第16話 アリバイ


 12月になった。今日は退院の日だった。

 私はなんとか命をとりとめたが、鼻やあばらの骨折や2ヵ所の内臓の損傷等の為、緊急手術の後2ヵ月ちかく入院することになった。

 最初の数週間は全身が腫れあがって身動きが取れなかったが、最後の週はリハビリを積極的に行えるようになった。幸い大きい後遺症というのはなさそうだ。まだ松葉杖をつかねばいけないが、一人で着替え等の身の回りのことはできるようになった。

 妻は何も私に尋ねることもなく一生懸命に私を看護してくれた。息子にはまだ会わせてもらってないが、たぶん親に預けているのだろう、病院には連れてこなかった。

 妻は基本的に話しかけてこなくて、私達は無口だった。

 事件前の私の態度をあっさりと謝れるほど、私は図々しくなかったし、素直でもなかった。いろいろと聞き返されるのもショックだった。

 むしろ、私は妻があの事件に関して何も聞いてくれないことに感謝していた。

 そして、わざわざ私を病院の個室に入れて、病室の週刊誌やテレビから、私を遠ざけてくれた。

 正直なところ自分達の事件がどのくらい騒がれているのかも分からなかった。

 とにかく事件に巻き込まれ、精神的にも気が狂いそうになった私に対する妻の思いやりなのだろう。感謝するしかなかった。 

 週刊誌は読まなかったが、時々聞き込みに来る、頭の禿げた冴えなさそうな親切なだけの刑事さんに、だいたいの事件の流れを聞いた。

 章子は企業経営者で資産家の自分の夫の殺害を計画した。それは私と自分の夫に殺し合いをさせ、弱った方にとどめを刺すという恐ろしい計画だった。

 私に子供を作るためと近づき、500万円という大金を渡して安心させ、情事の写真や証拠を撮影して証拠をたくわえて、その計画の時が来たときに、暴行され脅されていると夫に打ち明け踏み込ませた。とようやく被害者とも言っていいと私は理解している。

 でも、私がなぜ殺人罪でもなく、容疑者でもなく、拘置所でもなく、刑務所でもないのかと言うと、それは、ただ私が怪我をしているからと言う訳だけでない。

 それは、私が自分に有利な証言をしたからだ。

 この事件の最大の被害者とも言える私は、事実をこういう風に書き換えた。

 あの日、浮気に嫉妬した夫はサバイバルナイフを持って、情事中の我々のところに踏み込んだ。私と章子の夫はもみ合いになりナイフが落ち、それを拾った章子は夫を刺した。そして動揺してナイフの柄から手を離した。

 逆上した夫は、最後の力を振り絞って妻の章子を刺し返した。

 罪悪感がある無しではなく、とりあえず、なんとか気を失いそうな中、アリバイだけ作った。

 苦労したのは、サバイバルナイフを章子の身体から抜いて、夫の指紋を付けた後、再度同じところに刺し戻すところと、撮影していたビデオのマイクロチップを抜いて、破壊させて捨てるところだった。

 ふらふらで気を失いそうな状態で、必死でマイクロチップを粉々にして右手に持った。その後は携帯で119番に電話してそのまま気を失ってしまった。

 手術が終わった翌日に目が覚めたが、マイクロチップの欠片はどこかに落ちてしまったのだろう。何回も病院に聞いてみても分からないということだったので安心した。

 今、改めて思い直すが、私はこの事実の書き換えに一切罪悪感を感じるべきではないと思っている。

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