第三十五節  自分のやりたいこと

 宴が終わって、穏やかな空気が船体を包んでいる。海賊たちは各々まだ酒を楽しんだり、カードゲームに興じたりしていた。アルヴィルダはアルヴと一緒に酒を楽しんでいるようだ。そんな中レイは、エイリークたちを甲板に呼んでいた。

 夜風が気持ちいい。レイは誰よりも早く甲板に出て、星を見上げながら考えをまとめていた。先程船長室で聞いたアルヴィルダの話や、アルヴの話を思い返す。


 己が一人ではないということの、大切さと心強さ。


 思えばレイは自分一人だけで、自分の記憶喪失や女神の巫女ヴォルヴァについて解決しようとしていた。エイリークたちから協力すると告げてられても、彼らには迷惑なのではと忌避していた。それが傲慢だということを自覚しないままに。

 自分が一人ではないことの本当の意味を、アルヴィルダに指摘されるまで忘れていた。

 しかし、今はそれをしっかりと頭に刻まれている。忘れもしない。だからこそ、落ち着いてあの手渡された日記を解読できたのだ。そのことと、別のもう一つのことを伝えるために、全員を呼んだ。大丈夫。怖いけど怖くない。


「レイ?」


 声を掛けられ振り向けば、エイリークたちがそこにいた。エイリークとラントはまだお互いに、少し距離をとっている。レイはにこりと笑い、まず一つ礼をした。


「ごめんなさい、夜分遅くに」

「いいよ、気にしないで」

「それで、話ってなんなんだ?」


 ラントが本題を切り出す。レイは一度瞳を閉じてから、ゆっくりと瞼を持ち上げる。意を決したように、エイリークたちに告げた。


「……俺、自分の記憶を取り戻したいです。二年前の、女神の巫女ヴォルヴァとしての記憶も。フランメさんたちと旅をしたことも、全部」


 その言葉にエイリークたちは三者三様な反応を見せた。驚いたのはエイリークとケルス。無表情で変化に乏しいグリムに、苦虫を噛み潰したような表情のラント。

 言葉を続けようとして、ラントにそれを遮られた。


「俺は反対だ!わかってるのか?女神の巫女ヴォルヴァがどんなに大きな存在なのかとか、その影響とか!」


 彼は近付き、レイの肩を掴む。彼自身のことではないにも関わらず、ひどく苦しげな表情だ。必死になって、レイのしようとすることを止めようとしていると、理解できた。


「女神の巫女ヴォルヴァってのはな、存在しているだけで全世界に大きな影響を与えるんだ!それがどれだけ過酷で、辛いことか……。そんな苦しくて怖いこと、忘れたままでいいじゃないか!」

「ステルさん……」

「なぁレイ、考え直さないか?そんな──」


 ラントが言葉を続けようとしたが、突如、彼が船体に膝をつく。何が起きたのかと周囲を見れば、グリムがラントに向かって手を突き出している光景が目に入る。その手からマナが発せられていた。術を発動していたのか。


「話はまず最後まで聞け、愚か者が。貴様のような者を傲慢と言うのだ」

「っぐ……わかった、よ……!」


 ラントの返事を聞き、術を解除するグリム。彼女はラントに対して謝罪せずに、話の続きを促す。


「……続けろ、人間」

「グリムさん……ありがとうございます」


 グリムに礼を告げて、レイはまずラントと視線を合わせる。縋るように見上げる彼に、一つ笑うと話し始める。


「……ステルさんは、俺のことを心配してくれているんですよね。女神の巫女ヴォルヴァの存在は強力で絶大。そんな存在の力と記憶を取り戻したら、俺が壊れるんじゃないかって、そう思ってくれたんですよね」

「当たり前だろ!そんな恐ろしいこと、怖い思いまで思い出さなくても……!」


 ラントが俯く。レイは彼の手を取ると、その手を握る。手を握られたラントは何かを感じたようで、再び顔を上げた。


「俺の手震えてるの、わかりますか?……怖くないなんて、そんなことないんです。本当は物凄く怖いし、逃げ出したいって思ってるんですよ」

「なら!」

「だから俺、みんなにそばにいて俺のことを支えてほしいんです。俺が壊れないように、俺が俺でいるように」

「レイ……」

「前に、フランメさんが俺に言ってくれたんです」


 ラントを立ち上がらせる。レイは次にエイリークを見て、こう語る。


 ──レイを信じてるからだよ。俺はどんなレイのことも信じる。


 その言葉が、本当に嬉しかったのだ。なのに自分はそのことを忘れてしまって、記憶のことも何もかも、一人で解決しようとしていた。でもそれは傲慢であり、レイ自身は仲間のことを信じていないことになると、叩きつけられた。


「二年前の記憶とかを思い出すのは怖い。でも俺は一人じゃないから、怖くない。そう考えたら、なんでも乗り越えられそうな気がするんです。フランメさんたちが言っている本当の俺っていうのを、俺は取り戻したい。だからそばにいて、協力してほしいんです」


 お願いします、と頭を下げる。少しの間沈黙に包まれたが、ラントの手を握っていた手に温かさを感じ、顔を上げる。そこには優しく笑って、手を重ねているエイリークの姿があった。ぽつりと彼の名前を呟くと、エイリークが話す。


「……俺、自分のことばっかりで。レイの気持ちを本当の意味で、考えてなかった。謝っても許されないことかもしれないけど、俺はレイのやりたいことを応援するよ。前に約束もしたことだし」


 そして、とエイリークはラントに顔を向けて謝罪する。


「ラントの言った通り、だね。俺、レイが何をどう考えてるか、全然わかってなかった。自分の考えとレイの考えが同じだって勝手に決めつけて、怒鳴って」

「……俺もエイリークのこと言えないさ。あの時お前は、どんなレイもレイだって言った。それを見てこなかったのは、誰でもない俺自身だったのかもしれない」


 それぞれ言葉を綴った二人は、ようやく互いに顔を見合わせて笑う。仲直りができたみたいで一安心だ。

 エイリークの手の上に、今度はケルスが手を重ねる。


「僕も、レイさんのことを信じています。だって僕たちは、仲間なのですから」

「ケルス陛下」

「困ったことがあったら、一人で抱え込まなくてもいいんです。そういう時は、存分に甘えてください。力になります」

「ありがとうございます」


 この流れでグリムも手を重ねてくれないかな、とは思ったがやはりそこは彼女は参加しなかった。少し残念だが、代わりに彼女はこう語る。


「ヴァナルの目的である女神の巫女ヴォルヴァ抹殺、その目的を潰すことには賛成だ。貴様自身の力とやらが戻れば、それだけ奴らを倒すための手段が増えよう」

「グリムってば、素直に死なせないって言えないのかなぁ……」

「……聞こえているぞ、バルドルの」

「ヒェッ!!」


 和やかな空気に、一同に笑いが起こる。アルヴィルダの言っていた言葉の意味が、いま理解できた。自分の仲間は、自分のたった一つの我儘をこうして受け入れてくれる。それがたまらなく嬉しくて、安心する。


「でも、今のところ記憶に関する手がかりなんてないよね」

「それなんですが、この日記を解読してたらあることが分かったんです」


 レイは手に持っていた、あの日記をエイリークたちに見せる。中身はその殆どが古代語だったが、どうにか解読できる文章を見つけたと。


 日記の持ち主は、一度船が難破して遭難した。やがて座礁してしまったものの、幸いにもその島には遺跡があり、雨風を過ごしながら乗組員全員で、船の修繕を行っていたそうだ。修繕のための素材も、その島にそれなりにあったのだろう。


「注目する点は、その遺跡の奥にはヴァルシュラーフェンと呼ばれる、慰霊碑があったって記されてあったことです」

「慰霊碑?……誰の?」

「……歴代の、女神の巫女ヴォルヴァたちのです」


 何故隠すように、しかも遺跡の奥に慰霊碑なんて建設したのか。今となっては推測するしかないが、当時から女神の巫女ヴォルヴァに対して、悪意ある感情を持っていた人物たちがいたのだろう。

 そんな人物たちに、神聖な存在である女神の巫女ヴォルヴァの死後まで荒らされることは、堪ったものではない。当時のユグドラシル教団の人たちは、そう思ったのだろう。だから隠すように、慰霊碑を建てた。墓荒らしたちから女神の巫女ヴォルヴァを守り、巫女たちが安らかに眠りにつけるように、と。


「あくまでこの日記に書いてあったことを解析しただけなので、本当にそんな島があるかどうかは、まだわからないんですが……」

「それにそんな島があるとして、どうして俺たちは今まで知らなかったんだろう?」

「考えられるのは、ユグドラシル教団の情報操作とやらだろう。情報の拡散は、それだけリスクのあることでもあるからな」

「それは、あるかもしれませんね。もしかしたら、教団はこの情報を外部には漏らしてはならない、秘匿情報として持っているのではないでしょうか?」

「でもまぁ、火のないところには煙は立たないからな。検証してみるのも悪くねぇんじゃないか?」


 レイたちの意見がまとまっていく。


「ちなみになんだけど、その島の名前とかって解読できてたりする?」

「えっと、この日記ではこう名付けられていたそうです」


 鎮魂の島、グラヘイズムと。

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