第6話 奇妙なオファー

「費用もかかりますしね」と言うと彼女は首をはげしく横に振り、

「夫は会社を何社か持ってて費用にはまったく問題がないんです。ただ、なかなか暇がつくれないと言ってて、、、」

「確かにそうでしょうね」

 私の心の中では、お金に問題は無いなんて!あっさり言ってしまうこの奥様が強烈にうらやましいと思った。

「でも夫が嫌がる理由は分かってるの」と彼女はゆっくりと下を向く。

「それは何ですか?」と思わず聞いた。

「プライドが高いんです。どうしても病院に通ったりとか他人に自分の弱点をさらすことが嫌なんです」

 まあ、確かにそれだけ社会的地位が高ければ彼女の言っていることも理解できなくはなかった。不妊治療に関しては、テレビの番組で見た程度の知識しかない私には、心の中の葛藤や厳しい現状等分かるはずがなかった。

 ここで一度話が途切れた。

 ここで泣かれても励まし方が分からなかったので泣かないで欲しいと願った。

 結局、彼女は私の願い通りにメソメソ泣かなかったのだが、はるかに想定外の反応をしてきた。

「私を妊娠させてください」

「はい?」と顔をこわばらせて、聞きなおさずにはいられなかった。

 彼女はニコリとも笑わずに真剣な顔で続ける。

「お礼はちゃんとしますし秘密は守ります。もちろん先生にも秘密は守って欲しいです」

「あの~ 旦那さんとは相談されたんですか?」

 この事実を自分に置き換えた時、一番に出てきた質問がこの質問だった。

「はい、もちろん相談しています。夫は自分の知らない人で、私も知らない人ならやむ得ないと言っています」

「それで何故私なんですか?」

「夫と二人で決めた相手の条件なんですが、まず秘密が守れる方、先生が秘密を守れるかはまだ分かりませんが、お話をしていて大丈夫だとおもいました。あと学業が出来て健康でスポーツが出来る方、この2点で選ばせていただきました。すみません上から目線で喋ってしまって」

 なんて言おうか?と考えていると、また彼女は話しだした。

「先生はホームページで講師経歴を詳しく書かれているので参考にし易かったんです。地元で一番の国立大学をでられて、留学も学生時代にされてますし、中学の部活ではテニス部で県大会まで行ってらっしゃいますし、、、」

 宣伝になればと思い、確かに講師自己PRとして私の経歴をHPにのせている。

 彼女は少し頬を赤らめながら続けた。

「顔写真も載せてあったでしょう。あれも容姿から人柄が分かりやすくて、、、あの、精子バンクも利用しようかと調べてみたのですが、データだけだし顔も人柄も分からないですし、それに顔の雰囲気がわたしの夫にも似ています。あなたの顔が私のタイプなんです!」

「ありがとうございます」

 よく分からないが、褒められて顔が赤くなってるのかもしれない? 顔面が火照っている。そんな自分だったが意外と冷静で、頭の中では、ここでどうやって断ろうかと考えていた。

「しかし、大胆ですね。他に適任な方はいらっしゃらなかったのですか?」

 彼女は大きく首をありえない感じで横に振り否定すると、結構なお願いをしているのにもかかわらず、まっすぐな目線で見つめてくる。

「すいません。やっぱり」と断りかけた時に、彼女は上から言葉をかぶせて来た。

「お礼はとりあえず500万円でよろしいでしょうか?」

 500万円! 今の自分には魅力的な金額だった。

 しかも、とりあえずということは、まだ増える場合もあるのだろうか? 

 ただそこを詳しく確認するずうずうしさは無かった。

 正直なところ、お金には心動かされた。

 お礼金というものがこんなに多いなんて...。

「私に子供が生まれたらあと500万円をお支払いします」

 わたしの表情で見透かされたのだろうか、彼女はまた金額を付け足した。

 合計1000万円の謝礼ということになる。

「私の妻に相談とかできますか?」

 妻の顔が思い浮かんだので聞いてみた。

「それは絶対にやめていただきたいです。あくまで全てにおいて秘密でお願いします」

 彼女は驚くことなく無表情で答えた。

「病院に行くのですか?」

 断るはずだったのにやり方を質問している自分がいた。彼女はきりっとした顔でその質問に答える。

「病院に行くことはありません」

「精子を採取してお渡しすれば良いのですか?」

(精子)と堂々と言うのはいささいか恥ずかしいのだが、この女性は、自分の精子をどのようにして1000万円で買ってくれると言っているのか確認したかった。

「いえ、病院には行きません。先程言いましたとおり秘密厳守をしてほしいので!」「ではどうやって?」

 病院に行かないということは、、、

 たぶん方法は一つしかないような気がしてきた。

 でも私から言い出すのは、かなり破廉恥な気がした。

「迷惑かもしれませんが、直接お願いします」

 どこかのAVビデオにあるような夢のような設定だったが、私の立場上、素直に喜ぶ訳にはいかなかった。 

「どこでおこないますか」

笑い飛ばすという選択もあったはずだが、あくまで医学的な顔で聞く。

「外で顔を合わせるのは困りますのでここでお願いします」

「ここは学習塾ですよ?」

 ここにはベッドもシャワーも無いということを言いたかったのだがたぶん伝わってると思った。

 彼女は軽く微笑むと「大丈夫です。シャワーがなくても」と言った。

「本当に旦那さんは反対ではないんですよね? 私のことを知ってるんですよね」

 特に旦那さんが、私を知っているのか? 知らないのか? は特に確認したかった。

「夫は知りません。大丈夫です。あなたのことを知りたくないんです。夫が望んでいるのは、私達お互いが会ったことがない知らない人です。もちろん子供ができた後は、私もあなたにお会いしませんし、あなたにも私のことを全て忘れてほしいと思っています」

「その理由で謝礼が高額なんですね?」

「そうです。秘密厳守としてのお礼金も含まれています。あの、すみませんもう一度確認しますけど血液型はO型で間違いないですよね」

 彼女が以前、授業の終わりに突然血液型を聞いてきたのを思い出した。

「はいO型です。私の血液型は、ご主人と同じ血液型なんですね?」

「はいそうです。DNA鑑定になってしまえば、私達夫婦の子供ではないのがばれてしまいますけど、私達がそういう風にならないように子供をしっかり育てたいと思います」

 そう言うと彼女は静かになり私の返事を目で促した。

 雰囲気で彼女が返事を待っているのは分かっていたが即時に返答するのを避けたかった。 ただ恥ずかしながら、頭の中に思い浮かぶ質問は、彼女とのセックスのやり方のことばかりだった。

 そういう理由で、どうやってセックスを始めればいいのか?

 全く想像できないし聞くことも難しい。

 黙りこんでいるとまた彼女が話し始めた。

「来週からお願いします。お金は来週、現金で500万円お支払いします。私達を助けてください」

 彼女は頭をテーブルに押し付けるようにお辞儀した。

「頭をあげてください」と言っても彼女はなかなか頭を上げない。

 もう少しじっくり考えて決断したかったが、目の前の綺麗な女性と1000万円の謝礼が頭の中を駆け巡った後、30秒後には、この人助けを引き受けることに決めた。

「分かりました。本当に私でよろしければお引き受けします」と言った瞬間、彼女の顔が緊張から笑顔に変わった。

「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

 彼女は繰り返し礼を言うと私の手を自然な感じで両手で握り締めた。細くてやわらかい指が手の甲を包み体温が伝わり気持ちよかった。そのうえ、私の手を彼女の胸元まで引きこもうとするので、彼女の柔らかくて長い髪の毛が、私の手を包み込んだ。

いささか、彼女の態度も大胆になってきたような気がした。

 ひょっとして? さっそく今からということなのだろうか? 

 自分なりに自然な感じで手を握り返し彼女の目を見つめる。

「じゃあ、来週よろしくお願いします」と彼女は立ち上がった。

 私は呆気にとられて「はい」と言うと、少し遅れて立ち上がった。

 少しだけ股間が突っ張っていたので少し前かがみになった。

 そんな惨めな格好の私に、彼女は気付く様子もなく部屋をでると、玄関のドアに向かった。 

「ありがとうございました」と私がいつものように声をかけると、彼女はピクリと立ち止まり振り返った。

「あの、来週はどういう服装で来たらいいですか?」目線をやや逸らしながら聞いてきた。質問自体が意表をつくものだった。

「いや、いやなんでも、何でも大丈夫です」

焦ってそうとしか答えることができなかった。

 彼女は首をかしげるようにして微笑むとドアをカチャンと閉めてでていった。そのドアを呆然と見つめ続ける自分がいた。そして、先程までに起こった出来事を思い返してみる。

 断れば良かったんではないか、という考えを一つずつ打ち消していかなければならなかった。ある意味、これはAYAに続く、2回目の妻への裏切りである。

 でも、自分は尾上さんを愛していない! これは純粋な人助けである。

 まだ軌道に乗ったばかりの塾なので、そんなに事業資金の余裕が無いところに1000万円の謝礼金がもらえる。最近欲しがっていた新しい車に買い換えることもできるし、家族旅行もできる。愛がないセックスをして精子を提供するだけの行為をすれば良いだけのことである。

 前回の20歳の子とは違っていてこれは浮気ではない。

 これに関してはもし妻に知れたとしても許してくれるだろう。

 臆病な私は、ばれた場合を想定して何度も確認した。

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