第8話 教会の討ち手

 ほどほどに走り距離が取れると俺たちは近くの公園に入り、ベンチに腰を下ろした。

 そして、意を決して尋ねた。


「どうしてセラフは昨日、何で空から降ってきたんだ?」

 いや、それよりあんなに瀕死の状態だったんだ?」


 思い起こされるのは昨日の光景。

 右腕と左足の欠損、更に胴体の心臓部から腹部に渡り十字架ように深い傷痕が刻まれ、腹部には風穴が開いていた死にかけの少女。


「………………」


 当人には思い出したくない、場合によっては風化しきれないだろう記憶を俺は抉り返す。

 何故なら、セラフといるためにはセラフが抱える事情を知らなければならないからだ。

 数秒無言が続き、果たして答えが出る。


「………教会の刺客にやられたの。

 それも相手は『異端焼却機関ベルギッタ』よ」


 それは俺が予測していた物の中でも可能性が高く、妥当なものだった。

 しかし、それに続く名称は聞いた事がなかった。


「なんだ、それは?」


 素直に尋ねる。

 文字の羅列的に不穏な匂いしかしないが。


「そうりゃそうよね。知らないわよね」


 やっぱり、そう言って分かりやすく項垂れる。

 その様子は、決して俺の無知を侮蔑する様な意図は含まれておらず、どちらかといえば落胆している感じだった。


「執行官とは違うのか?」

「いえ、一緒よ。でも、多分ハギトの考えている執行官とは大きく違うわ」

「うん?どういう事だ?執行官は何種類もあるのか?」


 セラフと噛み合わず混乱する。


「ちょっと、話がこんがらがっちゃってるわね。

 いいわ、私が最初っから執行官について解説してあげるわ」


 マウントを取れたからなのか少し機嫌よさそうに言う。


「その前に、ハギトは執行官について何か知っている?」

「う〜〜ん、信仰が行き過ぎで命すら捧げちゃうトチ狂ったキチガイ野郎どもとしか………」


 信仰や宗教、神は真っ暗闇の死にポツンと灯る光のように安らぎや希望を与えるものであって、そんな儚く実体のない慰めに命を投げ出すようじゃ本末転倒のバカだ。


「まぁまぁ、分かった。ハギトが執行官をとても憎んでいる事は分かったわ」


 セラフは俺の急な口の悪さに苦笑いして宥める。


「別に憎んではないさ。ただの俺の感想だよ」


 口を尖らせて答える。


「ちょっと話は逸れちゃうけど、ハギトは人間はどうやって創造されたと思う?」


 執行官の話からだいぶ遠い様な気がする。


「創造?かは分からないけどそりゃあ、あれだろ。猿から進化して今の人間があるんだろ」

「そう。

 ハギトのような一般的な日本人はそう思ってる。

 日本はダーウィンの進化論が根付きすぎてるのね。日本人はそれが人類誕生の真実だと思っている人が凄く多いわ。

 ても、西欧では違うの。

 西欧ではダーウィンの進化論は人類誕生の一個の説でしかない。

 だから、人はダーウィンの進化論のように生まれた考えている人もいれば、逆にそれを否定して神が創りたもうたと本気で信じている人もいる。それも、命を投げ打つほどにね」


 一息で喋り疲れたのか、一度息を吸って間を置き、まとめる。


「つまり何が言いたいかと言うと、ハギトにとって神や宗教は死の恐怖を紛らわす程度の物であっても、それを心の底から信ずる者にしてみれば、そんな偶像に命をかける事に意味があるのよ」


 驚いた。

 まさか、自分の命を狙う奴らの仲間を擁護するとは。

 なんだか、気が抜けてしまう。


「おいおい、天使が神を偶像なんて言うなよ。

 ま、何が言いたいかは分かったよ」

「ね。言ってて思ったわ。とりあえず、それは置いておいて、話を戻すわ」


 コホンと、咳をして気を取り直したセラフは解説を続ける。


「執行官っていうのは簡単には言えば、教皇庁に属する対神秘戦闘員信者のことよ。

 執行官は大抵は、『バチカン神秘摂理局』っていう組織に属しているの」

「それは知ってる」


 聞いたことのある名称が出て声を上げる。


「確か、魔術世界にとっての警察みたいな奴じゃなかったっけ」

「そうね。平たく言えばそんな感じ。

 魔術世界由来の脅威から俗世界、つまりはハギトたちがいる表社会や科学世界を守るために、魔術世界の治安を維持するオーダーをローマ教皇から課せられた秘密組織で、治安維持のために、魔術世界に積極的に介入しあらゆる任務を受け遂行する。

 ちなみにハギトも言っていたけど魔術世界ではいわゆる、警察の様な役割を勝手にしているから魔術師側からは滅茶苦茶に嫌われているわ」

「へぇ〜〜、そんな役割があったんだ〜。なんか、豆知識まで教えてもらったけど」


 呑気に関心していると、セラフは目を釣り上げる。


「なんか、人ごとみたいな口振りなんですけどー。

 逆にハギトは何で執行官は知っているのよ?」

「2、3年ほど旅してたんだけどな、その旅の途中で奴らの厄介ごとに巻き込まれたんだよ」

「ほん。

 精霊の心臓を持っている事といい、凄い気になる事情だけど、今は辞めとくわ」

「それは有難い。

 最初から喋れば、夜が明けちゃう。

 それに、誰彼構わず明かせるほど、軽いものじゃないしね。

 それで?まだあるだろ?」


 話の続きを促す。


「そして、もう一つ極めて秘匿性の高い教皇庁直属の秘密機関がある」

「それが、『異端焼却機関ベルギッタ』……か」

「ええ」


 セラフは厳かに頷く。


「ベルギッタは俗世界は当然のこと魔術世界でも徹底的に隠匿され、一部の組織を知る高位の魔術師からは非常に恐れられているわ。

 機関に与えられたオーダーは神秘の中でもキリスト、イスラム、ユダヤに関する事案に対して武力を以て解決する事。

 その為、機関に属する者は執行官は執行官の中でも精鋭中の精鋭よ。

 何たって、核の部分だもの。

 手抜きはで失敗は許されないわ」

「そして、さっき襲って来たのが、ベルギッタの執行官ってことか?」


 先程の覆面の正体が分かった。

 一言も発さず、天使を抹殺に来るとは、なんとも物騒な奴らだ。

 そしてーーー

 そして、俺はそんな危険な存在とこれから関わっていくことになる。

 セラフを保護するという条件付きだが。


「でも、あの程度だったかしら?決して覆面が弱かった訳ではないけど、今までの戦って来た奴らに比べれば見劣りするわ」


 隣ではセラフはブツクサと言って、思考に没頭していた。

 おかげで、俺に意識が向いていない。

 俺も物思いに耽る事ができた。


「どうすればいいんだ?」


 絞り出すように呟いた。

 ひとりきりならば、頭を抱えて叫び出したい、そんな最悪の気分だった。

 俺は今さっき、命の危険を感じたとは言え、覆面に危害を加えて追い返してしまった。

 セラフの仲間と思われ、俺も抹殺対象に入れられても仕方がない。

 といっても、ここまで重く考える必要もない気がする。

 いうても、セラフの事情には半分といか三分の一くらいしか顔を突っ込んでいないのだ。

 まだ希望がある。

 それに何と言ったって、殺してはいない。

 ちょっとした行き違いなら、見逃してくれる器は大組織ならばあって然るべきだ。


「アツいな」


 セラフと教会にまつわる厄介ごとから手を引ける希望が見えて、身体が発熱する。

 よし、ならばやる事は一つ。

 セラフを見捨てる。

 そうすれば、命の危険を感じず、ぬるま湯の様な日常に戻れる。

 時間に流されて無気力・無関心・不熱心のガラクタの様な自分に戻れるのだ。

 いいじゃないか。何も悪い事はない。この惑星の大多数がそうやって生きている。素晴らしい事だ。なんて事のない日常は、宝石の様に貴重で輝いている事は身を以て知っている。

 そうやって決心して、俺は名を呼んだ。

 心なしか名前を呼ぶ声が震えた気がした。


「………………セラフ」


 何やら小声で思案していたセラフは名前を呼ばれて、中断し俺の方を向いた。


「どうしたの?」


 俺の声音で悟ったのか純真無垢な顔を困った様な表情にして尋ねる。

 その顔で、俺の決心は簡単に瓦解した。

 そんな口をされたらセラフを見捨てるなんて出来るわけが無い。

 そんな悲しさのうえに優しさを覆う強がりの目を見せられたら拒絶出来るわけが無い。

 その顔はいつか見た自分の表情と似ていた気がする。

 そうだ。

 俺も昔は今のセラフみたいに、災いの様な存在だった。

 セラフのように複雑な事情や分かりやすい危険はなかったけど、気色の悪い虫唾の走る奴だったと思う。

 でも、そんな俺に手を差し伸べて、隣を歩いてくれる存在がいた。

 そして、今度は俺が手を握ってあげる役が回ってきたのかもしれない。

 やってもらった事は、やってあげる。

 それに、何より苦しみは俺にとっての救いだ。

 それを忘れていた。


「やっぱり、なんでもない」


 数十秒それとも数分か、どれだけ、沈黙していたかは分からないが、俺にとって長い独白の果てにそう言った。


「そう」


 セラフは驚いた表情をして、俯き一言。

 その顔を横から覗き見るとセラフは微かに、はにかんでいた。

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