第7話 聖なるものの追跡者

 眼を覚ますと黄色いタイルが目に入った。


「うっ…あア」


 どうやら、気絶していたらしい。

 前後の記憶が曖昧なままに起き上がり、周囲を見渡す。


「はっ?」


 そこには、ビリビリに破かれたドレスの天使が倒れ込んでいた。

 意味が分からない。

 意味が分からないが、気絶する前と一つだけ違う事がある。

 それはーー


「傷が………ない」


 出会った時にズタズタの斬り裂かれていた傷跡が綺麗さっぱり、なくなっていた。

 まぁ、可能性があるとすれば精霊の心臓だろう。

 こいつは、破格の性能らしいからな。

 でも、今はそんなことは良くて。


「どうするよ、これ」


 タイルの上で、気絶して眠る美しい女。

 しかも、ほぼ全裸。

 出来るだけ、大事なところは見ないように気をつける。


「ハァ〜〜放っておく訳には行かないよな」


 義務のようなため息を吐いた俺は、天使をおんぶし、地下歩道を出た。

 状況証拠的に考えられる俺がした行為に蓋をして。


 #########################


「やっと………着いた」


 天使を背負いながら、帰宅する。

 とりあえず、部屋の明かりをつけてリビングのソファに寝かせる。

 適当にクローゼットから毛布を取り出して、天使にかける。

 ほとんど、素っ裸の美少女は精神衛生上、非常によろしくない。

 そのまま自室に戻り部屋着に着替えると、洗面台に行き顔を濡らす。


「はぁはぁ………クソ、ああもう、どう言う状況だよ」


 洗面台の照明は寿命が近づいているのか弱々しい。

 しかも、度々チカチカと点滅している。


「俺の家に、素っ裸の美少女?は?なんてアニメだよ?

 しかも、羽がついている」


 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 あの天使の容態だ。

 なにやら、俺の精霊の心臓で傷が治癒されているが、大きな傷を負っていた。

 あれは、おそらく他者からのものだ。

 つまり、天使は誰かと戦っている。それが複数人か個人かは知らない。

 が、敵は天使を生け捕りにしたいのか、殺したいのか、どうしたいのかは知らないが仕留め損なった。

 事実、天使は今ここにいる。

 そして、天使の傷を治療して連れ帰った俺は天使を狙う敵からしたら、俺も敵なのではないか?

 ………………クソ、知らないことだらけじゃねぇか。


「ダメだ。一旦、飯食おう」


 とりあえず、心を落ち着かせるため洗面台からリビングに戻るとーー


「ねーねーねーお腹すいた〜〜」


 ソファーでぶらぶらと足を揺らしながら食べ物を要求する天使がいた。


「おっお、起きてる!」


 ここ最近で一番大きい声が出た。


「じゃじゃ〜〜ん。天使ちゃん大復活」

「めちゃくちゃ、陽気じゃん」


 なんか、思ってたのと違う。

 もっと、怖い奴だと思ってた。

 まぁ、俺にとっては好都合か。色々と聞き出せる。


 俺はクローゼットから椅子を引っ張り出して天使の前に座る。


「よし…そうだな………まずは、自己紹介だ。

 俺の名前は菊間星斗。五浄高等学校に通う男子高校生」


 自己紹介をし、尋ねる。


「君は?」

「私の名前はセラフよ!」

「………………………………………」

「………………………………………」


 勢いよく名前を告げて沈黙。


「それだけ?!」

「むっ、それだけとは何よ」

「いや、なんか他にも肩書きとか出身とかあるだろ」

「ない!」

「見るからに変なやつに普通を求めた俺がバカだった」

「変なやつとは何よ、変なやつとは。失礼しちゃうわね」


 お前が変な奴じゃなければ、なんだっていうんだよと、心に思いながらも口には出さないようにする。

 気を取り直し、一つため息をして尋ねる。


「そしたら、もう名前だけでいいから、どうして地下歩道であんな傷だらけだったのか教えてくれ」


 それならば、さすがにわかるだろう。

 まさか、眠ったら記憶を無くしてしまうとかいう、創作物で稀に見る属性の少女だったら、俺もお手上げだが、そんな女にはそうは会わないだろう。


「それはねーー」


 ついに、話されるというところで、ぐっ〜〜〜と地獄の底から鳴っているのではないかと思えるほどの音が鳴る。

 どうやら、セラフの腹の虫らしい。


「なんかご飯ある?」


 天使は食べ物を要求してきて、別に断る理由もないので、椅子から立ち上がり冷蔵庫へ行く。

 冷蔵庫を開いて見てみるが、空っぽだ。


「ない。我慢しろ」

「いやだ!話さない。

 ご飯食べてからじゃないと、喋る気しないもん」

「子供か、お前は!」


 まるで駄々っ子のようにソファーでジタバタと手足を振り回す。

 妙に肢体が長いせいでクッソ邪魔だ。


「え〜〜ヤダヤダ。なんか食べたい〜」

「あ〜〜、分かったよ!なんか買ってくる!」


 俺は再度部屋着から外着に着替えるために、ドタバタと2階の自室に向かった。



 俺はまだセラフのボーダーラインを知らない。

 変に願いを退けたせいで、セラフの琴線に触れて取り返しのつかない状況になるよりは、ここは無難に従っておこう。

 学生鞄から財布を取り出して、1階に降りる。


「セラフも行くぞ。

 一人で家で待ってるなんか、許さん」


 それが俺なりの抵抗だった。


「はーい」


 だと言うのに、セラフは嬉しそうに答えるのだった。


 ##########################


 三日月の夜。

 気づけば星空は、急な雲に隠されていた。

 俺たちは、川沿いの道を街灯を頼りに進む。

 向かう先はコンビニ。

 帰ってから飯を作るとかになると、寝る時間が遅くなりそうだから、もう出来合いのものをセラフに好きに買わせた方が楽だ。


「で、この街は五浄市」

「ほうほう」

「まぁ、ただの街だよ」

「ふ〜〜ん」


 その間、この街について色々と教えていた。

 というか、なんかーー


「ふんふんふんふん」


 俺の前をセラフはご機嫌そうに歩く。

 鼻歌までしてるし。


「なんで、そんなに楽しそうなんだよ」


 あまりに、笑顔なので聞いてしまった。


「私、この世界に生まれ落ちてからずっと一人、廃城にいた。

 そこは、とても寒くて冷たくて、でもそれを寂しいとか思ったことはない。それが普通だったし、だから、こうやって誰かと歩くの初めてでーー」


 セラフは一拍空けて、振り向くとーー


「意外と悪くないわね」


 満面の笑みで恥ずかしげもなく、セラフは口にする。


「そうか………」


 それは………寂しいな。

 喜べばいいのか、同情すればいいのか、分からねぇや。

 そう思ったと同時に、魔風が吹く。

 電灯の下、それは前方に立つ1人の人間から生じていることが分かった。


「おいおい、こりゃどう言う事だァ?

 知らねぇ男もいるじゃねぇか」


 1人の女が立っていた。

 女は恐ろしく美人であった。

 髪はくせ毛のプラチナブランドを腰まで伸ばしている。

 女は女性という枠組みを超えて、大きかった。

 ゆうに、180センチは超えている。

 身長だけではなく腕や肩、足など筋肉がつきながらも引き締まっている。

 また、胸部や臀部にも女性らしさが盛り込まれていた。

 まさに恵体。

 顔は大きな瞳に大きな吊り目で特徴的な八重歯がその体と相待って、まるで狼のようなのだが、一つだけ違和感がある。


「もう、私の居所を嗅ぎ分けたか。まさに獣ね」


 セラフは俺を守るように、俺の前に割って入る。


「ハッ、私は一度狙った獲物は逃さないんだよ。

 例え、天国にいようともな」


 鼻で笑う。

 そう。女は修道服に身を包んでいるのだ。

 身体を覆うようにゆったりとしたシエットのチュニカと十字架のシンボルであるスカプラリオ。

 というか、それでもメチャクチャエロいな。

 身体のラインが出ないような作りだと思うのだが、胸やお尻が飛び出ている。


「まったく、修道服の意味をなしていないだろ」


 小さく呟いた。

 俺と女の距離感では絶対に聞こえる筈ないのに、修道女に聞こえていた。


「強いものに魅力を感じるのは分かるが、あんまりジロジロ見るんじゃねぇよ」


 修道女は小馬鹿にしたような笑みで俺を見る。


「てか、おい、お前はそのクソ天使のなんなんだ?」


 そう言われて、答えに窮する。

 俺とセラフの関係?

 そんなのあるか!?

 知り合ってまだ、1、2時間やぞ。

 出会い方も特殊やし。

 心の中では、思わず関西弁になってしまったが、現実では何もいえなかった。


「………………………………」


 数秒、黙る。

 俺とセラフの関係は俺自身分からず、答えられなかった。


「ふん、まぁ何でもいいや」


 修道女はそんな俺を鼻で笑い宣戦布告する。


「私は今からそのクソ天使を潰す。

 死にたくなきゃ、必死に逃げろよ!」


 そう言って、修道女は弾丸よりも速く俺とセラフに迫る。

 女性に言っていいのかは微妙だが、あの筋肉で重たそうな肉体でどうすれば、あそこまでの速度が出せるのか。


「ハッーー」


 弾丸のような速度で繰り出される拳を俺とセラフは、横に跳んでかわす。

 そのまま、修道女の拳は鉄柵を木っ端微塵にする。


「えぁ?」


 あまりの状況にしばし、フリーズ

 そしてーー


「ハァ!?んだこれ!?」


 思わず、声を荒げるー

 前言撤回。

 全然女じゃねぇ!

 てか、最近のグニャグニャになった線路などの正体はこいつか!!


「星斗、逃げて!!

 この女は

 基督教の総本山たるバチカンのトップ教皇直属の異端焼却機関の執行官。

 さっきも言ったけど、この女は獣。

 例え、一般人だろうと一切容赦はしない!

 自分の欲望を満たすためだけに生きているような女よ!」

「おいおいおい、言ってくれるじゃねぇか、ええ!!」


 修道女は俺とセラフを視界に収まるように振り向くと不敵に笑う。


「私ほど敬虔な修道女はなかなかいないぜ」


 セラフは身構えながら、軽口で返す。


「それは無理があるんじゃないかしら?寝言は寝て言ってほしいわね」

「ほざくな!」


 再度、修道女はセラフに突進する。

 今度は、セラフも身構えていたため、受け止めることが出来た。

 セラフは背中の翼を広げて、空中へ飛翔する。


「あいつ、飛べるんか」


 いや、そりゃそうか、天使なんだからな。

 心の中でツッコミしている間に、視界の端で空に向かって何かが飛んだ。


「ハァ?」


 驚くことに修道女も後を追うように飛んでいた。

 重力やら何やらを全て無視して、夜空に1人の女が滞空する。

 修道女は、空でも陸上と変わらずセラフに殴りかかる。

 それをセラフは受け止めてしまった。

 修道女は空いたもう片方の手で、顎を狙った的確な攻撃。

 空中で格闘戦が行われる。

 修道女の動きは、人間が長い歴史で錬磨してきた確かな格闘術をもとにした動きだった。


「はぁはぁはぁはぁ」


 セラフはそれに対して、背後の翼が巻き起こす風を駆使して戦っているが、防戦一方だった。


「クソっ!クソ!!クソ!!」


 どうすればいい!

 セラフが言ってたように逃げるか?それもアリだろう。この戦いは俺には関係ない。俺に出来ることもない。俺がこの戦いに割って入っても無駄死にするだけだ。ならば今すぐに一目散に家に逃げ帰りさえすれば俺は死なず中東やらで起こっている紛争や戦争のようにいつの間にか勝手に終わっているだろう。

 よし、帰ろう。

 俺は回れ右して、帰ろうとした時ーー


「うおっ!?」


 俺の目の前に、鉄柱が突き刺さる。

 そして、思い直す。

 ーーー本当に俺はそれでいいのか?

 誰かを見捨てて切り捨てて、生きる。

 そんなのでいいのか?

 俺とセラフの縁はたった、1時間程度だ。

 あの鮮血と黄金の地下歩道で出会った時から数えれば2時間。

 それでも確かに繋がった縁。

 例え、それが雪嵐も夜のように困難なものだとしても

 俺は自分から切り離すような真似はしたくない。


「やってやるよ」


 小さく、意気込む。


「やってやるよ」


 今度は確かな声で呟く。

 そして俺は脳の松果体を意識する。

 松果体から菊間星斗という人間に根付くルートを心臓に集約する。

 すると、俺の心臓が青銀に輝き出した。


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