第十一節   知らない彼の姿

 レイの言葉の意味が理解出来ず、エイリークは思わず聞き返す。


「え……レイ、冗談だよね?俺だよ、エイリーク・フランメだよ。二年前、ケルスとグリムをカーサから救うために、一緒に旅をしたよね」

「俺が……バルドル族の、あなたと……?」


 訝し気にエイリークを見るレイの瞳に、嘘は感じられない。本当に自分のことを知らない、そう考えざるを得ないほどに、彼の訝しげな表情に突き放される。言葉が出ずに固まってしまうエイリークに、ウーフォが助け舟を出す。


「ふむ……。貴公は彼らと仲間ではなかったのか?」

「仲間も何も、その……。初対面、です」


 信じられない、とでも言わんばかりのレイの狼狽っぷりにショックを受ける。しかしまだ、何かの冗談かもしれない。エイリークはレイから受け取っていた手紙たちを取り出し、彼に見せながら説明を始めた。


「覚えてない?二年前から俺と文通していたんだよ。これ、レイからもらった手紙だよ?見覚えないかな……?」


 ほら、と差し出した手紙を彼は受け取る。エイリークから手紙を受け取ってまじまじと見たあと、やがてレイは首を力なくふるふると横に振った。


「確かに、俺の字ですけど……。ごめんなさい、見るのは初めてです」

「そ、んな……」

「それに、俺がバルドル族のあなたと一緒に旅なんて。とても信じられないというか……人違いじゃありませんか?」


 突き放すようなレイの言葉に、今度こそかける言葉を見失うエイリーク。返された手紙を弱弱しく握り、俯く。エイリークのそんな態度に、レイもどう動いていいかわからないのか、言葉を濁すことしかできない。目元が揺らぎ、助けを求めるように彼はウーフォやケルスたちを見るしかできなかった。エイリークの言葉を代弁するように、ケルスが一歩前に出てレイに質問を投げかける。


「本当に、覚えていませんか?」

「ごめんなさい……。自分の名前と故郷とかは、覚えているんですけど。あなたと一緒に旅をした記憶なんて、俺にはありません」

「それってつまり、記憶喪失ってことですか……?」

「……俺は自分が記憶喪失だとは思ってないんですが、あなた方がそう仰るのであれば、そういうことになりますね」


 ケルスもいよいよ口を噤む。気まずい空気が応接室を包みこんでいる。

 そんな時、突如としてその空気を壊す二つの声が響いた。


『なんだなんだぁ?辛気臭せぇなオイ!』

『……それ、ケーワイって、聞く』


 どこからともなく響いた声。初めて聞く声だ。エイリークとケルスはキョロキョロと応接室内を見回す。いったい何処から、と。


『何処見てんだよ』

『こっち、こっち』


 エイリークの前方から声が聞こえる。前にはレイしかいないはず。そう思い視線を前に向けると、いつの間にいたのだろう。レイの頭と左肩に、カラスが二羽留まっていた。頭上のカラスの足には金のバングルが、左肩のカラスの足には銀のバングルがそれぞれ括りつけられている。

 頭の理解が追い付かない。呆気にとられていると、まず頭に留まっていた方のカラスが、片翼をバサリと広げながら口を開く。


『よーやく気付きやがったか。見た目の通りにマヌケなバルドル族だなぁ』


 そんな不遜な態度のカラスに対し、左肩に留まっていたカラスが羽根を器用に使って、人間が頭を抱える時のような仕草を行う。


『確かにマヌケ。でも偉そうなの失礼』

「あの、えっと……?」

「ちょっと、みなさんが驚いてるから」


 レイが二羽のカラスをたしなめる。彼に対し頭の上のカラスはハイハイ、と態度を改め、左肩のカラスは彼の頬に頬ずりして、素直に謝罪する。二羽の態度に納得したレイは、彼らに自己紹介を促した。


『一度しか言わないぜ?オレはモワル』

『ボクはパンセ。モワルとは二羽で一羽』

『一羽が二羽ってことだ』


 二羽のカラス──モワルとパンセ──の謎かけのような言葉に、別の意味で首を傾げることとなったエイリークたち。答えを探そうとしたが、二羽が視線でエイリークたちにも自己紹介を、と促す。レイが混乱している、と指摘されれば答えないわけにはいかなかった。


「えっと、俺はエイリーク・フランメ」

「僕は、ケルス・クォーツと申します。本名は長いので、ケルスと」

『アウスガールズ本国の、新しい国王だね』

『はー、道理で。似てると思ったら、あのパシフィ国王の息子かお前』


 モワルの言葉に、ケルスは些か愕然としたようだ。会ったことがあるのかと尋ねれば、彼らはこう答える。


『オレはパシツィの顔覚えているからな』

『ボクはパシツィのこと知ってるからね』


 曖昧な答えだが、知っていることに変わりはないのだろう。会話がすっかりと二羽のテンポに持っていかれている。彼らは最後、グリムの紹介を待っていた。対してグリムは興味なさげにフン、と顔をそらすだけ。仕方なしに、エイリークが彼らにグリムのことを紹介するのであった。

 そして話題は先程の内容に戻る。レイの記憶についてのことだ。彼はエイリークたちの名前を聞いても、やはり知らないと答えるのであった。レイはカラス二羽にも尋ねる。


『さあな』

『さてね』


 カラス二羽は曖昧にしか答えなかった。またしても沈黙が支配しかけた応接室内だったが、ウーフォがレイにある提案を持ち掛けた。


「アルマ教団魔法騎士。一度、貴公の故郷に戻られてはどうだ?」

「え……?」


 レイの故郷は、大国ミズガルーズ。そのミズガルーズにも、ユグドラシル教会は存在している。教団騎士の仕事の一つである巡回ついでに故郷の景色でも見れば、記憶も甦るかもしれない。ウーフォの提案は魅力的だったが、レイは渋った。


 何故なら、本来他国に存在しているユグドラシル教会への巡回任務は、教団騎士の中でも力ある者、地位の高い者に拝命されるものだ。教団騎士に入団して一年と満たない、無力な自分が請け負える任務ではない。そう苦言を呈し、拝命を辞退しようとするレイ。それにカラスたちは、待ったをかける。彼らはレイをまるで、止まり木のように扱っている。よほど懐いているということがわかる。


『いいじゃねぇか、教皇直々の提案だぜ?他の奴らなら、泣いて喜ぶ任だぞ?』

『外の空気を吸うのも、大事。引きこもりは身体によくない』

「だけど……」


 カラスたちに言葉をかけてもらうも、憂色を浮かべるレイ。眉を顰めたままウーフォを見るが、ウーフォは彼に一つ頷くだけ。そんな彼を見て、レイはようやく納得したのか、頭を垂れた。


「……拝命します」

「うむ。……其方も聞いたな?後程正式に、彼の者に勅命を下す。教団魔法騎士長へその旨伝えておくよう頼まれるか」


 ウーフォは入口で控えていた、先に報告に来ていた兵士の一人に告げる。告げられた兵士は畏まると、そのまま応接室から出ていくのであった。

 その会話が一応聞こえていたエイリークが、ウーフォに提案する。


「……あのっ!もしよろしければ、彼の護衛をさせていただけませんか?」

「ほう……其方が護衛を?」

「はい。ヴァナルは、ユグドラシル教団騎士を襲撃することもあると聞きます。俺は、それがわかっていながら自分の仲間を見捨てるなんてできません。だから、彼がミズガルーズへ赴く際、俺に彼を守らせてはもらえませんか?」

「構わないが……其方はケルス国王の護衛として、ここに来たのではなかったのか?」

「あ……」


 エイリークは口を紡ぐ。本来ここに来た目的は確かに、レイに会うためである。しかしそのために、ケルスの護衛の任を受けて、ここへ来た。護衛は、ケルスがアウスガールズ本国へ帰還するまで続く。その任務を途中で放り投げるわけにはいかない。何故ならケルスの手の中には、今しがたウーフォと交わした契約書がある。国益に関する重要書類を、失うわけにはいかないのであった。

 どうしたらいいだろうか。折角会えたのに、またレイと離れ離れになるのは──。


「教皇ウーフォ、彼をアウスガールズ本国への使いとするのはいかがでしょう?」


 彼に助け船を出したのはケルスだ。


「使いに?」

「はい。僕の国にも、ユグドラシル教会があります。そこへ巡回するために、彼をアウスガールズに派遣するのです。道中の彼の護衛を、僕がエイリークさんたちに依頼する」

「ふむ……」

「アウスガールズに到着して任務完了後、本来の目的であるユグドラシル教会ミズガルーズ支部までの道中の護衛を、僕たちが請け負います。これなら、問題ないと思いますが」

「其方はそれでも良いのか?」


 ケルスは頷く。しばし逡巡するような仕草を見せてから、やがてウーフォはケルスの同意したのだった。

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