第四十節   巫女、再び。

 目を開けると、そこは光で包まれていた。自分の身に何が起きたのか、正確に把握できない。一体ここは何処なのだろう。いったい自分は生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。


『安心しろ、お前は生きてるぜ』

『知ってる。ここは貴方の潜在意識の中』


 聞き覚えのある二つの声が聞こえる。ふと前を向けば、モワルとパンセが目の前で飛んでいた。少しずつ脳が理解をしていく。

 ひとまず、生きていると言われ一安心する。とはいえ疑問が生じる。自分は今しがた、アディゲンとアインザーム・ベルセルクと戦っていたはず。それなのに何故。


『いやまぁ、オレたちは覚えてるんだ。こういう約束だっていうな』

『そうそう。来るべき時が来るまで、この封印は解除しないって知ってる』

「約束?封印……?どういうことなんだ、全部説明してくれよ!」


 レイの言葉に、二羽は互いの顔を見合わす。聞いたらいけない問題でもあるのだろうか。しかし混乱しているのは確かだ。説明くらいしてほしい。

 そんなレイの言葉とは裏腹に、二羽はただ笑ってこう告げる。


『大丈夫だぞアルマ、お前は思い出す』

『心配しないでアルマ、貴方は知れる』

「なに、言って……!?」


 ため息を吐き、一度視線を逸らす。何が何だか、本当に分からない。

 いつもの天邪鬼をせずに、しっかり説明してほしいと改めて二羽へ視線を移す。するとモワルとパンセの体が光り輝き、粒子のよう解けていることに気付く。慌てて声をかけても、大丈夫だと返されるだけ。何が大丈夫なものか。


『安心しろ、これがオレたちの役目だ』

『カバン持ちがボクたちの正体だから』

『だから全部思い出す。約束も決意も』

『だから力が覚醒する。思いも気持ちも』


 二羽の体が完全に粒子となり、レイの中へと溶け込んでいく。ほわりと暖かな感覚が全身を包み、まるで誰かに抱かれているかのように感じる。先程の戦いで受けた傷が塞がっていくような感覚。モワルとパンセの声が脳内に響く。


『短い期間だったけど楽しかったぜアルマ』

『美味しかったよ、あのアップルパイ』


 カチリ、体の中で何かが解除されたような音が聞こえた。濁流のように光が全身に流れ込む。空っぽの器に水が注がれるように。噴水の水が湧き出るように。

 満たされる。魂に欠けてた何かが嵌っていく。満たされていくたびに、涙が溢れる。

 二羽のワタリガラスの声は、もう聞こえない。それでも呟く。


「そっか……お前たちは、俺の──」


 目を閉じる。真っ白な光に包まれて、まるで存在が消えるようだった。


 ******


 エイリークの焦ったような声が聞こえる。アディゲンと名乗る男の、動揺するような声が聞こえる。頭も聴覚もクリアになる。指の先まで、力が宿る感覚を確かに覚えた。

 目を開けば、そこは確かに鎮魂の島グラへイズムで。目の前では、エイリークに振り上げていた拳が拘束されている、アインザーム・ベルセルクの姿。魔物を拘束しているのは、自分から放たれた光の鎖だ。こちらを心配そうに見ている、自分の仲間たちの姿も見える。

 隣から再度、焦燥の声をあげるアディゲンの声が聞こえた。


「まさか……!?」


 そちらの方には目を向けず、まずはアインザーム・ベルセルクの対処をする。

 杖を向け、古代語を告げた。


「"ダエグ"、"ハガラズ"」


 紡がれた古代語がアインザーム・ベルセルクの体に刻まれると、その効果が発動する。アインザーム・ベルセルクの体が光を放ち、彼の中の、ある力を破壊していく。苦悶の悲鳴をあげるアインザーム・ベルセルク。

 何が起きたのかわからない、とでも言わんばかりにアディゲンが叫ぶ。


「な、何をした!?」

「ダエグとは、光の力を意味する古代文字。ハガラズは、破壊を意味する古代文字。俺の力を増幅させて、あの魔物の体内で混ざり合っている力を破壊しているんだ」

「馬鹿な、そんなことできるはずも……!」

「これが女神の巫女ヴォルヴァの力、その一端だ」


 今、アインザーム・ベルセルクの体には複数の力やモノが混同している。アインザームの元々の力である吸収と破壊、再構成の力。彼の父親の魂、人形の素体、そしてアディゲンの融合の力。レイはそれらを分解ではなく、破壊しているのだ。

 力の破壊なんて、優れた魔術師でも普通はできない芸当だ。それをやってのけてしまえるのが、女神の巫女ヴォルヴァの力である。


 目の前のアインザーム・ベルセルクの体が分離していく。力が破壊されることにより、アインザーム・ベルセルクとしての体を維持できないのだ。

 ただし、それで全てが元通り、というわけではない。アインザームの力とアディゲンの力を破壊しているということは、人形に取り込まれていた彼の父親の魂は、そこにはもう戻れないのだ。さらに元は幼子の体に無理をさせ過ぎた代償も、覆せない。


 待っているのは、アインザームという幼子の死だ。

 レイは最後、人形を抱いて目を閉じた姿になったその幼子に、魔法をかける。


「"ゲーボ"」


 意味するところは愛情、贈り物、博愛。これから見る永遠の夢は、せめて温かく幸せな、家族の夢を見れるようにと。


 光が収束し、エイリークたちを苦しめたアインザーム・ベルセルクが消滅する。レイは、目の前の光景に狼狽えていたアディゲンの方へ振り向く。その瞳に確かな怒りと、憐みを映して。


「……貴方はもう人の輪から外れている。そんな人に、運命の女神の否定もユグドラシル教団の破壊も、させるわけにはいきません」

「何を偉そうに……小童の分際で……!」

「それに俺、貴方に怒ってるんです。あんな小さい子供まで戦いに巻き込んで、利用して。高みの見物もいい加減にしなさい。ああ、そのままでは見辛いですかね!?」


 レイはアディゲンの仮面を弾くように、威力を弱めた攻撃を一発放つ。真っ直ぐな軌道で飛んだそれは確実に仮面だけを弾き、アディゲンの膝を地に着かせた。

 不意の攻撃に対応できなかったらしい彼は、顔を片手で覆い隠す。


「チィ……忌々しい女神の巫女ヴォルヴァめ……!」

「退きなさい。ここは貴方のような者がいていい場所じゃありません」

「忘れるな……!この恨み、呪いとして確実に貴様に返すからな……!!」


 いかにも三下の人間が吐くような台詞を口にして、アディゲンはその場から離脱した。全ての敵がいなくなる。

 一つ息を吐いたレイは仲間たちに駆け寄り、治癒術を施した。


"精霊よりの抱擁"ガイストウルアルムング


 杖の核に集めた淡い光のマナが、仲間たちの身体を包む。傷に触れ、痛みも丸ごと吸い上げていく。受けていた傷を完治させる治癒術だ。光が収まると、仲間たちが無事に立ち上がる。


「レイ……?」

「慰霊碑のあるヴァルシュラーフェンは、この先です。行きましょう」


 怪訝そうに見る仲間に、にこりと笑ってから話す。そのまま背を向けて、レイは歩き出した。


 遺跡の中はひんやりとしている。それは日陰であるからというよりは、その遺跡に水が通っているからかもしれない。石造りの遺跡は、何年も手入れをされていないはずなのに、風化している様子がないのが不思議だ。まるでこの島を包む神聖なマナが、遺跡を管理しているかのよう。

 やがて辿り着いた遺跡の最奥。広い空間に、数多くの石碑が建っている。空間の最奥にある三人の運命の女神の石像が、その空間を守っているかのように安置されていた。石像周辺には壁はなく、くり抜かれ澄んだ青空が見える。そこからレイたちのいる場所まで、そよそよと風が吹く。石像の後ろ側の丘には花が咲いている。白い花弁の、カランコエの花々。


 エイリークたちは絶句していたみたいだ。恐らく驚いたのだろう。ここに安置されてある、石碑の数の多さに。

 レイは何も言わずに、女神の石像に向かって歩いていく。靴音が反響する。それほどまでに、そこは静寂で包まれていた。


 石像の元まで辿り着き、見上げる。三人の女神の石像は何の言葉を発しない。けれどレイは己の中に、自分が受け継いだ女神が戻ってきたように感じた。潜在意識の奥にある、あの泉に。


「……帰ってきたよ」


 小さく呟いた言葉は、誰の耳にも入らないように。どうしようもなく、涙が一筋頬を伝った。

 自分があまりにも無言でいたからか、心配になったのかエイリークが声をかけてきた。それに答えようと振り向いて、レイは笑う。


「ただいま、


 さぁ、と風が頬を撫でた。

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