おれが まさに ○である こと

sunnyishimori

第1話 田坂塾

 六月なのだが蒸し暑くほとんど夏という暑さだった。

 その暑さとは正反対の、まるで冷蔵庫の中にいるような、キンキンに冷え切った教室と呼ばれる部屋に私は座っている。

 学校が行われている平日の午後は、私にとってはゆっくりとしたくつろぎの時間だ。

 最近買った新しいパソコンの画面を見つめ、いつものルーティンワークを行う。

 エクセルに入力しているのは今月からの新規受講者の名前、裏の画面に同時に立ち上げているユーチューブでは、他のユーザーがアップロードしているラジオ放送を聴く。

 その人気ラジオ番組では、全く興味がないアイドルの女の子が、自分の過去の恋愛話とも言えないようなオブラートに包んだくだらない話を、リスナーにかわいいと思わせるような計算しつくされた声で話している。

 そこそこおもしろい芸人コンビは、そのクソつまらない話をなんとか面白くしようと頑張っている。

 ラジオを聞き流しながら、簡単に仕事をするのは嫌いではない。


 田坂塾という学習塾をはじめてだいたい3年になる。

 学習塾といえば、大きな教室を用意してたくさんの講師達を雇い、そして経営者の私が、塾長としてシャカシャカと講師達の業務を仕切っている、というベタな感じの光景を思い浮かべるかもしれないが、ここはまるで正反対な感じで、私一人だけが狭い教室で、ネットラジオを聞き黙々とキーボードに文字を打ちこんでいる。

 オープンからある程度の時間が経ち、塾の生徒の数も安定し始めたが、残念ながらまだ講師達を雇うまで忙しいという程の状況でもなかった。

 この塾は、元々は住居用のアパートだった築40年位の雑居ビルの3階にあり、2LDKの部屋を事務所用に改装したものだ。

 入口のドアを開けると、そして早く来た生徒さん達に待ってもらう「待合室」的な10畳程の部屋があり、そこから細い廊下が伸び、授業を行う8畳ほどの部屋が2つ並んでいる。3つしか部屋が無く、塾と名乗るには明らかにスペースが狭いと思うかも知れないが、マンツーマン専門の塾を運営しているので、1部屋、すなわち1教室が余っている状態だ。

 塾の収支は最初の1年は大きな赤字だった。

 宣伝強化ということで塾のホームページを、ウェブページ作成本と格闘しながらなんとか自力で立ち上げ、そこから予約が少しづつ増え、2年目の昨年から赤字は激減し今年は黒字になる見込みだ。


 思い起こせば三年前、脱サラをしてこの事業を始めた頃は、塾の運営にはかなりの勝算があった。当たり前のように、オープンした瞬間に生徒達で満杯になると思っていた。

 大手の塾とは違った運営法を設定し「一人一人の生徒様にマンツーマンで「隠れ家」で教えます」的な売り文句でホームページで静かに宣伝したところ、いくらかの富裕層の子供達が、有名大学付属中学高校の受験対策を期待してやってきた。

 最初に銀行に提出をした、イケイケドンドンの事業計画書とは売上でかなりの差はあるが、3年たち、ようやく最近の経営は順調になりつつあった。

 最初の一年間に自分にかかった大きなプレッシャーは、今思えばいい思い出になりつつある。

 「脱サラをする」と妻・志穂に宣言したときに息子・博人(ひろと)を身篭っていた妻は一切反対しなかった。妻と結婚して5年間、共働きして貯金した600万円の全額を、妻は喜んで差し出してくれたのだが、結局悪いので半分の300万円だけを受け取った。

 塾の経営は仕入れ等が無いので比較的お金の掛からないビジネスのはずだったが、借りた教室の敷金・礼金・保証金、机・パソコン・棚・テーブル・コピー機・ラジカセ等を買い揃えると、あっという間に200万円以上かかり、運営資金が100万程度しか残らなかった。

 その理由で、最初の赤字の2年間は家庭にお金を一銭も入れることができなかった。

 妻は2年間の間、残りの300万円の貯金を切り崩して文句一つ言わず耐え続けた。息子は今3歳になる。

 私は基本的に楽観的な男である。塾は自分なりにリサーチして始めたつもりだったが、新規事業の一般的な事業成功率が10パーセント以下ということを最近知った。

 私にはそういうところがある。

 志穂は現在息子を保育園に入れてオフィス機器の会社の事務の仕事をやり、私と一緒に家計を支えてくれている。子育てもありいつも忙しそうなので、食器洗い位は手伝うようにしている。まだまだ金銭的に不安定な私の仕事の為に無理してくれて本当に申し訳ないと思っている。

 彼女がいつも家庭で微笑んでくれるのがせめてもの救いだった。彼女の欠点を一つだけ言わせてもらえば、悪い男に騙されやすい、と言うことだろう。

 ふざけて言っているわけではなく、時々思うことなのだが、妻は私という怠け者に騙されている。

 志穂は食品会社の社長の次女でどう考えても私と結婚するような女性ではなかった。 

私のような中流の、いわゆる平均的な貧乏男と結婚するよりも、その辺の社長の息子です、みたいな人と結婚するのが相応しかったと思う。

 たまにそのようなことを、直接言ってみるが、人間が出来ている彼女はいつも微笑むだけで聞き流す。

 志穂とは、出会って一年もたたずに結婚することができた。

 出会いは何らドラマチックなものでもなく、職場に世話好きの定年間近な地元契約の庶務の社員さんがいて「近所にいい娘さんがいるから紹介してあげるよ」といわれてデートを重ねた。

 今までとは違い彼女との出会いは何もかもがスムーズに行った。

 結婚するときの私の身分は、地元ではある程度名の知れた会社の中間管理職だった。

それが何らかの安心感を彼女の両親に与えたのは確かだった。

 それが結婚1年後に突然脱サラを決めて塾をやりだした。もし自分が妻と同じ立場に立ったら、私は自分という我がままな夫に付いていくとは思えない。

 脱サラをして塾をやることを、彼女の両親に報告に行ったときに、私が緊張して話す隣で、彼女が私を守るよう寄り添っていたことを鮮明に覚えている。

 彼女の両親はしぼりだす感じで、独立するという私を祝福してくれた。

会社の経営の苦しみをよく理解している彼女の両親は、娘を不安定な世界に連れて行く私に文句の一つも言いたかったのは雰囲気から推測できた。でも我慢して何も言わなかった。

 とにかく私はいい女を妻にめとった。私はいろんな意味で彼女と彼女の両親に感謝している。


 2日前に入った受講者の入力をしている途中で新しいEメールがPCに入ってきた。

 尾上章子という人からで、タイトルは体験レッスンの問い合わせだった。

 開業当時だったらこれらのメールに歓喜したのだが、最近順調に受講が増え、それに合わせて問い合わせメールも増えて心に余裕がでてきたせいなのか? 驚きもせずに何気にメールを開いた。ホームページのメールフォームには名前と住所と簡単な質問に答えるように設定している。

★お名前 尾上章子 

★年代:30代以上 

★性別:女性

★職業:主婦

と順番に入力してある。

その後

★メールアドレスTEL

★何を御覧になりこちらへいらっしゃいましたか?

★体験レッスンご希望の時間帯をお書きください?

という感じで質問は続くのだが、こちらもだいたい回答してある。


 いつものお問い合わせメールと違うのは、この方が30代であること、先にも述べたとおり、私の塾は小学生・中学生・高校生の富裕層の子供が受講の中心の塾なのに、30代以上の女性が体験希望というのは非常に珍しいことだ。

 たぶんドジな母親が自分の子供の名前を入力すべきなのに間違ったのだろうか? と思いながら体験レッスンに来るであろう生徒のことを想像してみる。

 今回はハズレではないといいのだが、、、(ここで言うハズレと言うのは、親だけの判断で塾に無理やり入れられる子供のこと)ハズレの子供は全くやる気がなく、教えるこちら側も苦痛以外のなにものでもなかった。同様、親に押し付けられて受講している子供にとっても授業時間は地獄のようだった。

 このタイプの生徒は、だいたい年に1回は受講しにやってくる。そろそろ来ても不思議ではない。もしハズレが来た場合は、数ヶ月はモチベーションの変化がある可能性があるので教えてみるが、あまりにも酷いと辞めてもらうことにしてる。

 もし、辞めてもらう場合は、非常に高い確率で面倒くさいことになる。全く真剣でなかった生徒が、その事実を親には言わないでほしいと嘆願する。

 なので私は「自分で親に辞めると言えば」と提案する。

 するとそのハズレな生徒はそんなことは言えないという。結局親に怒られたくないという事だけなのだが、その面倒くさい親子の間に入るだけで疲れてしまう。

 こういう憂鬱で面倒なことはたまに起こったりはするのだが、ここで働くことは、以前勤めていた会社の時とは違ってストレスを抱えることは少ない。

 ここでは最終的な決断は自分で行う。その代わりに全ての結果(売上等)に責任をもたなければいけない。

 この仕事を覚えるために開業前に一時働いていた大手の塾では、ハズレな生徒がいた場合は切り捨てることはできない。なるべく褒めちぎり・慰め・ご機嫌をとりなんとか継続してもらう。全てが受講料(売上)の為に! 

 そんなことをやっていると、ハズレな生徒さんも段々自分が偉いと勘違いして、無理難題を講師に吹っ掛けてくる奴もいる。最悪な場合堂々と目の前で居眠りを始める。

 それもマンツーマンの状況で! 

 この子の為に、殴ってやろうかと思うのだが、結果は見えている。マネージャーや塾長に相談したとしてもスルーされるのは分かっている。そういうことが沢山あった。

 田坂塾では、基本的にハズレな方は来れない様にホームページでいかに本気で勉強したい人しか来てはいけない感を満載させている。でも完全には止められない。


 この方に返事を書くことにする。まずこの方が自身が受講するのかを、やんわりと質問する。オープン当初は来てほしい一心で無駄に熱く返信していたのだが、あんまり熱いと勧誘が酷いと思われることに1年後にやっと気づいた。


尾上様

お問い合わせメールありがとうございます。田坂塾・田坂と申します。体験レッスンの前に確認をさせてください。

受講されるのは章子様ご本人様でしょうか? 

ご希望の科目を書かれていませんが、何を受講されたいですか? ご希望の平日の午後は空いております。返信お待ちしております。

                      田坂 元


 そっとドアの鍵を開けて帰宅すると、妻の志穂と息子の博人は寝室にいた。

寝ているのかもしれない? 帰宅するときの連絡はメールでやるようにしているのだが返信はなかった。

 妻は暗闇で私を見つけると口に人差し指をあてて声を出さないように促した。たぶん息子が寝たばかりなのだろう。起きたら最初からやり直しなので,寝かせる事は大変なことは分かっていた。

 静かな足取りで居間に移り、ドアを閉めて、ボリュームを気にしながらテレビをつけた。 冷蔵庫から発泡酒のビールを取り、テーブルの上の夕飯のおかずをレンジで温める。

 料理の名前は分からないが鶏肉を醤油とみりんで煮たものや、スーパーで買ったと思われる味のポテトサラダが皿に盛り付けられていた。

 妻はあまり料理が得意ではないので、あまり料理に期待してるわけでもない。

 たぶんジャーの中にご飯も入っているのだと思うが、ビールの当てには、おかずだけで満足だった。

 テレビの前でぼんやりしてると志穂が寝室から帰ってきた。

「おかえり」と彼女は微笑むと「博人が起きるからごめんね」といつものように言うと、私が脱いだスーツを回収して洗濯機に持って行った。

 志穂は仕事をして保育園に博人を迎えに行き夕食をつくり博人を寝かす。

 ここでも、明らかに私は彼女に甘えているのだが、彼女は私に文句を言ったことが無い。

 家での私の仕事はだいたい決まっており、朝と夜の食器洗いと米の仕込みと風呂の掃除この3つさえやれば何も文句を言われることはなかった。

 むしろ感謝されるくらいだ。  

 なぜなのだろうか?と考えてみたが、やはり彼女の実家の影響が大きいのかもしれない。 志穂の母親は専業主婦で、志穂の父は、義理母がいかなる家事をやることを嫌った。そういう家庭で育っている志穂は私に何もやらせたくないようだ。

 ただ志穂は働いているので条件的にはまったく違った状況なのだが、とにかく彼女は献身的に家事をこなす。

 私が彼女のために出来ることはもっとお金を稼ぎ彼女を専業主婦にして、彼女の実家のような大きな家に住まわせること、とにかく楽をさせてあげたい。彼女にもそういうことを言ったことがあるのだが、彼女は「専業主婦は退屈だから」と微笑んだだけだった。

 志穂は洗い終わった洗濯物を持ってくると、ソファの横にペタンと座り込み一緒にテレビを見ながら乾燥した洗濯物をたたみ始めた。

 二人の会話はいつも博人が中心だった。

 最近、朝保育園に博人を送っていくのが大変だった。保育園で博人が泣き出して、我々から離れない。父親である私はどうでも良いのだが、母親と引き離される感覚があるので寂しいのだろう。

 泣かなくて保育園に行くのに、3ヵ月くらいかかるだろう、と泣き叫ぶ場面を見ていたベテランママに言われたらしい。

 その話が終わると、今日食べたお昼ご飯の話、スーパーで買った弁当がおいしくない話。どうでもいい様な、たわいも無い話なので、話半分テレビ半分で聞いていると志穂は少し不機嫌になってきた。

 なので急いでテレビを切り彼女のほうを見つめた。志穂は少し呆れて静かに息をはきだすと「いいよ。テレビ見て」と言って私のTシャツをたたみ始めた。 

 志穂は風呂上がりでカジュルな肩紐だけの白いコットンのシャツと丈の短いジャージを着ている。服のたたみ方が手馴れていて無駄が無くきれいに折りたたんでいく。

「手伝おうか?」と声をかけても「いいよ」と断られるのは分かっていたので、食器洗いをする為に台所へ立ち上がった。

 どうも私の畳み方は彼女の理想とかけ離れているらしい。

 台所のシンクにはもう洗い物は無く、既に妻が全部洗っていた。明日の朝ご飯も炊飯器に仕込んである。なので、畳んでくれた自分の洗濯物を寝室にしまいにいく。

 ついでにその隣にある和室に立ち寄って、ここで初めて博人の顔を暗闇の中覗き込む。息子は心地よい寝息をたて気持ちよさそうに寝ていた。

 自分の心の中で、すぐに顔を見に来なくてごめんね、と博人につぶやいた。

 今時の父親というのは、もう少し親バカであるべきなのかもしれないが、私にはそこまでの情熱は無い。ただそこに大きな理由はないと自分では思う。


 昭和の終戦辺りに生まれた両親に育てられ、小さい頃から父親というものは、単身赴任の連続で、たまにしか帰ってこない存在だった。

 キャッチボールもしたことが無いし、父親と二人でどこかに遊びに行ったことは一度も無い。

 この時代の父親達は仕事でとても忙しかった。どこかの大手のメーカーの子会社で技術者をしていた父は、たまに帰ってくると、タバコを片手にビールを飲みテレビを見ているか、布団で寝ているかだった。

 母も父に気を使い、子供と一緒に遊ぶということまでは期待していなかった。むしろ父親と仲良く遊ぶ子供自体が珍しくもあった。

 私の現在の心理的要因は、そういった子供時代の経験に影響されているのかもしれない。

 自分の子供というものは、確かに可愛いのだが、志穂をみていると母親と父親の愛情のレベルの差を大きく感じる。

 それは私が持つ、父親と母親との関係でも同じことが言えると思う。

 母親は必死で私と兄を育て上げた。僕らが風邪を引いたら一睡もせずに看病するし、もし怪我をしたら、この世が終わったかのように心配をする。

 私の中の母親の定義は、母親は子供の為に死ぬことが出来る生き物だと思う。

 そもそも、父親と母親の愛情を比較する言うことがおかしいのかもしれない。

 でも、父親は子供の愛情の点で大きく母親に劣る生物に違いない。

 例えば、男は「ばら撒いて」1年以内に100人の子供を作ることが出来るが、「ばら撒かれた」女性は1人の子供しかつくることができない。

 所詮快楽を求めて種だけ植えつけた者と、命を懸けて体の中から産み出した者との違いは大きい。

 博人が生まれたときに私はそれを痛感することになった。私と妻、息子の間には入り込めない愛情のバリアが構築された。

 同じベッドで私と一緒に寝ていた妻は、やがて息子の為に、隣の部屋の段差のない布団を敷いて床の上に移動した。

 最初は私もそれに付き合い、一緒に3人で川の字を作り寝ていたのだが、夜泣きや深夜のオシメ換えに耐えられなかった。どんな時間でも起きて献身的に息子の世話をする妻にはついていけなかった。

 眠くて日々の仕事をするのが辛くなり困り果てていた時、志穂は私だけ別に寝ることを勧めてくれた。そしてその助言をありがたく受けとった。

 思い起こせば、決して最初から育児に対して逃げまくった訳ではなく、妊娠中から育児ワークショップに夫婦で参加してオシメの換え方からお風呂の入れ方まで練習した。なので生まれて1年程は結構張り切ってたまにオシメを換えていた。そうたまにである。

 私が換えれたのは「おしっこ」の時だけだった。ウンチは生まれたての時は緑色であまり臭くなくて良かったのだが、母乳から食べ物を食べ始めると猛烈に臭くなりそれに我慢できなくなりオシメが換えれなくなった。

 息子が病気の時、私のだめ親ぶりはもっと明確になる。

 息子ががひどい症状の風邪になった時、家のあちこちで嘔吐を繰り返した時があった。   

 息子の様子を見ると、明らかに吐く直前を感知することができるのだが、逃げ腰の私。そしてその挙句には、息子を見て嘔吐する私、一方妻は息子が吐こうとした時、一瞬のためらいもなく汚物を手で受け止めることができる。

 3歳の息子は、苦しそうな顔でそれを黙って見ているのだが、彼が幼いながらも何を感じているのかを考えると、それがとても怖いことのように感じた。 

 とにかく、それらの小さな出来事を考えてみると、私は父親として不適格なのは明白だった。

 そんなだめな私だが、志穂はそのことで私を責めたことは一度も無かった。


 私は居間に戻ると、私のトランクスを綺麗に畳んでいる妻を後ろから抱きしめた。気まぐれで抱きついてくる私に慣れている妻はじっとしている。

 あまり長く抱きついていると怒られるのは分かっている。彼女は家事を邪魔されるのを嫌う。いつものように確かめるように彼女の機嫌をさぐる。

 後ろから彼女に近づき手を肩に持っていきやさしくマッサージする。息を吐き出し彼女の身体が少し開く、下心の手を跳ね除けられることはなさそうだ。

 肩をしばらくマッサージした後、手を腋のほうに持っていった。そして永久脱毛をしたすべすべの腋の一番奥の部分に人差し指と中指を入れ込んだ。そしてやさしくマッサージする。

 ここで興奮して強く揉むと彼女が痛がり、即マッサージ終了になるのだが今日は上手にコントロールした。彼女は何もせずに黙ってマッサージを受けている。

 調子にのってきたので彼女の左手を上にゆっくりと持ち上げ腋を大きく開きそこを重点的に右手の3本指を振動させた。すべすべの腋はいつ触っても気持ちよかった。

すると彼女は身体ごと預けてきた。理想的に事は進んでいる。

 テーブルの上のリモコンを取り電気を消した。彼女の息遣いが変わったのが分かった。 右と左の腋を同じように交互に揉むと、両手を肩からゆっくりと滑らせ彼女の背中を通って腰骨の上の所に持って行き彼女がいつも気持ちいいという腰の部分を親指で円を描くように優しく押して刺激した。

 ここまで来て彼女が無抵抗ならその日の夜は楽しい夜になるのは間違いなかった。

 彼女は振り向くとゆっくりと目をつぶった。唇が無防備に私に向けられた。絡まるような長いキスの後、志穂は私の手をとり「ベッドに行こう」と言った。


 塾に到着するとパソコンを開けて仕事を始めるが、昨晩の夜を思い出しながら仕事をしているのであまり集中できない。

 しっとりした綺麗な肌、背の高いバランスの良い身体、綺麗な手、ほど良い大きさの胸、感度のよい乳首、興奮すると下半身からほのかに通う柑橘系の香り、妻は出産しても何も変わらない。

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