卒業式にサヨナラを

無月弟(無月蒼)

卒業式にサヨナラを 前編

 今日は、俺の通っていた高校の卒業式。仲の良い友達同士集まって写真を撮る女子生徒もいれば、お世話になった先生に挨拶をしている男子生徒もいる。

 卒業式が終わって、卒業証書を受け取って、教室で担任の先生の話が終わった後も、多くの生徒は学校に残ったまま。きっと皆、この最後の時間を惜しんでいるのだろう。

 そんな中俺は、鞄と卒業証書の入った筒を手に、一人校舎を歩いていた。ふと前を通った教室の中に目を向けてみると、陸上部で一緒に汗を流した仲間、上野の姿が目に入ってきた。

 人気者で、女にモテる上野の周りには人だかりができていて、写真や卒業アルバムへの書き込みを、代わる代わるお願いされているようだ。何となくその様子を見ていると、向こうも俺に気付いて、手を振ってくる。


「よう、江本。もう帰るのか?」

「そう言うわけじゃねーけど、ちょっと学校の中をブラつこうと思ってな」

「そうか、今日で最後なんだから、たっぷり堪能しておけよな」

「言われなくても」


 そんなやり取りをしてから、俺は再び歩き出す。だけどすぐに、思い出したような上野の声が後ろから聞こえてきた。


「江本ー、陸上部の打ち上げ、忘れてないよなー。明日の夜だからなー!」

「分かってるって。七時に駅前の店だろ!」


 届いた言葉に、振り返って返事をする。

 明日は、陸上部の打ち上げがある。そして明後日には、クラスの打ち上げにも行くつもりだ。こう打ち上げが続くと、少々懐が寂しくなるだろうけど、来月になったら俺は地元を離れる。皆と中々会えなくなる事を思うと、多少無理をしてでも一緒になってはしゃぎたかった。

 ガラにもなく、少し寂しさを感じている。やっぱり卒業式の空気が、そうさせているのだろうか?


 俺は今度こそ歩き出して、昇降口へと向かった。さっき上野に言った通り、まだ帰るつもりは無い。だけど俺が行きたい場所と言うのは、靴を履かないと行くことができないのだ。


 上履きを脱いで、下駄箱に入っている靴と入れ替えようとして、ハタと気付く。いけない、今日で卒業なんだから、上履きもちゃんと持って帰らないと。

 鞄の中に入れておいたビニール袋に上履きを入れて、手に下げる。立つ鳥跡を濁さずと言うし、やり残したことが無いようにしておきたい。今から会うアイツにも、ちゃんと別れを告げないとな。



 昇降口を出て向かった先は、校舎の裏側にある焼却炉。俺が入学した時には既に使われてはいなかったけど、撤去されることも無く残っている、オンボロの焼却炉だ。そしてそのすぐ近くには、一本の桜の木があった。

 毎年春になると綺麗な桃色の花をつけて、今もまるで、卒業生を祝うかのように、桜の花を咲かせている。まだ満開とはいかないけれど、その花びらはとても綺麗で。こんな誰も寄り付かないような校舎裏ではなく、正門近くや校庭など、もっと人目につく場所にあればいいのにと、つい思ってしまう。


 この桜の木は、俺が入学した時どころか、学校が建つ前からそこにある、長生きな木だ。

 何で学校が建つ前からある事を知っているかって? 直接聞いたんだよ、あの桜の木……と言うか、アイツに。


 桜の木の下には黒くて長い髪をした、桜の花びらのような淡い桃色の着物を着た女の子が立っていた。一見すると、俺と同い年くらいに見える女の子。だけど本当は、物凄く年上なんだよな。

 制服ではなく、着物を着ているところが、この学校の生徒ではないと言う事を感じさせる。アイツの名前はサクラ。本人曰く、この桜の木の精だと言う。俺はさっき、上野がそうしてくれたように、手を振りながら名前を呼んでみた。


「おーい、サクラ―」

「あ、ユージ遅ーい!」


 眉を吊り上げるも、ちっとも怖くない顔で俺を睨んでくるサクラ。その姿が妙に可愛くて、俺は怒られているにも拘らず、自然と表情が綻んでくる。俺は小走りでサクラの元へと駆けて行く。


「悪い、ホームルームが長引いてたんだ。それに、友達とも話してたから遅くなった」

「遅すぎるよ……もしかしたら来ないで帰ったのかもって、心配したんだから」


 途端に切なそうな目をして、しおらしくなるサクラ。その態度に、俺は慌ててしまう。


「バカなこと言うなよ。来ないわけ、ないだろ……」


 そう、来ないわけがなかった。俺は今日、この学校を卒業する。もう明日からは、来ることはないんだ。それなのに大好きなサクラに何も言わないで去るだなんて、出来るわけがないだろ。




 俺がサクラと出会ったのは、入学してすぐのこと。当時陸上部に入ったばかりの俺は、先輩のパシリにされて、飲み物を買いに行った際、近道をしようとここを通りかかったんだ。


 そしてそこにあった桜の木に何となく目を向けると、そこに着物姿の女の子がいた。

 その服装があまりに場違いで。最初は、演劇部が劇の練習でもしているのかと思ったけど、振り返ったその子と目があった瞬間、細かい事なんてどうでもよくなった。その子が、あまりに綺麗だったから。


 艶のある黒髪。愛嬌のある人懐っこそうな顔。見とれていると、その子はそっとこっちに近づいてきて、俺に聞いたんだ。


『君、もしかして私が見えるの?』


 最初は、ジロジロ見られた事に怒ったのかと思ったけど、そうじゃなかった。よくよく話を聞くと、その子は桜の木の精で、この学校ができる前から、ずっとここにいるのだと言う。

 そしてその姿は、本来人間には見えないらしい。後で分かったことだけど、確かにその子の姿は他の奴には見えなくて。何度か友達を連れてきたりしたけれど、誰も見ることができなかった。

 不思議に思ったよ。俺はそれまで、幽霊とか妖怪が、視えるわけじゃ無かったのに、どうしてサクラの事は見る事が出来るのだろう?

 サクラは、たまたま波長が合ったから見えたんじゃないかって言ったけど、詳しいことは分からないままだ。

 そしてサクラはそんな、自分のことを見ることができる俺に、すぐに興味を持った。


『私を見ることができる人間なんて、初めてあったわ。私、サクラって言うの』

『サクラ……なんか、そのままの名前だな』

『もう、人の名前にケチつけないでよね。それより、君の名前は?』

『俺? 俺は、江本雄二えもとゆうじ

『雄二……ユージね』


 楽しそうに、ニッコリと笑うサクラ。そして俺は見つめられながら、心臓がドキドキ言っていることに気がついた。

 無邪気に笑うサクラ。名前を呼ばれただけなのに、何故だか幸せな気持ちになる。これが一目惚れというものかと、俺は思った……


 それから俺は、ことある毎にサクラに会いに行った。放課後、部活が終わった後にこっそり行く時もあれば、昼休みに購買で買ったパンを持って行って、一緒に昼食をとったこともあった。と言っても、サクラは物は食べられないそうで、食べるのは俺だけだったんだけど。

 俺以外の奴にはサクラの姿は見えないから、端から見ればぼっち飯を食ってるように見えただろう。

 けど、別に良かった。何だか秘密の関係みたいで、楽しかったし。


『しかし、俺だけ食べるってのも、何だか悪い気がするな。本当に食べられないのか?』

『無理。口に入れようとしても、入らないの。まるで、見えない壁があるみたい。水なら飲めるんだけどね』


 パンは食べられなくて水が飲めるのは、本体が木だからだろうか? たぶん聞いても、本当のところはサクラにも分からないのだろうけど。


『不思議だよね。触ることはできるのに』


 そう言ってサクラは、パンを持つ俺の手に触れてきた。人間のものと変わらない、暖かい手。だけどゴツゴツした俺の手とは違って、柔らかい女の子の手だ。

 触れられて、どう反応すれば良いかわからずにドキドキしていると、サクラはクスクスと笑ってくる。


『今、ドキドキしてる?』

『し、してねーよ』

『そっか、残念。ドキドキしないのかあ。私これでも、ユージのこと好きなんだけどなあ』


 その言葉に、俺の心臓は跳ね上がる。

 いや、落ち着け。こいつはふざけて言ってるだけだ。大方俺の反応を見て、楽しんでいるのだろう。

 だけどいくら自分に言い聞かせても、高鳴る胸の鼓動は、押さえることができなかった。



 俺達は飽きることなく、何度も会っていった。

 そうしているうちに夏が来て、秋が過ぎて、冬が終わって、また春が来て。二人で過ごす時間は、とても楽しかった。

 だけど三年になった頃から、俺はだんだんと焦り始めていた。この学校にいられるのはあと一年。卒業したら、もうサクラとは会えなくなってしまう。それはどうしても、避けられない事実。だけど二人で過ごす時間を、できるだけ楽しいものにしたかった俺は、そんな気持ちを隠しながら、今まで通りサクラと接した。サクラも何も言わずに、いつも笑ってくれていた。


 でも、サクラだって本当は、別れが近づいていることくらい、分かっていたんだと思う。俺よりもずっと長い間この学校にいるのだから、生徒は留年でもしない限り、三年過ごしたら去っていくことくらい、知らないはずが無い。

 サクラは俺がいなくなる事を、何とも思わないのだろうか? 聞きたいけど聞けない。そんなもどかしい気持ちを抱えたまま、今日と言う日を迎えてしまった。


 今日がサクラと過ごせる最後の日。友達とは離れ離れになっても、連絡を取れば会う事はできるだろうけど、サクラがいるのは高校の敷地内。卒業してしまっては、会う事が非常に困難になってしまう。

 だけどそんな最後の時間だと言うのに、俺もサクラもいつも通り。サクラが今まで見てきた、昔起きた出来事の話や、俺の学校生活の思い出など、他愛も無い事ばかり話していく。本当はもっと、話したい事があるはずなのに。

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