第3話 月下
授業の終了を知らせるチャイムが鳴る。
授業は体感、一瞬で終わった。
6限が終わると、ホームルームに移る。
ガヤガヤとした雑談が中等部高等部の境なく学校中を満たす。
授業が終われば嬉しいのだ。
5、6歳の差があろうと、変わらないところもある。
俺は早々に教科書類を学生鞄にしまう。
今までの経験から午前中には学校に着く事はないと分かっていたから、4、5、6限の教科書しか持ってこなかったから、ホームルームの準備はすぐに終わる。
席に着いて窓の外の山々をぼーっと見ながら待っていると、教室に先生が入ってきた。
「これから職員会議だから、今日のホームルームはなしで、各自帰っていいから」
急ぎの用があるのだろう。
先生は早口で捲し立てる様に言う。
「そういうことなら」
俺は帰りまーす。
席から立ち上がって、教室を出ようとすると、先生から追加で要件があった。
「あ、それと菊間くんは、英語の補習があるから居残りね。
あとで、ナザレ先生のところにプリントを貰いに行って」
帰宅部らしく部活動を遂行しようとすると、障害が現れる。
人生は思うままにいかないものである。
「ヘイヘイ、簡単に帰れると思うなぁ〜」
近衛さんが茶化すように言うと、クラス中が笑いの包まれる。
「じゃあね〜〜」
「バイバイ」
「また明日〜」
そんなふうにクラスメイトは俺を置いて、教室を出て行った。
遅れて俺も教室を出て、職員室を目指した。
職員室は昇降口のちょうど真上にあったりする。
帰宅する生徒の流れに乗りながら、職員室に入った。
職員室は、かなり広い空間に中等部高等部全教科の先生が、ごちゃ混ぜでいるので、どこに誰々先生がいるか迷う。
職員室の入り口にある座席表を見る。
「見つけた」
ナザレ先生が座る机に行く。
が、空席だった。
「いねぇ」
呼び出しといて、これはどうなんだ?
なんかもう、ダリーな。
このまま、帰ろうかな。
………………………でも。
「ナザレ先生っと何処にいるか、分かりますか?」
ここでほっぽり出せないのが、俺だよな。
なんて思いながら、隣の先生に尋ねる。
「あ〜〜〜、たぶんだけど廃教会にいるんじゃないかな。
先生は敬虔だからね」
########################
繁茂する木々や葉を掻き分けながら、山を登る。
廃教会は1970年代後半に増築された新校舎とは、隣の山に建つ旧校舎付近にある。
一応、そこも学校の敷地になっており、廃教会の存在は知る人ぞ知る存在になっている。
数分、登り続ける。
帰らない選択をした過去の自分を憎み始めた頃に、廃教会が見えて来た。
「ボッロ」
荒れ果てた原っぱにポツンと廃教会が建っていた。
廃教会は木造建築で出来ているのだが、経年劣化で全体的に脆くボロボロになっており、今にも崩れ落ちそうだった。
実際、天井なんかは一部崩落している。
俺は荒れた原っぱを通る。
俺が歩いた後は、枯れてしな垂れていた花々や干からびた葉たちが、みるみる生命力を取り戻し死んでいた自然が息を吹き返し、まるで全盛期のように咲き誇る。
一面、カラフルな花畑に様変わり。
「精霊の心臓」が持つ生命エネルギーが肉体から溢れ出た結果、周囲の植物を甦らせのだ。
花々の絨毯を引きながら、廃教会に入る。
「やっぱ、雰囲気いいな」
ここには数回しか来たことがないが、それでもあまりの儚さとそれに内包する美しさに記憶に焼き付いている。
内装は至って普通の教会。
しかし、柱には時を感じさせるように蔦が巻きつき、崩れ落ちた天井から差し込む日の光がalterを照らす。
廃教会の内部を練り歩くが、人一人いない。
「見た感じ先生、いないな〜」
ここまで来たら、帰れるわけがない。
ここで待ってれば来るでしょ。
そんなふうに思い、俺は前から2番目の椅子に座る。
「ーーー」
非日常の空間。
幾ら時が経ち、神域が風化しようと視線の先にある鉄の十字架が、否応なしに厳粛な雰囲気に呑み込まれ、今の自分のルーツに対面させられる。
「俺は」
生きてていいのか?
いつからか、思い出せないが、今ではそう思う。
あの日、惑星の美しい姿を見た時、涙を流した。
その涙の理由を真に理解する事は、もう出来ないだろうけども、いま思えば生きている事に心底安心して、地に足着いていることが嬉しかったんだと思う。
でも、今は分からない。
素直に喜べない。
「俺だけが生き残ってしまった」
両親や弟、幼馴染家族が死んで、俺は生き残った。
本来なら俺も一緒に死んで、地獄へと行くべきだったのだ。
運命はそうだったのだから。
でも、やっぱりーーー
美味しいご飯を食べた時。
友達とお喋りする時。
好きな子にドキドキする時。
そんな些細な当たり前に、幸せを感じて生を噛み締めると、やっぱり生きていて良かったと思う。
死の境界線の間際に立っていた時を思い出すと、どうしようもなく怖くなって、この心臓を与えてくれた精霊に感謝する。
結局は本当に自殺出来る筈ないのに、死にたいなんて言って、家族へ引け目を感じているポーズをとっているだけなのだ。
その矛盾が自分の中に在るのだと思うと、自分が人間ではない化物のように思える。
「あら、お客さん?どうしたのかしら?」
おっとりとした大人の女性の声で、告白は終わる。
マリーナ・ナザレ先生。
うちのクラスの英語教師で、敬虔なクリスチャンだ。
容姿は金髪を三つ編みにした糸目の女性で、何故だかいつも修道服を着ている。
「2年B組の菊間ハギトです。
俺だけ、補修があるって言うのを聞いて、補修プリントを貰いに来ました」
「あ〜〜あ、すっかり忘れてたわ、ごめんなさい。
わざわざ、こんなところまで、ご苦労様。
遠かったでしょ」
「はい。疲れるというより、草木が鬱陶しいですね」
「あはは、本当にお疲れ様。
それで、
重ねて申し訳ないんだけど、補修プリントは職員室の机にあるのよ。
今から一緒に戻って欲しいの」
「………はい」
##############
俺はナザレ先生と職員室まで戻り、補修プリントを受け取ると教室に行き、自分の席で一人課題をしていた。
2時間ほどで、補修プリントは終わった。
窓の外を見てみると、暗くなり空には月が浮かび星が点々と輝いていた。
4月の上旬。
冬も終わり夏に近づき始め、夜の訪れは大分遅くなったと言えるが、それでも19時頃になれば、もはや夜と言っても差し支えなかった。
プリントをナザレ先生に渡しに行ったが、ナザレ先生はまた何処かに行っており、職員室から消えていたので、補修プリントを机に置いて、職員室を出た。
そのまま、昇降口の下駄箱へと向かった。
「今日の夜飯は何にしようかな〜〜。
とりま帰ったら昨日の深夜に放送してたアニメ見るか」
なんて何の変哲もない、あっても無くても良いような独り言を呟いていた俺の視界の隅を白金の光が駆けた。
それが気になって、背後を仰見る。
昇降口の天窓はステンドグラスゆえに明確には捉えられないが、見間違いではなく、白金の光があった。
白金の光は、徐々にその存在感を増していき、俺の視界いっぱいを光が満たした。
あまりの光力に眩くて目を閉じたその時、パリンという音がして、光が急速に弱まる。
瞼を開ける。
ーーーそして、ステンドグラスを割って天使が堕ちてきた。
天使は俺と同い年かそれよりも少し上くらいの女性だった。
髪はサラサラなホワイトブロンドをボブにしてストレートで落としている。
肢体は華奢ながらも胸や臀部にはしっかりと肉がついており、女性的である。
目はくりっと丸く、鼻筋や顎はスッと通っている。
顔立ちは主として幼さがありながら、鼻や顎から成長した大人な部分も感じられる。
身長は160センチほどで、自身の身長よりもあろう大きい翼を腰に二対二翼持ち、頭上には天使特有の光の輪があった。
天使が放つ雰囲気は、まるで古代からある西洋の絵画に登場する天使のように神々しくも、顔立ちから守ってあげたくなるような庇護欲を掻き立てられる親しみ深い容姿をしていた。
しかし、その穢れを知らない真っ白な容姿は鮮烈な紅で染まっている。
天使が落下する数秒で俺は見た。
右腕と左足の膝から下の欠損、更に胴体の心臓部から腹部に渡り十字架ように深い傷痕が刻まれ、腹部には風穴が開いていた。
そして、俺はそれらの光景に息を呑んだ。
理由は、女の子が重傷である事でも女の子が空から降って来たことでもない。
そもそも論の女の子が天使である事すら理由ではない。
あまりの美しさに。
「ふーーーっすゥは」
散り散りになった赤青緑白黒黄のステンドグラスが天使の降臨を祝福する花吹雪へと変わる。
やがて、ステンドグラスと一緒にドスンと地面に天使は落下する。
突き破った天窓から月の光が片腕片足の異形の天使に降り注ぐ。
天使は癒やされるかのように、まるで惑星でここだけが唯一の安らぎの地でも言わんばかりに、目を瞑り月光を浴びる。
「空から…降ってきた?
とりあえず落ち着こう。まずは状況把握だ」
下駄箱の陰から小声で呟きながらも、視線は天使に釘付けにされる。
天使は重傷というか、あの傷だったら瀕死。
誰にやられたんだ?
魔術世界……………………いや、教会か?
とりま、神秘の知識に明るくない俺でも分かる。
天使は絶対にヤバい!
ここは関わらない方が吉だ。
「そっとそっと」
あまりの異様な存在に逃げ出そうとすると、こういう時にヘマをする性分なのか、学生鞄の金具が下駄箱に当たり、キンッと音がする。
そして、天使はその音をしかと聞きつけ、急に首を曲げて、音のした方向を見る。
つまり、俺と目が合った。
「ーーーッイ!」
俺は天使を背にして逃げるように走り出す。
一歩二歩三歩と足を止めずに、走る事に注力していると背後から声が聞こえた。
「もっと生きてたい」
声は小さいながらも、その言葉が何故か良く耳に残る。
いつしか足は止まり、背後を振り返っていた。
天使はその可憐な顔を歪ませていた。
「死に………たくない。死ぬのは…怖い。死ぬのは………ヤダ。終わりたくない。怖いよ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
一人ぼっちで死ぬのは、嫌だ!」
無様に泣き叫びながら死にたくないと命乞いをする。
「もっと生きていたい!」
それは生まれた瞬間から魂に付随する原初の感情。
魂の奥底から出その感情が吐き出される。
止まっていた足は、天使の元へと戻る。
「死にたくないのか?」
天使は、視界の中心に俺を据える。
先程の取り乱し様とは打って変わり、怯え顔にわなわなと口を震わせて、こくんと頷く。
「君はなんで、生きたいの?」
ひどく傲慢な問いが口をついて出る。
どの口で、何様でと言った感じだ。
こんな問いをして良いのは、生と死に固執しない人外か、それらを超えた超越存在か、無神経な奴だけだ。
本来、死にたい理由を尋ねる権利があっても、生きたい理由を尋ねる権利なんてないのだ。
しかし、それでも俺は尋ねた。
おそらく、今ここで天使を救えば俺の日常は崩壊する。
そんな推測と何よりも第六感がするのだ。
「死ぬことが正義だとしても、私は生きること識りたい」
天使は答える。
どんな事情があるのかは知らないが、天使は自分の生に負い目があるのだろうことが読み取れた。
そして、それでも天使は生を望んだ。
その答えは、割に合わず辻褄の合わない俺の人生と同線上にありながらも対岸にいた。
答えは決まった。
「………わかった」
ーーー脳の松果体から伸びるルートを繋ぎかえる。
スイッチが切り替わる様に心臓が青銀に光だす。
その光は心臓だけでは止まらず、とうとう皮膚の下からも発光し、煙の様に宙に溶ける。
その姿は、あの事件の日に、命を貸してくれた女の精霊に似ていた。
頷くと俺は傷つく天使の下に跪く。
腕や足の傷口を見て、えずきかけたが天使の顔を見て、それもすぐに失せる。
背中に腕を回して抱き起こす。
「ーーー」
月下、精霊は青銀の光で包み込み天使に口付けをした。
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