第二話

第二十六節  見知らぬ島

 波の音が聞こえる。頬に当たる感触はザラザラしていて、そして熱を持っていた。ふわりと意識が浮上する。その感覚を覚えながら、エイリークはゆっくりと起き上がった。そして目の前の光景に呆然することになる。


「ここ、何処だ……?」


 目の前に広がるのは水平線と砂浜。お日柄もよく、きらきらとした輝きが彼を歓迎したものの。今ここには自分しかいないのだろうかと辺りを見回し、打ち上げられていたラントとケルスを発見する。慌てて駆け寄り体をゆすれば、数回のうめき声ののちに二人は目を覚ました。辺りを見回して、やはり自分と同じ反応を示す。

 どうしてこんなところにと呟きつつも、段々と記憶が蘇る。


 アールヴァーグの住居でヴァナルの一人であるヘルツィの襲撃を受けて。彼はドヴェルグ族たちをいいように傀儡にして。ドヴェルグ族の長である、ドゥーリンまで手玉に取って。そんな彼らを倒すことなんてできなくて。窮地に立たされた自分たちを、ドゥーリンが文字通り命を懸けて助けてくれて。でも自分たちはそのドゥーリンを助けることが、できなかった。


「くそ……!」


 不甲斐なさが胸一杯に広がった。どうしてこんなにも自分は情けないのか、弱いのか。誰かに助けられるばかりなのか、と。


「……悔やんでばかりいても、仕方ねぇ。ドゥーリンじいさんの弔い合戦は、必ずしてやるさ」

「ラント……」

「ラントさん……」

「……そうでも考えなきゃ、テメェの情けなさに潰されちまうだろ」


 エイリークは、彼の横顔を見て思い出す。ラントは自分たちが知りうる前よりも、アールヴァーグの住居に住むドヴェルグ族たちやドゥーリンと知り合いだった。この中で誰よりもドゥーリンを助けられなくて一番悔しかったのは、ラントなのだ。思わずケルスと顔を見合わせ、彼を案じる。そしてケルスの顔を見たことでもう一つ思い出す。

 ここには自分とケルス、ラントしかいない。レイとグリムの姿が見えないのだ。


「レイとグリムは……!?」

「僕たちがこうして無事だったということは、レイさんたちも同じはずです……」

「でも、こうしている間にもしヴァナルがレイのことを見つけたら!」


 ──そうだ、女神の巫女ヴォルヴァ。お前に生きていられると、こちとら迷惑でな。俺たちヴァナルにとって、ユグドラシル教団はもとより、その象徴である運命の女神や女神の巫女ヴォルヴァは邪魔者以外の何者でもない。


 ──俺たちの目的は、その象徴の消去。平たく言えば、お前の抹殺だ。


 思い出したのはヘルツィの言葉。ヴァナルはレイ、つまり女神の巫女ヴォルヴァを殺そうとしているのだ。彼の安全を早急に確保しなければならない。今のレイはひどく不安定だと、エイリークは危惧している。あまり離れた状態でいたくない。


「落ち着けよエイリーク。レイはそんなにヤワじゃないって、知ってるだろ?」

「落ち着いてくださいエイリークさん。きっと、大丈夫ですから」


 エイリークの焦燥を咎めるラントと、慰めるケルス。頭では理解しているつもりだったが、やはり心配なものは心配だ。それに、とエイリークは言葉を紡ぐ。


「わかってるけど、今のレイは記憶をなくしてるんだよ?自分が女神の巫女ヴォルヴァだってことも半信半疑で、力も使えない!前のレイとは違うから心配で、だから──」

「記憶記憶って、そんなにレイが記憶をなくしてることが問題だってのか!?」


 エイリークの言葉を遮って、ラントが吠える。急に胸ぐらを掴まれ、噛みつくように睨みつけられた。あまりの迫力に、一瞬気後れする。そんなことはいざ知らずと、ラントは立て続けに彼に罵声を浴びせる。


「いい加減にしろよ、黙って聞いてれば記憶記憶って!お前が見てるのは二年前のレイだけだろ!どうして今のレイを見ようとしない!そもそもわかってんのか?女神の巫女ヴォルヴァであることがどんなに辛いかって!?」

「そんなの、知ってるさ!レイから直接聞いたんだから!」

「だったらなにも、わざわざ辛いことを思い出させなくたっていいだろうが!それともなにか、自分のことを覚えてないレイは偽物だとでも言うつもりか!?」

「そんなワケないだろ!!」


 ラントの反論が引っ掛かり、エイリークは彼の手首を掴んで吠え返す。


「どんなレイもレイに決まってるじゃないか!そりゃ、再会して俺のこと分からないって言われたのはショックだったけど!でも今のレイから目を逸らしてるわけじゃない!」

「だったらそっとしといてやればいいだろ!なんで思い出させようとして勝手に躍起になってるんだよ、レイの気持ちを考えもしないで!!テメェの自己満足のためにレイを利用しようとすんじゃねぇよ!」

「そんなことするもんか!でも、だからってレイに嘘までついて問題を先延ばしにしたって何も解決しないじゃないか!!それこそ、ラントは自分のために記憶を取り戻してほしくないって言ってるように、俺は聞こえるけど!?」

「もういっぺん言ってみろ!!この──」

「お二人とも、いい加減にしてください!」


 突如真横から突風が吹き荒れて、エイリークとラントはそれに巻き込まれる。受け身も取れないまま砂浜の上を滑る。突風の原因はケルスが召喚した大鷲、フレスベルクによる羽ばたきであった。砂にまみれたエイリークたちにゆっくり近付き、ケルスは二人に言葉をかける。


「エイリークさんもラントさんも、落ち着いてください。こんなところで喧嘩をしているヒマはありませんよ……!僕たちでお二人を探しましょう、ね?」

「ケルス……。ごめん……」

「……悪かった」


 ケルスの乱入により、落ち着きを取り戻したエイリークとラント。しかしお互いに気まずいのか、ふい、と顔を逸らす。優しく微笑んだケルスが提案する。


「ひとまず、ここが何処か調べましょう?」

「そうだね、どこかの大陸であればいいんだけど……」

「フレスベルクに頼んで、上空からこの付近の様子を見てもらいましょうか?」

「……いや、その必要はなさそうだぜ」


 ラントがある一点へ視線を送る。つられるようにしてそこへ視点をずらせば、複数人の男が彼らを見ていた。腰にサーベルなどの得物を差し、頭にバンダナを巻いているその姿は、まるで海賊そのもの。嫌な予感が脳裏を掠める。


「ヒャッハー!得物だ!」

「デッケェ鷲だ!狩って今晩のメシにしてやろうぜ!」

「狩りの時間だぜ野郎どもー!!」


 無駄にテンションの高い男たちがこちらに向かってきた。やはりというか、お約束とでも言うべきか。ただ、自分たち以外に人がいたことは僥倖だ。殺さない程度にと、エイリークはラントやケルスの前に出ると大剣を構える。


"巻き起こす彼方よりの風"クー・ド・ヴァン!」


 大剣を勢いよく振り下ろす。その瞬間に風のマナを纏わせることで、前方へ疾風を生み出した。砂浜ということもあって、放たれた風のマナが砂を巻き上げ砂嵐のようになる。そのまま向かってきた男たちを包み込み、上空へ吹き飛ばす。

 男たちは呆気なくそれに巻き込まれ、情けない悲鳴をあげながらやがて海の方へとダイブしていく。思った以上に呆気なさ過ぎて、こちらが呆然としてしまうほどである。念のためにケルスに、フレスベルクを戻した方がいいと助言していると、泳いできた男たちがよろよろと自分たちの前まで歩いてきた。まだ諦めていないのかと、ラントやケルスも臨戦態勢を取ろうとして、彼らの土下座に唖然とする。


「……え?」

「すいませんっしたぁあ!」

「俺らが悪うございましたぁ!」

「お命だけはお助けをぉお!!」

「あー……えっと……」


 分かりやすすぎるほどに完璧な命乞いだ。完璧すぎて何故かこちら側が泣けてくるほどに。彼らから敵意の類はすでに感じられない。ひとまずエイリークは大剣を鞘に納め、ケルスが彼らに近付いた。


「えっと、顔を上げてください。僕たちは貴方方を殺すつもりはありません」

「ほ、ホントっすか……!?」

「はい。ただ、お話を聞いてくださると嬉しいのですが……」


 にこ、と優しく笑うケルスを見た彼らに去来したものは何だったのだろうか。頬を赤らめながら、勢いよく立ち上がる。


「その程度でしたら喜んで!!」


 勢いよく立ち上がるも、海面ダイブの衝撃は余程だったのか、わき腹を抑える男たち。ケルスはそんな彼らに治癒術を施す。ケルスの治癒術は彼の持つ琴の音色で発動するもの。光に包まれ傷を癒された男たちにとって、ケルスは天の使いに見えたのか。感嘆の息を漏らしながら、歓喜に体を震わせている。気持ちはわからなくもないと思ったエイリーク。直後に自分が目の前の男たちを同じなのだろうかと動揺し、内心ショックを受けるのであった。

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