第6話 近歩道の天使

 その後、社務所でダラダラとケイカとの時間を過ごした。

 日が落ち始めて19時。


「じゃあ、俺帰るよ」

「うん………………次はいつ来るの?」

「また、すぐ来るさ」


 ケイカも表情が変わらないから、感情がないように見えるが、本当は寂しいのだ。

 だから、俺はずっと一人でいるこの子がほっとけない。


「また来るよ」

「うん」


 境内の鳥居で別れを済まし、俺は神社を去った。

 参道を下り、山から出ると田んぼと星と等間隔に光街灯のみの世界があった。

 そこを淡々と歩みを進める。


「はぁ、天使の件はどうしよう?」


 思わずため息が出てしまう。

 頭が痛たい悩みだ。

 ケイカならば何か分かると思ったのだが……。

 こうなって来ると、どうする事も出来ない。

 一応、残り手段として魔術師に接触する方法があるが、実質ないも等しいしな。


「やめだ、やめやめ。こんなシケた話題は辞めよう」


 無理やり思考に打ち止めするようにワイヤレスイヤホンをポケットから取り出しスマホに繋げ、音楽を流す。

 こんな夜にはlo-fi musicを流す。

 歌詞もない落ち着いたテンポの音が、やけに心に染み入る。

 音楽を聴きながら歩いていると、やがて田んぼ道から住宅街へと変わりーー


「あぁ?どういうことだ?」


 俺は立ち止まる。

 なんの変哲もない日常の踏切が警戒色の黄色いテープで、グルグルに封鎖されていた。

 行きの時は、特に異常はなく使えたのだが。

 何があったのだろう?

 その疑問はすぐに解消された。

 テープの先ではおよそ人では出来ないような形にレールがグニャグニャに曲がっていたのだ。


「あんな現象を俺はどこかで聞いた気がする」


 なんだ?どこでだ?どこで知ったんだ?

 それが、重要な情報な気がして、必死に記憶を手繰り寄せ思い至る。

 そうだ。

 昨日の電車で優奈さんが言っていたニュースか。

 本当に写真の通りだ。


「それにしても、確かにどうやったらこんなふうになるんだ?」


 確かにこれは、人の手やましてや科学の力じゃ相当大変で、大掛かりな事が必要だ。

 しかも、それをする必要はあるのか?この現象は副産物なのか?

 それこそ、科学じゃなくて魔術の力の方が納得いく。

 思考の海に溺れている俺に、カンカンカンというやかましい音と赤い光が叩きつけられる。

 誤作動なのか踏切が急に起動したのだ。


「…………………………まぁ、それがなんだって話だが。行くか」


 俺は踏切から背を向けて、もときた道を引き返す。


「こうなって来ると、どういけばいいんだっけ?

 ええっと…………地下歩道を行けば良いのか。

 はぁ、明日は学校なんだぞ。寝る時間遅くなるじゃねぇか」


 ため息とちょっとしたイライラをぼやきながら、別の道へ歩き出す。

 イライラとカサつく心を落ち着かせるために、夜空を見上げる。

 これは正直クセだ。

 ちょっとした事でも、自分を落ち着かせる時は俺は条件反射的に夜空を見上げている。

 見上げた先にあるのは、冬の星空。

 俺は冬の星空が好きだ。

 アイルランドから帰ってきたその日の夜、初めてケイカと会った日の夜と同じ空をしているから。


「………………」


 今でも鮮明に思い出せる。

 病院のベットで自分のやってしまった事の大きさと重さに耐えきれず失意の底で潰されていた俺は、気づけば病室を抜け出していた。

 身体は精霊の心臓のお陰で不自由なく動いたとはいえ、まだ馴染みきっていないのか、精一杯の逃避が病院の屋上だった。

 病院の屋上から、まるで神になったように自嘲しながら見下ろしていた。


「おいおい、しけてんなぁ」


 情景に感傷的になっていた俺の目の前に神が現れた。


「そんなんじゃモテねぇぞ。

 男なんて元気であればあるほどいいんだからな」


 その神は神さまにしてはフランクで、まるで近所のお姉ちゃんみたいな感じだった。

 この神は、土地神であるらしく、土地神は天津境耶乙姫神というらしい。

 土地神は長ったらしい名前だからと、ケイカと呼べと言った。

 俺はすぐにケイカに打ち解け、悩みを打ち明けた。


「え?何?

 自分が生きていていいか、分からない?

 しょうもない。

 もし、この星に生まれた落ちたならば、どんな手を尽くしてでも全力で最後まで生きるべきよ」

「そんなお気楽には、考えられないだって?

 たかだか、10年程度しか生きてない人間が、知ったような口を聞くな!」

「よしお前、私について来い、旅に出るぞ」


 そうして、俺を連れ出し日本中を駆け回った日々。

 それは何もかもが新鮮で、嫌なことも辛いこともあったけど、楽しかった。


 #######################


 楽しい思い出を思っていれば、心は自ずと晴れる。

 やはり俺は間抜けだ。

 そんなことをお気楽に考えているから、俺は『それ』にこんなにも近づいているのに、気づかないのだ。

 もう一人の自分が罵倒する。


「何かがおかしい」


 人通りが少な過ぎる。 

 いくら、日没を過ぎたからと言って、今の時刻は20時過ぎだ。

 街が眠りにつくには早い。

 あまりにも人が捌けている。


「流石におかしい」


 疑問に思ったと同時に、強烈な頭痛が起きる。


「うっぐあギ」


 今までで一番の痛み。

 耳から直接何かが入り、頭の中を蹂躙しているような幻覚を覚える。

 先程の温かい気持ちが嘘のように、痛みに支配される。


「あったまが………かち割れ…そうだ」


 痛みで平衡感覚も失い出す。

 転ばないように壁に手をやり階段を下る。

 もはや、この時の俺に引き返すなんて選択肢は存在しなかった。

 この痛みだけで死ねるんじゃないかと思える程の激痛で、何かが変だと疑問に思いながら進む。

 檸檬色のタイルの地下歩道。

 濃密な死の匂い。

 世界がキマッているのではないかと思うほどの神聖な気配。

 なんて事ないはずの日常の延長で、天井に備え付けられた弱々しい明かりに照らされ羽を咲き誇らす少女と出逢う。


「ーーーはっ」


 それは、まごうことなき天使。

 ここ最近、俺の正体不明の頭痛と共に現れていた少女だった。

 腰まであるホワイトブロンドを一本の三つ編みにまとめている。

 透き通るような肌に、華奢ながらも胸や臀部にはしっかりと肉がついている。

 身長は160センチほどだろう。

 平均的な成人女性の高さだが、肢体に余分な肉が無いせいか、もっと高く見える。

 大きな目に泣き袋、よく通る鼻筋とフェイスライン、唇は薄い童顔だった。

 まるで芸術的な完全な身体をしていながら、そのおかげでやけに親しみやすい。

 天使は純白のドレスを鮮血に染め上げ、タイルに背を預けてへたり込んでいた。

 痛々しい傷跡が俺の視線に晒される。


「貴方、誰?私の敵?」


 と、天使は地下歩道の入り口に立つ俺を認知し冷徹な声音で尋ねる。


「っあ、え、が………」


 恐ろしいほどの殺気に晒され喉が詰まる。

 まるで穢れのない純白の肌と翼の天使。

 ボロボロに傷めつけられ血を流しながらも、天使の眼はまるで機械のように無機質。

 そんな眼を以て、流し目で俺を見る。

 そのあまりの美しさに見惚れていた俺は声が出なかった。


「何か言いなさいよ」


 思わず推し黙る俺に、天使は苛立ちを含んだ声で迫る。

 それで、ようやく声を出せるようになる。


「いや、敵じゃない。

 そんなことより、お前どうしたんだよ?めちゃくちゃ痛そうじゃねぇか」


 それを尋ねる頃には、頭の痛みは治っていた。

 だが、次は身体がヤケに熱い。

 心配を口にしながら、頭の片隅でそんな事を思っていた。


「貴方には関係ない私の敵ではないというのなら回れ右をしてさっさと出なさい………ゴボっ」


 天使は早口で言いたい事を言い終えると、大きな咳をした。

 それに伴い、大量の血が吐き出される。

 天使の周りに飛び散る血は、タイルの目地を侵食し魔の手のように俺に伸びる。

 …………………というか、やはり何かがおかしい。

 普通の人間なら、天使に言われた通りにこの場から逃げる筈だ。

 というか、言われなくても走り去る。

 でも、俺はそれをしていない。

 俺が普通ではないからか?精霊の心臓を宿しているからか?


「ハァアハァハァアハァ」


 ーーいや、違う!

 あの天使から目が離せない!


「なに…を惚け…ているの?………………さっさと………行きない!」


 身体がアツい。熱い。アツい。アツイ。あつい。

 沸騰を通り越して、マグマのように煮えたぎっている。

 そのあまりの熱さに、脳は正常な判断をできなくなっている。

 ふれたい。フレタイ。触れたい。

 あの天使に触れたい。あの女に触れたい。

 気づけば天使の意に反して、俺は歩を進める。

 もはや理性は死んだ。

 本能が俺を支配する。


「来ないで………近づかないで」


 僅かに怯えのような感情を含んだ声。


「………………」


 それに、無言でニヤリと笑みを浮かべる。

 どうやら傷や出血量の割には、まだ死にはしなさそうだ。

 その事実に、さらに笑みを浮かべる。


「なっなに?」


 やがて、俺は女の正面へと至る。

 ちょうどよく、俺と女を照らす照明以外が消える。

 真っ暗闇の世界で、俺と女だけのような錯覚を覚える。

 それに加えて女が俺を見上げる、その様が実に良い。


「貴方、様子がおかしいわよ。私に何をするつもり?」


 女は怒りを含んだ表情で下から俺を睨みつける。

 俺は膝を折り、視線を女に合わせる。


「お前の、その羽を寄越せ」


 なぜ、そんな事を言ったか分からない。

 本能で出た事だ。


「はっ?意味が………分からーー」


 女が言い終える前に首を絞める。


「アアっう、カハっっ!?」


 数秒、ほどほどの力で絞める。

 空気を求めるように、顔を天井に求める。


「やるならやりなさい。その後、絶対に殺してやるわ」


 女は顔を真っ赤にしなが俺へと向き直ると、不敵に笑いながら言う。

 それに、俺も笑ってやる。

 言われなくてもーー


「やってやるさ!」


 そう言って、俺は女にキスをした。

 死で黒い世界、一番星だけが輝いていた。

 日常の其の先へ飛び降りた音がした。

 そして、そこで意識は途絶えた。

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