森で迷う

「先週、実家に帰ったんです。そのとき、近所の神社の横を通ったら、裏手の森が更地になっていて」

 会社の後輩である三神君が語る。

「狭いんですよ、空き地。家一軒分くらいしかなくて。あれ、おかしいな、子供の頃、この森で迷子になったことあるんだよな、と思い出して」


 彼が小学生の頃の話。

 きっかけは憶えていないが、彼は放課後、家に戻らず、一人で神社の裏の鎮守の森に入ったという。

 さて帰ろう、と周りを見渡すと、森から出る場所が見当たらない。四方八方、すべてが樹、樹、樹の群れ。東西の道路、北の民家、南の神社、すべてが見えない。

「とりあえず、元来た方に戻ってみたんです」

 しかし、歩いても歩いても、森の外に出ることも、森の終わりを見ることもできない。

「森って、地面が平らじゃあないんですよ。根っこがぼこぼこ生えていて、思うように歩けなくて、捻挫は嫌だなぁって気を張り続けていたので」

 すぐに、息が上がってしまったという。

 近くにあった樹にもたれ座ったら、もう立ち上がることができなくなった。

「俺、もうこのまま出られずに死ぬんじゃないかって思って、体育座りでうずくまって、延々と泣いてました」

 十分、二十分、泣き続けていると、彼の耳に木枝を踏み折る音が聞こえた。

「はっとして顔を上げると、目の前に女が立っていたんですよ」

 大人の女性だ、ということは憶えているが、顔や服装は、ほとんど思い出せないという。

「髪がとにかくきれいで、おかっぱで。前髪が眉の高さでピシッと揃えられていて……それしか憶えていないですね」

 女は彼の顔を一瞥すると、すぐに横を向いて歩き始めた。

「ついて来いって、そう言われている気がしました」

 彼は、すぐに女の後を追った。

 女は、ゆっくり歩いているように見えた。

「まずそれがおかしいですよ。まるで平坦な道を歩いているように、背筋は真っすぐで、姿勢がまったくぶれないんですよね」

 その上、速かった。全力で追いかけても、女は常に五メートルほど先に背中を見せるばかり。

 五分ほど後、女は唐突に歩みを止めた。

「それで、何とか追いつくことができて、彼女の横まで行って」

 声をかけようとすると、女が見上げていることに気付いた。

 そちらに視線を向けると、巨木の枝に、男がぶら下がっていた。

「縮尺がそこだけおかしいというか、とにかく樹と男が巨大だったんですよ」

 五メートルはあったのではないか、と彼は言う。

 男の首には、三神君の胴体ほどもある、太い縄が食い込んでいた。

「神社のしめ縄でしたっけ、二本の縄がぎゅっとねじってあるやつで」

 男は青い作務衣を着ていた。顔は赤く、鼻が今にも地面に垂れ落ちそうなほど大きかった。

「ぎい、ぎい、って、縄がきしむ音だけが聞こえてきて」

 あの、これ……。彼が隣にいる女に目を向けると、女は彼の方に体を向け、彼の真後ろへ真っすぐ指をさしていた。

「いつの間にか、俺のすぐ後ろに、神社の隣の道路があったんですよ。さっきまで、全方向見渡す限り森だったのに」

 道路まで駆け出し、一息つく。女にお礼を言おうと振り返ると、女も、首つり死体も、消えていた。

「樹の間から、向こう側の家の塀が見えるんですよ。それくらい、本当は狭い森のはずなんですよ。」

 首を傾げながら家に戻ると、両親に泣いて抱き着かれた。

 彼が森に入ってから、丸一日経過していた。


「今でもたまに、あの出来事は夢だったんじゃないかって思う瞬間があるんですけど、そのたびに両親のあの反応を思い出しますからね。『あのときは大変だった』ってたびたび言われますし」

 それにしても、と彼は言葉を続けた。

「赤い顔に大きな鼻って……あれ天狗ですよね。何で天狗が首吊ってるんですかね? 何であの女は、俺に天狗の首吊りを見せたんですかね?」


 了


 帰省したら、実家のそばに立っている神社の裏の森が更地になっていましたが、この話は創作です。

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