第二十二節 始まりの警鐘が鳴る
夕食を食べ終わり、一服する一行。ちょうど、焼き立てのアップルパイも完成したところだ。バターの芳醇な香りに、シナモンのスパイス。ほんわりとキッチンから漂ってきた魅惑のそれに、鼻腔が刺激される。程よいきつね色に色付いたパイは、包丁で切り分ければ小気味よいサクッとした音を奏でた。持ち上げればキラキラとしたリンゴの断面が、目を楽しませる。とろり、蜜が垂れる。それを六等分に切り分け、皿に飾ったレイ。
「トッピング何か欲しい人いますか?ちなみに俺はバニラアイス乗せますけど」
「あ、俺もそれほしい!」
「俺も頼むわ」
「グリムはどうする?」
「いらん」
「あの、レイさん。台所お借りしてもいいですか?美味しいお茶、淹れますよ」
「わぁ、ぜひ!よろしくお願いします」
わいわいとにぎやかなリビング。こうして見れば、彼らは普通の青年たちのように見える。仲間と夕食を食べて、美味しそうなアップルパイに舌鼓を打って。
『アルマ、オレたちにも』
『美味しい知ってるけど味知らないから』
「はいはい。けど、このひと切れはだめだからな。これは師匠の分」
『ああ、分かってるさ』
『食べてもらいたい、その気持ち大事』
ケルスのお茶も沸いて、食後のお茶会が開催される。焼き立てのアップルパイをまずは一口。サクサクのパイ生地に、滑らかなキャラメルリンゴの蜜。甘いだけでなく、カラメルのほのかな苦みも相まって、食べ飽きない味となっている。柔らかくなったリンゴを噛めば、果汁が口いっぱいに広がる。
二口目は、バニラアイスと一緒に。熱いパイを蕩けたバニラアイスが包み、食べやすい温度となっている。熱くて冷たくて、喉を通るのに忙しい。ケルスが一緒に淹れてくれた紅茶を飲めば、全身の筋肉が解れるような気さえした。
「はぁ……こういうの、幸せって言うんだろうなぁ」
「美味しいです……本当に初めて作られたのですか?」
「はい。自信なかったけど、思ったより美味しくできてて安心してます」
「いやうんまいな!ひっさびさにこんな美味いの食ったわ」
「グリムは?感想聞かせてよ」
「フン……まぁ、悪くはなかろう」
談笑する彼ら。やがて話はこれからのことについてシフトする。
結局ミズガルーズに到着しても、レイの記憶の手がかりもなかった。正直言えば手詰まりである。そして教皇ウーフォに報告するため、一度ユグドラシル教団本部に赴かねばならない。しかし一筋縄でいくかどうか、とラントが呟く。
「どうして?」
「エイリークがお尋ね者だってニセ情報が、ユグドラシル教団本部でも広まってる可能性がある。正面切っても、捕縛されるのがオチだろうな」
「誤解を解く方法が、あればいいのですが」
「誤解を解くより、情報の出所を調べた方がいいんじゃないか?そこを潰せば、まぁニセの情報だって知れる機会も増えるだろ」
そのためには情報収集をする必要がある。いい情報屋がいるか、まずはそこから調べてみようという話に落ち着く。ただその前に、一度ヒミンに寄る必要はある。教皇への伝令を、モワルとパンセに頼むためだ。報告書を二羽に括り付け、それを渡してもらうという算段である。重要なことを頼まれた二羽は、それでもいつもと変わらない様子で、引き受けてくれた。
話がまとまったところで、今日はもう各々休息をとることに。食器類を片付け、エイリークたちは客室に、レイは自室で横になる。夜の帳が部屋を包む。夢うつつなレイ。
──瞼に映るは死の炎。貴方は覚えてる。
レイの表情が歪む。聞き覚えのない声が聞こえる。
──
脳裏で誰かがレイに呼び掛けていた。しかしその声は、直後に広がった炎によってかき消されてしまう。あまりの衝撃に、レイは思わず飛び起きた。
「なんだ、今の……」
不吉な疑惑が胸の内に広がる。何か悪いことが起きるのではないか。そんな気がしてならなかった。二度寝する気にはなれない。他の仲間が起きないよう音を立てないようにと、細心の注意を払う。部屋をゆっくりと後にして、気付かれないように家を後にした。手には、愛用の杖を持って。
胸に広がる不安を消したいならばミズガルーズ国家防衛軍なり、ユグドラシル教会に向かえば良いのだが。レイはそこには向かわず、国を覆っている城門の方へと走っていた。彼の第六感が、そちらへ向かえと告げているのだろうか。
「……?」
目の前に城門が見える。しかし様子がおかしいと、肌で感じた。町から城門までには、石橋がある。そこは夜でも見晴らしがいいようにと、数本の照明があるはずなのだが。それが、全部消えている。疑惑が最大限まで高まった直後のことだ。
「ぎゃあああ!」
悲鳴。耳をつんざくようなそれが、耳に届く。何事かと、走る速度を上げる。暗闇に目が少しずつ慣れていたのか、だんだんとその全貌が見えてきた。目の前に、一人の兵士が倒れている。そんな兵士を足蹴にした人物は、両手に鉤爪を装着していた。その爪にはべっとりと、何かの液体が付着していて。ギョロ、とこちらを向いた瞳には狂気が宿っている。見覚えがある。あの時、漁港の街キュステーで相まみえた人物。
「ヴァナルの……!」
「ァア?オイオイ、まだ暴れ足りてねぇのにもう嗅ぎ付けてきたってか」
その人物とはヴァナルの、バーコンだった。彼は盛大にため息をついて、足元の兵士を蹴り上げる。弧を描くようにして宙を舞った兵士は、レイの前にぐしゃりと潰れるようにして落下した。治癒術を施したいが、それでは目の前の狂気に隙を与えてしまう。
対峙するレイに、さらに追い打ちをかけるようにもう一人。
「おかしいね。ボクたちはまだ、これから動こうとしてたのに……。それとも、視えたのかな?だとしたら、さすが女神の
人形を抱えた小さな子供、アインザームまで。レイは警戒を強める。二対一では不利だが、街の中に彼らを通すわけにはいかない。ヴァナルの目的はユグドラシル教団であり、ミズガルーズにあるユグドラシル教会だろう。ならばユグドラシル教団騎士として、教会を守る使命があると。どう動こうかと決めあぐねていたが、突如国全体に警戒状態を呼びかける警鐘が鳴り響いた。ミズガルーズ国家防衛軍が、異常に気付いたのだろう。
「チッ……犬並みの嗅覚ってかァ?」
「タダじゃ帰れない、よ……。仕方ないし、計画早めよう……?」
警鐘が鳴り響く中、アインザームは徐に手にしていた人形に口づけを施す。じっくり味わうように、凡そ子供が知っていてはいけない類のキスをする子供。まるでそれは自分の魂を人形に宿すような儀式にも、子供がお気に入りの玩具に悪戯するようにも見えてしまった。数秒か数分か、目が離せないその異様な光景。漸く人形から口を離したと思えば、抱えられていた人形は生命が宿ったかのように蠢く。子供に抱えられる程度の大きさから、成人男性にまで成長したその人形。
「なんだ、その人形……!?」
「……人形、じゃないよ。このヒトは、ボクのパパ」
告げられた衝撃的な事実に、思わず自分の耳を疑ったレイ。
「ボクはパパのこと、愛してる。パパもボクのこと、愛してくれてる。ボクがキスをすれば、パパはボクを守ってくれる。貴方にはいない?愛を与えられるヒトも、愛を注いでくれる大切なヒトも」
「え……?」
「あとね、ボクだけに注目するのは、危ないかも……?」
指摘されて気付く。アインザームの隣にいたはずの、バーコンがいないことに。
気付けたのは、自分の上空に殺気を感じたからだ。咄嗟に防御の術を展開して、振り下ろされる凶刃を防ぐ。光の壁と鉤爪がぶつかり、鬩ぎ合う。しかし大抵、物質というのは上から落下される際はその威力を増すものである。力強く引っかかれた光の壁は、形を保てずにバラバラと砕けてしまう。
「な……!」
「八つ当たりに付き合ってもらうぜェ女神の
がら空きのボディに、容赦ない蹴りが炸裂する。地面に叩きつけられるようなそれに、一瞬息が詰まる。連撃と言わんばかりに繰り出された鉤爪を回避し、レイは牽制に光魔法を発動。
「ハハッ!やるじゃねぇか!そうでなきゃなぁ!!」
起き上がり、後退するレイではあるが。真横から感じた別の殺気に、体を捩ってどうにか躱す。そこには成人男性の人形、アインザームの父親の姿が。二対一と思っていたが、いつの間にか三対一となっていた。
これ以上下がれば、街に被害が及ぶ可能性がある。そして眼前には敵が三人。石橋の上では逃げ場もなく、まさに八方塞がりだ。だがここで逃げるという選択肢はなかった。ミズガルーズ国家防衛銀の応援が到着するまで、時間稼ぎはできる。
「ッ……させ、ない。街には届かせない!」
「そうそう、頑張れや女神の
「……ただじゃ、殺さない、よ。だから……もっと、ボクたちと楽しもうね」
アインザームの言葉を皮切りに、彼らは一斉にレイへと向かっていった。
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