第9話 深窓の令嬢・静海月子
家を出た俺はセラフを一人、家に置いてきたことに非常に心配になりながらも、時間を見てみるとバスの発車時刻がもうそこまで迫っている。
セラフのワガママに付き合っていたせいだろう。
遅刻しないように走り出した。
住宅街を通り、駅に向かった。
数分、走るとやがて人通りが多くなる。
スーツや制服を着る人だかりに紛れて、俺はバス停に辿り着いた。
「………セーフっ」
ちょうど、五条高校下に行くバスが止まっていた。
息も切れ切れに呟いて、バスに駆け込み乗車した。
バスの運転手も俺の事を待ってくれていたのだろう。
俺がバスに乗車すると同時にドアが閉まり、動き出した。
ぎゅうぎゅう詰めの車内で急に飛び乗ってきた俺に、ドア付近にいた生徒たちが睨む。
俺はそれを何処吹く風と受け流しながらーー
「すみませ〜ん」
などと言いながら奥に進むと、座席が一つ空いていた。
ラッキー!
と、心の中でガッツポーズしながらも、こんな満員なのに何で空いてるんだろう?
みんなが座らない理由があるのではないかと思いながらも、座りたいという欲望に負けて座った。
「チッ」
すると、何故だか席の周囲にいた生徒たち、主に男子生徒に盛大に舌打ちされた。
えっ。
シンプルに悲しく思いながらも気にしないために、ボーっと窓の外を眺める事にした。
移りゆく街中の景色と程良い揺れで、眠気が襲う。
「ふわぁ〜〜〜〜」
大きなあくびをする。
そりゃ昨日は、ここ数年分の波瀾万丈を味わったのだ。
たかが数時間寝ただけじゃ疲れは取れないよなぁ。
そんなふうに、誰に言っているのか分からない、言い訳を心の中で口にして眠った。
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ぐわんぐわんと揺さぶられる。
「ねぇ………ねぇ…」
俺の眠りを妨げる揺れ。
静かだが、確かな芯を持った声。
どこかで聞いたことのある声色と匂い。
なんだか、懐かしい。安心する。
そう思った。
なん………だよ…。
心地よさを覚えながら目を開けると、やけに美しい顔が目に入った。
「ねぇ、そろそろ足が痺れてきたから起きてもらってもいいかな?」
「えっ?何が?」
「確かに私の足は寝心地が良いかもしれませんが、そろそろ起きてくれると助かります」
「えっ、あっ、ああ」
周囲を見回すと何もかもが横に映る。
そうして、理解した。
俺いま膝枕させちゃってる!
理解して、すぐに行動した。
ガバっと起き上がるとーー
「すみません!」
すぐに頭を下げる。
数秒、目を瞑って頭を下げ続けていると、クスクスクスという笑い声が聞こえてきた。
顔を上げると、その少女は上品に口元を隠しながら笑っていた。
恐ろしく美しかった。
腰まで届きそうな漆黒なストレートを姫カットにした少女。
肢体には全く無駄な肉はついておらず、細くすらっとしている。
前髪は眉毛の高さに切り揃えられており、一切余分な肉のない純日本人的な目鼻立ちからはその落ち着いた雰囲気と相まって妖艶な印象があった。
俺は少女のあまりの美しさから、すぐに誰であるかを思い当たる。
静海月子。
2年D組の優等生で圧倒的な美貌、誰に対しても人当たり良く、それでいて、いつも窓際の席で本を読むミステリアスな姿から、我が校では深窓の令嬢なんて愛称で呼ばれている。
そっ、そういう事か!!
何故、この席が空いていたのかの理由が分かった。
こんな美人の隣に座るのは、みんな畏れ多かったのだ。
だから空いてたのか。
ぬかった。
「大丈夫ですか?」
「はへっ?」
まさか、静海さんに話しかけられるとは思わず、変な声が出てしまった。
それも仕方がないことだろう。
まさか、学校の有名人から話しかけられるとは……。
「ああ大丈夫だ。何でそう思ったんだ?」
「すごく疲れたって、顔していますから」
「あはは」
苦笑い。
あの静海さんが、思わず聞いちゃうほど、俺は疲れた顔してるのか。
「そうかも。昨日寝るの遅かったし」
「そうですか」
そう言って、ニッコリと笑う。
それは静海さんにとってはなんて事のない、いつもの笑みなのかもしれないが、それを向けられた俺は恥ずかしながらドキドキしてしまった。
俺は静海さんの方向に視線を向ける。
俺の視界には、流れていく街並みと美しい少女の横顔が映る。
「何でしょうか?」
あまりに見惚れていたせいだろう、静海さんは俺を見る。
「ごめん。なんか初めて静海さんと喋ったなって思って」
「そうですね。確かに初めてですね、菊間くんと喋るのは」
「光栄だなぁ。まさか静海さんと話せるなんて」
「あはは、何ですかそれ?
まるで芸能人みたい。
ただの同級生ですよ、私」
光の中で笑う静海さんは、何よりも綺麗だった。
「芸能人みたいなもんですよ。
いや、芸能人を超えてハリウッドスター級かも」
「も〜〜、私のことおちょくってますね?」
静海さんは可愛らしく頬を膨らませる。
可愛い。
「本当ですって。
だって静海さん、芸能人顔負けの可愛いさじゃないですか」
「あんまり煽てても何も出てきませんよ?」
可愛い。最高だ。
そんなふうに、静海さんの可愛さに癒されていると、バスが止まった。
どうやら、着いたらしい。
ドアが開くと、振りまくった炭酸ジュースのように、人が一斉にバスから降りる。
「それじゃあ、行きますね」
「はい。
あの………良かったらまた、話しませんか?」
俺はそう言って、バスを降りる俺の袖を掴んで、見上げるように言う。
「私、もっと菊間くんのことを知りたいです」
「えっええ、俺ももっと静海さんと仲良くなりたいです」
まさかの予想外の発言に狼狽しながらも、何とか答えを返した。
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静海さんと別れ、教室に着くと何やら騒がしかった。
いや、まぁいつも騒がしいか。
自分の席に座る。
学生鞄から1限の教科書などを取り出す。
授業の準備などしていると、優奈さんが来る。
ちょうどいい、このクラスの騒ぎようを尋ねてみよう。
「おはよう〜」
「おはよう、何でみんなこんなに騒がしいのか分かる?」
「ああ、なんかねぇ、転校生が来るらしいよ」
「転校生?」
「うん、建内くんが職員室で見たらしい」
「こんな11月の下旬に?」
「うん、ってあはは、あんまり時期は関係ないんじゃない?」
「ははは、そうかも」
そうか、転校生か。確かにそれはみんなワクワクするわな。
クラスに新しい顔ぶれが加入するのだから。
「ちなみに、女の子?」
「むっ、何それ?どういうこと菊間くん」
「いやいや、それは一番気になるところでしょ」
「ええ〜〜、なんかすごくキモい。
菊間くん、気持ち悪〜い」
シッシッと、俺を手で追い払う。
「いや、ここで男でも女でも良いとか言うようなスカした奴って思われるは良いだろ」
「いや、別に聞かれなかったらスカしてるなんて思わなかったよ」
「確かに」
そうして、2人一緒に笑う。
と、ホームルームを告げるチャイムが鳴る。
「よーーし、お前ら席に着け〜〜」
教師が教室に入ってくる。
すると、ガヤガヤと騒がしかった教室も静まり返り、みんな自分の席に戻っていく。
「じゃあね、菊間くん。席に戻るね」
「ああ、じゃあね」
手を振る優奈さんに振り返す。
「それと、女の子らしいよ」
戻りしな、優奈さんはそう言った。
「よし、こっち向けお前ら」
教師がそういうと、視線が黒板に向かう。
チラッと後ろからクラス全体を見渡してみると、みんなウズウズとして、落ち着きがなかった。
「早速だが、この教室に新しい生徒が入る」
それを先生も感じ取ったのか、すぐに転校生が紹介される。
「紹介する。入ってこい」
先生が呼びかけると、教室の扉が開かれる。
まるで、太陽すらも動かしてみせると言う自信に満ちた足取り。
一切、迷いのない動き。
視界の端に、百獣の王の立て髪のようなホワイトブロンドが入る。
「あっッ」
思わず息を呑む。
間違いない。間違えるはずがない。
昨夜、死闘を繰り広げた修道女だった。
「どうも、イタリアからやってきた来栖青蘭です。
短い間ですがよろしくお願いします」
セイランは自己紹介をすると不敵に笑った。
「よし、そしたら来栖は、どこの席に座るか」
教師は、教室中を見渡す。
新しい席を入れ忘れたのか、特に空いている席なんてものはない。
青蘭は壇上から降り、俺へ歩いてくる。
そして、俺の目の前で立ち止まるとーー
「ここだ」
そう言って、俺の右隣の席を指差す。
「は?」
隣の席の建内くんは、素っ頓狂な声を上げる。
そりゃそうだ。
目つきの転校生にいきなり、指を刺されれば、そうなるだろう。
「何だ?どうした、来栖」
青蘭の突然の奇行に、先生は戸惑う。
「どけ」
対して青蘭は一言、「どけ」と言って睨む。
誰よりも女の子の転校生が来ることに、ワクワクしていた建内くんもまさか、こんな風に扱われるとは夢にも思わなかっただろう。
「えっ、ここ俺の席だし」
建内くんも負けないように僅かに抵抗する。
「どけ」
「あっえ、あいや」
僅かな抵抗………。
「ウルセェどけ」
「はい」
建内くんはいそいそと、教科書類を取り出して立ち上がる。
空いた席に青蘭はどかっと乱暴に座り込む。
それを見ていた先生はーー
「まっまぁなんとかなったみたいだな」
おい、そんなんでいいのか先生。
大人として普通に失望した。
「よし、そしたら本日のホームルーはここまで。
建内ちょっと来い。椅子と机を運ぶ手伝いをしてくれ」
「はい」
無茶苦茶理不尽な状況に遭うものの、ここで断れば席がない状態で、立って授業を受けなければならない建内くんは渋々、先生の後に続いた。
「おい」
やつれた建内くんの背中を見送っていると、青蘭に声をかけられた。
そうだ。
建内くんが可哀想とかはどうでも良いのだ。
いま集中すべきは、隣に座るこの女だ。
「何だよ」
背中に大量の冷や汗をかきながら、精一杯の勇気を振り絞り応える。
「昼、時間取れ」
青蘭は一言、そう言うと机に突っ伏して、数秒で寝た。
「なっ、何をされるんだ」
これから訪れる地獄の時間に慄きながら呟いた。
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