第十二節   変わってしまったもの

 応接室でこれからの予定が決まった後。教会内に用意された客室で、今日は休むことになった。荷物を置いて休息をとる。


「エイリークさん……」


 ソファに腰掛け、テーブルの上に広げたレイからの手紙を眺めるエイリーク。その横顔はすっかり意気消沈としていて、心ここに在らずといった状態である。ケルスが声をかけても返事ができないくらい、傷心していた。


 レイが無事であったことには、素直に喜べたのだ。ユグドラシル教団騎士が襲撃を受けていると聞いた時、彼が無事であるかどうか分からなかったのだから。だから生きて再会できて、心の不安が消え去ったのは確かなのだ。それなのに──。



「あの……どちら様、ですか?」

「仲間も何も、その……。初対面、です」

「それに、俺がバルドル族のあなたと一緒に旅なんて。とても信じられないというか……人違いじゃありませんか?」



 レイの嘘のない言葉が胸に刺さる。自分のこと、あの旅のことを全く覚えていないなんて。あんな風に他人行儀な対応をされるとは、思っていなかった。それよりなにより、二年前自分に向けていてくれた彼の笑顔がなかったことが、ショックだった。あの訝しむ目が、目の裏に焼き付いて離れてくれない。天を仰ぎ、何回目かのため息を吐く。それでも心にじくじくと刺さる痛みは、増すばかり。


「……これでわかっただろう、バルドルの。所詮人間とは、その程度のものだ」


 グリムの言葉が、いやに耳に障る。不満一杯の表情で彼女を睨むも、グリムはどこ吹く風と淡々と話す。


「全く笑わせる。あ奴は有象無象の人間たちとは違うなどと息巻いておきながら、結果はあのザマだ。甘すぎるのだ、貴様は」


 彼の心情を知ってか知らずか、彼女は言葉を紡ぐことをやめない。発せられる言葉のどれもが鋭利な刃のように聞こえて、しかし否定したくて思わず声を荒げた。


「そんな言い方しなくたっていいじゃないか!!」

「事実を述べたまでだ。本来バルドル族は戦闘だけを好み、それ以外への破壊願望が強い種族だというのに。忌み嫌われている人間の仲間から一言二言言われただけで、傷心して何も手につかないなどと。これが甘さでなくて、なんというのだ?」

「なんだよっ……!なんだよそれ!グリムはレイと一緒に旅したことがないから、そんなことが言えるんだ!俺の気持ちなんて、わかるわけないだろ!?」

「何を当然のことを。言ったことがあるだろう、私は人間を憎んでいる。何故私が奴らに寄り添わねばならん、とな」

「じゃあ黙っててよ!レイのことを分かりもしない奴に、一緒に旅して楽しんだ記憶のある俺が、どれだけショックだったってことか分からないなら、余計なこと言うなよ!」

「エイリークさん!!」


 すかさずケルスが制止に入る。彼に制止されたことで、我に返った。……これではただの八つ当たりだ。頭を支えるようにして手を置いて、空気の抜ける音と共にグリムに謝罪する。


「ごめん……」

「……エイリークさん。グリムさんは何も、レイさんのことを否定してはいないですよ。それに、その……エイリークさんのことを心配して……」

「わかってる……。わかってるんだ、グリムの言ってることは正しいって。俺のこと叱ってくれてるのは、俺のためだってことも」

「……」

「それなのに俺、レイに忘れられてたことが悔しくて辛くて悲しくて。つい、八つ当たりしちゃった……。本当に、ごめん」


 確かにケルスの言う通り、グリムはレイのことを否定しているわけではない。人間とはその程度とは言ったが、レイのことだと明言はしていなかった。甘いと言っていたのも、彼女がいつも自分に言っていることだ。もう少し現実を見ろと、物事を見極めろと叱責してくれているだけ。

 そのことを分かっていたはずなのに、八つ当たりするとは。これでは自分が、あまりにも惨めだ。深くため息を吐いて、もう一度ソファに腰掛ける。

 ケルスが向かいに座って、慰めるように言葉をかける。


「きっと、レイさんなら思い出してくれますよ」

「ケルス……」


 にこりと笑うケルスに励まされる。力なく笑い返して、礼をする。お茶でも淹れますね、と彼は客室に併設されているキッチンへ向かった。グリムは一つため息を吐いて、エイリークに話始める。


「……あの半人前のことについては、私の与り知るところではない。だが、妙な記憶の失くし方だとは思ったな」

「妙な記憶の失くし方?」

「二年前の出来事とやらだけを、わざとなくしたように思えた。都合よくその部分だけを切り取ったかのような感じだ、作為的とも思わざるを得ない」

「じゃあ、レイは記憶をわざとなくされた?でも誰がそんなこと……」

「知らん。言っただろう、私の与り知るところではないと」


 顎に手を当て、考える。今思えば確かに、レイは自分の故郷のことはしっかりと覚えていた。そしてエイリークたちのことだけを忘れていた。ミズガルーズ国家防衛軍に世話になり、世界巡礼に一緒に赴いたことも。あの時はショックの方が大きく考えられなかったが、それだけを綺麗に忘れるということには違和感を感じる。

 そう考えると、少し希望が見えたような気がした。原因究明をすれば、レイはいつか自分たちとの記憶を思い出すのではないか。幸い、明日からはまた一緒に旅が出来る。その中できっかけを掴めば、思い出すこともあるかもしれない。


「ありがとうグリム。俺、レイの記憶が戻るように頑張るよ」

「……勝手に頑張ればよかろう」

「うん、勝手に頑張るよ」


 いつものようなやりとりをしていれば、お茶の用意が出来たケルスがキッチンから出てくる。エイリークの顔色がよくなったとわかったのか、一安心した様に笑ってから、二人にお茶を振る舞うのであった。


 ******


 翌日。

 レイとの待ち合わせはユグドラシル教団本部正門前と、昨日決めていた。

 エイリークはいつもより早く目が覚めてしまったからと、ケルスとグリムが準備を始める前に準備が終わっていた。二人を待つ間、窓際に立って外を眺める。教団本部の客室からユグドラシル教団騎士本部の庭が、よく見えた。


「ん……?」


 窓の端、ユグドラシル教団騎士本部正門近くで、何かが動く。もしかしてレイだろうかとみてみれば、その人物であった。しかし様子がおかしい。彼の周りを複数人の騎士装束の人物が囲み、レイに何かを話しているようだ。まるで恐喝か何かをするときのように。様子を見ていたエイリークだったが、彼らがレイの腕を無理矢理引っ張っていく姿が目に入る。嫌な予感がする。


「ごめん、先に正門のところ行ってるね!」


 大剣を背負い、エイリークは急いで客室から飛び出す。間に合ってほしいと願いながら教団本部内を駆け、外に出た。足を止めずにそのまま、客室から見えた場所へ向かって走っていく。


「確かこっちの方だったはず……」


 辺りを見回す。先程の人影らしい人影は全くない。


 ──「放せ、よ……!」


 ふと、とある一角から抵抗するような声が耳に届く。声のした方角は、右斜め前にある細い路地からのような気がしたがはたして。考えるよりも行動とそこへ走り見てみれば、複数人の教団騎士がレイを地面に押し付けている光景が目に入った。


「なにやってんだ!!」


 怒鳴り声をあげて入っていけば、その場にいた全員がこちらに振り向く。エイリークを見た教団騎士たちは、突然のバルドル族に恐れの表情を見せた。もう一度、唸るように声をかけて近付けば今度はレイから放れ、蜘蛛の子を散らすようにその場から立ち去っていくのであった。放っておかれたレイは呆然とエイリークを見上げている。

 今この時ばかりは、バルドル族は人間から恐れられているという事実があってよかったと思わざるを得なかった。一つため息を吐いて、レイに手を差し伸べる。


「大丈夫?」

「あ……はい。ありがとうございます」


 差し伸べた手を掴んで、レイは何事もなく立ち上がる。石畳で若干汚れた騎士装束を手で払いながら、もう一度改まって頭を下げるレイ。


「怪我はない?」

「大丈夫です、怪我はしてません」


 レイの敬語に、どうしても慣れない。少々の虚しさがチクリと胸を指す。それでも笑顔を向けて良かったと告げれば、レイはおずおずとエイリークに尋ねた。

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