第三十四節 一握りの勇気
昔、その女海賊はとある一国の姫だった。とても内気で恥ずかしがり屋。姫としている分にはいいかもしれないが、いつか女王となった時は苦労すると言われていた。
美貌は隣国で噂されるほど美しく、可憐で一輪の花のよう。両親である国王と妃は、姫を蝶よ花よと丁寧に育て上げた。そんな高嶺の花である姫と結婚したいという王子の数は、数知れなかったという。そこで国王はこんな一手を講じたのだ。
国王は姫の部屋の前に、ある試練を設置した。試練を乗り越えた、本当の勇気と知恵のある者に、姫の許嫁となることを許すと。
「その試練って、なんですか?」
「アルマは、なんだと思う?」
「うーん……。一歩間違えれば、命を落とすようなものとか……?」
「なんだ、結構いい線いってるじゃないか。そうだよ、国王は姫の部屋の扉の前に二匹の毒蛇を住まわせて、彼女の貞操を守らせようとしたのさ」
「毒蛇!?」
思わずオウム返しに尋ねた。聞けば、一噛みされればたちまちに全身に毒が回り、死に至るほどの毒を持つ蛇だったのだと。いくら自分の娘が大切でも、そこまでするとは衝撃的だ。アルヴィルダは話を続けた。
そんな試練を前に尻尾を巻いて逃げる王子は、これまた数えるのも飽きるほどに多くいたそうだ。何人かの王子は挑戦しようと試みるも、毒蛇の前では足が竦み命可愛さに逃げ出す。
そんな日が何日も続き、諦めかけていたその時。一人の皇子が現れた。その皇子は毒蛇を前にしても怯むことなく、勇敢に立ち向かって、唯一試練を乗り越えたのだ。
姫は、無謀な試練を前に逃げなかった皇子に惚れ込んだ。本当の勇気と知恵を兼ね備えた彼なら、自分も心を開けると感じて。
だがそんな二人の結婚を、母親である妃は反対したのだ。認めるわけにはいかないと。これには当然、姫は反発した。親子喧嘩が絶えなくなり、やがて母親の頑固に愛想を尽かした姫は、ある日城を飛び出してしまった。
あてもなく飛び出した彼女は、付き合いのあった仲の良い女友達と共に、知らない世界を知るためにと海に出る決心をする。彼女たちは航海の途中で、最近船長を失った一つの海賊団と出会った。話を聞き、納得した姫は自分に船長を務めさせてほしいと志願した。
最初は女だからと舐めてかかった海賊たち全員を、密かに練習していた剣技で圧倒し倒した姫。その実力と肝の据わった様子に、海賊たちは自分たちよりも彼女の方が強いと認め、仲間として迎え入れてくれた。新しい、海賊団の船長として。
彼女の指揮でその海賊たちは、次々に大成功を収めた。掠奪にしろ何にしろ、彼女が来たことでその海賊団は一段と強く、大きい存在となったのだ。そんな彼女たちを捕縛しようと、各国の船はこぞって海賊船を襲った。
「そんな日々を送ってたある日だったかな、やたら強い船が一隻あってね。姫はヘマして捕まった。でも偶然とかってあるもんだ。姫を捕まえたのは、いつぞや婚約しようとした、皇子だったんだよ」
その話を聞いた瞬間、レイの脳裏で数時間前の会話が思い出された。
アルヴィルダたちが未開の島を探索している間、とても似たような話を聞いていた。一国の皇子だったと自らを紹介した、アルヴに。
「その皇子ってもしかして、アルヴさんのことですか?」
「知ってんのかい?」
「その、ちょっと前に話をしてくれたんです。自分がどうして海賊になったのか、皇子という身分を捨ててまで新しい生き方を選んだこととか……」
「はぁ……そういうわけ。まったくいい性格してるねぇアルヴ。アタシから言わせようってか」
アルヴィルダがジョッキを呷ってから、はぁ、と何かに観念したように息を吐く。テーブルにジョッキを置いて、気恥ずかしそうに頭を掻きながら彼女は言う。
「あー、その。今話した姫ってね、アタシのことなのさ」
「え!?」
「あはは、見えないだろ?」
「あっ、ごめんなさい!」
謝るレイにからりと笑い、気にするなと告げてくれるアルヴィルダである。
「いいんだよ、素直でいいさ。アタシだって、自分がこんな大雑把な女になるなんて思ってなかったんだから」
「……でも、アルヴさんは海賊を捕らえた時にアルヴィルダさんに出会ったって、言ってましたが」
「意地悪なことを言ってくれるもんだ。人が気恥ずかしいって思ってることをまだアタシから言わせる気かい。……アルヴに惚れたのは、アタシの方が先なのさ」
鳥籠生活も、悪くはなかった。それでも彼女は、そこから自分を解放してくれる人を待っていた。
だから、アルヴが試練を乗り越えて部屋の扉を開いた時は本当に嬉しかったらしい。彼と一緒に、外の世界をもっと知りたいと。しかしそれを母親が許さないことが、憤慨極まりなかったのだと懐かしそうに話す。
「母親と喧嘩して飛び出したって言ったけど……。アタシは、自分の知らない世界を知りたくて王族ってのを捨てたのさ」
「そして、海賊に……」
「そう。自分の自由と目的のためにね。知らない外に出た時のあの感動は、今でも忘れられないねぇ。その後アルヴに出会ったのは、偶然に似た奇跡だったよ」
なんたって、海の中の沈没船を見つけるようなものだからねと。
彼女の言葉が本当に楽しそうで。後悔なんてしていないように感じて。物凄く、羨ましくて。
「……怖く、なかったんですか?自分の知らない自分になるかもしれないのに。今まで自分が知らなかった、世界なのに」
「そんなの……」
彼女はジョッキを呷ろうとして、もう酒が入ってなかったのか。途中でそれをテーブルに置く。
「もちろん、すっごく怖かったさ」
「えっ……」
アルヴィルダのことだから、怖くないと答えると思っていた。
予想外の返答に言葉を失うレイに、彼女は話していく。
「放り投げたくなるほど怖かった。泣きたくなるほど逃げたかった。でもそんな時でも、アタシは前に進むことが出来ているし、こうして一端の海賊団の船長を務めていられる」
「どうして……?」
「それはね、アタシが一人じゃなかったからだよ。いつでもどんな時でも、アタシの周りには友達や仲間がいて。そんな周りの人たちが、アタシを支えてくれた。だからアタシは、一握りの勇気をしっかり握ったまま、今もこうして
──それは、アタシらが全員が仲間であり家族だからさ。苦しいこともつらいことも過去のことだって、全員で分かち合う。一人への恨みは全員への恨みだって、共有するんだよ。
彼女の言葉を思い出す。
「あ……」
彼女はサルマガンディーを一口食べ、にっこりと笑う。
「アタシだけじゃない。アンタの周りにだって、いい仲間がいるじゃないか」
「アルヴィルダさん……」
「アンタさ、見た目よりしっかり者じゃないか。自分が本当はどうしたいか、アンタ自身分かってるんだから」
「俺の、やりたいこと……」
自分の失っている記憶について、本当のことを知りたい。
俯いていたら、彼女に胸のあたりをとん、と叩かれる。
「今のアンタに必要なのは、一握りの勇気だけだよ」
「でも……」
「まだごねるか。……アンタの仲間たちは、そんなにもアンタの迷惑を聞けない程、冷酷な連中なのかい?」
「そんなことはありません!みんな、優しい人達です!!」
「なら、全部ぶちまけちまいなよ。したいことがあるけど怖いって。そばにいてほしいって」
「アルヴィルダさん……」
「大丈夫、きっと聞いてくれる。アンタの仲間は、アンタ以上にお人好し集団なんだからさ」
そう告げて再びサルマガンディーを食べ、美味いねと呟くアルヴィルダ。
レイは自分の中で彼女の言葉と、アルヴの話を噛みしめる。
自分の本当に手にしたいものを見つけたから、王族を捨てたアルヴ。
恐怖があっても自分の知らない世界を知りたくて、王族を捨てたアルヴィルダ。
二人は似ている。己の自由と目的のために、仲間を信じ、何より自分を信じて前を進んでいる。自分も、そのように生きることが出来るだろうか。失くしている記憶を取り戻して、女神の
「俺も、お二人のようになれるかな……」
「なれるよ、絶対。アタシが保証する」
背中を押されたような気分になって、心に刺さっていた不安の杭が溶けて解けたような感覚を覚えた。とても心地がいい。怖いけど、怖くない。
「ありがとうございます!」
「そうだよ、アンタは笑顔が一番さ。なんたって名前が
「はい!」
「もう、大丈夫みたいだね」
さて、と立ち上がるアルヴィルダ。酒を注ぎに戻るがどうするかと尋ねられる。
「俺は、この本の解読をしようかなって思います。今なら余計なことを考えずに、読めそうだから」
「そうかい。でもさっきも言ったけど、あんまり無理するんじゃないよ」
「ありがとうございます」
甲板の方へ戻るアルヴィルダを見送る。サルマガンディーをもう一口食べてから、レイはゆっくり日記を開くのであった。
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