第四十二節  敵の正体

 エイリークたちは、レイの話を聞いて唖然とすることしかできなかった。

 話の内容の規模が大きすぎるのもそうだが、まさかレイが、自身で選んで記憶を封印していただなんて。そんな芸当はありえないと一笑したくても、彼の女神の巫女ヴォルヴァの力だとするのなら、納得せざるを得ない。


「記憶の封印なんて……。反対、されなかったの?」

「そりゃ、大反対されたよ。師匠からは特に」


 記憶とは、その人物を構成する大事な欠片。それを封印するということは、不安定な存在となる、認められるわけがない。そう反対されたと苦笑するレイ。でも根気の説得でどうにか納得させることができた、とのことだった。

 そんな風に笑うことなんて、普通ならできないはずなのに。どう声をかけていいかわからなかったが、徐にグリムが口を開いた。


「あの教皇、やはり貴様が女神の巫女ヴォルヴァだと知っていたのか」

「え、グリム気付いてたの!?」

「確証はなかった。しかしあの応接室での対応を見て、違和感は覚えた」


 彼女いわく、教皇はレイのことを「貴公」と呼び、彼の上の地位の控えの騎士のことを「其方」と呼んでいた。一兵卒を呼ぶには不愛想な呼称だ。何故下っ端であるレイのことを、自分と同等の地位であるかのように呼ぶのか。グリムはそこに、違和感を覚えていたらしい。

 彼女の言葉に、レイはやっぱりと苦笑する。


「さすが。……でも教皇様も、俺のことをそんな風に呼ばなくても良かったのに」

「あやつの思考は知らん。一種の決め事なのだろう、自分自身のな」

「そう、なのかもな」

「それにヤクさんもスグリさんも、本当はレイさんの記憶喪失だって、知っておられたんですね……」

「ごめん、俺の記憶のことについては他言無用ってことだったから……」


 レイが記憶喪失だということも知っていたうえで、知らぬ存ぜぬを通していたと。文通している間に送られてきた手紙にも、その類のことは一切触れていなかった。突然手紙が途絶えたときは、何かあったのではと心配していたが、そういう事情なら自分に伝えなかったことも、致し方ない。

 エイリークは話題を変えようと、まだ謎のままの疑問について尋ねた。


「そういえば、そのワタリガラスって……」

「みんなも会ったことのある、あのモワルとパンセだよ。俺は自分の女神の巫女ヴォルヴァとしての記憶と知識を、出来るだけ敵に察知されないような形で封印したかったんだ」

「その二羽は、今どこに……?」

「……俺の中。元々その二羽は、俺の記憶と知識だから」


 レイは己の胸に手を当て目を伏せる。不思議なワタリガラスだとは思っていた。だがまさか、その二羽が自分たちが探していたレイの記憶や力の正体だったなんて。そのうえ、そんな近い場所にいるなんて思わなかった。


 ──オレたちはアルマが必要な時には出ない

 ──ボクたちはアルマが不必要な時に出るの


 彼らのあの言葉は、思い返せば何も間違っちゃいなかった。レイが必要だと思った時には、その二羽は彼の中に還っているのだから、既にいないことになる。記憶を失っていた時だったから、ああして表に出ていられたのか。


「今の話だと、記憶が戻ったのは敵の大将が分かったからってこと、なんだよな?」

「ああ。全部繋がった。敵の総大将は、俺以外だとエイリークが出会ってるよ」

「え?」

「レーヌング枢機卿。あの人がヴァナルの創始者、アディゲンを名乗っている人物だ」


 エイリークは、レイの口から出た人物の顔を思い出す。ユグドラシル教団騎士本部で話しかけてきた、あの厳格そうな人物だ。確かに少し怖い雰囲気は感じていたが、それは地位や立場が上であるからだと思っていた。まさか敵の総大将だなんて。


「その理由は?」


 グリムが問いただす。レイは一つ頷くと、話し始めた。


 それは記憶をなくした状態でレイがユグドラシル教団騎士に入団し、まだ己の同期が生きていた頃の話だった。彼の同期が、レーヌング枢機卿の黒い噂を聞いたとレイに話してくれたらしい。


 そもそもレーヌング枢機卿は現在のユグドラシル教団の方針には、反対意見を持つ人物だったようだ。お告げを聞き導くなんて生ぬるい方針で、世界を導けるわけがないと愚痴を零していたのを、たまたまその同期は聞いてしまったらしい。

 しかもその噂に尾ひれがついたのか、彼は強力な巫女ヴォルヴァではあるが、度々その力を悪用しているみたいだ、とも。未来を先読む力で、未来が見えた人物のその内容によってお告げの内容を変えているとか、なんとか。

 さらに言えば、レーヌング枢機卿は、次期教皇の座を狙っている人物だというのだ。ユグドラシル教団の教皇継承は世襲制ではなく、枢機卿団の中からの推薦と投票で決まる、とのこと。万が一彼が教皇になってしまった場合、教団の内部崩壊からの世界崩壊が始まってしまうのだそうだ。


「でも、それだけじゃあの人が黒幕だなんて、言い切れないよね?」

「まぁこれだけを聞けばな。でも……以前に教団騎士内での模擬戦で、一度だけレーヌング枢機卿が相手をしたことがあって。その時に使っていた力の性質のことを、俺は思い出したんだ」

「力の性質?」

「複数の物質から錬成する、融合召喚の性質。さっきアディゲンがやってのけたことと、全く同じだったんだ」


 全員の息を呑む音が聞こえる。

 あのような特異的な力は、そうそう持てるものではない。その力が、彼を枢機卿という立場にまで持ち上げのだろう。レイはさらに続けた。


「基本的に枢機卿団は教皇の部下たちで、彼らは未来の教皇候補たちではあるんだけど……。女神の巫女ヴォルヴァが存在する場合は、次期教皇権は自動的にその女神の巫女ヴォルヴァに譲渡されるんだ」


 もちろん、ユグドラシル教団内に覚醒した女神の巫女ヴォルヴァがいない限りは、そういうことにはならないとレイは語る。とはいえ世界中を探し、女神の巫女ヴォルヴァを見つけ出すことが教団の理念にある限り、その方式はそのまま生き続けるのだと。

 だからレーヌング枢機卿ことアディゲンは、レイが女神の巫女ヴォルヴァだと知って、ヴァナルの部下をけしかけたのか。理由は恐らく、記憶のないままの女神の巫女ヴォルヴァを、ヴァナルとの戦闘で殉職したと偽装するため。現教皇ウーフォに、今代の女神の巫女ヴォルヴァは欠けたのだと、見せしめにするため。


 だが疑問が生じる。何故アディゲンは、レイを女神の巫女ヴォルヴァだと知っていたのか。

 レイの話では、その事実を知っているのは女神の巫女ヴォルヴァである彼自身と、残りの女神の巫女ヴォルヴァであるヤク、スグリ。その事実を直接本人たちから聞いたシグ国王と教皇ウーフォの五人だけのはず。

 エイリークたちはレイたちのことを言いふらしてはいないし、だとするとどこから情報が漏れたのか。


「可能性なら、一つだけあるかもしれない」


 レイが一つの案を出す。

 レイたちが教皇ウーフォに報告に、ユグドラシル教団本部まで赴いたとき。あの教皇の間の何処かから、盗み聞きをしていたのでないか。レイは先の戦いの中でアディゲン相対し、問答したときのことを話してくれた。

 アディゲンはレイが女神の巫女ヴォルヴァであることを聞いた、と言っていた、とのことだ。今ならその言葉の意味が理解できると、レイは話す。アディゲンは誰から聞いたわけでもなく、何処で聞いたでもなく、自分で盗み聞きをして聞いたからだ、という意味だっただと。


「加えて言えば、世界地図を制作しているのはユグドラシル教団なんだけど、その制作者はレーヌング枢機卿なんだ」

「ということは……」

「そう。あの人なら、この島のことを知っていてその事実を隠蔽してもおかしくはないし、多分この島を監視していたんだと思う。ユグドラシル教団からね」


 教団の上層階からは、この島は丸見えだから、とレイは付け加える。


「きっと、レーヌング枢機卿は焦っているんだと思う。じゃなきゃ直接この島まで来て、俺を殺そうなんてしない。彼にとって俺たちがこの島に辿り着くこと自体が、イレギュラーだったはずだ」

「どうして焦る必要があるんだ?」

「もうじき、次期教皇を決める選挙がある。それまでに女神の巫女ヴォルヴァが見つかれば、その選挙自体がなくなるんだ」

「そうか。もしそれまでに女神の巫女ヴォルヴァが見つかれば、レーヌング枢機卿は次期教皇には選ばれず、目的であるユグドラシル教団の崩壊も達成できない」

「そういうこと」

「……だとするならば、急がねばならんな」


 グリムの言葉にエイリークは何故と問いかけた。その問いには、レイが答えた。


「多分、レーヌング枢機卿は教皇ウーフォの暗殺を試みると思う。時間は限られているのに女神の巫女ヴォルヴァである俺を殺しきれず、おめおめと離脱したってことは彼には手が殆ど残されていない。あの人は、さっきの時点で俺を殺しておくべきだったんだ。それが失敗したってことは……」

「自棄になっていても、おかしくなはいってか?」


 ラントの疑問に頷くレイ。そして彼は、それまで黙って話を聞いていたアルヴィルダに依頼をした。ユグドラシル教団本部のあるヒミンまで運んでくれないかと。


「それが、アンタの選ぶ道なんだね?」

「はい……!」


 彼の力強い返事に何を感じたのか、ニヤリと笑うと彼女はその場に同席していたアルヴに準備するよう、声をかける。彼も彼女の意を汲んだのか、全員に知らせるというとアルヴィルダと共に船長室を後にしたのだった。

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