第三十七節  幼子は慟哭して

 アルヴィルダは、船を停められそうな陸地の傍で停止させる。レイたちはゆっくりと降り立つが、アルヴィルダから、今回自分たちは下りないと告げられた。


「どうして、ですか?」

「ここは、神聖な場所だ。初めて来るけど、空気でわかる。そんなところに、アタシらみたいなのが降り立っちゃいけないのさ」

「でも……」

「いいから行ってきなって。アタシらはここでアンタたちの帰りを待ってるし、敵が来たら迎撃してやるさ。大丈夫、捨て置いたりなんてするもんか」


 帰りの船がなきゃ大変だろ、と彼女は笑う。そこまで言うアルヴィルダに無理は言えず、一礼してレイたちは島の中を進むのであった。


 静かな島だ。魔物の類が一切いない。神聖というのは、本当のようだ。

 さらに進むと、一面に白い花弁の花が咲いていた。思わず足を止め、それらに目を奪われる。青空と相まって綺麗であり、ほう、と溜息すら漏れる。


「これ、カランコエの花です」

「カランコエ?」


 ケルスがしゃがみ込み、その花に触れる。彼曰く、見たところ人工的に埋められていたものではなく、自生したものらしい。


「多年草の植物で、光周性のある短日植物です。風の通る環境の、短い期間でしか咲かない花なのです」

「そうなのか……」

「花言葉もあるんですよ」


 その花言葉は、幸福を告げる、たくさんの小さな思い出、おおらかな心、あなたを守る。どれも平和や愛を象徴するものであり、贈り物なんかにもよく使われる花だそうだ。

 どうやらここに歴代の女神の巫女ヴォルヴァが眠っている、というあの日記の内容は本物のようだ。そのように感じていると、ふとエイリークがこんなことを口にした。


「そんな花言葉の白い花なんて、まるでケルスみたいだね」


 彼の言葉で、その場の空気が一気に変わる。一瞬の沈黙の後、ラントがニヤリと笑いながらエイリークに話しかけた。


「やるじゃんかエイリーク。まさか一国の国王様を口説くなんてなぁ」

「へっ!?いやそんな俺そんなつもりはっ」

「照れんな照れんな、顔真っ赤じゃねぇか」


 ラントの言う通り、エイリークは顔を真っ赤にして弁解しようとしている。ケルスの様子を盗み見れば、彼も耳まで真っ赤にしてエイリークのことを凝視していた。

 慰霊碑がある神聖な場所でなんとも俗物的なやりとりをしているが、どこかリラックスができたように思う。いつの間にか緊張していたようだ。思わず笑えば、エイリークが真っ赤な顔のまま否定する。


「ちょ、レイまで笑わなくてもいいじゃないかー!」

「ああ、すみません。つい、おかしくて」

「おかしいことなんてないよ!?」


 そんなやりとりに終止符を打ったのは、グリムであった。


「……くだらん。弁えることだな、このむっつりスケベ」

「ひっどい!!」


 違うんだよ、と言い訳しながらエイリークは先を行くグリムの背を追いかけた。ラントはそんな二人を見て、青春だななんて呟きながら後を追う。レイも続こうとして、花畑で固まったままのケルスがいることに気付く。声をかければ、彼は我に返ったようで、勢いよく立ち上がり、焦った様子でレイに振り向いた。


「どうしましたか?」

「い、いえ!なんでもないです。皆さんの後を追いましょう」

「そうですね」


 置いて行かれないように、レイとケルスは駆け足でその場を離れたのであった。


 しばらく歩くと、遺跡のような建物の入り口が見えてきた。この遺跡の先に、ヴァルシュラーフェンがあるのだろうかと足早になりそうになり、しかしそれは突如降り注いだ殺気によって止まる。

 何事かと見上げれば、いつか見た人形とアインザームが遺跡の上に立っていた。彼もレイたちを認識すると、人形を使って地面に降り立つ。その眼には、明らかに殺気が宿っている。おおよそ、幼子が宿せるそれではないくらいに。

 臨戦態勢をとるレイたちに、静かに話しかけるアインザーム。


「まさか、ここに来るなんて思わなかった、よ。でも、間に合った。女神の巫女ヴォルヴァにこれ以上調べられたら、こっちは都合が悪いって……アディゲンが言ってた」

「どうしてこの場所が分かったんですか!?この場所は、現代の海図には記されていないはずなのに!」

「それは、見えたって言ったから。アディゲンが。余計な船がこの島に行くのを」

「見えた……?」


 それはつまり、何処かから監視していたということだろうか。そんな場所があるのならば、どうしてそれを隠す必要があるのか。

 そんななか、ケルスが一歩前に出てアインザームに話しかける。


「貴方がそのアディゲンという人に無理強いをされているのなら、僕たちは貴方の助けになれるかもしれません!わけを、話してくださいませんか!?」

「……貴方って、本当に平和主義者なんだね。でもそれ、現実を見てないって人にしか見えない。貴方のような人がいるから、世界はおかしくなるんだ……!」

「っ……」

「ボクは、自分でアディゲンのために動いてる。だって、パパを助けてくれたのはアディゲンだもん」


 そしてアインザームは、アディゲンが教えてくれたという、自身の生い立ちについて語り始めた。


 アインザームの家庭は、ひどく貧しい暮らしをしていたらしい。アウスガールズの僻地に住んでいたという彼。そんな環境の中でも、彼の父親は我が子を飢えさせまいと、朝から晩まで必死に働いていた。

 しかしその一方で、母親はそんな父親には目もくれず、男をとっかえひっかえしながら、日々堕落した生活を送っていたらしい。今より幼いアインザームの世話もろくにせず、昼間から自宅でまぐわっていたそうだ。男たちと遊ぶための資金を、父親が汗水流して働き頂いた給料から掠め取るという卑劣っぷりを、隠すこともなく。

 母親が金を貪るため、アインザームの食べるものはほとんどなかった。それでもアインザームは、母親を恨みはしていなかったと言う。


 何故なら、母親が他の男にかまけている分、自分が父親を独占できるのだから。父親はアインザームのことを愛していた。そのことが幼心にも理解できたから。そんなある日、悲劇は起こったそうだ。


「ある日ね、ママと男の人が裸で抱き合っていた?場所に……入っちゃったの。雷が、怖かったから」


 気になって、何をしていたのか聞いたのだと語る。その内容は、子供が語るには残酷すぎる現実だった。


「そしたらね、ママは鬼みたいになってボクを殴ったの。何回も、何回も。ほっぺたが真っ赤になるまで叩いて、ママは叫んだ。お前なんか、産まなきゃよかったって」

「そんな……」

「お前がいるからパパは自分を見てくれない。だから寂しくて、いろんな男の人に抱いてもらってたのに、どうして邪魔をするのって。そう叫んでたらね、パパが帰ってきたの」


 父親はアインザームの顔を見た瞬間、手が付けられないくらいに怒り狂ったというのだ。台所から持ち出した包丁で、何度も母親を突き刺した。

 母親とまぐわっていた男は突然の出来事に驚いていたらしいが、魔術師の端くれだったらしく、アインザームに向かって術を放とうとした。炎の攻撃魔法。その攻撃から、父親はその身を挺して彼を守り、怯んだスキに父親は最後の力を振り絞って、男を殺した、と。


 彼は父親が自分の目の前からいなくなるという事実に、恐怖した。いなくなってほしくないと懇願した。そんな時に出会ったのが、アディゲンだった。

 彼はアインザームが父親から貰い大切にしていたという人形に、父親の魂を転移させた。いつも一緒にいられるように、と。そのときに、自分と一緒に、世界の在り方を変えないかと誘われたらしい。自分をこんな目に遭わせた運命の女神や、その隷属たちに復讐しないかと。


「ボクは、ずっとパパと一緒に暮らしたかっただけ。なのに、どうして、世界には貧しい人がいるの?どうしてパパを、そんな人にさせたの?どうしてアウスガールズの国の人は、助けてくれなかったの?」


 アインザームの魔力が周囲に漂う。幼子の悲痛な叫びを表しているようだ。その魔力を、隣にいる父親の魂が宿っているという人形が吸収している。


「どうして運命の女神は、こんな辛いことを受け入れろなんて言うの……?」


 人形がピクリと動く。次の瞬間、疾風のように駆けたそれはレイにめがけて腕の刃を振るう。咄嗟に避けるも、その威力は依然ミズガルーズで対峙した時よりも確実に威力を増していた。


「レイ!」

「大丈夫です!」


 体勢を整える。彼の戦う理由はわかった。とはいえこちら側にも、譲れないものがある。簡単に殺されるわけにはいかないのだ。

 子供相手に大人げない、とは思う。だが最早互いに、話し合いは通じないだろう。


「……ケルス陛下、俺は戦います。たとえ、巻き込んでしまうことになっても」


 ケルスに報告する。彼は一度目を閉じてから、ゆっくりと顔を上げた。


「……あの子の理由は、わかりました。確かにボクは平和主義者で、現実を見ていないと言われても仕方ありません。彼を救うことも、できません」


 ですが、とケルスは言葉を続ける。


「彼が僕の大切な仲間に手を出すというのなら、容赦しません。覚悟を決めます!」


 ケルスも臨戦態勢を取る。アインザームも、にこりと笑った。


「そう……よかった。ボクも、遠慮しないで戦うよ。簡単に、死なないでね?」


 そう告げて、アインザームと人形は再びレイたちに特攻を仕掛けるのであった。

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