第三十節 振り子時計は刻む
エイリークたちが財宝探索に出かけている一方で、レイたちは船の甲板で休んでいた。海風は穏やかで、優しく頬を撫でられる。甲板で海を眺めていたレイは、ケルスから先程のエイリークとラントの様子について尋ねていた。自分が感じ取った違和感の正体について、知っていることがあれば教えてほしいと。
ややあってからケルスは、エイリークとラントが喧嘩してしまったことを──その原因についても──話してくれた。自分の記憶を取り戻すか否か。関係ないはずの二人が、自分のせいで仲違いをしてしまっていることに、心を痛める。
「そんなことがあったんですね。俺のせいなのに、二人が……」
「レイさんのせいでもありませんよ」
「でも、俺の記憶のことで二人が喧嘩になったんですよね。俺がいつまでもどっちつかずだから……」
「レイさん……」
風が髪を撫でるも、心に沈む申し訳なさは消えず、輪郭を色濃くしていく。水平線を眺めながら、独り言ちるようにケルスに語る。
「……俺の二年前の記憶。きっと、何か大切なことを忘れてるんですよね、俺は。でも俺は、そのことを思い出すべきなのかそうじゃないのか……。正直、わからないんです。俺は何も問題なく、普通に生きてきたって思っていたから」
「はい……」
「でも、ヴァナルが俺のことを女神の
不安から手を握る。女神の
世界の命運を決められるなんて、それはこの惑星に住むすべての生命を背負うということに他ならない。純粋に、怖いのだ。もし本当にそんな存在だとして、力を解放した時に、自分がどうなってしまうのかわからない。
だから自分が記憶喪失だとしても、その記憶を取り戻すことが怖い。でもいつまでもこのままでいたい、という訳でもない。本当の自分を知りたい。なのに知るための一歩を踏み出すことが怖い。どうしたらいいか、レイ自身わからないのだ。
そんな重い空気に包まれていた自分たちに、船内に残ったアルヴが声をかけてきた。彼は操舵手として、船を守っているのだという。どうだいと手渡された杯には、レモン水が注がれていた。
「ちゃんと休めているかい?」
「ありがとうございます、アルヴさん」
「どういたしまして」
アルヴはぐい、と杯を呷る。レイとケルスも手渡されたレモン水を飲む。すっきりとしたレモンの風味が喉を潤す。
「美味しいです」
「それは良かった。先日、港でいい水を見つけたからね。こうして時々振舞ってるんだよ」
気に入ってもらえて嬉しいよ、と楽しそうに語るアルヴである。もう一度杯を呷ってから、彼はケルスにあることを尋ねた。
「俺の思い違いだったら申し訳ないんだけど、クォーツってもしかして、王族の人かい?」
アルヴとはそんな長く話したことがないのに、鋭い観察眼に思わずケルスは聞き返した。レイも驚愕している。何故わかったのか。理由を尋ねると、彼はケルスが着ている服装の生地について言及した。
「質のいい生地が使われているのを、見事に着こなしているからね。大抵の人間なら服に着られているって見えるけど、クォーツはしっかりと肌に馴染んでいる」
「服の生地だけで、そこまで……!」
「これでも目利きはいい方でね。それに、クォーツといえばアウスガールズ本国に拠点を構えるリョースアールヴ族の血統の名前だろう?それで、もしかしたらと思ったのさ」
ビンゴだったかと、やはりアルヴはどこか楽しそうに語る。
「いいのかい?王族が海賊を見逃して」
「僕は、貴方たちを売るつもりなんて一切ありません。こうして話しかけて、レモン水をくださったりするのですから」
「俺がキミたちを油断させるために、そうしているかもしれないよ?」
「海賊なら、危険と判断したら問答無用で僕の首を切り落としているのではないですか?それは、アルヴィルダさんも理解していると思います。だから僕は貴方たちを信じます」
ケルスとアルヴとの間に流れる空気に、自分が口を挟める余裕はないと感じたレイは閉口する。しばし緊張が漂っていたが、ふとアルヴが口元を緩め、小さく合格と呟いた。
「うん、いいね。きちんとした教養と判断力に、物事の分析を冷静に行えている。キミは、見た目だけの王族じゃない。安心したよ、アルヴィルダはやっぱり人を見分けられる、良い目を持ってる」
「あの、僕からの一ついいですか?」
「いいよ、なんだい?」
「貴方ももしかして、元は王族に関係する方だったりしましたか……?」
「それは、どうして?」
ケルスの質問に、アルヴは質問で返す。
「貴方の見立ては見事なものでした。僕が着ている服の素材や名前から、一瞬で僕の正体を推理しました。貴方は、確信を持って僕に王族かと尋ねた。ここまでは合っていますか?」
「そうだね、異議はないよ」
「ありがとうございます。それで、これは偏見で申し訳ありませんが、ごく普通の海賊の方に、そのような知識を得る機会があるとは、とても……」
「あはは、そこはまぁ概ね予想通りかな」
そこからケルスは、アルヴと話しているなかで考えたそうだ。元からそう言った知識に精通しているなら、ケルスの正体を見破るのは造作もないのではないかと。加えて、彼には人を見る目がある。だから思ったのだと言う。
ケルスの言葉に、アルヴはやがて手をぱちぱちと叩いて拍手をする。正解なのか。
「大正解だよ。そう、俺も昔はとある一国の皇子だった」
「そうだったんですか!?」
「ああ。でも、今は立派に海賊の操舵手さ」
「どうして、海賊に……?」
皇族として生きていれば、平和に過ごせただろうにと心の中で呟く。その疑問に、アルヴはそうだねと、一度水平線に視線を移す。愛おしむようなその横顔。
「自分の本当に手にしたいものを、見つけたからかな」
「本当に手にしたいもの……?」
彼は自身の過去について語った。
彼は過去に皇族として、確かに安定した暮らしを送っていた。軍を指揮し、それこそ以前は海賊団をいくつも捕縛してきたのだと。その活動の中で出会ったのが彼女、アルヴィルダだったのだという。彼女に出会ったときに、彼は自分の中で一つの感情が生まれるのを感じたそうだ。
男も女も関係なく、何にも縛られず自由に生きている海賊たち。それをまとめあげるアルヴィルダという一人の女性に、心の奥底から憧憬の念すら抱いたらしい。自由な彼女たちに対して、自分はなんて窮屈な生活をしているのだろう。このまま生きることは果たして、本当に生きているといえるのか。
そう思うと、行動せずにはいられなかったのだと。
彼女を秘密裏に逃がし、己を操舵手として海賊に一味に入れてほしいと懇願した。取引をしたのだ。彼は彼女の命を逃がすことで対価を、彼女は彼を迎えることで腕のいい操舵手という報酬を。
幸い、海上戦を戦ってきたアルヴの腕は相当のものだった。アルヴィルダの船に致命的なダメージを与えたのは、彼自身の操舵の影響なのだから。結果、彼女は彼を受け入れた。
「不安とかなかったんですか?」
「なかったよ。今思えば、あの時は彼女の隣にいたいってことだけ考えていた。本当に欲しいもの、自分の人生の自由ってものをね」
「そのために皇族であることを捨てて……」
「ああ。俺は手を伸ばさない後悔をするくらいなら、手を伸ばしてから後悔したいし、結果なんておのずとついてくる。立ち止まりたくないのさ」
「……強いんですね」
生き生きと語るアルヴは、レイの目には輝いて見えた。
「違うよ、俺は弱い。だからこそ手を伸ばすんだ。誰かが、この手を握ってくれることを信じて」
「弱いから、手を伸ばす……?」
「それが分かる日が、キミにも必ず来るさ」
「……はい」
そんな風に談笑をしていると、大陸の奥にある森から出てくるエイリークたちの姿が見えた。
そろそろ準備をしないとね、と笑いかけるアルヴに頷くレイとケルス。杯を片付けながら、エイリークたちを迎える準備に取り掛かるのであった。
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