第十六節   襲い掛かる新たな脅威

 宿屋を出ていた一行は、漁港の街キュステーからミズガルーズへと繋がっている街の西門へと走っていた。敵の火の粉が降りかかる前に、ここを出よう。それがケルスたちと合流したエイリークが出した答えだった。

 下手なところで足止めを食うわけにもいかない。街のことを思えば心苦しいが、自分たちが今、為すべきことは何かと諭されれば、選択は一つしかなく。


「でもどうして!?この街に教会なんてないはずなのに!」


 レイは叫ぶ。そう、この町にはユグドラシル教会はない。ユグドラシル教団の敵であるヴァナルの目的は、ユグドラシル教団の撲滅のはず。そのために、ユグドラシル教会の破壊活動や教団の信仰者、修道士たちを惨殺しているのに。

 一見ユグドラシル教団とは縁のなさそうなこの街で、彼らが破壊活動をする動機はない。そのはずなのにと、ユグドラシル教団騎士であるレイは狼狽していた。


 だが実際に破壊活動は行われている。東側だけで済んでいる火の手も、いつ西側に伸びるとも限らない。今はとにかく、一刻も早くこの街から脱出することが先決だ。このまま何事もなく済めばいいのだが。

 しかしそう思うと邪魔が入るというのが、世の常。エイリークは上空から迫る気配に気付くと、大剣を鞘から引き抜いて叫ぶ。


「さがって!!」


 大剣を自分の上で掲げ、衝撃に備える。直後、そこに衝突する二つの衝撃が大剣から手に伝わる。明らかな、殺気。


「せぇい!」


 火の粉を振り払うように大剣を薙ぐ。手ごたえはなく空を切る。

 殺気は自分たちと対峙するように、前に降り立つ。明確な敵意に、グリムたちも警戒態勢をとった。


 目の前の殺気は、体を大きく前屈させている。だらん、と垂れている両手には、鉤爪が装着されていた。ゆらりとゾンビのように顔をあげ、こちらを吟味している。

 その双眸が孕んでいたのは、狂気か、それとも。果たして意思はあるのだろうか。


「……イイな、オマエ。オレの一太刀を受け切った奴は、久し振りだ」


 目の前の人物が、エイリークを捉える。人間の風貌ではない自分を理解したのか、目を刮目して笑みを深くした。その行動が余りにも不気味で、気味が悪い。


「そうか……オマエ、人間じゃないな?その見た目、バルドル族か……!!」


 一人納得して、高らかに笑う。壊れた蓄音機のように。理解不能な言動を繰り返す人物に、警戒を最大限に強める。


「ハハハハッ!!今日はツイてる!最ッ高の気分だ!!そうか、ようやくか!ようやくオレの刃を受け止めてくれるヤツが、オレの目の前に現れてくれたのか!!」


 そのまま言うが早いか、その人物はエイリークに向かって突進してきた。エイリークはすかさず大剣を構え、守りの体勢に入る。


 二度目の衝突。

 ギチギチと互いの武器が鍔迫り合う。


「っ……!なんなんだ、お前!?」

「バルドル族ゥ!オレはオマエを待ってた、ずっと会いたかったぜ!!オレの渇きを癒してくれるオマエを!!」

「俺はお前なんて知らない、よ!!」


 力比べなら負けない。大剣を地面を抉るように振り上げた。武器を弾かれた男のガラ空きな身体。それを見逃すものか。

 炎のマナを乗せ、大剣の面で殴り飛ばすように振るう。


「吹っ飛べ!"炎よ焼き払えクレマシオン"!!」


 攻撃は男に直撃する。大剣が相手を殴ったという衝撃が、確かに柄から手に伝わった。服の繊維が焦げる臭いが、鼻をつく。

 吹き飛ばされた男は、そのまま地面に仰向けに倒れこむ。ピクリとも動かない。やったのかと思ったが、やがて不気味とも思える笑い声が男の喉から発せられる。


「……嗚呼、焼ける、灼ける妬ける!そうだこの痛み!オレが望んで、待ちわびていた、この感覚!!最高だ、オマエは最高だぞバルドル族!」

「こいつ、痛みを感じてない……!?」

「いや、感じてはいるんじゃねぇか?それ以外の大事なトコが欠落してるのさ」


 エイリーク以外の仲間も全員、武器を構えている。目の前の人物は立ち上がり、再び刃を構えようとして──。


「やめろバーコン」


 別の男の声に制された。

 途端に目の前の人物──バーコンと呼ばれた男の表情は不機嫌一色に染まり、声の方向に身体ごと向ける。その口からは罵声の言葉が紡がれる。


「ぁあ!?邪魔しようってか貴様!!」


 バーコンの背後に現れた男性。外見は長い紫紺の髪を一つにまとめ上げ、瞳は深い瑠璃。その人物から友好的な雰囲気は一切感じない。バーコンを制したのだから、味方であるはずはない。

 長髪の男はバーコンの罵声なぞ、何処吹く風のよう。淡々と語る。


「邪魔も何も。何のためにアディゲン様が貴様をこの地に遣わしたか、それすらも忘れたのか駄犬めが」

「ぁんだと……!?」


 バーコンが長髪の男に食って掛かろうとするのを、別の人物の声が抑える。


「バーコン、ヘルツィ、喧嘩は……だめ」


 聞こえてきた声は幼い。二人の間に入るように、奥から入ってきた人物。声に裏切らず、まだ少年とも少女とも捉えられる子供だ。腕に何やら人形を抱きかかえている。長髪の男──ヘルツィと呼ばれた男は、子供を見てため息を吐く。


「……アインザームか」

「なんだ次から次へと……!」


 目の前のエイリークたちを差し置いて話をする彼ら。目的は全く不明だが、一つ仮説を立てることはできる。この惨状の中で逃げないということは、彼らはここ漁港の街キュステーの住人ではないのだろう。

 ヘルツィがこちらを見て、何か納得したようだ。アインザームと呼ばれていた子供も、エイリークたちを視界に捉える。


「こんな街にバルドル族とは、珍しいな。成程、バーコンの嗅覚が反応するわけか」

「それに、リョースアールヴとデックアールヴもいる……。面白い、組み合わせ」

「お前たちは何なんだ!?もしかして、この街を襲撃したのって……!」


 対峙したまま、エイリークは訊ねてみる。その問いに対して、ヘルツィがそうだと答える。柄を握る手に、思わず力が入った。


「どうしてだ!」

「この街には古くから、ユグドラシル教会はなくとも女神像を安置し、祀っていたからな。こちらの理念の邪魔になるものだったので、街もろとも破壊する。それがアディゲン様の目的であり、我々の手段だ」

「女神像の破壊……?じゃあまさか、貴方たちはヴァナルなのか!?」


 ユグドラシル教会と女神像という言葉に、レイが反応する。


「そう……ぼくたちはヴァナル。はじめまして、ユグドラシル教団騎士。それとも、女神の巫女ヴォルヴァって呼んだ方が、いい……?」

「え……!?」


 アインザームと呼ばれていた子供の言葉に、レイが動揺する。己が女神の巫女ヴォルヴァであることも、今のレイは忘れている。動揺するのも無理はない。

 しかし、これではっきりした。ヴァナルということは、反ユグドラシル教団の人員であるということ。つまりはレイの、ひいては自分たちの敵となる存在だ。エイリークはレイの前に立ちはだかり、大剣を構えた。


「させない!!」

「そう熱くなるな、バルドル族。俺たちの任務はお前たちと戦うことじゃない。おとなしく引き下がるというのなら、今回に限ってはこちらは手出しをしない」

「その言葉、信用してもらえると思ってんの?ついさっき、そこの戦闘狂に突然刃向けられたんだけど?」


 ラントが矢を構えて尋問する。そう、先に手を出してきたのは相手側。そこを突けば、ヘルツィはバーコンという人物を躊躇なく足蹴にして告げた。


「ッ、テメェ!!」

「それについては、素直に謝罪する。この駄犬は俺たちですら、御するのに苦労しててな。全く、とんだ厄介だよ」

「同じ、仲間ではないのですか……?そんな風に、犬呼ばわりなんて!」

「仲間だけど……家族じゃないから。いやなことは、素直に言った方が、あとくされ?がなくて……いいと、思うよ」


 アインザームの言葉に、表情を歪めたのはケルスだ。自分より幼い子供が、どうしてそんなにも割り切った考えを持てるというのだろう。理解できない、と。


「さぁ、どうする?俺もこの駄犬を押さえつけるのは、容易ではなくてな。今ならまだ手を出さずに済むが?」

「っ……!」

「まぁ勿論次に対峙する時からは、敵同士だがな」


 ヘルツィの言葉に、考え込んでしまうエイリーク。そんな自分を、グリムが諭す。


「……行くぞ、バルドルの。余計な邪魔をしないというのであれば、今しか脱出できる機会はない」

「グリム……!でも……!!」

「貴様が今しなければならんことは何だ?ここで奴らと戦うことか?違うだろう」


 確かに彼女の言う通りだ。自分たちは一刻も早く、大国ミズガルーズに赴かなければならない。ここで足止めを食うわけにもいかない。納得せざるを得なかった。

 今は二年前とは違う。後ろ盾が少ない自分たちに、街一つを破壊しようとしている大きな敵と戦えるだけの力は、今はないのだから。


「わかった、よ……」

「……理解したのならば、行くぞ」


 武器を収める。そしてグリムの先導でエイリークたちは無事に、漁港の街キュステーから脱出したのであった。

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