第十五節 星空広がる下で
北ミズガルーズ地区、漁港の街キュステー。それほど規模は大きくないものの、そこは名の通り漁業な盛んな街である。収穫された鮮魚類は毎日大国ミズガルーズへと運ばれ、食卓に並べられるらしい。魚たちは栄養分を豊富に含んだアウスガールズ北西の海から海流に乗り、漁港の街キュステーの近くの海へとやってくる。
海と共存する街、とも呼ばれているこの街の港に船が到着する。エイリークはまたしても、よろよろと足元が覚束ない状態で上陸するのであった。もはや見慣れてしまった光景である。
空は茜色を見せている。今日はこの町の宿で一泊することになり、早速開いていそうな宿を探す。街の西門の近くに丁度よく宿があったので、二つ部屋を取る。三人部屋と二人部屋だ。エイリークとケルス、グリムで一部屋、レイとラントで一部屋という振り分け。明日の集合時刻などを決め、本日は解散となった。
その日の夜。エイリークは一人、宿の屋上へ向かう。今晩の夜空は雲一つない。自分の隠れた趣味である星空観察には、うってつけの星空だ。身体を冷やさないよう外套を羽織って、屋上までの階段を上る。
この宿は屋上を開放しているらしく、ドアに鍵などはかけられていなかった。一人占めできたらいいな、なんて思いながら屋上へのドアを開く。目が暗闇に慣れていたからか、そこに誰かいることに気付く。
「あれって……」
その後ろ姿に見覚えがあって。手摺りに寄りかかるようにして立っている人物に近付くと、声をかけた。
「レイ、なにしてるの?」
「ぅわっ!?」
自分の呼び掛けに、必要以上に身体を大きく跳ねられる。エイリークとしては、普通に声をかけただけなのだが。声をかけられた方はゆっくりと振り向き、自分であることに気付くと、止めていたのか息を吐き出す。
「フランメさん……?どうして、ここに?」
「ん?俺は趣味の星空観察。今日はいい夜空だから、星が綺麗に見えそうだなって。レイの方こそ、一人でどうしたの?」
「俺はその……ちょっと、考え事を」
「考え事?」
「ええ……まぁ……」
言葉を濁しながらレイは景色を見下ろす。その横顔が物憂げで、エイリークの中で二年前の、とある出来事を彷彿させる。御誂え向きに、自分の懐にはある物もある。どこか懐古に目を細め、手に持っていたそれをレイに差し出す。
「はい。これ食べる?」
差し出したのは、手の平サイズの水まんじゅうだ。この街では透き通った葛餅の中に、黒蜜を包んでいた。星の光で反射され、葛餅の表面に星空が写り込んでいる。手の平でぷるぷると揺れるそれは、何処か幻想的で、清涼感も感じさせた。
レイが遠慮しないように、自分の分もあるからと差し出した手とは反対の手にある水まんじゅうを見せる。それでもレイは少しばかり躊躇ったが、やがてエイリークから水まんじゅうを受け取った。
いただきます、と一言呟いてから一口。星空を頬張る。
自分の記憶の中にあった食感よりも弾力があり、もっちりとしていた。その分、噛みごたえもある。中から溢れた黒蜜が舌の上をとろりと滑り、その後を甘さが追いかけた。まったりとした甘さと、小指程度のほろ苦さ。飲み込んで息を吐けば、鼻腔からも黒蜜独特の芳醇な香りが抜けた。
レイも水まんじゅうを頬張る。美味しい、と呟く声が聞こえた。
「悩み事があるなら、聞くよ?」
星空を眺めながら、何となしに話してみる。自分の言葉に一度俯いてから、レイはゆっくり、呟くように言葉を絞り出した。
「……ごめんなさい」
「レイ?」
食べかけの水まんじゅうをきゅ、と握るレイ。突然の謝罪は、悩み事を打ち明けられないことに対してか。それとも別の──。
「フランメさんは俺のことを知っていて、だから会いに来て。それなのに俺、貴方に酷いこと言ったから……」
ユグドラシル教団本部での出来事や、あの時のレイの言葉。謝罪は、そのことに対するものだった。
彼が告げるには、一緒に旅をし始めてからずっと気になっていたのだと。己は自分たちのことを知らない。そう思っているのに、自分のことをまるで何でも知っているように笑いかけるエイリークの姿に、自分は本当に記憶喪失なのではないかと、疑念が強くなったと言うのだ。
自分が初めて出会ったエイリークに己は、もしかして、とんでもないことを言ってしまったのではないか。そのことに、ずっと後ろめたさを感じていたらしい。いつかは謝らなければと思っていた、とのこと。
「知らない人なんかじゃないんですよね。教団から出る前も、俺のこと助けてくれたし、今だってこうやって俺のこと気にかけてくれて。それなのに……本当にごめんなさい」
レイはエイリークに向き直って、頭を下げる。彼の姿を見てエイリークは──。
「ふふ、あはははっ」
思わず笑ってしまう。その反応が予想外だったらしいこと、急に笑われたことも相まって、レイは声に幾ばくかの怒気を孕ませて話す。
「な、なんですか!俺は真面目に……!」
「あはは、いや、ごめんね。つい」
「つい、で笑わないでください!」
「ごめんってば」
悪気はなかったと伝えれば渋々納得してくれたのか。レイはため息を吐き、残りの水まんじゅうを丸ごと口に放り投げた。
エイリークの笑いは、思い出し笑いだった。二年前と今で、互いの状況がまるで反対だったことが、いやに面白かったのがいけない。あの時は自分がレイに心配され、今みたいにこうして星空の下で一緒に水まんじゅうを食べた。
それが今回は、自分がレイを心配する立場になるなんて。懐古と共にエイリークの心に灯ったのは、ある種の安心感だった。
「いやね、変わらないなぁって思って」
「え……?」
そうだ。記憶があってもなくても、レイはいつも優しくて。名前の通り、光で周りを照らせるような心の持ち主で。今だって、自分が誰かを傷付けてしまったのかと思い悩んで。だからこそ。
「あのね、キミが俺の記憶をなくしてるからって俺に引け目を感じなくてもいいんだよ。旅をしていく中で、これから思い出すかもしれないんだからさ」
俺も手伝うからさ、と。笑顔で告げるエイリークに、レイは。
「……本当に?」
「うん」
「ひょっとすると、思い出さないかもしれないのに?」
「そんなことはないよ」
「……どうして、言い切れるんです……?」
不安を隠し切れないままレイはエイリークを見る。
彼の不安を引き飛ばすように、満面の笑みを向ける。
「レイを信じてるからだよ。俺はどんなレイのことも信じる。そう決めているんだ。二年前の時からね」
「俺を信じている……?」
「そうだよ。これは俺の意思。そんでもって俺は俺の意志は誰にも邪魔されたくない。まぁ、これはレイの受け売りなんだけどね」
手を差し出すエイリーク。この行動も、二年前にレイがしてくれたものだ。
「だから、絶対大丈夫だよ」
「……本当に、おかしなバルドル族ですね」
レイは差し出された自分の手を握り返し、負けないくらいの笑顔を見せた。
「ありがとうございます。それと……よろしくお願いします、フランメさん」
「うん!こちらこそ、改めてよろしく!」
星空の下で握手を交わす二人を月が見守る──はずだった。
街から聞こえてきた突然の爆発音に、誓いの雰囲気が掻き消される。夜ということもあってその音は、街中に響き渡った。聞こえた方角はちょうど、自分たちとは反対方向──港がある東側だ。
屋上から東側を見るが、詳しいことはわからない。港の方角から、夜に似つかわしくない黒煙と、真っ赤な炎の手が上がっていることは目視できた。レイと共ににどうしたのかと見守る。そんな自分たちを呼び戻すように、屋上の扉が勢いよく開かれた。敵襲かと振り向きざまに大剣を構えれば、そこには険しい表情のラントが立っている。
彼はエイリークたちを見つけて一安心したのか、息を吐く。しかしすぐ表情を引き締め、告げた。
「おい、逃げるぞ!」
「ちょ、何があったのさラント!?」
ラントのほうに駆け寄りながら状況説明を求める。
「ヴァナルの連中が、襲ってきたんだよ!」
街中から、二度目の爆発音が響いてきた。
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