なぬるま湯に浸かるだけで、何もなしえようとしない在り方である全ての原因は、運命の女神といった予言を齎す存在に他ならない」

「そんな、こ、と……!」

「そして、その予言を人々に伝える女神の巫女ヴォルヴァなんて存在がいるから、人々はそれを享受するだけの弱者に成り下がったのだ!」

「か、ぁ……ッ……」

「貴様は世界を導く存在などではない。世界を破滅たらしめる戦争を引き起こす、鍵でしかない!貴様ら女神の巫女ヴォルヴァの予言は何を齎した?世界戦争も貧困も差別も、全てが予言予言と!そうであること以外は全て悪だと!これの何処が導きだ?これの何処が崇拝の根源か!?」


 首を絞める力は強く、意識が飛びかけそうになる。


「未来が視えるとは、こと厄介な能力よな女神の巫女ヴォルヴァ。だが、今後は貴様に変わり、私が世界を救済へ導く。せいぜい夢を抱いたまま死に果てよ」


 これ以上は限界だ。そう思った直後。目の前のアディゲンが、何かに真横から吹っ飛ばされる光景が、目に入った。

 突然取り戻せた酸素と呼吸にむせ返り、ズキリと痛んだ頭を振るう。何が起きたのか。視線を横に向ける。そこには、大剣を振るった後のエイリークの姿があった。


「大層な御託並べるのも、いい加減にしろよ。結局は自分が世界に君臨したいって欲望のためだけに、こんな悪逆を繰り返しているだけじゃないか。そんな人に、レイを殺させたりなんかしない!」

「なにを、この異種族が……!」


 アディゲンには目もくれず、エイリークはレイの隣まで来ると手を差し出す。その手を握り、ゆっくりと立ち上がる。


「大丈夫?」

「あ、ありがと……けほっ……」


 眼前のアディゲンに視線を送る。呼吸を整えてから、レイはある話を、ゆっくりと語りだした。

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