第九節    キーカードを手に

 エイリークたちがアウスガールズに到着した翌日。その日のアウスガールズ本国の天上には、澄み渡る青空が広がっていた。戴冠式を行うには申し分ない天候だ。

 アウスガールズ本国の国民たちは、生きて国に戻ってきたケルスに笑顔を向けていた。道の両脇からは彼を呼ぶ声がいくつも木霊する。街中を練り歩く櫓の上に立ち、代々王家に伝わるという装束を身に纏うケルス。新たな王を祝福するように、琴や鈴、笛の音色が響き渡っていた。

 櫓はそのままアウスガールズ本国の王宮前で止まり、ケルスは一段一段丁寧に降りる。装束の裾を持つ神官たちを率いるように歩く姿は、まさしく民をまとめる王そのもの。玉座の間では、騎士団の兵士たちが列をなしてケルスを迎えた。エイリークとグリムも、玉座の間の端の方で彼を見守る。

 玉座の前まで歩き、ケルスは一度跪く。アウスガールズ本国伝統である王冠を神官より賜ると、立ち上がり振り向いた。そんな彼に傅く騎士団の兵士たち。


「我は誓う、永遠の安寧を。至尊の栄光を。この国に久遠の豊穣を。アウスガールズに、光あれ」


 傅いた兵士たちは、ケルスのその言葉を復唱する。その後は神官による祝詞などが述べられ、戴冠式は無事に終えることができたのであった。


 その後、エイリークたちは王宮内にある会議室で、その後のことについての詳しい話し合いを始めることにした。その席にはケルスの側近であるニルキースや騎士団の団長も、出席してもらうことになった。


「皆さんに集まってもらったのは、他でもありません。皆さんは、ヴァナルという反ユグドラシル教団の集団は、ご存知ですか?」

「噂は耳にしております。今のところ、本国のユグドラシル教会に奴らからの襲撃は確認されてはおりません。しかし、教会のある町が次々と狙われている、と」

「はい。ヴァナルの破壊活動を、このまま見過ごすわけにはいきません。いつ、この国の教会が狙われるとも限りません。……そこで僕は、ユグドラシル教団へ軍事的支援についての協定を持ち掛けようと思っています」


 ケルスの言葉に驚いたのは、ニルキースと騎士団長だった。

 まさかケルスから、そんな言葉を聞く日が来るとは。言葉にしなくても、表情がそう物語っていた。お言葉ですが、と騎士団長が進言する。


「陛下、我々騎士団は常に訓練をしております。確かに、それなりに数も実力も有していますが、支援を行えるほどの余裕など……」

「それは存じております。騎士団の皆さんに無理をさせてしまうのは、心苦しいのですが……。しかしこれを機に、ユグドラシル教団に協定を持ち掛けパイプを太くしておくのは、悪くないと思うのです」


 ユグドラシル教団はその立場上、どの武力とも協力関係を結べない。彼らに協力要請を申請すれは応じてくれるが、彼らから協力要請を送ることはできない。それを逆手に取ることを、ケルスは思いついたのだ。

 アウスガールズはユグドラシル教団本部に、国の復興のための金銭的支援をお願いする。その報酬として、アウスガールズが有する軍事力で、ユグドラシル教団を支援すると持ち掛けることにした。ヴァナルに殺され手薄となったユグドラシル教団の教団騎士たちの代わりに、せめてヒミンにあるユグドラシル教団本部を守護する手伝いを、と。ひいてはアウスガールズ本国の未来のためと、考えたらしい。


 ケルスのその言葉に、反論する者はもはや誰一人としていなかった。それを確認したケルスは即座に、書状をしたためる。クォーツ家の紋章が彫られてあるシーリングスタンプで封蝋し、書状を完成させる。


「では陛下、早速使いの者に──」

「いえ、僕が直接向かいます」


 ケルスの度重なる衝撃な言葉に、今度こそニルキースは目を白黒させた。一国の国王が使いを使わず、自ら交渉の場に立つなどと、と。辞めるようにと反論するが、ケルスの意志は固かった。


「これは国と教団だからこそ、僕が自ら赴かないとなりません。使いではなく自分自身の口と目で、直接お伝えしなければ意味がないのです」

「し、しかし……」

「また必ず帰ってきます。だから、僕を信じてくれませんか?」


 にこりと笑うケルス。その笑顔を見たニルキースに去来したものは、はたして。彼はぐ、と口を紡ぐと微笑み返して頭を垂れた。ケルスとニルキースの間には、絶対的な絆のようなものがあるのだろう。


「ありがとうございます、じいや」

「陛下……ご立派になられて……」

「僕はまだ、何もわからないことだらけですから」


 ふふ、とケルスは笑う。最初は苦言を呈していた騎士団長も、最終的にはケルスの意見に同意した。ユグドラシル教団本部へは、翌日の朝向かうことになる。エイリークとグリムも、それに了承する。

 今日一日は、新しく王位に就いたケルスを祝うために宴が開かれるとのこと。国民への顔見せなど方々に向かうため、ケルスとは今日はここで解散となる。明日、王宮の入り口で待ち合わせをすると決めたのであった。


 ******


 翌日早朝。予定の時刻よりも早く王宮に到着したエイリークとグリム。そんな自分たちを、ケルスよりも先にニルキースが迎えた。


「おはようございます、ニルキースさん」

「うむ。陛下を待たせないというその心遣い、大変良いぞ」


 ニルキースの態度に苦笑していると、彼は表情を切り替えて告げる。


「どうか、陛下をよろしく頼む」

「ニルキースさん……?」

「陛下は昨日、正式に国王陛下となり、このアウスガールズ本国を収める主となった。これからは、様々な問題が陛下のもとへ押し寄せよう。その時が来るまでの、これは言わば休息の時」


 ニルキースは靄がかっている淡い青空を見上げながら語りを続けた。

 ニルキースはケルスの側近として、いつもケルスを見ていた。あんな幼かったのに、と小さく呟くニルキースの声が聞こえる。


「護衛として陛下をお守りするのは当然として、陛下の心の拠り所となるような振る舞いで、あの御方をお守りしてほしい」


 それは国の側近としての言葉いうよりは、一人の国民からの願いのようなものであると、エイリークは感じた。しっかりと一つ頷けば、ニルキースも満足そうに微笑む。そんな約束を交わした直後、ケルスが王宮の方から、たたたと走ってきた。


「ごめんなさい、お待たせしました!」

「おはようケルス。俺たちも今来たばかりだから大丈夫だよ。なぁグリム?」

「まぁな」


 二人の返事によかった、と笑うケルス。ニルキースに向き直り、告げた。


「では僕が留守の間、国を頼みますよ。じいや」

「承りました。お気を付けていってらっしゃいませ、陛下」

「はい、いってきます!」


 そうして、エイリークたちは再びヒミンへと向かうのであった。



 三度目の船酔いに耐えながら、それでも再びヒミンに到着した自分たちは、今度はユグドラシル教団本部へと足を運んでいた。そこでも教団騎士本部と同じように、教団騎士が門番として立ちはだかる。彼らの前に一歩出たケルスは、持ってきた書状を彼らに手渡す。


「アウスガールズ本国国王、ケルス・クォーツ・イザヴェル・フォン・アウスガールズです。教皇ウーフォにお目通りをお願いしたく、参上しました。つきましてはこの書状を、教皇ウーフォにお渡しいただけませんか?」


 書状を受け取った門番の一人が、しばし待つようエイリークたちに指示を出す。そのまま彼は教団本部へ向かい、中へ入る。どうやらユグドラシル教団本部も、外部からの接触には慎重になっている様子だ。面会を承諾してくれるかどうか、それは神に祈るしかなかった。


 やがて書状を受け取った兵士が戻ってくると、教団本部内へ案内すると告げてくれた。まずは第一段階クリアと、胸を撫で下ろす。ケルスが、エイリークたちは自分の護衛だと伝えたことで、問題なく三人ともに入ることもできた。

 兵士の案内で、ユグドラシル教団本部へと入るエイリークたち。こんな状況でもなければゆっくり観光でもしてみたいのだが、そうも言っていられない。やがて教団本部の最奥、教皇の間まで通された。荘厳な扉が開かれると、奥に法衣を纏った男性が座っている光景が、視界に映る。中央まで歩くと止まるように指示され、跪いて頭を垂れた。


「お連れいたしました」

「ご苦労、下がれ」

「はっ」


 自分たちを案内してきた兵士を下がらせた人物。彼は厳格な雰囲気を思わせる声色で、エイリークたちに声をかけた。


「面を上げよ」


 指示通りに、顔を上げる。この目の前の人物こそ、ユグドラシル教団をまとめる長、教皇ウーフォだ。彼は固い表情を崩すことなく、言葉を続けた。


「其方が、新たなアウスガールズの国王か」

「はい。お久し振りでございます、教皇ウーフォ。ケルス・クォーツ・イザヴェル・フォン・アウスガールズ。この度新たに王となったことの報告に、参上いたしました」

「書状にあった紋章は本物であった。……あの頃の赤子が、今や国王か」

「はい」

「……書状には協定とあったな、詳しく聞かせてもらおうか」


 ウーフォの言葉に、覚悟を決める。ここからが正念場である。

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