第3話 ビフォア・ミッドナイト

「落ち着いたほうがいいっすよ、夕実」

 帰りのホームルーム前の教室で、あさひはそう言った。だが、有栖川先輩が行方不明だと聞かされて、落ち着いてなんてられない。こうして教室にじっとしているべきではないのに。なぜ私はここにいるのだろう。

「有栖川先輩に何かあったに決まってる……。私に出来ることをやらなくちゃ……!」

「だったら。夕実に出来ることってなんすか」

 そう言われて、私は、エンスト寸前の頭であれこれと考えてみる。

「例えば……。Twitterで行方を探すとか……」

「そういうことは夕実が勝手にやっちゃ良くないっすよ。凛先輩を探すには、個人情報をあれこれネットに流す必要があるんすから。やるなら先輩の家族がやらなきゃ」

「それは……」

 確かにそうだ、と私は思った。だが、それでも。やれることはやらなくては。

「じゃあ、行き先を知ってそうな人に片っ端から聞くとか……」

「心配なのはわかるけど、凛先輩が行方不明になったのは昨日っすよね。心配する必要ないっすよ、きっと」

「もう2日目だよ! 事件に巻き込まれたんだよ、絶対!」

 あさひは、静かに首を振った。

「ちょっと家出して、親戚の家に泊まってるだけって可能性とかの方が高いと思うっすよ」

「家出……? 有栖川先輩が家出する理由なんて……」

「例えばだけど。家族と上手く行っていなかったとか。あるいは、受験のプレッシャーに耐えかねて、逃げ出したとか。それとも、今まで悪いことなんてしたことなかったから、ちょっと悪っぽいことをしてみたかったとか。理由なんていくらでも思いつくっすよ」

「そう……なのかな」

 有栖川先輩はそんな人ではない、と思う。家族の話をよくしてくれたし、たかだか高校受験のプレッシャーに負けるような人でもないと思うし、悪いことに興味を持つタイプでもないはずだ。

 けれど、私が知らないだけで、実は有栖川先輩は何かに悩んでいたりしたのだろうか。ただの後輩である私には話していないだけで、何かが。

「まあ何にせよ、凛先輩はきっとすぐに戻ってくるっすよ。だから、心配しないでいいっす。ね?」

 そうなのかもしれない。

 有栖川先輩の家族は捜索届を出したという話も聞いた。警察が優秀なことはよく知っている。何と言っても、私の父と兄は警察官なのだから。ならば、私に出来るのは待つことだけなのかもしれない。

 頭ではそう考えていても、この胸のざわめきはおさまらない。

 私が唇を噛み締めていると、あさひは私のほっぺを、むにっと触って、

「それよりも。今日は、夕実のお父さんの誕生日なんすよね。ほら、笑って。お父さん、心配しちゃうっすから」

 そう言って、私のほっぺをむにむにし続ける。

 何だかおかしくなって、私はその日、初めて笑った。


 家に帰ると、お兄ちゃんはリビングで誕生日会の飾り付けをしていた。

「おお、帰ったか夕実!」

「……ただいま」

 『52歳の誕生日おめでとう!』というメッセージが書かれたボードが、壁に掛けられていた。お兄ちゃんらしい力強い文字だ。

 お兄ちゃんはいつも、家族の誕生日は気合を入れて飾り付けをする。ちなみに、お兄ちゃんは自分の誕生日も自分で飾り付けを行う。

 あまり日本的ではないと思う。でも、お兄ちゃんの誕生日の祝い方が私は好きだった。特別な日だと、より感じられるから。

「……手伝おうか?」

「ああ、頼む!」

 私は机に置いてある花や風船を飾り付けていく。

 その後、メッセージボードに父さんの似顔絵を描いた。我ながら中々絵が上手い。こんなに上手いのに、この前、美術の時間にあさひに『夕実って漫画家とか似顔絵捜査官には絶対になれないっすね』と言われた。何でも出来るあさひだが、芸術のセンスはないのだと思う。

 父さんの誕生日を祝う準備をしていると、少し、気が紛れた。手を動かしていると、有栖川先輩のことをあまり考えずに済むから。多分、何もやることがなければ、私は死んだような顔をしながら、一日を過ごすハメになっていただろう。

「……母さんは?」

「ああ、買い物中だ。毎年恒例のエビ祭りの準備のためにな」

 父さんはエビが大好物で、毎年、父さんの誕生日の食卓はエビづくしになる。エビチリにエビフライにエビのお刺身。お兄ちゃんはエビアレルギーのため、それらの絶品料理は一口も食べられないのだが。

「後で、料理手伝わなきゃ。……ところでお兄ちゃん。私の描いた似顔絵、どう思う?」

 そう尋ねると、お兄ちゃんは何故か、嫌いなピーマンが入った料理を食べる時のような顔をした。

「……真実を告げるべきなのかもしれない。だが、お前は愛する妹だ。だから、あえてこう言わせてもらおう。ノーコメント、とな!」

「それって、上手すぎて言葉にできないってこと?」

「……ノーコメントだ!」

 なるほど。私の絵はそれほどのレベルということなのか。私はちょっとテンションが上がり、張り切って誕生会の準備を進めることにした。

「それにしても。お兄ちゃん、せっかくの貴重な夏休みなのに、筋トレと、父さんの誕生日祝いの準備以外にやることないの?」

「ないな! 準備以外にやることといえば、筋トレ、筋トレ、そして、筋トレだ! 筋肉は全てを解決してくれるからな!」

 朗らかにそう言う兄だった。こういうシンプルなところは、お兄ちゃんの長所のひとつだと思う。人によっては、バカだとか、脳みそまで筋肉で出来ているとか言うのかもしれないけれど。そのシンプルな思想によって、お兄ちゃんの細マッチョ体型は維持されている。

「彼女とデートとかは?」

「……彼女か。……今はいないな」

 お兄ちゃんは、そうツラそうな声を出した。最近、フラれでもしたのだろうか。私はそれ以上、何も聞かずに作業を進めた。

 そして太陽は地の果てに沈み、夜が訪れた。


 母さんと一緒に一心不乱にエビ料理を作りまくり、ちょうど準備が終わったところで、父さんが帰ってきた。

「ただいま」

「おかえり、アンド、誕生日おめでとう!」

 と、お兄ちゃんは大声で父さんを出迎える。それと同時に母さんと私はクラッカーを鳴らす。リビングに幸せの音が響く。時刻は19時。父さんは笑顔だった。

「こんな立派な準備なんてしなくていいって毎年言ってるだろう。仕事で帰れなくなることだってあるんだから。でも、嬉しいよ。ありがとう」

 52歳を迎えた父の髪には、白髪がちらほらと混じっていた。白髪を染めたら、と母さんはよく言うが、父さんはあまり乗り気ではない。白髪染めは頭皮にダメージがあると思っているからだ。つまり、ハゲるのを恐れている。50歳を過ぎている割にはフサフサな方なのだから、自信を持てばいいのに。とはいえ、私は父さんの白髪が嫌いではなかった。何というか、父の頑張ってきた証というか。苦労と努力を感じるというか。

 そんな白髪混じりの52歳はテーブルに並べられた好物の数々を見て、ほくほく顔だった。

「さあ、父さん、座るといい! そして、夕実と母さんが作った料理の数々を味わってくれ! どれも絶品だとも! まあ、俺はエビアレルギーだから、その料理の大半を食べられないんだが!」

「すまんなあ、総司。毎年、私の好きなものばかり並べてもらって」

 苦笑いをしながら、父さんは席に着く。

「何、構わんさ。俺は、ササミとブロッコリーとゆで卵さえあれば、それでいい」

 お兄ちゃんの皿には、トレーニー御用達の料理が並んでいた。全ては筋肉のためだ。

 私達も席に着く。そして、いただきます、という言葉と共に、食事が始まった。

 私と母さん、どちらが作ったエビフライなのかはひと目でわかる。真っ直ぐなのが私のエビフライ。勢いよく曲がっているエビフライが母さん作だ。母さんは面倒がって、下処理をしないから。私は真っ直ぐじゃないと何だか気が済まないので、ちょっと手間でもエビのお腹に切れ込みをいれて、真っ直ぐにする。

 私はお皿から自分で作った真っ直ぐなエビフライを取り、口に入れる。

 エビの食感を感じると同時に、私は何をしているのだろう、と思った。有栖川先輩が無事なのかわからないのに、なぜ私は、こんなことをしているのだろう。

 そんなことを考えながら食べるエビフライは、味が全然しなかった。

「どうかしたのか、夕実?」

 と、父さんが心配そうに私の顔を見る。自分では気付かなかったが、私はどうやら泣いてしまっていたようだ。

 一瞬、適当に誤魔化そうかと考えたが、やっぱり正直に言うことにした。

「……仲のいい先輩が、昨日から行方不明なんだって。捜索届は出てるみたいだから、私に出来ることなんてないのはわかるけど……」

 そうだ。結局、待つしかないのだ。それしか出来ることはない。どれだけ嫌な予感がしようとも。たとえ地獄が待っていたって。

 父さんは腕を組みながら、

「そうか」

 眉間にしわを寄せている。まるで自分の子どもが行方不明になってしまったかのようだった。

「心配するな、と言っても無理だろう」

「うん……」

「なら、思いきり心配しなさい。そして、考えるんだ。自分に何が出来るのかを」

「でも、中学生に出来ることなんて……」

「あるさ。私の娘なんだから」

 父さんの言葉は力強かった。

「本当?」

「ああ、もちろん。警察は当然、頼りになる。だが、同じ中学生にしかわからないことだってある。食事の後で、人探しのコツを教えよう。夕美が自分でも、その大切な人を探せるように」

「……ありがとう、父さん!」

 嬉しかった。ただ待っているだけだなんて、耐えられそうになかったから。正義感が強くて優しい父さんは、やっぱり、私の自慢の父親だ。

「俺も手伝おう!」

 声の方向を見ると、お兄ちゃんはいつの間にか、大量のササミやブロッコリーを食べてしまっていた。そして、

「明日まで夏休みを取っているから、俺も夕実を手伝おう。警察としてではなく、個人として動くから、やれることに限りはあるが……。力にはなれるはずだ」

「お兄ちゃん……。ありがとう。……私、父さんの娘で、お兄ちゃんの妹で良かった」

 大げさな、と父さんとお兄ちゃんは笑った。けれど、大げさなんかじゃない。私は、心からそう思っていた。


 ■    ■    ■


 ケーキに刺されたロウソクの火が、一息で消える。と同時に、私は電気をつけた。

「ゴメンね、急かしてるみたいで」

 有栖川先輩をどう探せばいいのか、早く教えてほしくてしょうがなかった。もちろん、今、慌てる必要はないのだけど。実際に捜索を始めるのは明日からなのだから。

「大丈夫。愛されてるってことはちゃんと伝わってるから。ケーキは後で食べよう。だが、捜索講座を開く前に……。後、二分だけ時間をくれないか?」

「二分?」

「いや。お前たちのプレゼントの中身が何なのか気になったままじゃ、集中して物を教えられそうになくてな」

 なんだ、それくらい。私は用意していたプレゼントを渡した。父さんはまるで子供のように、楽しそうに素早く包装を破いていく。そして、箱を開けて、

「黄色のネクタイか。いい色だ。仕事にはつけられそうにないが……」

「好きでしょ、黄色。プライベートで使って」

「そうさせてもらおう。幸福の黄色いハンカチならぬ、黄色いネクタイというわけか。嬉しいよ。ありがとう、夕実」

 父さんは私のほっぺに優しくキスをした。もちろん、嬉しいけれど。何というか。お兄ちゃんといい父さんといい、欧米っぽい。

「俺からは、ウイスキーだ。気に入ってくれるといいんだが」

 そう言ってお兄ちゃんが取り出したお酒は美しい琥珀色で、きっと、その色にふさわしい味がするのだろうと思った。父さんは、おっほほ、と口元がだらしなく緩み、

「後で楽しませてもらうとしよう」

 幸せそうな顔だった。どんな味がするのだろう。想像すらできない。大人ってズルいな、と私は思った。

 その、マッカランだとかいうお酒をテーブルに置くと、父さんは急に真面目な顔になった。刑事としての顔だった。

「……さて。誕生日気分はここまでにしよう。夕実の先輩を探すために、出来るだけのことをしないと。まず、第一に……」

 と、突然、iPhoneの着信があった。一瞬、私は自分に電話が来たのかと思ったが、それは父さん宛だった。

「……すまんな。ちょっと、電話してくる」

 父さんは私のプレゼントしたネクタイを持って、寝室へと向かった。

「ひょっとして、仕事の電話かな」

「かもな」

 お兄ちゃんは残念そうにそう言った。警察は、プライベートなんてお構いなしに、突然仕事に呼び出されることが多々ある。今回もそうなのかもしれない。なら、仕方がない。皆の平和を守るためなのだから。そうわかってはいるのだが、ため息が出てしまった。

 私は手持ち無沙汰になって何気なくスマホをいじっていると、再び着信音が聞こえてきた。これも私宛ではない。今度はお兄ちゃんの手元のiPhoneが電話を知らせていた。

「む……」

「お兄ちゃんも仕事の呼び出し?」

「いや……。……ともかく、俺も電話に出る。……もしもし」

 お兄ちゃんは電話に出て、二階の自分の部屋に戻っていった。

 それから、私は何となくTwitterを開いた。ぼんやりとタイムラインを眺めていると、猫の動画ツイートがRTされてきたので、それを再生する。可愛らしい子猫が、人間の赤ちゃんとじゃれている微笑ましい動画だった。

 二分程度の動画が終わった。私はそのツイートに「いいね」を押して、父さんはまだ電話中なのかな、いつ終わるんだろう、なんて考えた。

 その瞬間、ドスン、と何かが倒れる音と、ミシ、と家がきしむ音がした。父さんの部屋の方からだ。父さんが転びでもしたのだろうか。

 私はちょっと心配になって、スマホを持ったまま父さんの部屋の前へと向かった。部屋の中から話し声は聞こえない。電話は終わったのだろうか。

 軽く部屋のドアをノックする。

「父さん? 音がしたけど、何かあった?」

 返事がない。私は何だか嫌な予感がした。

 例えば。父さんは何かの病気で倒れてしまったのかもしれない。今まで健康だったけれど、もう若くはないのだから可能性はある。鍵がかかっている場合は無理矢理にでもこじ開けなければならないかもしれない。

 だが、その必要はなかった。ドアノブに手をかけると、すんなりとドアは開いた。


 そこには最悪が待っていた。


 まず目に入ったのは床に倒れている椅子だった。その椅子の足に、ぴちょん、ぴちょんと水滴が垂れている。

 それと同時に、異臭に気付く。

 何が起こっているか、心の奥では気付いていた。でも、頭はそれを理解したくなくて、顔を上げられない。私は、5秒ほど、その椅子と、椅子に滴る水滴を見つめていた。

 落ち着け。そんな馬鹿なことが起こっているはずがない。だって、父さんなのだから。

 私は落ち着け、落ち着け、と何度も自分に言い聞かせた後、息を止めて、意を決して顔を上げた。

 最初に目に入ったのは、足だった。見覚えのある足。今までと何か違うことがあるとすれば、それは、その足が地面についていないことだった。

 なぜ、足が地面についていないのか。

 答えはシンプルだ。それは、父さんが吊られているからだ。

 信じられないことが起こっている。あってはならないことが。

 私は息ができなくなった。


 どうしてなの、お父さん。

 どうして、私のプレゼントしたネクタイで、首を吊ったの。


 黄色いネクタイは天井に向かって伸びていた。

 父さんは、まるで私の作ったエビフライみたいにまっすぐに吊られている。手と足がだらんと伸び切っていて、口は開ききっていて、目は遠いどこかを見つめていた。まるで展示されたぬいぐるみのように大人しかった。

 一目見てわかった。父さんは死んでいる。

 いや。バカな。私は自分の思考を必死に否定しようとする。父さんが。父さんが自分で死を選ぶだなんて。

 父さんが自殺する様子なんて、全くなかった。さっきプレゼントしたら、あんなに喜んでくれたのに。お兄ちゃんがプレゼントしたお酒だってまだ飲んでいないのに。

 どうして。なぜ。私はそれ以外、何も考えられなくなった。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。気付けば、父さんは降ろされていた。どうやら、無意識のうちに私がやっていたらしい。私は座り込みながら、ふと横を見ると、吐瀉物があった。さっきはなかったはずだ。記憶にないが、どうやら私が吐いたものらしい。そう認識すると、喉が焼けるような感覚におそわれた。

 一応、無意味だとはわかってはいるが、おそるおそる父さんの脈を測ってみる。当然、死んでいた。父さんは完璧主義者だ。自殺だって完璧にやってのけたらしい。

 時計を見ると20時34分だった。この地獄を発見して、もう何時間も経ったような気がしていたが、まだ、5分程度しか経っていなかった。私は、地面に転がっていた自分のスマホを拾い、ぼんやりとした頭で救急車を呼んだ。

 119番に父さんのことを伝える。案外、スムーズに自体を説明することができた。自分が自分でないような、ドラマでも見ているような、そんな変な感じがした。

 電話を終えた後、私はiPhoneを力なく地面に放り投げた。もう何も考えたくない。

 だが、お兄ちゃんと母さんに、このことを伝えないと。そうしなければならない。

 私はなんとか立ち上がる。足が震えていることに気付く。上手く歩けないが、私は何とか父さんの部屋を出て、二階へと向かうために、階段に足をかけた。

 ミシ、と階段がきしむ音がする。それで、ああ、さっきの家がきしむ音は、父さんが首を吊った時の音だったんだ、と気付く。どうでもいいことに気付いたものだ、と私は思った。

 かろうじてお兄ちゃんの部屋の前にたどり着き、私はノックする。

「お兄ちゃん……」

「来るな……! 夕実……!」

 お兄ちゃんが叫ぶのと、私がドアを開けるのは同時だった。

 ドアがゆっくりと開く。兄は私の正面にいるのだが、一瞬、何をやっているのか理解が出来なかった。

 お兄ちゃんは荒い息をしながら、黒光りするものを自分の頭に押し付けていた。

 それは本来、ここにあるべきものではなかったから、それがそれなのだと認識するのにほんの少し時間が必要だった。

 ニューナンブ。

 警官が使用する拳銃だ。一般家庭に存在していていいものでは決してない。

 私は考えるのを止めたくなる。悪い夢でも見ているのだろうか。

 こんな時、何と言えばいいのだろうか。わからない。わからないから、一番初めに思いついた言葉を口にした。

「……お父さん、自殺しちゃった」

 お兄ちゃんは、ハァハァと喘ぎながら、

「……そうか。やはり、そうなってしまったか……」

 そして、右手に持った銃を、より自分の頭に強く押し付けた。

「……どうしてなの」

 お兄ちゃんは、ふるふる、と弱々しく頭を振る。

「……すまん」

 眼の前の私の愛する家族は、信じられないような量の脂汗をかいている。

「変なことは止めてよ……。お兄ちゃんまで居なくなったら、私……」

 私は、泣きながら自分に出来ることを考えた。お兄ちゃんとの距離までの数メートルを詰められれば。あるいは、銃を取り上げられるのではないか。

「……家族を残して逝くのは本当にツラい……。だが、もうムリだ……。衝動が溢れ出る……! さ、最後にこれだけは覚えておけ、夕実……」

 お兄ちゃんと眼が合う。お兄ちゃんも私も泣いていた。私は全力でお兄ちゃんに向かって駆け出した。間に合え。

「上条あさひという少女に、気をつけろ……!」

 そう言い残すと同時に、お兄ちゃんは私の眼の前で、自分の頭を撃ち抜き、弾けた。

 真っ白なカーテンと、ベッドに、スローモーションで深紅の血と、脳漿が飛び散っていく。

 私は、その場にへたり込む。

 外から救急車のサイレンが聞こえる。それを聞きながら私は、目の前の白と赤について考える。綺麗だな、と思いながら、私は再び吐いた。

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サイコパスの愛し方 藤井 @hujii_njima

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