第2話 黒い思い出

 はっきり言えば、私は変態である。

 変態という言葉には威圧感があるのでもっと軽い言葉にするとスケベもしくはエロいと言ったほうがいいのかもしれない。

 ただ犯罪的にエロいわけでもなく、人よりも性欲が強い程度と自分では思っている。

 たぶん知的なエロなのかもしれない。

 私はスカートめくりと言うのをやったことが無い。

 その行為は、小1と小2の時に爆発的に流行したのを覚えている。

 その当時もちろんスカートめくりと言うものをやってみたかったのだが、それをやることで変態な子供として先生に怒られるのが嫌だった。 

 

 田舎に居たので、結構自由に遊ぶことができる環境ですごした。

 それまでは3つ上の兄と一緒の時しか駄目だったのだが、小1の後半くらいから友達の所に自由に遊びにいく権利を母親からいただいた。とてもうれしくて、ピョンピョンジャンプしながら喜んでいたのを覚えている。

 そもそも兄と私はやりたいことが一致せず、あんまり馬が合わなかった。

 兄は自分がリーダーになり下級生をまとめて近くの神社の境内で野球をすることが好きだったが、私はそれに加わるのが大嫌いだった。

 別に狙ったわけでもないのだが、兄が野球が好きなら私はサッカーが好きという感じだった。兄の方からすれば、せっかく母親に言われて弟を面倒みているのに、弟は自分になびかないのが面白くなかったのだろう。そのうち同級生の正夫君ばかり面倒を見るようになってしまった。

 たぶん母親はそのことに頭を痛めていたのかもしれない。

 とにかくリーダーの支持の元で集団行動を行うことが嫌いだった。その気質は今でも残り脱サラしているのも、この性格が影響しているのかもしれない。 

 まだ乗れようになってまだ時間がたっていない自転車で、フラフラと住んでいる地区を。

漕いでいく。

 補助車を外した後、なかなか怖くて乗れなかった自転車も、母親に後ろから勢いよくおしてもらって、激しくブロック塀にぶつかった時から、なぜかバランスが取れるようになった。

 それ以来、私の自転車事故は1件だけで安定していた。

 当時流行っていたアニメの主人公が、変身するときにオートーバイでロボットの中に飛び込む。 それがかっこよかった。

 なので、自分も出来ると信じて、田植え前の田んぼに突っ込んだ。その後の母親の事情聴取がとてもしつこかったのを今でも覚えている。

 

 小学2年生になると、その乗りなれた自転車で、隣の地区に住む健太君の家まで、気の会う同級生達2人、正行と孝雄と連れ立ってあそびにいくようになった。

 健太君は同級生で彼の家は古紙回収業をやっていた。

 もともと正行と健太が仲良しだったので、最初は正行が私と孝雄を健太の家に連れて行った。雑誌があちこちに積まれた玄関を通って2階の健太の部屋に行くと正行は健太に

「今日も見せてよ」と催促した。

 健太君は正行のおねだりに慣れてたようで、「ほらよ」って感覚で10冊くらいのエロ本我々の前にぶちまいた。

 そして我々は餌を待つ金魚のようにその本達に喰らいついた。

 小2で見る未知の世界はあまりにも衝撃的だった。

 いわゆる最高峰のビニ本・裏本のオンパレードでいきなり小学生が大リーグでプレーするようなレベルを直視することに異常な興奮を覚えた。挿入部分の拡大や、いわゆるエロ漫画のクチュクチュとかいう擬音語・擬態語のオンパレードが私の頭の中でなり響いた。

 あっという間に我々は健太君の「家」の大ファンになった。健太君はおとなしいので、残念ながら我々が家にきても断ることはしなかった。

 そしてそれ以上に、残念ながら小2のクソガキだった我々は、そのことを悟る能力に欠けていた。

 学校が早く終ると必ず自転車で健太君の家に向かって3人は出発した。

 健太君の両親が働いていて、家にいない平日が最大のチャンスだった。

 そして時々、弟達の不穏な様子を察知して足跡を殺してやってくる、ガリガリに痩せた中学生の健太君のお姉さんが、ステルス戦闘機のように無気配でやってくることを、我々は極度に恐れた。


 私は「ラッキーペニス」と言う成人向けのエロ漫画の単行本に心を奪われた。もう30年以上経っているのにストーリーが話せるほどだ。

 さすがに主人公の名前は忘れてしまったが、ラッキーペニスを持つ平凡な主人公の男がいる。(ようするにこの男とセックスをした女は、どんなに不幸であっても幸せになるというすごい男なのである)

 その男がいろいろな不幸な女達、いわゆるダメンズなヒモみたいな男に騙されている女とかとセックスをしていってその女達を幸せにしていくのだが、最終的に、アンラッキーヴァギナを持つ超スーパーな女優(ようするにこの女はスーパーさげ万であって、セックスした男は怪我をしたり最悪死んだりしてしまう)と出会う。 

 「あなたを不幸にしてしまうから」というアンラッキーヴァギナの制止を振り切って、最後に命をかけてセックスをするところが話のクライマックスという素敵な物語である。

 小2で勃起させながら、ストーリーの見事さから、最後は涙で感動していたことは言うまでもない。

 この年でだいたいペニスとヴァギナの意味を理解した。

 小2の終わりに、小6かなんかの上級生の馬鹿者と思われる誰かが、我々のクラスの黒板に「知っているか、子供は父さんのちんぽとお母さんのおマンコをいれてできるとぜ」と書いてあったときも、心の中で、そんな基本的なこと知ってるよ、と上から目線で鼻で笑っていた。黒板消しを振り回し、怒り狂う女性の担任の先生を冷静に見守る余裕さえあった。 

 「ラッキーペニス」は単行本で確か3冊あったのだが、あまりにも素晴らしかったので駄目もとで健太君にもらえないか頼んだほどだった。そして健太君は快くその3冊を私にくれた。なので私が初めてエロ本を机に隠したのが小学2年生ということになる。

 もしそのエロ本がその年で見つかっていたらかなり大きな問題になったのかもしれないが、幸いそのエロ本は母に見つかることは無かった。たぶん見つかるのが怖くて、2~3日後に神社の裏に捨てたからかもしれない。


 その後、健太君の姉ちゃんの監視体制は日々きつくなっていき、我々は少し山の中に入った所にある納骨堂の裏で読書することにしていた。

 場所が場所だけあってあまり人が来ずに絶好の場所だったことは言うまでもない。 

 ところがある日、そこに人のよさそうな恐ろしい侵入者がやってきた。

 誰かが来る気配を感じて、私は咄嗟に納骨堂の裏から飛び出したのだが、その判断がよかった。

 侵入者は校区担当のおまわりさんだった。おまわりさんは、何を疑う様子でもなく優しく問いかけた。

「何してるの? こんなところで、子供だけで?」

我々は半立ちしているにも拘らず、無邪気な子供を演じた。

「鬼ごっこをしています」と私が天才的なアドリブ力を発揮した。そして私達は数10回はリハーサルを重ねたようにエロ本が置いてある裏に行くことを避けて納骨堂の前面に走り出した。

 純粋なおまわりさんはそれを信じたようで我々に「ここは遊ぶところじゃないし、人目もすくないので行かないようにね」と注意した。

 結局、日本の優秀な警察のおかげで、私の非行はそれ以上エスカレートしなくなった。おまわりさんに注意されたと言う事実は、小2にとっては、とても大きな衝撃だった。

 その日から健太君の家に押しかけようと誰も言わなくなった。

 おとなしい健太君も,性欲に飢えた同級生がエロ本目当てに訪ねてくることがなくなり安心していたに違いなかった。


四年生になり、私は同じクラスのミユキちゃんと仲良くなった。ミユキちゃんは近所に住んでいる女の子で、幼稚園も一緒で、学校を風邪で休んだりしたときは、給食のパンと時間割を持ってきてくれる。なので以前から仲良かったとも言える。

 学校の帰りは集団下校ではないので、偶然一緒に帰ることも少なくなかった。

 ミユキは特別かわいい顔をしている訳でもないが、結構男勝りの性格で豪快なところがあった。彼女のそういうところがとても好きだった。

 私の家に遊びに来たとき兄貴が私のおやつのポテトチィップスを食べて、叩きあいの喧嘩になったときに、ミユキは単3電池を兄貴におもいきり投げつけ、私と一緒に戦ってくれた。 

 ウンコがしたいのに、ミユキの母が留守で彼女の家にカギがかかっていたときも、私の家まで我慢できないと言って家の横の側溝でいきなり脱ぎだしてウンコをし始めた。

 健康な黄金のウンコが、収縮する肛門の穴からモリモリでてくるものを見て衝撃を受けたことを覚えている。


 社会の時間だった。

 四年生にもなると、担任の先生は班行動で学習させることを始めた。

 今までは机を一つずつ外して、先生に向かって垂直に並べて話を聞くのだが、4人や6人で机を互いに付け合って班で話し合いをしやすいようにするのである。

 社会の時間は班にしたままでクラスを受けることが多かった。

 決してまじめな生徒ではなかった私は、あと5年位で退職するであろうベテランの担任の先生の話を退屈して聞いていた。左の頬の血行が右の頬よりも良くホカホカした。

 この当時、先生が体罰を行うことはさほど珍しくもなかった。むしろ親達、PTAは、

悪いことをしたら是非我等の子供達に体罰を!とお願いするほどだった。

 昔の教師にはパワーと権力があつた。

 私は先生に好かれる子供ではなかったので、ほぼ毎日体罰を受けていた。

 この先生の体罰ルーティンは平手打ちで、宿題忘れと教科書忘れをした時に、彼女の技を受けることになる。見た目にはさほど痛く見えないのだが、後からずっしりと痛みが来るタイプの年季の入ったベテランらしい平手打ちだった。

 この日は朝に漢字100字の宿題をやらずに1発喰らい。そして社会の教科書を忘れて1発喰らった。一日2発喰らうのは、いつもより少しダメージがきつかった。

 ただ、私は宿題嫌いでやらない子だったので、ほぼ皆勤賞でビンタを喰らった。

 そういう意味では、私は先生にマークされていた。

 ぼーっと放心状態で教科書をかろうじて開いていると、トントンと脚をノックされた。前に座っているのはミユキちゃんなのは分かっていた。ちょうど退屈していた私は彼女の膝をちょんちょんとつき返した。

 二人の向き合わせた机は、6つの机を2つずつ付け合わせた固まりの一番前の部分にあった。 

 ミユキちゃんと、足でちょっかいを出して授業中に遊ぶことは、たまにやっていることだった。いつもお互いに2,3回膝を突きあったら自然とおさまる。

 ただこの日は違った。いつものようにミユキが3回後にプイと横を向かない。

 なので終らないのだ。このやろう、と思っていつもより強く蹴ると、みゆきは太ももで私の攻撃をキャッチした。

 二人の目が遊び心で爛々と輝いた。私は教科書を読むフリをして上履きを脱いだ。ミユキのスカートが汚れるといけないからだ。 

 その後の2次、3次の攻撃を、ミユキは軽々と受けとめ、ニコリと微笑んだ。

 このヤロー、と思ったが、ミユキの太ももの温かい感触が気持ちよかった。

 特に寒い冬には最高だった。

 ふとももに挟まれた足をミユキは離さないので、足を押したり引いたり動かすのだが、今度は、自分が捕らえられた昆虫のようにもがくしかなかった。

 そして、ようやく足が開放された。

 彼女を睨むと、弱虫と言わんばかりの視線で見下してきた。

 私は静かに右足の靴下を脱ぎその靴下を上履きの中にねじ込んだ。そして再度その足でミユキのふとももに突撃した。

 ミユキはまたもや容易く受け止め、足をギュウッと包み込んだ。

 靴下を脱いだ生足は彼女のやわらかい太ももの熱を直に受け、前の攻撃の何倍もの快感が私に襲いかかった。あまりの気持ちよさに股間が勃起するのが分かった。

 このまま太ももに包まれて彼女との戦いに敗れれば良かったのだが、私の負けず嫌いな一面がそれを許さなかった。ふとももに強く挟まれた足を指を動かしながら、熱源の奥のミユキのパンツに向かって少しづつ足指を動かし前進し始めた。 

 この瞬間から二人の頭の中は、足の攻防だけに集中し、全く周りは見えなくなった。

 指をモゴモゴ動かすと、くすぐったいのだろうか? 

 ミユキの防御システムは崩壊し始めた。

 そしてついに私の足の親指が彼女のパンツに到達した。ミユキの顔が真っ赤になる。

 ここで私は大胆な作戦にでた。親指と人差し指でパンツを挟み脱がそうと試みたのだった。

 しかし、それをやるにはイスを後ろに引きすぎていた。イスを引けるだけ引いて、足を奥に届かせる必要があった。

 なかなかパンツが足で挟めない、そんなことをしていると、ミユキはいきなり彼女の右足で私の股間を蹴りに来た。

 そうなのだ、私が彼女を射程距離に入れると言うことは、彼女にとっても私を射程距離内におさめるということなのである。

 私は冷静に一度撤退した。 ここで改めて周りを見渡すと、ほかの生徒達は怖い怖い先生の授業を真面目に聞いていた。 

 そんな中、ミユキと私の興奮した真っ赤に火照った顔は、意外と目立ってないように思えた。ミユキを見つめると、来るならこいよ! と言う顔をしている。

 私は静かに、そしてゆっくりと引けるだけイスを引いて最後の聖戦の準備にはいった。

 するとミユキはまったく私と同じ動作でイスを引いた。

 彼女の返事は、受けて立つ、と言うことだ。

 そこからは、とても静かで激しい攻防が始まった。足指が布を掴んだかと思うと、彼女の足が勃起した股間スレスレにとんできた。

 そしてまたまったく周りが見えなくなった。

 二人は汗をかき、足をバタバタ動かした。その時だった。

「パシーン」という小気味いい音がして、私の頭が左側に跳ねた。

 しばらくして、、、痛みと共に、先生が全力で、教科書を使って私の頭を後ろからはたいたのが分かった。 

 クラスの全員の視線が一斉に私に降り注いだ。

 先生の顔は真っ赤で目から炎がでるのではないか? というくらいに怒っていた。

 何も知らないクラスのみんなは、突然切れた先生を不思議そうに眺めていた。

 ふだん先生は、生徒が悪いことをしたらいつも理由を言って怒っていたのに、今回は何も言えなかった。よく見ると先生は怒っているというより、恥ずかしがっているようにも見えた。男女の生徒がお互いの股間をけりあって遊んでいたのだから無理も無い。

「ちゃんと座りなさい」

先生は一言だけ言うと、大きく深呼吸して、何事も無かったようにまた授業を始めた。

 幸いなことに、今後この出来事について呼び出されることも、親に報告されることもなかった。  


 ミユキちゃんは、とりわけ昆虫に興味をしめした。

学校の帰り車にはねられた昆虫がいると,ミユキちゃんは目を輝かせてその場にしゃがみこみ観察する。

 田舎なので田んぼと田んぼの間で、虫が車に轢かれて死んでいる光景を見るのは日常だった。

 田舎道には、カエル、ヘビ、バッタ、セミ、トカゲ、毛虫、青虫、蝶々、蛾、カミキリムシ虫、臭い緑虫、等、いろんな爬虫類や虫達の死骸が日替わりで並ぶ。

 我々小学生の一般的なしきたりでは、その昆虫に遠くから唾をかけて、あまり見ないで通り抜けるというのが当たり前だった。

 学校で一番頭のよかった兄貴の解説によると、それをすることによって、虫たちの亡霊がとりつくのを防ぐらしい。

 ミユキちゃんと言えば、そのしきたりにはおかまいなしに、目をキラキラと光らせ観察をする。私は置いていくわけにもいかずに隣に座り込む。

 いろいろな虫の中で、ミユキちゃんの一番の絶好物はカマキリだった。

 下校中のある日まだ車に轢かれたばかりの2匹のカマキリがいた。かわいそうなことに身体の半分だけ潰れている。しばらく二人で観察していると一匹の潰れたお尻から黒くて太い線がニョキニョキとでてきた。

「うわっ」

 腰を抜かしそうだった。

 兄貴が言っていた昆虫の魂が、いわゆる幽体離脱をして飛び出してきたのに間違いはないのだが、ミユキは冷静にそれを見てうれしそうに何かファーブル昆虫記のような難しいことを話している。

 太くて黒い線は予想以上に長くグングンと伸びて20センチくらいになりカマキリのの身体からでてバタバタ動いている。 

 2匹のカマキリを見ると一匹の頭が無いのである。

 このままでは呪われてしまう。私は全速力で逃げ出した。ミユキが大声で叫び戻すが、無視して駆けていく、とにかく怖くて怖くてしょうがなかった。  

 この大事件の後、ミユキちゃんと一緒に帰ることがなくなった。目が合えば、普通に「おはよう」とか挨拶するのだが、あまり話すことがなくなってしまった。

 それ以来もちろんカマキリも大嫌いになった。トラウマレベルの大嫌いである。

 嫌いというよりもカマキリの亡霊に恐れる日々がしばらく続いたと言うのが正解なのかもしれないが。

 ミユキは、あれ以来、何度か分厚い本を持ってきて私に見せて何か説明したそうな仕草をしているのは分かっていたのだが、ひたすら恐ろしくて無視していた。


 結局、あの事件が怨霊とか呪いとかと関係ないということを知るのは、恥ずかしながら大人になった時だった。

 怨霊の幽体離脱だと思ったのは、ハリガネムシという寄生虫が、カマキリの体内に寄生して成長して大きくなったもので、一匹のカマキリの頭が無かったのは、カマキリは共食いの性質があるらしく、オスは交尾中に栄養分としてメスの栄養分として食べられることがあるらしい。 

 じつはこの事実を知った時に、新たな雑学的な知識を得た喜びや、隠された謎が解けた充実感もなかった。

 衝撃的なドキュメンタリービデオを見た。あえて人間で例えさせてもらうと、

 カマキリと言う女は、セックス中に男の頭にかじりつき食べながら行為を続ける。最も衝撃的なのは頭が無いのにもかかわらず、本能的に挿入を続けるオスの姿。

 惨めである。

 そして普段は水中に住み、カマキリの餌食に忍び込んでいた寄生虫のハリガネムシは、カマキリの中で急激に成長して、カマキリを心理的にコントロールして水辺に向かわせ腹を突き破り水に帰る。そしてそのカマキリは死ぬ。

 知れば知るほど、私にはホラーでしかなかった。

 

 ミユキは5年の時、父の仕事意の関係で、東京に転校することになった。

 もしあの時、彼女の説明を聞いたとしても、私のカマキリに対する恐れは解消されたとは思わない。しかし、今となっては、ミユキがどんな大人になっているのか、たまに気にもなったりする。


 それからの私は、外面的にはおとなしく知的エロ男として成長し、小5の終わりに、早くも下半身から発毛した。

 6年の修学旅行ではそれが嫌で、父親の風呂場の髭剃りでこそっと自分で剃毛した。もちろん父親にはそのことは話していない。その髭剃りを後から使った父親には心からお詫びしたいと思っているが、墓場まで持って行くのが正解だと思う、

 当時は、不便なことで、まだインターネットが存在しなかった。

 とにかくエロいことだけは、辞書や百科事典で調べまくる優等生だった。百科事典は学術的な書き方で興奮こそはしなかったが、人が生まれる仕組みとか、いろいろな疑問を解消してくれた。


 5年の終わりのある日、正行の家に行った。

 そこで高校生の正行の兄が持っていた、若者向けの雑誌の片隅に書いてある、マスターベーションの仕方、というページが私の目を釘付けにした。

 少しだけオブラートに包んで書いてあるのだが、好奇心旺盛で、すでに毛の生えた「大人な」私にもそれはできそうだった。

 兄の少年ジャンプを読み漁る正行の目線を気にしながら、こそっとそのデータを脳裏に焼き付けた。 

 決行は土曜日の夕暮れにした。

 小5のその当時、我々の間では近所の山に入って秘密基地をつくるのがブームだった。ちょっとした短い工作用のナイフやビニール袋に入れたお菓子をもって30分くらい奥にある堤のとこまで入る。

 堤の上流には水がなくそこに生えている大きな木の上に上って,木の枝や落ちている棒を木のつるで縛り座れるようにする。

 そして誰かが持ってきた紙コップにタコ糸を張った糸電話で他の基地と話す。

 この山歩きのリーダーは自分だった。この当時はクラスで1番に下に毛が生えたこともあり、身長が160cm程度あり誰よりも背が高く。一応みんなに頼りにされていた。

 必然的にこの山登りをすれば汗を書き泥まみれになるのだが、基地作りを早めに切り上げて帰ってくると、計算通り母親からすぐに風呂に入るように命じられた。

 待ってましたと、ルンルン気分で風呂に入りまず身体を洗った。兄は未だ中学の部活から帰ってきていなかったので一緒に入りなさいと母に言われる心配もなかった。

 もし兄が、早く帰ってきたとしても、兄は既にボウボウで、私と風呂に入ることを嫌がっていた。

 兄が最初にボウボウになったのも私と同じくらいの時期だった。

 兄が小6位の時、最初にお風呂でボウボウなのを発見したときは、思わず

「すげえ、兄ちゃんボウボウやん!」と大声をだして兄貴に思い切り引っぱたかれたのを今でも覚えている。


 当時我が家はお風呂にシャワーが付いていなかった。

 山歩きの泥汚れを湯船に入れて欲しくないのだろう。

「絶対に身体を先に洗いなさい!」と言われていたので、身体を洗い、充分に身体を温めた後で湯船から出た。

 正行の兄貴の本によると石鹸でこすっているとだんだん固くなって、そしてそれを続けると、最終的にそうなるらしい。 

 石鹸を泡立てて短くはえた毛を使って泡を増幅させて、ゆっくり先っぽを洗うように優しく擦る。見る見るうちに分身は大きくなりだんだん気持ちよくなった。

 母親が怪しまないか注意しながらしばらくやっていると、呼吸が速くなり今だかつて経験したことがない快楽が腰から脳天に突き抜けた。

 それと同時に先っぽから白いのが垂直に上に登っていった。その後、何回も何回もその発射台大きく波打ち、第2弾第3弾と発射していった。

 私はしばらく放心状態でこの気持ち言い儀式を自分自身で深く鑑賞した。

 母親は風呂から上がってくる私を一言「長かったね」とだけ言い。

 ご飯の支度に忙しそうだった。

 そして、そこから中学生に入るまでは罪悪感もあり本当に家族に隙があるときを除いては、その不埒な行為をあまりしないようにした。まだ覚えたてのサルにはなっていなかった。 

 それから、時が経つにつれ私のオナニーの技術は進歩し、石鹸には研磨剤が入って、擦っていくとだんだん痛くなることに気付き、やがて圧力調整が利く右手が私の恋人になった。


 中学に入ると私はテニス部に入った。

 ウチの中学ではだいたいの男子生徒はスポーツの部活に入るのが当たり前なところがあり、学校自体も必ず部活動をすることを義務付けていた。

 幸か不幸か、私の入ったテニス部は県大会の常連らしく、休日練習も当たり前のハードな部活だった。ただこの年代になるともっぱら部室でのみんなの話しはエロ話だった。 

 私が既に2年前にデビューしたマスターベーションも、ようやくこのあたりから同級生の間で専らのブームになり、わざわざ部室ではやり方を教えてくれと真面目な顔で聞いてくる部員まででてきたほどだった。

 私はみんなの性の質問に、すばやく的確に答えることから「歩くエロ辞典」という不名誉なあだ名をつけられる羽目になり、それが学校中に知れ渡った。

 思い起こせば、成長が早かった小学校の時のあだ名がビッグマグロであり、(もちろん下半身のことを指している)

 そのあだ名も正行達によって中学に持ち越したままで、追加で「歩くエロ辞典」が加わったのには、正直参ったな、と思った。

 中1の時に、ラッキーにも同じクラスになった学校一の美女、といわれた同級生のカナコに、このあだ名が知れたときは絶望以外何も無かった。カナコはその辺のアイドル歌手よりもはるかにかわいくて他校の生徒達がわざわざ見学に来るほどだった。

 カナコとは緊張して話せないのに、もはや完全に話せないようになった。


 そんな私でも、中学の時はよくラブレターを貰った。

 当時は背も高かったし、両親も結構顔が整っていたのでDNA的にもそんなに悪くなかったと思う。

 ただ、神様は私には冷たかった。

 前に書いたとおり、私はたくさんの女性から告白を受けたりした。でも不思議なくらいにその女の子達はタイプではなかった。確かに一般的にいけてなかった女の子が多かったのだが、全ての女の子達がルックスが悪かった訳でもなかった。

 なぜなら、なかには、正行が「なぜつきあわないの」とうらやましがる女の子も存在した。ただその当時、私の好みの問題で、その子がかわいいと思わなかった。

 そして、好きになる女の子が、私のことを好きになることも一度もなかった。

 実はカナコにもラブレターを3度渡したことがある。中学時代に3回なので毎年同じ女の子に振られていたことになる。結局、ろくに口も利けない女の子を純粋に好きだったということだ。

 

 その当時は携帯もパソコンも無かったので、つきあって告白するときは、

 一、その子を呼び出して直接思いを告げるか

 一、その子の家に電話をかけて告白するか

 一、その子にラブレターを書いて誰かに渡してもらうか

この3つのうちのどれかの方法を選ぶのが普通だった。その当時はラブレターを書くというのは主流だったので、シャイな私はだいたいこの方法をとった。

 書いても書いても失敗ばかりなのだが、いろいろな本を読んだり、仲間で集まり、どう書けば女性の心を動かせるかを話し合い対策を練った。

 不思議なことに、誰かの代筆をやるときはかなり高い確率でそのラブレターは成功した。


 父親はいたって普通の学力だったのだが、母親が地元でも評判の頭の良さだったので、私の頭もある程度良かった。

 秋に部活のテニスの最後の大会が終ってから、受験勉強を始めたのだが、けっこう簡単に学区で一番の公立高校に合格できた。その一方、特待生として受験した滑り止めの私立高校の受験では、特別進学クラスに授業料全額免除として合格した。

 この瞬間がある意味、私の青春を決める? 

 いや、私の女性運を決めると言っもいいくらいの人生の大きな分かれ道だった。しかし、それほど大きな意味を持つとは知らずに私は簡単に進路を決めた。

 当時私よりはるかに頭の良かった兄が、東京の有名私立大学に入り一人暮らしを謳歌していた。

 その当時、毎月10万円程度の仕送りをこなす為に、単なる会社員である両親がお金のことでひぃひぃ言っていたのは充分知っていたので、学費が全く必要がない私立の男子校の特別進学に通うことを決めた。

 ただお金、それだけの理由で決めた、男子校に3年通う意味など分からずに。

 親はとても私の親孝行な決断に喜んだのだが、男子校と言うのは、想像以上に寂しい所だった。

 私はここで始めて女子と一緒に勉強でき無いことの悲しさを学んだ。同性愛者にならない限りは校内には基本的には恋愛は存在しない。

 私の通った私立の高校は入試偏差値がとても低い。なので高校の実績を上げる為に、特別進学クラスを編成して我々に良い大学に行かせて学校の評判を良くしようと試みていた。

 特別進学クラスの生徒の偏差値は、近くの公立高校の偏差値よりもはるかに高かったのだが、残念ながら全体的な偏差値の低さから私の学校のイメージは「あまり頭の良くない学校」であり、近くの高校や女子高の評判も悪かった。

 

 結局、高校の間、愛だの、恋だの、体育祭や修学旅行でときめくだの、そんな青春じみたことは全くなかった。

 ある日、みんなの嫌われ者だった同じクラスの男Kが話しかけてきた。

 ちょうど前日、Kとまあ見た感じ普通な感じの女の子がコンビニの前で話しているのを見かけていた。

 K曰く、その見た目普通な感じの女の子はKの中学時代の友達で、偶然見かけた私のことを「かっこいいと言っていた」と言う話をしてきた。

 その当時、とにかく女に飢えていた私は、喜び勇んで自転車に乗り、Kにその子を呼び出してもらい、自信満々に告白した。

 結果は驚くほどの速攻でふられた。

 Kが遠くから見て笑っているのが見えた。

 いかにも男子校らしいクソくだらない悪戯だった。あまりにもたちの悪い悪戯だったので、クラスの友達のほとんど全てが立ち上がりKを呼び出して殴り合い覚悟で戒めた。

 Kは私にお詫びをしたが「信用ならない奴」というキャラクターーを確立させ、卒業まで嫌われ続けた。


 こんな感じのくだらない湿った経験しか思い出せない暗黒の高校時代だった。

 高校では、有名大学に通す為にひたすら勉強させられた。クラス内の競争も活発に行われた。だただひたすら男の中にまみれて勉強した結果、地元では一番の国立大学に行くことに決めた。東京の有名私立大学にも受かったのだが、これ以上親に負担をかけさせたくなかったし、母親も「国立ならなんとか学費払うよ」と言ってくれたからだ。


 地元の大学の経済学部に入って共学にこそはなったものの、その理由で突然もて始めた訳でもなかった。大学ではチャラけたサークルに入る訳でもなく、ただひたすら一人暮らしの家賃や生活費を稼ぐためにひたすらバイトをして働いた。

 バイトは、派手でかわいい子と知り合えるような場所にすべきだったのかもしれないが、勉強をしたかったのでなるべく客がこない店を選んだ。

 老舗の文房具店とか、つぶれそうなカラオケボックスの受付とか転々と職を変えていった。職を変えた理由は、けっして勤務中の空き時間に本を読んでいたからクビになったという訳ではなく、働いている店が閉店してしまうという理由がほとんどだった。

 そんな感じでバイトに明け暮れて貯金も結構増えた。なので就職にでも役に立つと思って大学3年性の時に、アメリカの大学に留学を1年した。

 幸い大学の提携校だったので単位も取れて留年もする必要がなく。おまけに、駄目もとで応募した奨学金にも通り金銭面でもだいぶん楽に留学することができた。

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