屋上に落ちる
「娘が産まれたので、広い部屋に引っ越そうと思ったんです」
会社員である塚原さんは、妻と子の三人で、3LDKのマンションに引っ越した。
その部屋は七階建ての最上階であり、その階だけ一部屋少なかった。
「東側に普通のベランダ、南側が部屋一つ分まるごと大きなベランダになってたんです」
家賃は、他の部屋と同額だった。
「前の住人が何かあったのか、と思ったので、不動産の人に聞いたんですけど」
そういった瑕疵はなかったという。
内覧で、夫婦そろってで住み心地がよい、と判断したため、その部屋に即決したという。
「娘が大きくなったら、遊び場にできるかもね、なんて言っていたのを憶えています
引っ越し当日、業者と一緒に荷物を運び入れていた。太陽が高く上り、一番暑い時間帯。
「すぐ外で、ものすごく大きな音が聞こえたんです」
鼓膜が痛くなるほどの音量。すぐに、大ベランダからの音だと感じた。
業者と顔を見合わせる。妻の方を見ると、音に驚いて泣いている娘をあやしていた。
ベランダへつながる窓から外を見たが、荷物を入れる最中であり、空である。そんな音を鳴らすような物は存在しない。
「足の裏で振動を感じましたし、空気の震えっていうんですか? それも肌で感じ取ったんですけど」
疲れから、音の正体を考える余裕はなかった。
翌日も、音は鳴った。
「その日は有休を取っていたんです。全身筋肉痛で、娘をあやしながらゴロゴロしていたところに」
振動と音。
這うようにして窓へ向かい、カーテンを開けたが、やはり空だった。
「そのとき、音の鳴る時間が、昨日と同じではないか、と思ったんです」
時計を見る。午後一時四十七分。昨日鳴った時刻は時計を見ていないため正確には分からないが、日差しが暑く、同じようだった記憶がある。
その後も、その音は何度も続いた。
「毎日ではありませんでした。ただ、少なくとも一週間に一回は鳴っていたと思います」
妻から話を聞くと、やはり、音が鳴るのは午後一時四十七分だったという。
ただし、彼女はその音に対し恐怖心を抱いているため、音が鳴る瞬間、ベランダを見ないようにしていたという。
「娘はその音を聞くと泣いてしまいますからね」
二分前にセットしたアラームが鳴ると、娘を抱えてトイレにこもるそうだ。
「そこは、ベランダと真反対ですから、音がかなり聞こえづらくなるんです」
休日は、塚原さんが窓の前に座り、その時刻まで待っていた。
恐怖心よりも、好奇心の方が勝っていたそうだ。
「しばらくは、タイミングが悪く、音が鳴りませんでした」
引っ越してから一か月後の日曜。
ベランダにつながる窓の前に座椅子を置き、塚原さんは麦茶を飲みながら外を眺めていた。
アラームが鳴り、妻と娘がトイレに入った。
鳩が数羽、ベランダの柵の上に止まった。その内の一羽が、首を揺らしながらベランダの中へ歩み寄ってくる。
音が鳴った。
「何も見えませんでした。ただ、ベランダ中央を歩いていた鳩が」
板になった、と塚原さんは言った。
まるで鳩の上に何か重い物が落ちたかのように、中身ごとすべてが押しつぶされたという。
以来、彼はその時刻にベランダを見ることはなくなった。
「再度、不動産屋に確かめましたし、近所の方々にも聞いてみました」
その部屋の住人が亡くなったということはないという。
「ただ、大抵すぐに、夜逃げ同然に引っ越してしまう、という話は聞きました」
多分、みんなあれを見て耐えられなくなったんでしょうね、と彼は遠い目をした。
了
私が住んでいるアパートの向かいに、最上階の一室だけ大きなベランダがあるマンションが建っていますが、この話は創作です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます