第3話 世界の果て、惑星の中心
月光の翼の下、頬を色とりどりの花弁に撫ぜられながら川を緩やかに流れる、少年の記憶。
視界いっぱいに広がるのは、闇夜に浮かび上がり瞬いては消えて行く星々の空と風で揺れる木々の葉のみ。
「すぅっ」
関東では、まず見られないアイルランド特有の絶景に思わず、感嘆の息が漏れる。
まるで、今の自分の状況は人々に語り継がれる伝説の英雄の最後のように思えた。
しかし、そんな感動も感傷も数秒で過ぎ去る。脳のフリーズもすぐに正常になり、俺がここに流れ尽きるまでに、犯した罪の数々が回帰する。
犯した罪は贖えるほど軽くはなく、無論赦される程度のものではなかった。
ーーーあぁ、死にたい
頭を希死念慮が満たすと、それに呼応するかのようにギリギリとぽっかりと穴が空いた腹部の傷が痛みが、ぶり返す。
痛みは指数関数的に増していく。
あまりの痛さに、脳で火花で散らされているのかと錯覚し、痛覚がオーバーヒートするのでは無いかと思った。
そして、そんな時に限って、本日何度目かの不幸が重なる。
川の水の勢いが増す。
流れが強くなり、水面で舞っていた花々に草木が、凄い速さで流される。
水位が下がり、凸凹とした岩が顔を出す。
この先に、滝があるのだと悟った。
このまま、流され滝から落下すれば死ぬだろう。
運が良ければ、死なないかもしれないが、生きる訳ではない。もし、命が助かっても、この傷ではどの道、夜明けまでは保たないだろう。
すでに諦めがついている。
それに、犯した罪が赦される事は絶対にないが、だからと言って何もしなくて良いわけではない。
死んで居なくなるくらいの事はしなくてはだ。
何より、自分が自分を赦せなかった。
数十秒すると、ザァァァァ!!っと水のぶつかり合う音が強くなる。
岩肌にぶつかりながら流されているといると、遂にその時が来る。
数時間とも思える浮遊感が身を包み、一瞬の衝撃。
「ぅウ、クグっぅ、あ、ふ」
罪悪感で正常な思考や感情をどれだけぐちゃぐちゃに壊され、死にたいと思っていようと、身体は空気を求める。
駄犬のように無様に犬カキをしながら、水から顔を出す。
「スゥーーーーーー!ハァーーーー!」
思いっきり顔を出して息を吸って吐き出す。
周りを見てみれば、どうやら湖に流れ着いたようだ。
湖を囲むように茂る木々。
星々の光を反射して、淡く神聖さを感じさせる光を映す湖
残りは、どこまでも続く星々と満月の宇宙のみ。
「森の中に、こんなところがあったんだ」
最後の場所として、不足はなかった。
数秒、揺蕩い陸地を目指す。
陸地に上がると水で冷えきった身体を無理にでも動かし、湖を囲むようにある木々の中で一際大きい大樹へと目標を定める。
大樹は根が地面から盛り上がり、そこらの木の幹ほどの大きさで、樹齢百年ほどの立派なものだった。
俺は大木の根に包み込まれるように背中を預けて座る。
俺が通った跡は、ポタポタと垂れた血で赤い糸が出来ていた。
「いっつ!?」
不意に、ズキリと鋭い痛みが走り、脳が気をきかせたのか、意識が朦朧とする。
この痛みは本物のやつだった。
それも無理はない。
腹部から流れる血の量は、最早生を許容出来る量ではなく、走り疲れたのと一時間は水に浸かっていたせいで、体力は殆ど残っていなかった。
それに加えて、死の光を望んでいる。
「あぁ〜あ、やっと逝ける」
俺はどんな理由があろうとも物事には限度があり、俺はそれを踏み抜いた。
やってはいけない事をしたのだ。罪とも言える。
犯した罪は本当の意味で贖う事は出来ない。殺人を犯した人間が、後からどれだけ悔い改めたところで、殺された人間が生き返る事はなく、殺された人間の遺族が納得する事はない。
過去は変えられない。
残された者たちは、ただ咎人が苦しみながら生きていくのを望むだけ。
残された者たちの思い。
罪を犯した側には、口出しする権利はない。
ただ、言われたままにゴミのように、木偶のように罰を受けるのみだ。
罰を受けて、咎人は初めて罪を犯したその時に、失われた生きる権利を仮に貸し与えられるのだ。
生きる権利は、社会に認められて有するから。
ーーーならば、誰が俺に罰を与えるのか。
残されたものはなく、法も効かない、他人もいない、この地で誰が俺に罰を与えてくれるのか。
「………たぶん、俺だろうな〜」
俺が納得するかどうかという話で、俺は自分を赦すことが出来ない。
主観的にも客観的にも自分に死ねよと思う。
とどのつまり、俺は死ぬべきなのだ。
「この悔恨の………過去を…抱き…ながら……………生きて………い…く…自信…はない」
そう言って、遂に意識は途切れる。
##################
「ナニコレナニコレ」「うわーへんな生き物だ〜」「食べれるかな」「おいしそうダネ」「やめた方がいいよ」
「ボク、コレ知ってる」 「侵入者って言うんだよ」 「侵入者って、悪さする?」
「わからない」 「なら殺そう」 「そうだね。一応殺そう」 「お母さんの邪魔になるかもだしね」
「よし、殺そう」 「うん、殺そう」 「そうだね殺そう」 「まず、殺そう」
「でも、わざわざ殺さなくても死ぬんじゃない?」
「それじゃあつまらない!」 「うんうん、殺したら楽しいよ」 「未知の体験だ〜」
数秒、数分、数時間、数年、数世紀、兎にも角にも永い一瞬は、囁き声で目を覚ました。
もう、目を覚ます事は絶対にないと思っていたが、まだ次があったとは、思わなかった。
囁き声の出どころは、俺の顔の周りを漂う光の玉だった。
光の玉からはただの電球では感じられない、生気を感じられた。
それに、なんだか意地の悪い言葉を交わしてる。
「なんだ、これ?」
ありえない光景に、呆然と呟く。
大地や木々が黄金色に光っていた。
あまりの光力に、星々の光が霞んでいた。
金色の大地から光が生み出されると、宇宙に飛んでいく。
物知らずの子供である俺でも、この現象は科学ではあり得ないと言う事は分かる。
神秘に出逢ったのだ。
「あれ、起きてる!」 「なら、早く決めなくちゃ」 「でも勝手したら怒られちゃうよ」「言わなきゃバレないよ」
「殺す」 「殺す」 「殺す」 「殺す」「殺す」「殺す」 「殺す」 「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」 「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」
殺す殺すの大合唱。
無邪気な子供の声で、物騒な言葉を意味を理解しながら重ね合う異様な光景。
「あぁこうやって死ぬために、目を覚ましたのか」
穏やかに死ぬなんて帳尻が合わないよな。
「…………………………………………やっぱり嫌だ!死にたくない!死にたくない!自分がなくなるななんて、無理だ!」
ーーー死にたい死にたいと宣い、いざ生き残れば死にたくないと叫ぶ。なんて傲慢か
しかし、そんな俺の我儘を許容する声が聞こえる。
「死ぬな。こんところで死んでもらっては困る」
俺の独り言に反応する女性の美声。
ただの都合のいい妄想ではなかった。
声のした方向。
湖の中から一人の青銀の美女が現れる。
身体は人の形を保っているが、女の人の身体は霞のように曖昧で透けていた。
女の人が現れると光の玉は各々散り散りになった。
「この楽園に死を持ち込むな」
「ごめんなさい……ここはどこ?あなたはだれ?」
「私は精霊。名前までは教えれないけど、今は勘弁してね。
そして、ここは世界の果て、惑星の中心。惑星の楽園のその最上層よ」
女の人は、答えてくれたけど、俺は馬鹿だから全く理解出来なかった。
「そう、なんですね」
「君は、どっちなんだ?」
「どういう意味ですか?」
「さっきから、君を見ていれば死にたいとか死にたくないとか、叫んでいる。
死にたいのか死にたくないのかどっちなの?」
「わからない。
俺は大きな罪を犯し積み上げてしまった。
それを知っているそんな自分に失望して、死にたい、死ぬべきだと強く思ってる。
でも、それと同じくらい生きていたいと思うんだ。
未だ生き汚い自分にまた失望しながらも、たとえ、赦されざるズルだとしても、権利がなくても、もっと生きていたいんだ」
「ふふふ、本当に人間は醜いなぁ。面白い。
なら、君に時間をあげる」
女の人は意地悪く笑うと胸に手を突っ込むと、配線を無理やり引きちぎるように、心臓を抜き出した。
「きれい」
光を反射しているのではなく、生み出している。
精霊の心臓はどんな宝石よりも強く青銀色に輝いていた。
「ありがとう。
これを君に貸してあげる。
答えが出たら返しにきなさい。
答えと一緒にね」
そう言って女の人は、心臓を俺の胸へと押し込む。
精霊の心臓は、俺の皮膚に接触すると、まるで水面に触れたときのように波紋を描き出す。
精霊の心臓が完全に、俺の中へと吸い込まれていくと、プツリと意識が途絶えた。
意識の端で、女の人の「いってらっしゃい」を聞いた。
################
「んっ、ううう、ん」
目を覚ますと何の変哲もないただの湖に戻っていた。
俺が先ほどまで見ていたのは夢なのかと思い、胸を見てみると、胸の中心その左寄りの心臓があるところが、青銀色に光っていた。
何となく、眼球に違和感を感じ、湖に駆け寄る。
湖に反射する自分の顔には特に変化はなかったが、眼球だけは違った。
瞳の色が違う。
生来の黒瞳が白銀色に変わっていた。
「それだけ、じゃない。
なんだよコレ」
そう言って、今までは見えなかったモヤのようなものを掴もうとするが空を切る。
数度試して意味がないことに気づくと、取り敢えず森を歩き出した。
………………………。
………………………………………………。
…………………………………………………………………。
数時間、当てもなく歩き続けた。
空は白ばみ初め、星々と満月の夜は終わる。
新しい朝が来る。新しい今日が始まる。
森を抜け、だだっ広い野原を歩き、そして最後は崖へと辿り着いた。
アイルランドの端。
この世界の果て。
視界の半分を埋めるのは海。
眼下から生み出される、海と陸のぶつかり合う音が鼓膜を揺らす。
「結局、生き残ってしまった」
呟く。
特に意味はない。
虚無。
死にたいだとか死にたくないだとか、そんな事すら思わない。
と、日が昇る。日の出に出くわしたのだ。
それを茫然と眺める。
「………?」
頬を濡らす何かに触れる。
気づけば、涙が流れていた。
この惑星は雄大で、とても美しい。
だからと言って、人の悩みがちっぽけだとは思わないけれど、今はそれだけで十分だった。
長い、悪夢のような夜は終わった。
この結末が、正しいものかは知るよしもないが、兎にも角にも終わったのだ。
ーーー不意に一陣の風が吹く。風に乗って最後の涙が母なる海へと還っていった。
この地球という
俺に残ったものは何もない。全て失った。これからも失うと思う。
例えば、記憶すらも。そんな気がした。
でも、この景色だけは絶対に失くしたくない。
だから、一生失くさないように魂に刻み込んだ。
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