第15話 かマキリ
時間にして一瞬だったのだろうが、記憶では時間が恐ろしいくらいにスローになっていて、男の眼球の動きが頭に焼き付いて離れない。
ナイフは男のわき腹に突き刺さった。
鋭かったからなのか走りこんで体重がかかっていたからなのか。驚くほどスムーズに入っていったのを覚えている。男は本棚に頭をぶつけて倒れていった。傷は深いのだろう。ナイフが刺さったままだが血がお腹からにじみ出てきているのが分かった。男は大声で呻きながら叫んでいた。私は肩で息をしながら、再度後方に倒れた。
「救急車を早く」
かすれる声で章子を呼んだ。拘束されている章子は近寄ってきて背中を向けて
「腕のフックを外して」と私に叫んだ。
幸い拘束道具は、単純な腕と腕のフックを外せば自由になる仕組みだった。震える手で私はフックを外そうと試みる。激痛の為指が動かず、なかなか外れないが、ようやく彼女の両手を自由にした。
「彼のナイフは抜かない方がいいと思う」
私は殺人犯にはなりたくなかった。ナイフを抜けば血が噴出してしまうと思った。
章子は,意外にも落ち着いていて、無口で夫のほうにゆっくりと歩いていった。
私は息苦しくなり倒れこむと、意識がもうろうとするなか、天井を見つめていた。
側で、何か液体がこぼれるような音の後、呻き声が聞こえた。
首を横に向けると章子がちょうどナイフを自分の夫から抜いた後だった。
血が流れ出す音をBGMに、章子という女はナイフを持って、ゆっくりと私のところに歩いて来た。
「どうして抜いた? 死んでしまうぞ」
章子は私の言葉に黙って不気味に微笑んだ。
そして「あいつなんて、死ねばいいのよ」と言った。
なんて返せばいいのか分からなかった。それに返す元気もなかった。
夫の呻き声は段々小さくなっていく、どうやら私は殺人を犯してしまうようだ。
「とにかく救急車を呼んでくれ」
私も死にそうだった。激痛がはしり喋るのがやっとだった。
「救急車は呼ばないよ」
章子がきゃしゃな足で、私を思い切り蹴った。今までにない激痛がはしった。
なぜなら、身体的な痛みだけではなく、精神的な耐えられない痛みが、章子によってもたされたからだ。
ショックのあまり咳き込んで血を吐いている自分がいた。
まったくもって、なぜそうなるのか? 意味が分からなかった。
「救急車は呼ばないよ。あなたは私の旦那を殺した責任をとってもらうから!」
章子は私に勢いよくまたがりナイフを両手でしっかり持ち、まるで、カマキリが最後の一撃を加えるかのように構えた。今までの美しい姿とは程遠い、やせてとがった頬骨と血のように赤く光る複眼の目、愛したオスを殺すカマキリ!
「まだ分からないの? 私は旦那の会社と遺産が欲しいの。あなたが殺してくれりゃ良かったのに!」
上から見下すカマキリの顔が醜すぎて息ができなかった。
騙されていたのだ! この事だけでも心臓がとまりそうなくらいショックだった。
「なんで」
目頭が熱いので、血ではなく涙が流れていることは分かった。
カマキリはそれを迷惑そうに見ると、
「恨まないでね。あなたが一番都合が良かったの。でも安心して、私はあなたを愛してるから」
カマキリはナイフを振りかぶり思い切り私に振り下ろした。
ここで殺されるのはどうしても悔しかったのだろう。反射的に私はカマキリの細い腕をなんとか根元でつかみ、鎌という名のナイフを振り落とし上体を入れ替えた。
手を思い切り捻ったので、カマキリはサバイバルナイフを落とした。
私はそのナイフをゆっくり拾った。
そして口をパクパク動かし声にならない声を出している醜いカマキリに、そのまま思い切り突き刺した。カマキリは下品な叫び声をあげると床に崩れ落ちた。
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