第二十一節  冷たい部屋は何を伝える

 レイはその日の夜、一年振りに帰宅した自宅で部屋の整理をしようとしていた。懐かしい自宅。師匠のヤクと共に過ごしていた時が、懐かしく思う日が来るなんて思ってもいなかった。

 共に行動していたエイリークたちは、夕飯の買い出しや休息をとっている。今日はレイの家で、一晩を過ごすこととなっていたのだ。


 ******


 王城から出たレイたちは、今晩の宿を探そうとした。しかしエイリークがお尋ね者であるという情報が出回っている今、迂闊に宿屋に泊まるのは危険だと判断。そこで出た案が、レイの家に泊まるという選択肢だった。

 幸い今晩は、家主のヤクは夜勤。レイも自宅のカギを持っていたことあり、その案で過ごすこととなったのだ。


「ありがとう、助かるよ」

「いえ、このくらいなら。でもその、冷蔵庫に何も入ってないかも……」

「じゃあ買い出しは俺がしておくわ。適当に買ってくるけど、いいよな?」

「僕も付き合いますよ」


 とんとん拍子に話が進む。先に家に向かうのはレイ、エイリーク、グリム。買い出しをケルスとラントが担当することになった。レイの家がわかるか懸念があったが、ラントが言うには、大体の位置さえ教えてくれればあとは勘でどうにかなるらしい。


「それに、レイの家に記憶の手がかりがあるかもしれないしね」

「結局、何もわからずじまいですから……。そうだと、いいですね」

「……記憶、ね」


 不服そうに呟くラントに、疑問を抱く。どうしたのかと尋ねても、何でもないとはぐらかされてしまう。あまり詮索しすぎるのもよくないかと、深く尋ねることはしなかった。そのまま、一旦分かれることになったのだ。


 ******


 無事に自分の家に着いたレイたち。レイは風呂の準備をはじめ、沸いたら順次入っていいとエイリークとグリムに告げた。彼らを客室に案内し、その間レイは自分の部屋の片付けをしようと考えたのだ。


『それにしても、随分綺麗な部屋じゃんか』

『ホコリ、ひとつもない。ピカピカなのはいいと知ってるよ』


 いつの間にか侵入していたモワルとパンセに、適当に相槌を打つ。確かに思っていたよりも部屋は綺麗だった。パンセの言うように、塵一つ落ちていない。一年間も留守にしていたというのにと考えたが、この部屋を掃除してくれる人物なんて一人しかいない。


「師匠、俺の部屋掃除してくれてたんだ」


 ノートを整理しながら小さく呟く。なんだかんだと、自分の面倒を見てくれることに感謝しながら。


「……」


 一冊一冊整理しながら、脳裏をよぎったのはエイリークの言葉だ。

 記憶の手がかり。レイは自分が記憶喪失だということに、疑問を持っていた。自分の記憶におかしい点なんてない、そう思っていた。

 ところが、エイリーク──自分の知らない自分を知っている、今の旅仲間である彼らとの出会い。ヴァナルたちが自分のことを、女神の巫女ヴォルヴァと呼んだ事実。それらが自身の記憶喪失への不信を、確信に変えた。


 自分は、やはり大事な何かを忘れてしまっている。でもそれは、絶対に思い出さなければならないこと、なのだろうか。とはいえ、自分と話している時にエイリークが時々見せる、苦し紛れのような笑顔に胸が締め付けられるのも本当だ。

 せっかく知り合えたのだ、そんな顔をしてほしくないと感じる自分もいる。出会ってまだ数日しか経っていないが、まるで彼のことを昔から知っているような既視感。レイはそれに戸惑っていた。


 そんなことを考えながら整理をしていたが、扉のノックされる音に意識が持っていかれた。


「はい、どうぞ」

「やぁレイ。お風呂ありがとう。気持ちよかったよ」


 扉の奥には、タオルで髪を拭いているエイリークがいた。風呂上りらしく、頬が少し上気している。彼ににこりと笑って、それはよかったと答える。


「お風呂、狭かったですか?」

「そんなことないよ、十分だった。なんか誰かの家のお風呂なんて久し振りで、いつもより長湯しちゃったくらいさ。今はグリムが入ってるよ」

「はは、それを聞いて安心しました」

「へへ。……ここがレイの部屋なんだね」


 どうぞ、と半身引いてエイリークを迎える。特にこれといった面白みのない部屋ではあるが、と付け加えて。エイリークが中に入ろうとした瞬間に、背後からドサドサと何かが落ちる音が耳に届く。何事かと振り向けば、そこでは二羽のワタリガラスが悪戯をしていた。床にノートが散乱してしまっている。


「ああもう、何やってんだよ折角整理したのに……!」

『悪い悪い、つい嘴が滑ってなぁ』

『ボク知ってる。それ言い訳』

『パンセだって滑ってただろうが』

『ボクのは計算間違いなだけ』

「二羽とも悪いからな!言い訳禁止!」


 まったく、と散らばったノートを片付けようとして、開かれていたページに目を落とす。そこにはヤクから教えてもらった、自身の好物であるアップルパイのレシピが記されていた。思わず挙動を止めたレイに、エイリークが尋ねてきた。


「アップルパイのレシピ?」

「ああ、はい。俺、師匠が焼いてくれるアップルパイが好きで。ユグドラシル教団騎士になっても食べたいからレシピ教えてくれって、せがんだんですよ。それなのに結局ここに忘れるなんて。バカだな俺」

「へぇ……なんか、懐かしいなぁ」

「懐かしい?」


 頷いたエイリークが語ったのは、二年前のことだった。彼が自分と初めて出会った日の翌日、手渡されたというグラノーラのようなバー。それはレイが水分を飛ばして保存食にした、乾燥アップルパイだったということ。

 味が濃縮されて美味しかったんだよ、と語るエイリークの横顔が眩しい。


『ボク知ってる。それ美味しいやつ』

『なんか食べたくなってきたぜ。作ればいいじゃねぇかアルマ』

「え!?いやでも、俺作ったことないし……」

「いいな、俺も出来立てを食べてみたいよ」

「フランメさんまで……」


 レイをよそに乗り気になっている三人──正確には一人と二羽は、連れられるようにしてキッチンへと向かっていく。止める前に行動を起こされては、止めようがない。


「ちょ、材料がなきゃ作れないからな!?」


 そんな言葉が聞こえているかどうか。それでも、あのように期待している三人を無視できるほど、冷徹にはなれない。仕方ないとレシピのノートを拾ってから、部屋を後にしようとした。もう一度レシピに目を落としてから、誰に聞かせるわけでもなく呟く。


「……師匠のアップルパイ、もう一度食べたかったな」


 呟いてから我に返る。もう一度、とはなんだろうか。まるで、もうそれを食べることができないなんて言い方。まだ時間はあるのだから、頼み込む機会なんていくらでもあるだろうに。自分自身の呟きを疑問に思いつつ、レイは部屋を後にした。


 結果として、材料は揃った。レイの家に辿り着けたラント達の紙袋の中に、偶然にもリンゴが入っていたのだ。喜んだエイリークと二羽のワタリガラスから事情を聴いたラントとケルスも、そのアップルパイが食べたいと目を輝かせた。

 時間はまだ夕刻前で、今から作ればちょうど夕食後のデザートになる、と。わかったからそうハードルを上げないでほしい、とだけ告げる。

 各々休息をとっている間に、レイはパイ作りに取り掛かった。モワルとパンセがそんな自分を見守っている。レシピを確認しながらも、今のところ大きな失敗もなく作れているレイに感心しているようだ。


『楽しそうだなアルマ』

『楽しんでいるんだよアルマは』

「まぁ……自分の料理を誰かに食べてもらう機会なんて、あんまりなかったからな」

『オレたちの期待がかかってるぜ』

『美味しいの作るって、知ってる』


 はいはい、と相槌を打ってリンゴをキャラメリゼしていく。これを冷まして、冷蔵庫で休ませているパイ生地と一緒に焼けば、完成だ。初めて作るが、美味しくできていれば嬉しいな。そんなレイを、ラントが訪ねてきた。


「よっ。いい匂いだな」

「ステルさん。あの、ごめんなさいまだ出来てなくて」

「わかってる。なんか、悪かったな。囃し立てておきながら、なんも手伝わなくて」

「そんなことないですよ。俺、楽しんでますから気にしないでください」

「そう、か?」


 でも手伝ってくれるなら、とレイはキャラメリゼしたリンゴをひとかけら味見してほしいと伝える。それならば喜んでと勇んで食べ、出来立てということを失念していたのか、盛大に火傷したラントである。


「ごめんなさい!大丈夫……じゃないですよね!?」

「あー、気にすんな。大丈夫だから」

「いやでも……!」

「本当に大丈夫だから。それに、マジ美味いから!」

「あとで軟膏、渡しますね……」


 大丈夫だから、と笑頭で頭を撫でてくるラント。

 何故かその掌の感覚を知っているように思えて、内心疑問を抱く。どこかで、今のように彼に撫でられたことがあるみたいだ。一人考えるレイを知ってか知らでか、ラントが尋ねる。


「そういえば、どうしてアップルパイ作ろうって思ったんだ?材料が揃ってても、疲れてるなら作らなくてもよかっただろうに」

「エイリークさんが言ってたんですよ。二年前に俺から貰ったアップルパイが美味しかったって。だから、出来立てが食べてみたいって。俺自身も久々に食べたくなったから、折角だし作ってみようかなって」

「……二年前、ね」

「……?」


 またしても妙な雰囲気で呟いたラント。不審に思うが、その妙な雰囲気は一瞬で消え去る。気のせい、だろうか。


「ほら、早く火からおろさないと焦げるぞ」

「あ!そうだった!」


 鍋を火からおろして、粗熱をとる。その間に夕食を食べようと、全員をリビングに集めるのであった。

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