第10話 ヤンチャなお姫様

 午前の授業は、全く集中出来なかった。

 そりゃそうだ。

 猛獣と同じ檻の中で、授業しているのと同じであり、その獣が例え居眠りをかましていたとしても恐怖感は拭えない。

 ガクガクブルブル。

 とまではいかないまでも、冷や汗はエグかったと思う。

 普通に、10キロマラソンをした後くらい出ていた。

 あまりの汗の量に、授業の合間の10分間休憩などの時に、近衛さんや翔に心配された。

 と、まぁ、兎にも角にも午前授業は終わり、来るな来るなと唱えていた昼休みは、無惨にも到来してしまった。


「キンコーンカーンコーン、キンコーンカンコーン」


 昼休み到来を告げるチャイムが鳴る。

 後のことを考えれば、まさか、すっぽかすなんて事が出来る筈もなく、俺は重い体を動かして、席を立った。

 隣を見てみれば、いつのまにか青蘭は消えていた。


「すごっ」


 さっきまで、確かに机で突っ伏して寝ていたのに、もういない。

 隣の席に座る俺の気づかれずに、教室を出るなど、どんな身体能力をしているのやら。

 まだ、魔術を行使したと言われた方が納得できる。

 ほとほと、感心すると言うか、呆れると言うか。

 こりゃ更に、青蘭に逆らうのが怖くなってきた。

 青蘭が本気を出せば、ワンパンチで死にそうだ。

 とりあえず、重い足取りで屋上に向かった。

 廊下を進み、4階ほど上がって屋上に出る扉を開いた。


「ーーー」


 ほどほどに漂う雲。

 秋風が俺の肌を刺す。

 サファイアのように濃い青と日の光の下で青蘭が退屈そうに髪をかき揚げ、俺を見る。

 おそらく、青蘭はその圧倒的な五感で俺が来ることを悟っていたのだろう。


「よぉ、しっかり約束通り来たな」


 その三白眼が俺を射抜く。

 俺は必死に恐怖心を押し隠しながら、応える。


「当たり前だろ。

 昨日のお前を見たら、約束を破る訳にはいかない」


 約束と言っても勝手に取り付けられたものなんだが。


「ちなみに、もし来なかったらどうなってたんだ?」

「ああ?そうだなぁ」


 青蘭は楽しそうに嗜虐的に笑みを浮かべるとーー


「まぁ、首根っこ捕まえて、脊髄を引っ張り出して、剣みたいに振り回してたかな」


 怖っ!?怖い!!怖すぎる!!!

 お前、それ絶対あの漫画に影響されてるだろ!

 チェンソー漫画によぉ。

 確かに面白いよ、確かに面白いけど、あれには影響されんなよ!

 現実でやってたら、シャレになんねぇよ。


「そっ、そうか。それで何の用件だよ?」


 頬を引き攣りながら尋ねる。


「ふん、どうせ分かってんだろ。

 あのクソ天使を引き渡せ」


 やっぱり、そうだよな。

 まさか、この恐るべき修道女は日本で勉学を学ぶために、この学校の来た訳はない。いま最もセラフの近くにいる俺に接触する為に来たのだ。


「言っとくが、わざわざこうやって、交渉してくれるだけでも有り難いと思え。

 普段の私なら手っ取り早く暴力で、要求を通しているんだからな」


 青蘭はその凶悪な目つきで、睨みながら言う。

 それは俺に一切の否定を許さない目だった。

 まるで、宗教を信仰している奴の言葉ではないな。


「何で、今回はそうしないんだよ。

 いつもそうしてんだろ」


 俺は当然の疑問を口にする。


「まぁな、私もそう思う。

 普段、大抵の任務では何かを要求されることはないんだが、今回に限って上から、できるだけ穏便にと指示されてんだよ」


 はぁ、やれやれ。

 そう言って肩を窄めた。


「それで、どうするんだ?」


 問いかける。

 数秒の沈黙の後に答える。


「……………………無理だ。

 お前らなんかにはセラフは渡せない」


 ピクっと青蘭の肩が反応する。


「お前の意思は尊重する。

 だが、それは私が何者か分かった上で言ってるのか?

 私はそこら辺の並の執行官とは違うんだぞ」


 とてつもない、殺気を持ってして青蘭は問いただす。

 あまりの威圧に、俺は知らず知らずのうちに後退していた。


「どう違うんだよ」

「ふむ、お前は執行官とは何か知っているか?」


 不意に先程の殺気は霧散する。

 だからといって、警戒を解いてはならない。

 俺は未だ銃口を突きつけられているのだ。

 というか、こいつは存在自体が核みたいなもの。


「あれだろ、神秘世界においての最低限の秩序を守る警察みたいなもんだろ?

 ただまぁ魔術師からは激烈に嫌われているが」

「ほう一応、裏の世界、神秘についての知識はあるか」


 青蘭は感心するように頷く。


「まぁ、そうだな。やってることはそんな感じだ。

 だが、執行官はそんな軽い存在じゃあない。

 執行官とは、魔術世界由来の脅威から俗世界を守るために、魔術世界の治安を維持する責任をローマ教皇から課せられた秘密組織『バチカン神秘摂理局』」

「ああ、それだ。名前が長すぎて覚えられなかったけど」


 俺ですら知っている名前だった。

 こんな神秘関連の半端者ですら知っているということは、それだけ神秘摂理局の影響力は凄まじいということだ。


「圧倒的な数によって任務をなす、お前が思う執行官っていうのは、おそらくこっちだろうよ。こういう例え方をするのは嫌いだが、表世界の覇権国家ファッキンアメリカレベルの力は持ってるさ」

「それで、そのアメリカレベルに匹敵する神秘摂理局の力でセラフを狙うって言いたいのか?」

「ふん、勘違いすんなよ。

 摂理局の奴らに出る幕はない。

 所詮奴らは私たち『異端焼却機関ベルギッタ』のスペアでしかねぇんだよ」

「異端焼却機関………………ベルギッタ?」


 なんだ、それ?

 初めて聞く名前だ。

 しかし、今は一旦その疑問は脇に置いておく。


「まぁ、とにかくセラフを差し出さないっていうんなら………殺すぞ」


 一拍おいて、殺気を放つ。

 まるで地獄の業火のような、メラメラと沸る殺気。


「………………………」


 俺はその殺気に当てられ、ただただ何も出来ずに立ち尽くすだけだった。


「何も言えねぇか……………………いいさ、猶予期間を与えてやる」

「猶予期間……」


 もはや脳は機能せず、青蘭が口にする言葉を鸚鵡返しに発することしかできなかった。


「ああ。3日だ。3日だけ時間を与えてやる。それまでに天使を差し出すってんなら、お前だけは殺さないでやる。

 断れば殺す。決断できなくても殺す」


 青蘭は言うだけいうと満足したのか、鼻を鳴らす。


「じゃあな」


 そういって、屋上を去っていった。

 俺は昼休みが終わるまで、その場から動く事が出来なかった。


 ###################################


 昼休みが終わると同時に教室に戻った。

 優奈さんに心配などされたりしたが、適当に誤魔化したりして授業が始まった。

 先程、あんなにバチバチとやり合った後に授業で顔を合わせるのは、気まずいなぁなんて思っていたが、青蘭はどうやら初日からサボりをかましていた。

 すげえな、とか思ったりしながらも、お陰で気まずい思いをしなくて助かったりもする。

 そんなことを思いながらも授業開始から30分が経った。

 古典の授業とあって、何人かは早くも夢の世界にダイブしている。

 そうでなくとも殆どの生徒は、興味なさげにしていた。

 しかし、俺はそう言う訳にはいかなかった。

 なんたって、俺の命はあと数日かもしれないのだ。

 のうのうと時間を潰している暇はない。


「くっそ」


 どうすればいいんだよ。


 セラフのことは助けたい。手を貸してやりたい。

 でも………でも……死にたくない。

 まだ死にたくない。

 結局は、この葛藤。

 助けたいという他者を思いやる理性と死にたくないという本能。

 決して交わることのない、二つの感情。

 いま授業で話されている平家物語の平家武士も生を求める感情と誉れの感情の中で揺れ動き、でも最終的にはどちらかを選んだのだ。

 そして、俺も選ばなければいけない。

 命か心のどちらかを。


「ーーーー」


 ああアアアアア!埒がかなない!

 心の中で叫び散らかし、頭をわしゃわしゃと掻き回していると、視界の隅に見覚えのある頭が入り込む。

 というか、セラフがいた。学校に。


「ああぅぅぅぅゥゥぅぅぅウウウウウウウウウンン」


 思わず、叫びそうになるのを寸前で必死に抑える。

 そのせいで、死にかけの猫みたいな声が出てしまった。


「どうした、菊間?」


 俺の挙動不審に先生が声をかける。

 何だ何だ?といった感じで寝ていたり、ボーッとしていた生徒たちが俺を見る。


「んっンン、すみません。何でもないです」

「そうか?まぁいい。体調が悪かったら保健室行けよ」


 先生がそう言うと、授業は再開する。

 恥ずかしいッ!

 そんな感情を抱きながら、もう一度、窓の外から校庭を見る。

 素朴な校庭を一人の少女が歩く。

 少女が歩くだけで飾り気のなく何の変哲もない、ただの校庭がシャンザリゼ通りのように、華やかに変わる。

 間違いない、セラフだ。

 セラフは俺がいる校舎に視線を向け、数十秒上下左右に動かしていると、俺と目が合う。

 するとセラフのやつは、ニコニコと満面の笑みでこちらに手を振っていた。

 え?は?何だこれ?どう言う事だ?意味がわかんねぇ!?

 んで、いるんだよ。言ったよな俺?家で大人しくしてろって言ったよな!!

 あ〜〜、もう無理か、無理だよなぁ。そんな気がしてたよ。


「お〜〜〜い!!」


 大声で、呼びかける。

 静かな校舎の中に、セラフの声が響く。

 まず、初めに窓際の席の生徒たちが外を見る。


「おいっ、なんか校庭にめちゃくちゃ可愛い子がいるぞ!」

「本当。すっごい美人」

「ほんとだほんとだ!」

「でも、どうしたのかなあ?」

「ねーこんな山の学校に何しにきたんだろう?」


 俺は無視無視と言い聞かせて、視線を逸らす。


「あれ?おかしいなぁ。聞こえてないのかなぁ」


 セラフは大きく空気を吸ってーー


「お〜〜〜〜い!!」


 更に大きな声で呼びかける。

 これにより、教室にいる全生徒が、美しいという少女を一目見ようと、窓際に寄る。


「うおっ、本当だ。めちゃくちゃ可愛い!」

「だろだろ!」

「ちょっとお前、声かけろよ」

「ヤダよ。恥かきたくねぇ」

「あんなに可愛い人初めて見た〜」

「ね。普通にそこら辺のアイドルよりも可愛いんじゃない」


 少し耳を澄ませば、隣のクラスからもガヤガヤとした騒音が聞こえる。

 おそらく、どのクラスもこの教室と同じような状態なのだろう。

 この学校全体が、セラフに注目している。

 俺は巻き込まれないように、バレないように必死に顔を逸らして無視する。

 しかし、その対応にご不満なセラフはーー


「ちょっと反応してよね、星斗!!」


 頬を膨らませたセラフは睨みながら、とうとう俺の名前を叫んだ。

 教室中の生徒が俺の顔を見る。

 うん、無理。


「先生、具合が悪いので、保健室に行ってきます」


 そう言って、教室から猛ダッシュで逃げた。

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